少女よ、これがオニギリだ
約束の日。
コナタは近江から指定された場所へと到着した。彼女は先に来ていたようで、コナタに気づき話しかける。
「お待ちしておりました」
「待たせてしまってすいません」
「謝らなくて結構ですよ。時間通りには来ているんですから。早速、案内します」
近江に案内される中、コナタは私服で来て良かったと安心した。
今回、集合するように言われたのは大手電機メーカー『ヴイス』の地方支部だ。それを聞いた時は困り果てたものだった。
ただの高校生がどうして待ち合わせ場所を大手電機会社にするのだ。何か、理由があるのかもしれない。コナタは正装として学生服でも着てこなければいけないのか。
結局、悩んだ末に私服できたわけだが、近江も私服で来たことで自分の決断が正しかったことが分かったのである。加えて、異性の私服姿、それも近江の私服を見られて眼福な気分になった。
男子生徒で近江の普段の姿を見ることが出来たものは決して多くはないだろう。それに、彼女の着こなしは単純に綺麗で、見とれてしまいそうだった。
そんなことを考えている間に二人はエレベーターで移動し、ある一室へと入った。
「失礼いたします」
「し、失礼いたします」
部屋の中には一人中年の男性がおり、近江の挨拶を見てコナタも挨拶をする。
「こんにちは。近江さん、それと山県さんでいいかな?」
「はい。間違いございません。……あの、一つ質問してよろしいですか?」
「構わないよ」
「私は近江さんにVR料理を食べさせるためだけに来ました。正直、対応するゲーム機がある場所ならどこでも良かった。それなのに、何でこんな場所に連れてこられたのでしょうか?」
状況が把握できていないコナタは自分がここに来なければいけなかった理由を知りたかった。
すると、近江が返答してきたのである。
「山県さん、私がヴイスの重役の娘であることは知っていますよね」
「すいません。会社名までは知らなかったです」
「……え?」
「え?」
普通に考えて、クラスメイトの親が就いている職業何てわかるはずがない。家族ぐるみの付き合いや親友でもない限りは。
だから、素直に答えただけなのにどうしてここまで困惑されるのだろうかとコナタは意味が分からなかった。
信じられないという目で見る近江は絶句して何も言わない。膠着した雰囲気に中年の男が割って入る。
「山県さん。VRゲームで味覚や料理の再現が難しいのは知っているかな?」
「……いいえ」
「そうか。それなら、とにかくそうなんだとわかっていてくれ」
「はあ」
「私たちも日々研究を続けているのだが、上手く進んではいない。そんな時に近江さんに君が近づいた。我々からすれば、こちらへのアピールだと思うわけだ」
中年の男の話を聞いて、コナタは近江たちの驚いたわけに納得した。要するに、コナタが近江にVR料理を食べさせようとした裏には、彼女の親が働くヴイスに取り入るという魂胆があるものだと考えたのである。
「いや、そこまで私性格悪くないですよ」
「どうやらそうらしい。君は本気で近江さんにVR料理を食べさせるためだけに来たようだしね。まあ、君のVR料理にヴイスも興味があるからこんな場所を用意したとだけ思ってくれ」
大きなことに巻き込まれているような気がして、コナタとしては居心地が悪い。これまでの経験から大事に関わるとコナタはロクな目に合わなかった。すぐさま約束を反故にして家に帰りたいとすら思っている。
それでも、ここまで来て何もしないで約束を破るのはコナタの良心が許さない。少なくとも一人の少女が死を選ぶまでに悩んだことを解決できるかもしれないのだ。
「わかりました。それでは準備をしますのでディスクを入れるゲーム機を準備してもらってよろしいでしょうか」
内心で覚悟を決め、準備に取り掛かろうとする。
「それなら、これに入れてくれ」
「ST1なんですね。昨日はST2と言われましたが」
「君のディスクはST1を想定したものなのだろう。それなら、一番合っている機種の方がいいと思ってね」
「ありがとうございます」
フルダイブVRゲーム機であるST1はディスクを入れただけではゲームが始まらない。プレイヤーが専用のヘッドギアを付けて、ホーム画面からVR世界の扉に入るという形で開始されるのである。
まずは近江へとヘッドギアを渡す。彼女は此方の瞳を覗き込んだ。驚きの声から何も発さなかった少女は既に自然体になっており、真っすぐこちらを見定めるようにしてヘッドギアを受け取る。
「期待、してますよ」
「応えられると思います」
コナタもヘッドギアを付けてVR空間へと入る。そして、ホームの空間にできている一つの扉を開いた。
ここまでは近江が案内していたが、ここからはコナタの番だ。
「どうぞ、お座りください」
「ええ」
コナタが用意したVR空間は決して広いものではない。どこにでもあるような家のダイニングでやや大きなテーブルと4つの椅子があるだけだった。
近江が腰を下ろし、食事の準備はできた。
「それじゃ、おにぎりを出しますね」
VRではわざわざ料理をする必要はない。予めプログラミングしていた料理が出されるだけであった。現実の作る過程を見るという点だけではこの仕様は劣る。
しかし、それ以外は現実と遜色ないと言いきれた。
おにぎりが出されて、近江の顔つきが変わった。
昨日嗅いでいたおにぎりの海苔の匂いが鼻から入ってきたのだ。吟味するように鼻に意識を集中している。
真剣な顔つきだが、嫌悪感は見受けられない。十数秒行うと満足したのか、手がおにぎりへと伸びる。
それをコナタは静止した。
「待って下さい」
「……どうしてですか?」
ここで初めて不快な視線を近江は向ける。余程目の前にあるおにぎりを口に入れたいに違いない。そんなことはわかっていたが、コナタも最低限の礼儀は守って欲しかった。
「食事をする時は挨拶をするものでしょう。食べるのはそれからです」
「確かにそうですね。いただきます」
やや急いで挨拶をした近江はおにぎりを掴んだ。
手で触れる感触なども再現しているつもりである。彼女は気にしていないだろうが、それは気にならないほどに再現できているということだ。
そして、口に入れようとした時、近江の手が止まった。コナタも何かあったのかと思い、彼女を凝視すると手の震えに気づく。
VRなのだから死ぬことはない。しかし、これまでの経験が近江に食べることへの後ろめたさを持たせていた。コナタも何か言おうと考えたが、ここは見守ることにする。自殺してまで食事をしようとした彼女なら、ここで食べないという選択肢は取らないと確信したからだ。
そして、決心した近江が大きな一口でおにぎりを食らった。
おにぎりの中身は鮭。一口では具まで到達しないことがあるが、おにぎりの断面から赤い魚肉が見えたことで安心する。
咀嚼して、これまで経験したことがない感覚を近江は味わっていた。
コナタは『おいしいですか』と聞こうと思ったが、暫く待つことにした。自らの作ったVR料理に近江が満足しているかという不安は彼女の見せる涙で消え去ったのだから。
近江が味を噛みしめている間は、コナタも同じく達成感から充実していた。これまで自分がしてきたことが報われたような気がして、大きく息を吸い込む。
食べられない少女は自分がふるまった料理に涙を流すほどまでに感動している。これは料理人名利であり、夢がかなった瞬間だった。
一口目を食べ終わると、すぐさま二口目を頬張る。それでおにぎりはなくなり、満足そうに近江は食事を終えた。
「美味しかったですか?」
我慢していた言葉をやっと近江へと投げかける。態度で既にわかり切っていたことだが、それでも言葉にしてもらいたい。コナタの望みに彼女はすぐに答えた。
「はい、とても」
称賛を聞くとどうしても舞い上がってしまう。コナタは他に何かしてあげたいと更なる提案をした。
「それなら、おかわりもありますよ。他にも出せる料理はありますし、食べてみますか?」
VR料理で今出せる全てを近江に見せたくなった。そして、彼女の更に喜ぶ顔を見続けて、より自分が満足したかった。
自分でも張り切っている自覚があった。
「いいですね。なら、他の料理も出していただいてよろしいですか?」
「もちろん!」
歯切れの良い返事にすぐさま反応し、他の料理を出そうとするコナタ。
すると、扉からもう一人の客が現れる。
「すまない、お邪魔するよ」
「……どうしましたか?」
中年の男もこちらへと入ってきたのである。近江は不安そうな顔つきになったが、彼は笑顔で返した。
「いいや、何の問題もないんだ。ただ、君たちを見ていてこれほどまでに感動している料理を私も食べたくてね。用意してくれるかい」
「もちろんいいですとも。どうぞ座ってください」
コナタは中年の男が座る椅子を引き、二人分の料理を出す。
次は和食ではなく洋食。ありふれた料理を意識した。
「バゲットとコーンスープです。どうぞ召し上がってください」
「いただきます」
男は挨拶をして二つを口に入れる。近江の方も食べ、笑みを絶やさず完食した。
「本当に美味しい」
「ありがとうございます」
対して、男は顔を顰めていた。プロの人間からすれば何か問題があったのかとコナタは問いかける。
「あの、何かありましたか?」
「心配しないでくれ。味にはケチをつけたいわけじゃない。寧ろ、ここまで再現されていることには驚きを隠せないよ。本当にすごいな」
「美味しいですよね。ありがとうございました、山県さん」
何時も食事をしている人間からも肯定したことで、近江が気分を明るくした。自分の体感した味が現実と変わらないことが嬉しかったのだろう。
こうして、コナタが提案した食事会は大成功で幕を閉じた。
帰り道の足取りも軽く、自分が携わったものに大きな自信ができた。決して自己満足ではなく、相手に認められるものを作れていたのである。
しかし、問題があった。
『明日もまた来てほしい』
あまりにも大成功しすぎて、近江から明日にも誘いがあったのである。断ることもできたが、彼女の笑顔を思い出すと罪悪感が生まれ、承諾してしまったのだった。