第二話 花桃の備忘録⑦
そして、時代は戻り。マリも、ランこと蘭北斗も高校生となった現代。
本日、保健委員としての仕事の為。保健室に在中していたマリは、キャスター付きの椅子に座り。ぐるぐると回転しながら、自身の苦味のある想い出を思い起こしていた。
それは、今日不意に何となく思い起こした訳では無く。マリにとって、この件があまりにも衝撃的且つ忘れる事が絶対に出来ない出来事である為。一人になると、良く脳内で行われている恒例行事であった。
その後、ランとは単なる友達となり。鈴蘭とも特に禍根は残らず。二人とは共に進学した同じ中学校でも、御付きの二人と共に良好な友人関係を築いていた。
ラン以外の三人とは高校がバラバラになってしまったが、それでも入学前の春期休暇では五人で遊びに行ったし。グループチャットも偶に動いている。
だが、やはり。マリの中では自分の勘違いから起こしてしまった失態に、身体を焼かれそうな程の恥ずかしさを感じる事もあるし。鈴蘭の人柄の善さを知れば知る程、あの時言ってしまった言葉と泣かせてしまった事実に胸が押しつぶされそうにもなる。
マリ自身、自分は所謂「完璧で綺麗な人間」だと思っていたにも関わらず。気が付かなかった恋心と嫉妬心で、何の罪の意識も無く他人を簡単に傷つけてしまう事が出来る人間だったのか……と、振り返る度に静かに気落ちをしてしまう。
回転が緩やかになり、やがて静止へとゆっくり向かっていく椅子を。マリは自らの意思と足で止め、傍にあった机に上半身を預けて俯せになる。
「はぁ~……」
さらには、彼女を悩ませる種がもう一つ存在した。
それは、自身の恋愛についてだった。
流石に、もう彼是五年の月日が経っているので。ランに対して恋愛感情を抱いている、という事は無いのだが。新しい恋を……と、切望しているマリの前に。未だに、ラン以上に心がトキめける存在が一向に現れないのだ。
外見の華やかな人、優しい人、頼り甲斐のある人、人望のある人。傍から見て、悪くはない……と、思える男子は沢山居る。実際、マリは何人かに交際を申し込まれたりもした。
だが、残念ながら。付き合ってみよう……という気持ちにはなれなかったのだ。
因みに中学時代はそんな事が頻繁にあった際、御付きの一人に「試しにでも付き合ってみないなんて、マリちゃんって案外純情なんだね」なんて言われたりもした。
(私、そんな器用じゃないし……)
思った事が全て顔に出てしまう性格は、結局直る事は無かったのだ。何とも思っていない相手と付き合った所で、どうせ上手く行く事も無ければ楽しさも感じられないだろう。それに、そんな優先順位の低い恋人と遊ぶより。ラン達との時間の方が、その頃のマリにとっては大切だった。
だからマリには、色んな意味でランを超えてくれる異性の存在を心の中で切望していたのだ。そして、それがマリにとっての「恋がしたい」という言葉の意味であった。
「あぁ……恋がしたい……」
ふと、自分しか居ないのを良い事に。夕日の差し込み始めた保健室で、誰にともなく呟く。
――今まで、自分が感じた事の無い感情や楽しさを与えてくれる存在に出逢いたい。
だが、同時に。マリは、もう一つ願っていた。
――ランが、普通の女の子になれる人と。恋が出来ますように……。
と。例え勘違いの初恋という苦い想い出でも、ランを好きになった事にマリは後悔をしていなかった。
不器用な棘を剥き出しにしていた自分に、ランが優しく和やかに接してくれたから。マリは他人をきちんと直視出来るようになったのだ。
好きになったのがランで良かったと思っているし、ランを好きになった自分を少し誇ってもいた。
だから、ランにも知って欲しいのだ。同性の友人として、恋が如何に素晴らしいかを。そうしたら、きっと少しはガサツで脳筋で怪力な所が改善されるかもしれない……。
「いや……それは、無理か……」
そう力無く放たれたマリの声が、赤へと染まった空を映す窓に。ゆっくりと溶けて、やがて静寂へと飲み込まれていくのだった。
第二章 花桃の備忘録【Fin】