2話 「あっ、ふーん……(察し)」
『ギフト起動条件、記憶の回帰を確認。続けてシークレットクエスト《男を泣かせろ》の達成を確認。ユニークスキル【野獣化】を習得しました。それに伴い新たなクエストが追加されます』
……ん?
突如頭の中に感情のない無機質な声が木霊した。
元居た世界で言うスマートフォンの自動音声によく似ている。
「兄上、なんだか不思議な声が……」
「……」
兄上は真剣な顔をしながら未だに窓の外を眺め続けている。
目に光が宿っていないように見えるのはきっと気のせいだろう。
……邪魔をするのも野暮というものか。
それに俺自身、今は兄上に静かに寄り添っていたい。
「…………」
改めて俺は兄上の横顔を見る。
この世界では珍しいという整えられた艶のある黒髪。
鼻筋は綺麗に通っており、それどころか、どこに注目しても完璧の一言に尽きる。
加えて最も入学が難しいと言われる王都アルカディアの騎士学園を首席で卒業してみせた傑物である。
まさに完璧。
容姿端麗、頭脳明晰、文武両道などといった言葉は兄上――クラウスの為にあるといっても過言ではない。
そんな事を考えていた時だった。
□男を泣かせろ 達成
■女の子とお友達になろう NEW
………………ん?
視界の隅に、何かがあった。
なんだこれは。
はっきりいって邪魔である。兄上の美しい横顔に集中できない。
そう俺が思った時だった。
……消えた?
先ほどまで俺の至福の時を邪魔していた謎の文章は跡形も無く視界から消え失せている。
これでいい。
もしかしたらこの世界では存在する魔法の類なのかも知れないが、今までろくにその手の勉強をしていなかった俺には理解できる筈もない。
俺は先ほどまでの一連の謎を心の片隅にそっとしまいこみ、改めて兄上の横顔をみようと意識を集中させ――。
「……っ!」
視線が交差する。兄上が俺を見つめていたのだ。
「……ベル」
「……兄上」
既に互いの距離は1メートルにも満たない。
……始まるのか。俺と兄上との物語が。
既に体は清めてある。今にして思えば風呂の中で前世の記憶を思い出したのもこの日、この時の為だったと確信できる。
俺はどっちだ……受けるべきか、それとも攻めるべきか……。
ベル×クラウスか、はたまたクラウス×ベルでいくのか。
これは非常に大切な部分である。今までの関係性から読み取るのであれば俺が受けに回るのは必然、しかし、その逆もまた、非常に燃える展開であることは確かだ。
普段は生意気なベル・ベートに優しく快楽への手ほどきをするクラウス・ベート。
初めは罵詈雑言を口にするベルだったが次第にその声は吐息交じりに変化していって……。
うん、やはりこっちがしっくりくるな。
とはいえ決めるのは兄上だ。受けたいと言われれば俺は黙って攻めるのみ。
つまりは兄上次第なのだ。
「……1週間猶予をやろう」
兄上は静かに俺にそう告げた。
まさかの…………じらしプレイだと……。
「お前に決闘を申し込む。とはいってもいきなり私とお前が手合わせをしても、お前の敗北は必至」
……確かに兄上の言う通りだ。忘れていたが俺はようやっと10歳になったばかりの若造だ。体格も大人と子供。既に成人済みの兄上と交われるか不安が残る。
「つまり、その1週間で自らを磨けというわけですね? 兄上と交われる程に」
「その通りだ」
兄上はかけ直したメガネを右手の人差し指でクイっと整えると、獣のような鋭い目で俺を見つめる。
「安心しろ、無論ハンデはつけてやる」
兄上はそう言うと椅子から立ち上がり、俺の眼前に人差し指を縦に突き出した。
「――――1分だ。その間お前が俺の剣を受けきれたらお前の勝ちでいい」
1分……だと……?
既に俺の頭の中では光速に揺れる兄上がはっきりと浮かび上がっている。
なんたる自信か……!
「だが……もしも受けきれなかったら、その時は覚悟しておけ」
滅茶苦茶にされる! 間違いない! 兄上は俺を滅茶苦茶にする気だ!
「それと……1週間後まで、今日ここでお前が見た事、聞いた事は誰にも言わぬとここで誓え」
「無論です兄上。この事は僕と兄上だけの秘密です」
「ああ。それが賢い選択だ。何故なら俺は今すでにお前を貫きたい衝動を必死に堪えている」
そう言って兄上は自らの腕を抑えながら顔を真っ赤に染め、羞恥に震えている。
だがそれは、兄上に限った話ではない。既に俺の血流は下半身に大集合していた。
「……僕もです兄上」
「……何?」
「僕も……今すぐ兄上と……!」
再び視線が交錯する。殺意にも似た獣の視線。
そう。この場にいるのは今すぐにでも相手を喰らわんとする獣だけなのだ。
「……なるほど。お前も貴族の端くれであった、という事か。1週間後を楽しみにしている。さぁ、もう行け。誰かに感づかれる前に」
「……はい」
とはいっても兄上が口にした隠語を理解できるものは俺の他にいるとは思えない。しかし、念には念をという事だろう。
俺は後ろ髪引かれる思いを必死に堪え、兄上の部屋を後にした。
長く続く廊下を歩きながら俺は考える。
1週間。それだけの期間で俺にできる事は限られている。
「まずは身長か……いや、このサイズであるからこそ……」
今に至って魔法の知識が無い事が悔やまれる。
こんな事になる事が分かっていたならば、兄上に負けない程勉学に勤しんだというのに。
……全ては後の祭りか。
「ベルーーー!」
筋トレは必須だろう。腰回りを重点的に鍛えるべきだ。
「ベル! やっと見つけた! 体調はどう? 大丈夫? なんで裸なの? 顔色は良いようだけど……」
しかし、それだけでは足りない。そもそも今の俺に兄上のエッフェル塔を建設する敷地はあるだろうか。恐らくだが許容範囲外だ。であれば拡張する他無い。
「お風呂はまた今度にしようね。本当は恥ずかしかったけど、ベルがどうしてもっていうから……ベル、のぼせちゃったし」
この世界にはそれ専用の道具はあるのだろうか?
「それでね、代わりと言っては何だけど、お姉ちゃん腕によりをかけてこんなものを作ってみました! じゃじゃーん! ベルの好きなリンガのアップルパイだよ」
少なくともベルとして生きた記憶の中に該当する道具は無い。
「けどそれじゃあただのアップルパイでしょ? だからオリジナル要素を加えてクリームを乗せてみました!」
…………集中できん。アップルパイ? 今はそれどころではない。
「あ、結構です」
「うんうん。ちょっと待って…………え?」
瞬間、パリーンというガラスの割れた音が響き渡る。
何事かと横を見ると姉上が頬にクリームをつけたまま、石像のように固まっていた。
いや、よく見ると唇だけはかすかに動いている。
「嘘……ベルが……お姉ちゃん大好き人間のベルが……私の作ったアップルパイを……」
目が虚ろだ。死んだ魚のような目をしている。
やはり同じ血が流れているからだろう。その目は窓の外を眺めていた兄上の目にそっくりだった。
いけない……兄上の熱い視線を思い出してしまった。
俺は自らを律する為、頭を空っぽにして走り出す。
そして何故か俺を追う様に姉上も走り出した。
「――え? なんで?」
「ベル! 安心して! あなたに取り憑いた悪魔は私が滅ぼすから!」
「結構です。姉上」
「うるさい! あなたには聞いていないのよ悪魔! 私のベルを返しなさい!」
いつまでも追ってくる姉上。どうにか振り切ろうにも、運動神経の良い姉上相手では距離は詰められる一方だ。
くそ……どうすれば――
そう俺が考えた瞬間だった。
『回答、ユニークスキル【野獣化】が使用可能です』
またしてもあの声が俺に何かを指し示すように木霊する。
気のせいでは無かったか。ならばなんでもいい――俺に力を!
瞬間、俺は風になった。
気付けば既に後方に姉上の姿は無い。それどころか俺が逃げ込む予定だった物置部屋の扉が目の前で俺を誘う様に開いている。
「一体何が……」
起こったのか。そう俺が呟くよりも先に、俺の意識は闇へと落ちた。
『魔力限界の為スリープモードに移行。対処法としてベル・ベートの魔力限界をアップデートします。現在値を認識……成功。自動演算による目標値を設定。アップデートを開始します』
アッー! チートスキルの片鱗が……!