これからは信じよう
コナタは立ち上がると、近江がどこに行ったのかを探した。
と言っても、ここは他人の家。コナタにとっては構造すらわからないし、無暗に開けて良いものではない。
だからこそ、家を見回して近江がしゃがんでいた時には安心したのだった。
問題はここから。自分を悲しませて怒らせた人間の話を聞くとは思えない。それなりに工夫が必要だ。
「……近江さん。いいですか?」
コナタの問いかけに近江は反応しない。
逃げないだけ最悪ではないのだが、コナタには何とも話しづらい雰囲気だった。
しかし、こうなったのは自分のせいである。弱音を吐いてくじけるわけにはいかない。
「近江さんから私が離れる理由は私自身には見当がありません。恐らく無意識のことだと思います」
まずは、自分の心を素直に伝える。コナタがここで重要だと思ったのは、不器用でも自分にある思いを全部吐き出すということだ。
隠し事や嘘で取り繕えるほど器用ではない。だから、素直に自分のできる限りオブラートに包むことを意識した。
「だから、言葉で相手に理解できるように説明することが難しいんです。自分を振り返る時間が必要なんです」
「……」
近江は話を聞いて、小さく頷く。反応があったことでコナタも話を続けた。
「できるだけ、今日中に話そうと思います。その間に近江さんには紹介したいものがあるんです。一緒についてきてくれますか?」
「……うん」
近江の手を引いて部屋へと戻る。
そして、置いてあったゲーム機ST1を起動させた。そこに自分のカバンに入れてあったディスクを入れてVR空間へと入る。
コナタができることと言えば、近江に料理を出すことだけだった。それで最初の自殺を引き留めることが出来た。大きな感情を動かすことが出来たのだ。
ワンパターンだと自分でも思ったが、別の方法が見つからなかった。それなら、二回目は失敗するかもと立ち止まるよりは、試してみるべきである。
もっとも、今回出せるものは最初のものとは明らかに劣る品なのだが。
「こちらを食べてくれませんか?」
「……これは?」
月曜にコナタが食べていたパンケーキがそこにはある。
しかし、見てくれだけだ。味という観点で言えば余りにも大雑把で本物とは比べ物にならないほどにまで下がってしまう。
「リクエストされた品の再現。その途中です。なので味はそこまで美味しくありません。こんなものを出されても困ると思いますが、試食してくれませんか?」
「……いただきます」
近江は迷うことなくパンケーキを口の中に運んだ。その反応を見て、コナタは後悔する。
決して悪い顔はしていない。口に運んだものはまずいものではないのだ。しかし、どこか予想を裏切られたようながっかり感が目には映っている。
冷静に考えればわかり切っていたことだった。リクエストされたものを未完成のまま出されて満足する客がいるものか。
「すいませんでした。ご期待に沿えませんでしたよね。すぐに消します」
自分の失敗を隠すかのように、コナタは空中にあるボードをタッチして料理を消そうとする。それを、近江の手が止めた。
「待って」
近江の声には憤りがあった。しかし、パンケーキが美味しくなかったことではない。
「ここから、どうしたら完成品になるの?」
未完成のものを食べてみて、近江が感じたものは物足りないだった。味は美味しく今まで食べたことがないものだ。もし、こちらを出会ったときにVR料理として出されても感動しただろう。しかし、完成品を食べてしまった彼女には未完成品との違いがわかってしまう。
味が大雑把で何処か細かい所に棘がある。逆に刺激が欲しい所なのに簡単に消えてしまう。
この後、コナタがどんな調整をすれば完成品になるのだろうかと近江は興味を持った。
「聞いてもつまらないと思いますよ」
「いいの。教えて」
調整について聞きたい近江に対して、コナタはあまり話したがらない。
素直に言いたくなかった。自分が作るVR料理の製作工程を他人に差し出したくないのだ。
――そうか、そういうことなのか?
説明を催促され、コナタは自分が何故か近江と関わらないようにしていた理由がわかる。そして、ヴイスと協力することを渋った理由も同じだった。
コナタは自分のVR料理が他人のものになるのが嫌だったのだ。他人にVR料理の仕組みを話せば理解される。再現もできるだろう。
そして、他人がVR料理の隆盛を成し遂げるかもしれない。この時、VR料理はコナタのものと言えるのだろうか。
悪い言い方をすれば、VR料理を独占したかった。
誰の手にも渡さずに、自分だけが使える技術のままにしたかったのである。
両親がした同じような失敗を自分もしないようにと過敏に恐れていたのだ。
だから、自分の料理に対する感情で満足であれば受け入れることができるが、興味だと敵視してしまう。自分の創作物を盗む泥棒のように見えるのだ。
「……」
コナタには今、二つの選択肢がある。近江に自分の醜い器の小ささを教えてその場を乗り切るか、その上で克服するために彼女の質問に答えることだ。
楽なのは前者だろう。自分の弱さだけを言うだけで済むのだから。しかし、そんな心持でヴイスと協力できるのか。
自分だけの技術だと人に教えないなんて発想が幼い。
実力はどれだけ凄かろうが、人間としては評価されない人間だ。
誰にも悟られず静かにコナタは決心した。
「これはフレームという段階です。私がそう名付けました。一回食べてみて大体の味を既存のデータから再現する方法です」
「それで?」
「ここで本来の料理の約90%は再現できます。けれど細かな所の微調整は難しい。そこからは何回も食事を繰り返して脳の反応を収集。そして、反応にあった味覚を再現します。これがアタッチと呼んでいる工程です。大きく分けてこの二つの工程でVR料理は完成します」
「なるほどね。なら、素人として聞きたいんだけど、フレームの段階で既存のデータで再現できなかったらどうするの?」
「今の時点でデータが膨大なのでフレームなしですることはほぼありません。データがなかった時期はまずは味覚探しからでしたね。脳の反応を見て甘いとは塩辛いとかの反応を検出して、その反応をデータとして蓄積する作業でした」
「つまり、下地があるからこんなに簡単にフレームはできているってこと?」
「その通りです」
実際に話してみると、わかっていることなのでスラスラと説明することが出来、満足感もある。自慢話をしているようで終わった後は自分が情けなく思えた。
「すみません。少し変な話でしたよね」
「全然。寧ろ、専門用語とか少なくて想像よりはわかりやすかった」
近江も納得したようで、先ほどまでの激しい怒りは小さくなっていた。しかし、ほんの少しは残っていたので、
「話は変わるけどさ。山県くん」
「はい」
「君は私から離れる理由を話すための時間が欲しいって言ったよね。もしかしてだけど、忘れてたりしない?」
確認され、話す機会を作られた。
迷いはない。自分の情けない理由を話すだけだ。どんなに下らないものでも近江は聞きたいと思っていることなのだから。
「忘れてませんよ。今なら言えます」
「なら、教えて」
「はい。私が近江さんと関わりたくなかった理由は、私の技術を盗まれたくなかったからだと思います」
「ごめんなさい。どういうこと?」
「近江さんは私の料理に興味を持っていましたよね。もっと知りたかったと思います。それが私には嫌でした。もしかしたら全て再現されてしまって越されるかもしれないと。他の人も同様です。だからヴイスとも協力することを一回は断った」
清々しいほど自己中心的でクズな発言だった。コナタ自身も呆れて笑ってしまう。
しかし、近江は笑わずに、真っすぐにコナタを見た。
「何がおかしいの?」
「だってそうでしょう。すごい発明をできる人間の性格は井の中の蛙で小心者だったんだ。これじゃ報われませんよ」
「なら、一言だけ言うけど……」
自己嫌悪も極まったコナタは自分がこんな技術の担い手である資格はないと断じた。もっと頭が良く、聖人で、上手く活用できる人間に移すべきなのだと。
その思いは、早々に否定される。
「山県くんは別に小心者ではないと思うよ。寧ろ、勇気を振り絞ってると思う。ここぞという時限定だけど」
手を優しく握られて、上目遣いで言われればコナタも動揺しないはずがない。自分は素晴らしい人間なのだと勘違いしてしまう。
「止めてくださいよ。調子に乗りますよ」
「今は少し過小評価しすぎだから。少しぐらい上がっても嫌味にならないわ」
怒ってしまった近江を宥めるはずが、いつの間にかコナタが励まされていた。
喧嘩して、本音を言い合って近江に信頼感をコナタは持てた。これまでの得体のしれない美少女から、自分を慕ってくれている美少女ということがわかった。
その思いに報いたいし、できるならこのまま慕われ続けたい。
心を許したことを態度で示そうと思った。
「それなら敬語も外してみようかな」
「いいと思う。その調子ね」
「うん」
敬語で話してしまうとどうしても関係に線ができてしまう。悪いことではなく、ビジネスや公共の場では便利だ。しかし、敬語がない関係というものもあった方が人生は豊かになる。
こうして、信頼関係を構築してコナタは家に帰った。
明日の予定について詳しいことを知らずに。激動の時間は話すべきものを二人に忘れさせてしまった。幸いなことに夜に近江が気付き、LHENで最低限の情報を伝えることが出来たのである。
コナタもそのメッセージを見て気づき、大事にはならなかったものの心が大きく盛り下がってしまった。
せめて、明日にこの心持を引き摺ることのないようにコナタは早くベッドに入り、瞼を閉じたのである。」