さあ、ビジネスを始めよう
ヴイスに早く着き、近江を待っているコナタ。
すると、数分して見覚えのある女性が現れた。
「こんばんは、山県さん」
「近江さん……こんばんは」
両隣に大人を引き連れながら。
どちらも恐らく40代から50代。コナタがそう予測したのは顔の輪郭が近江にとても似ていたからである。恐らく両親であろう。
コナタの体は緊張で背筋が凍る。数日前までただのクラスメイトだった少女の両親と出会うのだ。
何を話せば良いかなどコナタには見当もつかない。
いっその事、他人の空似でありコナタの勘違いであれば良かったが、
「紹介します。私の父と母です」
「近江仁志です」
「母の遥です」
「山県固屶です」
近江に紹介され、希望を消え去った。
「私が君の作ったものについて話したら、一緒に食べてみたいという話になりまして。それで今回来ていただきました。ありがとうございます」
「構いませんよ。暇は有り余っていますので」
近江からの説明で両親が来た理由を把握できたが、事前に言ってほしいと内心悪態をつく。両親と一緒に来ると知っていればこの場でコナタが狼狽することはなかっただろう。ヴイスに連れてきた件も含めて彼女は説明が足りないと思った。
これからは必要最低限の返事だけではなく、不明な部分は事細かく確認しようと反省する。
「外で話すのもなんだし、中に入ろうじゃないか」
「賛成。それにしてもVR料理なんて初めてだから緊張するわ」
「安心してよ、母さん。私が味は保証する」
「私からも美味しいものだと自信を持って言えます。どうかご安心を」
「そう。なら、楽しみにするわ」
両親の反応を見て、コナタは随分と風変わりな家族だと思った。何というかコナタへの疑心が態度に全くないのだ。普通ならVR料理なんて怪しい代物を作った高校生に警戒を向けるはずである。最初は近江にように懐疑的に見るはずだ。
加えて、最低でもどちらかはヴイスの重役である。自分たちが努力して作れないものをコナタが作れることをおかしいと思わないはずがない。
まるで、外食に行く親子のようにどうしてここまで能天気であるかのように振舞うのか。
納得することなく、4人は昨日と同じフロアに移動した。流石に同じ部屋というわけではないようで、一番奥の部屋に入る。
「さて、コナタ君。これを使って案内してもらえるかな」
「わかりました」
部屋に置かれているST1を起動して、ヘッドギアを3人へと配った。幸いにも4つヘッドギアは用意されていたので、コナタもVR空間へと入る。
そして、料理が出てくる部屋へと扉を開けた。
「ここは……」
「料理を出す場所です。レストランという感じではないですよね」
一言言いたげそうな仁志に向かってコナタは自虐する。
改めて考えれば、料理を食べるための空間としてコナタが作ったものは余りにもお粗末だった。どこにでもある一軒家の一室で、料理を楽しむような空間ではない。
もっと、レストランのような構造にすれば良かった。
「いいや、良いと思うよ」
「そうね。さあ、早く食べましょう」
「母さん、あんまり急がないでよ。少し恥ずかしい」
思わぬ高評価にコナタは意外だと思ったが、そんなことは待ち望んでいる彼らに料理を出すことと比べて些細なことだ。
「それでは今すぐに」
コナタはすぐさま3人へと料理を出す。
時間帯は夜。加えて、近江を飽きさせないためにと昨日とは別の料理を出す。夕食らしくステーキとフライドポテト。それと、コップ一杯の水。
「どうぞお召し上がりください」
彼らの生活水準を考えると、決して豪華とは言えないだろう。それでも、コナタが作った中でこれがこの場で出せる最高の料理だった。
「「「いただきます」」」
三人は挨拶をして、肉を一口サイズに切って口に運ぶ。
「うん、これもとても美味しい」
最初に感想を述べたのは近江だった。昨日と同じように笑顔を浮かべ、食事を口に運んでいく。
「脱帽だな。仮想空間でここまで食事を実感できるとは」
「うん、美味しいビーフステーキ。でも、まさかゲームでこの味を体験できるとは思わないわ」
逆に両親からの感想はコナタとしては苦しいものだった。彼らは味に対してはそこまで評価していない。あくまで現実の料理を正確に再現したことを評価している。
しかし、言葉とは裏腹に彼らは大きな感動をしていた。というのも、
「何より、隆乃と食事をできるなんて夢のよう」
「母さん?」
遥の視線が笑顔の近江へと向けられる。
これまで食事ができない少女と15年間生きてきた両親だ。彼女がどれほどの思いをして生きてきたかは知り尽くしていた。自分たちが食べている物を食べてはいけないと叱りつけることは決して嬉しいものではなかった。
こんなことになったのは自分たちが普通に生んであげられなかったせいだとどれほど後悔したか。
娘にそれを言われて罵られることがどれほど怖かっただろう。娘を活かし続けていることが自分たちのエゴなのではないかと悩んだ日もあった。娘が普通でいないことに耐えられないで死んでしまうかもしれないと不安だった。
しかし、目の前には普通の子と同じかそれ以上に食事を美味しく食べている娘がいるのだ。
自分たちの苦労が報われたような気がして、いつの間にか目から涙が流れていた。
「何泣いてるのよ」
「ごめんなさい。何だがそんな気分になっちゃって」
「まあ、わからないわけではないけどさ」
昨日、初めて食事が出来て泣いた近江だ。両親が嬉しいと思う気持ちに寄り添うこともできる。
近江親子とは離れて見ていたコナタも嬉しかった。自分の作ったものでここまで心を動かす人間がいてくれたことに感謝したい。
彼らへの細やかなお礼として、コナタは一つだけ料理を増やした。
「デザートです。どうか召し上がってください」
コナタが出したのはプリンだった。比較的硬めに作ってありスプーンですくう時は弾力がある。そして、口に入れるとしっかりとした卵を感じさせる味が口に広がるのだ。
「わあ、いただきます」
三人は微笑みながら口へと運んだ。
「美味しい。もう、食べられない生活なんて考えられない」
「大丈夫です。ゲーム機を買えばいつでも味わえますよ」
「よし、買いましょう。さて、それでできるゲームって何なのかしら」
「ST1だ。私の私物であるし、後はヘッドギアだな。1人分しかないからもう3人分買わなくては」
楽しそうに食事をしながら進む談話。そして、区切りの良い所で仁志がコナタの方を向いた。
「コナタ君。少しいいかな?」
「はい、何でしょうか」
真剣で会社人へと変わった眼差しが向けられ、コナタは不穏な感じがする。予感は当たった。
「どうだろう、このVR料理。うちで発展させてみないか? 無論、環境と報酬は用意する」
先ほどのゲーム機の会話から、コナタは仁志がヴイスの重役であることは理解できた。彼に提案されるということは、ビジネスとしてVR料理が成り立つということだった。
その評価自体は嬉しいことだ。しかし、VR料理で金儲けをするというのがコナタは気が引ける。
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
「何故だい?」
「そんな大それた事、私にはできません」
大きな挑戦には大きな成功を得られる可能性がある。そして、大きな失敗になってしまうこともあるのだ。15歳のコナタには躊躇ってしまう一歩だった。それに、コナタは別の理由でもVR料理を表に出したくない。
コナタの返事に仁志は何か言いたげで口を開こうとした。
「……それは――」
「それは卑怯でしょう、山県さん!」
「卑怯?」
コナタの決断を話に割って入ってまで近江が反論する。彼女は雄弁に自分の気持ちを語った。
「私は食事ができないことで死のうとすら思っていました。それを貴方は止めて、VR料理を教えてくれました。私はあの時に行動に移さなくて良かったと今は本当に思っています。そして、私ほどではないにしろ、こうやって食事に困っている人たちは大勢いるのではないでしょうか。貴方は私だからこの料理を出したのですか。私だけにしか料理を出さないのですか」
「そういうわけじゃ」
「なら、多くの人に知ってもらうために行動するべきです。せっかくの機会があるのですから力強く掴むべきです。そうでしょう?」
コナタはどうして近江にVR料理を出したのか。
理由は目の前に食事で悩んでいる人がいて、自分が解決できると思えたからだ。VR料理を人のために役立てると考えたからだ。
しかし、世界の皆とかそこまで大きな単位で物事を考えたわけではない。
身近に悩んでいる人がいれば助けてあげたい。そんな人並みの親切心しか持ち合わせていないのだ。コナタには野望も素晴らしい志もない。
「俺が携わったものは、そんなに素晴らしいものなのでしょうか?」
だからこそ、コナタは問いかけた。
VR料理とは自分だけの周りで終わらせていけない。もっと、広い世界で通用するものなのか。製作者にやる気がなくても影響を世界規模で与えられるものなのだろうか。
大勢の人をVR料理で助け、笑顔にすることが可能であるか。
「できます。私はそう信じています!」
「そうね。私も大きな可能性はあると思うわ」
「二人と同意見だ。君の作ったものはそれだけの価値がある。私が成功するためにできるだけのことをしよう」
即答されてしまった。
ここまで煽てられると、その気になってしまう。
自分には大きなことが出来ると何も成し遂げていないのに錯覚してしまう。
――父さんと母さんはこんな気持ちだったのかな。
自分が頑なに断る理由は両親のことだった。
両親が挑んで敗れた挑戦もコナタは行おうとしている。コナタは両親に失敗するなら挑戦なんてしてほしくなかった。
何もかも失うくらいなら、踏み出さない方が良い。
対して、コナタはどうだろうか。大切な人間なんて一人もおらず、本当に信頼できる相手なんていなかった。
失敗しても心から悲しんでくれる人もいないだろう。いるのは落ちぶれた時に良い気味だと嘲笑う人間だけ。
それならやっても良いのではないか。成功することだけ考えられるのではないか。
両親が本当にしたかったことを実現できるかもしれないのだ。
「……わかりました。私にできるだけのことをしましょう」
コナタには失うものなど何もない。後は手に入れるだけだった。