歩み寄るべき機会
月曜日に近江に再現してほしい料理をリクエストされてから数日。この期間を一言で表すのであれば、平凡であった。
特にヴイスから連絡が来るわけでもなく、近江から何かしろと言われることもない。まるで、これまでのことがなかったかのように日常が過ぎ去っていく。
そして、金曜日。
どうなっているのかとコナタも疑問に思った頃に近江からLHENにおいてメッセージがあった。
『明日、ヴイスに来てほしいです』、というメッセージで休日が忙しくなることが確定する。学生という身分上、何時協力するのかということを考えると土日になってしまうのは当然のことであった。しかし、コナタだって一人の人間。自由な時間が無くなってしまうことに少し窮屈さを感じる。
それでも、断るわけにも行かず無難な返事をしようとすると近江からさらに『詳しくは後で話します』と書かれていた。
待ち合わせ場所も記載していないのは近江らしくない。更にメッセージが来るかと思い身構えたが、結局のところ来なかった。この対応にコナタは大いに困ってしまった。
今は放課後。つまり、二人の接点が極端に薄くなってしまうからだ。学校であれば直接話しかけることもできるだろうが、学校から離れればお互いの家も知らない同士。LHENでしか話すしかない。また、教室には近江の姿は既になかった。
時間も設定されておらず、緊迫していないのだから家に帰ってから聞こうとコナタは考える。同じ道で帰る友人数名と雑談に花を咲かせた。
「急に連絡してすいませんでした」
だからこそ、まさか校門の前で近江が待っているとは思っていなかったのである。
コナタも予想外だったが、より一層驚いていたのはコナタの友人たちだった。一クラスメイトにここまで大きな反応をするのは彼女の美貌ゆえだろう。しかし、連絡と言われてもコナタ以外は心当たりがなく、立ち尽くすしかない。
コナタも気まずい雰囲気をどうすれば良いかと考え、硬直している。
「既読はついていたようですが、よく確認していなかったですか。山県さん?」
「い、いや見ましたよ。明日にヴイスのイベントでしたよね」
近江に名前で呼ばれ、コナタは何故か取り繕ってしまう。彼女の目当てが自分であると、友人たちに隠したかったのだ。
別に理由はない。ただ、反射的に隠さなくてはいけないと思ってしまった。
「イベント何て書いてませんよ。ただ、来てほしいって言っただけです」
「そうでしたね」
「詳しい話をしたいので場所を変えてよろしいでしょうか?」
手を引かれて、友人たちと離れてしまうコナタ。
そのまま近江に連れられている中、後ろを振り返ると友人たちは随分と楽しそうにニヤニヤと笑顔で話していた。
前に向きなおると、不機嫌そうにしている近江が映る。友人たちの態度を悲しむ暇もなく、どうしてこんなに怒っているのだとコナタは移動時間の全てを使い考えた。
歩いて30分ぐらいで、とある一軒家に入る。店という雰囲気はなく、コナタは入って良いのか混乱する。
「すいません、入って大丈夫なんですか?」
「いいですよ。私が許可します」
「何で近江さんがその権限を?」
「私の家ですから。それとも、父や母でなくてはいけないと?」
他人の家ではないことに安堵すること半分。女性の家に入ることにコナタは凄まじい緊張感を持った。自分にそんな資格があるのかとすら思えてくる。
そんなコナタの心情など理解もせず、近江は家の中へと誘い込み一室へと入った。カーテンの色合いや一つだけある大きな熊の縫いぐるみ以外はほとんど男性のものと変わらない部屋。
男性でも興味がないと置かないものとして、最新のゲーム機とゲーミングパソコンがスペースを取っていた。
二人は部屋にあるクッションに座り対面する。
「さて、本来ならLHENの話題について説明するべきですが、その前に話したいことがあります。よろしいですか?」
「はい」
怒られるのは嫌だったが、近江に申し訳ないことをしたのは確かだ。
理由もなく取り繕ったコナタにも負い目はあったので観念して、受け止めることにした。
「私と離れたかった理由はあれですか?」
「……大変申し訳ありません。あれ、と言われてもわかりかねます」
「私が男子生徒から嫌われているからですか?」
「……え?」
コナタは近江が男子生徒から嫌われているという認識がピンとこなかった。彼女は寧ろ男子生徒から好かれている。恋愛できるのであればこれ以上の人間を探し出すのは至難の業だと思われるほどには。
「あの、近江さん。近江さんは男子から嫌われていませんよ。寧ろ、好きな人が多数派だと思います」
「ええ、そうですか。わかりました」
近江も自分が嫌われるという自覚はなかった。しかし、ここまで自分とは接点を持ちたくないようなコナタを見ると、一つの結論に至る。
見た目はともかく性格はきつそうと思われているのではないかと。そして、仮説を勝手に自分で裏付けてしまう。そう言えば、何の接点もない人間にしか告白されたことはあるが、ある程度自分を知っている人間からはされたことがない。何処か自分に致命的な欠点があって、そのため嫌われていると。
違うことが知れて、少し気が楽になった。しかし、そうすると今度は近江が感じるコナタが持っている自分への嫌悪感の正体がわからない。
「それでは、何故私から離れようとするんですか?」
「別に私は離れ……」
否定しようとしたが、コナタはここで言い留まる。
ここで否定しても先に話が進まず、半永久的に水掛け論をするしかない。大事なのは否定ではなく理解なのではないか。どうして離れようとしているように見えているのか知ることだ。
「すいませんが、私のどんな行動でそう思いました?」
「……敬語」
「敬語、ですか?」
「そうです。普通、クラスメイトに敬語なんて使いますか。まるで先生と生徒の会話みたいです」
敬語と言われても、コナタは近江が嫌だから敬語を使っているわけではない。
「そう言われましても。近江さん友達に敬語で話さないんですか?」
「話しませんよ」
「意外です。逆に普段どんなふうに話しているんですか」
「普通にですよ」
普通にと言われても首を傾げるコナタに呆れ、近江はため息をついて再び話し出す。
「こんな感じ。普通でしょ」
「そうだったんですね。近江さんは敬語のイメージでした」
「その印象どこから来たの?」
近江は学校行事でも話す機会がある。コナタとしては壇上で話す近江の口調で固定されていたのだろう。
「まあ、その理由はもう問わない」
「いいんですか」
「それよりも。私は敬語を止めた。なら、山県くんも敬語をやめるべきじゃない」
「そう言われましても」
いきなり人への話し方を変えるのには抵抗がある。このまま敬語で話すことの方が最適だった。
「別に敬語で話すことが近江さんを嫌いだからというわけではありませんよ」
「私はやめてほしいの」
「そんなに敬語で話している私が嫌なら無視してればいいじゃないですか。別にヴイスと協力はしますしできる限り頑張ります。近江さんが私と関わらなくてもいいですから」
コナタには近江がここまで関わろうとする理由がVR料理しかなかった。だから、VR料理の発展に協力すれば問題ないだろうと思っての発言だった。
しかし、これは失言である。
「……私のこと嫌いなんだ」
「違います。ただそう聞こえたことは謝り――」
「私のこと嫌いなんでしょっ!!」
立ち上がり、叫ぶかのように声を荒げた。
手が震えて、顔は何時ものような綺麗な顔ではなかった。涙が流れ、此方を憎いような寂しいような目で見ている。
「私は嬉しかったんだよ。初めて食事が出来てとても美味しかったんだ。だから、だからそれを作った人のこと知りたいって思うのは可笑しいことなの? 仲良くなりたいって思うよ! 好きだって思ったし好きだって思われたいのは変なことなの? それなのに、どうして私から逃げようとするの。別にいいよ、嫌いな理由があるのなら。でも、それなら話してよ。逃げないで私に伝えてよ。せめて、嫌いだってことぐらい私に顔を向けて話してよ!!」
近江にとってコナタは命の恩人なのだ。自分の自殺を止めただけじゃない。これから生きようと思えるVR料理すら紹介してくれた人間であり、好感度はこれまであった人間で著しく高かった。
そんな人間が身近にいれば自分の好意に応えて欲しいし、自分にも好意を持ってほしい。
ところが、二人でいる時に近江が見たのはコナタが只管に自分から逃げようとする素振りだった。あれほど死のうとした時は真摯だったのに、救った途端に毛嫌いするような行動ばかりだった。
自分と繋がりを持ったのはヴイスに自分の才能をアピールしようとしたのかということもありえない。それなら、自殺する前にいくらでも機会はあったし、偶然過ぎる。コナタ自身も近江の父親である仁志の協力を一回は断っていた。社交辞令ではなく、真剣に考えた上での決断だったと実際に見ていた彼女は思った。
だから、怖かったが嫌いかどうか聞いてみたのだ。しかし、それすらもはぐらかされてしまって鬱憤が行き場を失ってしまった。
結果がこの絶叫である。
近江は部屋を出て行ってしまい、コナタだけが残されてしまった。
「どうするんだ、俺」
心を爆発させた近江をどうやって宥めるか。
自分にはできないと思ったが、同時に自分がしなければいけないと思うのだ。
形はどうあれ、近江は好きだと言ってくれた。それを無碍にするような態度はとれない。
感情を爆発させた女の子を落ち着かせたことがないわけではない。同じ人物で一回やって、何とか宥めることに成功もした。しかし、同じ方法はできない。
はずだった。
――試す価値はあるか?
コナタにとって、それは賭けだった。
もしかしたら近江と仲直りできるかもしれないが、確実ではない。
――いや、試すしかないのか
それでも、コナタはやるしかない。
残念なことにコナタは女の子の気持ちなんて全然わからない男だ。先ほどのように言葉を並べて失言するよりも自分の作ったものに助けてもらうしかなかった。