第三話 姫椿の毒気③
ランとジャンヌは、同時に声の方へと顔を向けた。
そして、見知った人物の姿に目を見開く。
「あなたは!」
「ジル!?」
昨日、ケルベロスの右の首によって地獄へ強制送還されたはずのジルこと。ジル・ド・レェが、得意気な表情で貯水タンクの上に座っていたのだ。
「ジャンヌぅぅぅぅぅ!!」
そして、ジャンヌの姿を見つけるや否や。ジルはジャンヌ目掛けて、タンクの上から飛び降りて……と、いうか。飛び掛かって来た。
「お会いしたかったで――」
だが、その軌道は。すぐさま、ジャンヌの前に立ちはだかったランの膝蹴りを腹部に食らい阻まれる事となる。
「だから、無理矢理な感じはダメですって」
真顔で言うランに、ジャンヌは庇って貰ったことには感謝しつつも。地面で腹部を抑えてもがく旧友の姿に、少し複雑な心境になる。
「きっ、貴様……!! こ、このっ、アマゾーヌ!! 貴様っ、いっ、いつかっ、今に見てろっ……!!」
痛みに悶えながら、恨みの声を絞り出すジル。
「ん? アマゾーヌ?」
だが、ランが引っ掛かりを覚えたのは。ジルの発した、聞き覚えの無い単語であった。
「――ギリシャ神話に登場する、女性のみの戦闘民族の名称だ」
すると、またまた別の声が降って来る。
次に舞い降りてきたのは、茶色い犬――ケルベロスの右の首であった。
ケルベロスの右の首は、ジルの頭部に着地し。彼の顔面は、「ぐふっ!!」という声と共に。地面へと叩き付けられる。
「転じて、強い女性を指す言葉としても使われる。主に『アマゾネス』と呼ばれるのが一般的だな。コイツの言った『アマゾーヌ』は、それのフランス語だ」
と、説明を付け加えた。
「ケルベロスの右の首さん!」
悶絶するジルに涼しい表情で乗っかる犬へと声を掛けるラン。
「よォ、生者の嬢ちゃん。昨日振りだな」
「こんにちは、昨日振りです!」
呑気に挨拶を交わすランとケルベロスの右の首に、ジャンヌは拭えない違和感を抱きつつも。的確な言葉も見つからなかったで、唖然とするだけで何も言わなかった。
「アマゾネスは、確かに海外で言われた事ありますね! 日本だと、もっぱら『怪力女』や『怪物』が主流なので」
「主流って……ランちゃん、そこは怒って良い所だと思うよ」
「友達にも言われるんですけど……別に、怒る程の事ではないですし」
そう呼称されるだけで、特に危害を加えられる訳でも無いので。ランにとって、神経を逆撫でする程の問題では無かった。
「昨日も思ったけど、お前さんって変わってるよな」
ジャンヌとランの会話を聞いて、しみじみと言うケルベロスの右の首。
「そうですか?」
「うん、とっても」
首を傾げるランに対し、ジャンヌは首を縦に振った。
「だぁぁぁああああ!! 邪魔だクソ犬ぅぅぅぅぅ!!」
すると、すっかり忘れ去られていたジルが叫びながら跳ね起きる。
「いつまで人の上に鎮座してやがる!!」
「はァ? お前なんて、オイラの移動台と言っても過言じゃないだろうが」
「過言だわ!! いつから俺がワン公の運び屋になったっつーんだよ!!」
「オイラが居ないと現世に外出できない分際で、何を偉そうに」
というケルベロスの右の首の言葉に、ランが「はい」と右手を上げた。
「あい、生者の嬢ちゃん」
ケルベロスの右の首が指名。
「今現在のジルさんの訪問は、脱獄じゃないんですか?」
と、尋ねるランの質問に。
「残念ながら、今回は正式な手続きを踏んだ上でこの悪魔は現世に来ている」
と、ケルベロスの右の首が答えた。
「オイ、残念ってなんだクソ犬」
ジルが睨むが、気にも止めずにケルベロスの右の首は続ける。
「実は今、現世で規律違反をしている悪魔が居てな。そいつの追跡、確保の任についてるんだ。コイツはこの学校に転入手続きしてるから、現世でも動きやすいと判断されてな」
「ジル、お前。脱走した分際で、よく現世の高校に編入出来たな」
「そこは悪魔なので、催眠とか。記憶の改竄なんかを、こうちょちょい~と!」
「……満面の笑みを浮かべて言うな」
ジルの答えに、脱力するジャンヌ。
「そういえば、なんで名前。『四戸レイ』にしたんですか?」
すると、今度はランがジルへと質問をする。
「ああ、名前を口頭で『ジル・ド・レェ』と伝えたんだが。教員が空耳しやがって、『四戸レイ』と勝手に付けやがったんだ。ったく、これだから異国は」
「いや、記憶改竄してんだから。そこも、訂正すりゃ良いだろ」
と、冷静に言い放つケルベロスの右の首。だが、ジルはその言葉を気に止めずに笑顔を浮かべてジャンヌへと顔を向けた。
「なので、ジャンヌ! これで、大出を振って貴女の御側に――」
刹那、ケルベロスの右の首がジルの頭に噛み付き。ランの手刀が、首元へと当てがわれる。
「だが、素行が最悪過ぎて単独行動がさせられん。故に、オイラもお目付け役として付く事になったんだ。脱走させちまった失態の罰も兼ねてな」
ジルの頭部から口を離し、ケルベロスの右の首が溜息交じりに言う。
「テメーら揃いも揃って何しやがる!!」
頭から血を滴らせ、ジルが抗議を訴えるが。
「これはオイラの真っ当な責務だ。聖女サマに何するか分からなかったからな」
「寸止めです。ジャンヌさんに何するか分からなかったので」
と、ランとケルベロスの右の首にケロリと答えられる。
その様子を見て、ジャンヌは困った笑みを浮かべながら。
「に、にしても! 規律違反の悪魔って?」
と、話題を変える。
「ああ、悪魔ってのは。地獄でコイツのように、亡者に罰を与える職種の奴も居れば。現世で人間を悪の道へと唆す役割の奴も居るんだ」
ケルベロスの右の首の言葉に、ランは「あっ、悪の道ですか……」と固唾を飲み。ジャンヌも、張り詰めた表情を浮かべた。
「食べちゃいけないと分かっているのに、深夜にカップ麺やお菓子を食べたり」
「えっ、アレ悪魔の仕業!?」
「テスト前に勉強しなきゃと分かっていても、掃除や漫画を読み始めたり。ゲームのレベル上げをしてしまったり」
「あぁー!! 悪魔めー!!」
「イケナイと分かっていながら、家庭のある人を好きになった気持ちが抑えられなかったり。恋人が居るのに、アバンチュールに興じてしまったり」
「それもですか!?」
「頭では分かってても、ソシャゲの課金が止められなかったり」
「昨今のヲタ達の最大のネック!!」
という、ケルベロスの右の首とランのやり取りを。ジャンヌは呆然と見つめ。
「……悪事の内容。意外と、些細なんですね」
と、溢した。
「ジャンヌ! かくいう私も生前、悪魔達による様々な誘惑による導きによって――」
「自分の異常な性癖に、忠実に生きて行く事を決めたんだよな」
「クソ犬コラァァァァァ!!!!」
ケルベロスの右の首の言葉に、ジルが目くじらを立てるが。ランに庇われるジャンヌは、彼女と共に白い目をジルへと向けていた。
「ま、上級エリート悪魔にのみ与えられた権限で。時世や人間達の日夜の行いによっては、戦争を引き起こしたり疫病を流行らせたりという職務もあるが」
「ここでサラっと重ための悪事!?」
「けど、それは。世界の調和の為の、人間達への罰であり試練なんだ」
驚愕するジャンヌに構わず、ケルベロスの右の首は続ける。
「戦争にしても、悪魔はきっかけを与えるだけで。それを拡大させるかは人間次第。律する事の出来る人間が多く居れば、悪魔の力があろうが回避する事は可能だ。過去のものもな」
「オイ、ワン公」
真面目なジルの声が、ケルベロスの右の首に静止を掛ける。ジャンヌの表情は、静かに困惑の色を見せていたのだ。
「……オイラは、別に。聖女サマに責があるとは言っちゃいない。寧ろ、被害者だと思っているしな」
そう付け加えられた言葉は、ケルベロスの右の首なりの不器用な優しさであったのだろう。しかし、敬愛する聖女の古傷を抉られたと感じたジルの表情は険しかった。
三人と一匹しか居ない屋上に、重たく凍てつくような空気が流れる。