40 月夜の二人
今宵は月夜。
一人になりたかった時にこもっていた小屋へ向かう。
こんなに晴れ晴れとした気持ちで小屋へ向かうのは初めてかもしれない。
森の中、骸骨馬を走らせる。
くくりつけた小瓶が煌々と闇を照らしている。
その赤い光で、リルを思い出した。
祭りに行きたいと言ったリルのために、わざわざ正装をしてクレトの村へ向かったんだ。
揺れる馬車で、リルが振り落とされないよう、抱き寄せていたっけ。
夜の闇、不気味に光る赤い光。
骨骨しい骸骨馬。
そのすべてにリルを思い出す。
いつもよりもとばして森を駆け抜け、小屋へ。
歌が聞こえる。
聞いたことのある歌、たしか「月夜の二人」だったっけ。
王都で流行っていると言っていたな。
部屋から青い光が漏れている。
ガチャリ。
扉は開いていた。
綺麗な歌声を邪魔したくなくて、オレはこっそりと小屋の中へ入る。
音も立てずに入ったのにな。
オレを見つけて、リルの顔がぱあっと明るくなる。
オレに気づいたリルは一層弾むような歌声で、笑顔で歌いかけてくる。
熱があるんじゃなかったのか?
王女みたいなドレスを着ているが、歌っているのはリルだ。
砂糖菓子が大好きな、オレの初めての弟子。
歌い終わったリルへ拍手を送る。
「来てくれてありがとうございます!」
しっかりと頭を下げて礼をする。
ほら、こいつは偉そうなところがないんだ。
だから、オレが王女だと分からなかったってしょうがないんだ。
敬愛していた王女リルメア様と、ぐいぐいとオレの心に土足で踏み込んでくるリル。
その二人が同じ人物だと知って、オレはどう会話をしていいか分からなくなっていた。
「爵位と領地を守っていただくばかりか、姫護衛に任じていただきありがとうございます。
リルメア様」
オレは恭しくひざまずき、臣下の礼をとった。
リルメア様は、悲しそうに頷いた。
「レオン様」
「礼は言ったからな」
「え?」
臣下の礼なんかしたくてここに来たわけじゃない。
立ち上がり、リルの左手をつかんだ。
左手の薬指には、隷属の指輪がはまっている。
王女なんだから、王宮魔術師にでも頼めばすぐにでも解除できるだろうに、リルはそれをしなかった。
「リル。
お前が誰だろうと、お前はオレの弟子だ。
今日だけは、リルメア様とじゃなくて、リルと話をしに来た。
明日から、臣下として尽くしてやるから、今日はリルと話がしたい。
いいか?」
「……はい!」
リルはとびきりの笑顔をむけてくれた。
「こちらこそ、お願いします!」
「決まりだな。
とりあえず精霊は返してもらうぞ」
小瓶の中に花の蜜を垂らし、水の精霊を元の通り小瓶に戻す。
「いつもより色が鮮やかだ。
喜べリル。
どうやら水の精霊に好かれたみたいだぞ」
「良かったです、どうやらこの歌が好きみたいで」
小瓶の中で青いもやがはねたような気がした。
オレたちは眼を見合わせて笑った。
「いつも精霊で灯りを取るなんてもったいないからな」
「はーい」
返事はいいが、けらけらとリルは笑っている。
リルに椅子に座るよう伝え、オレはベッドに腰かけた。
「いつまで笑ってるんだよ」
「もったいないって……この前は火の精霊さんをボーっと眺めてたではないですか」
爵位の格下げを告げられた日くらい、赤い光を眺めてたっていいだろう。
「……あの日は特別なんだよ。
ここにランタンあるから火をつけてくれ。
無駄に精霊を使うなって父から教わってるんだ」
リルはぼそりとつぶやいた
「言うこと聞いてなかったじゃないですか」
「なんだと」
「はい!
すぐにランタンつけます!」
ふん、たとえ王女だったってオレは弟子には厳しいんだ。
生意気言うなら怒るんだからな。
リルは相変わらず返事はいいが、もたもたしている。
「ランタンに火起こしをくくりつけてあるだろ」
「あ、この棒ですか」
「そうそう。
小さい木や草の破片を集めてだな、キコキコってこすって火をつけるんだよ」
「……む、難しいですね」
リルは家事全般が苦手のようだ。
前はなぜかわからなかったが、今となれば納得だ。
王女だから、子供でもできる火おこしだって、一度もやったことがないんだろう。
「まあ、無理なら火魔法でも覚えるんだな」
オレも父からこうやって負けん気をあおられたものだな。
「なるほど」
ボッ
ランタンにあっという間に火が付いた。
「火起こし出来ないのに、火魔法使えるんだな」
「やったことないだけですよ、火起こしだってやればできるようになりますから。
あ、でも今日は手が痛いのでやめときます」
「貸してみろ」
オレはリルの手を取った。
「綺麗な手だな」
「あ……ありがとうございます……」
水仕事での手荒れもない。
透き通るような白い肌に長い手指。
あ、ここ。
マメがつぶれたのか。
「特別サービスだからな」
骸骨魔導士を召喚し、手の傷を治してやった。
手のひらや、腕の曲げ伸ばしまでしっかりチェック。
「よし、問題ないな」
「ありがとうございます」
「……ん、腕が赤みを帯びてきたようだが」
「あの……ずっと触られてますと、赤くなるのは仕方ないかもしれません。
えっと……嫌ではないのですが」
見れば、リルは顔まで真っ赤にしている。
オレは領民でも骸骨魔導士に治療させ、診察をすることがあるから、気にしていなかったが、見方を変えれば、未婚の少女をずっと撫でまわしていたことになるな。
「……すまない」
「いえ、ありがとうございました」
話題を変えよう。
「あのさ」
「はい」
「聞きたいことがあるんだけど」
「……はい」
リルは姿勢を正した。
それにつられ、オレも背筋を伸ばす。
「どうして王女だってこと黙ってたんだ?」
「……えっと……そうですね。
はじめは黙ってるつもりはありませんでした。
レオン様には会ったことがありますし、気づいているだろうと思ったのですが」
「ついたてごしだったり、扇で顔隠してたりしたらわからないよ。
それに、まさか夜の森に王女サマがいるなんて思わないだろ」
「それはそうかもしれません」
王女と会ったときは舞い上がっていたし、緊張だってしていた。
だから、王女の様子を見る余裕なんてなかったんだ。
「レオン様が私に気づかないことで、私の知らないレオン様を知ることができました。
戦場で私を救ってくれた後、本陣で話をしたときは、レオン様はとってもぶっきらぼうで他人行儀でしたから」
「それは緊張してたから仕方ないだろ」
「だから、緊張していないレオン様を知りたかったって言うのはあります」
「悪かったな。
王女の前で緊張してしまうような小さい男だよ、オレは」
自嘲するオレを見て、リルはくすくす笑った。
「王女であることを黙っていた理由はもう一つありますけどね」
急に真面目な顔をして、リルは話しをつづけた。
「私が吸血鬼に噛まれているからです」
リルは首筋にある銀のチョーカーを触った。
「人は夜の眷属に恐怖を持っています。
私が吸血鬼になってしまえば、弟が疑われてしまいます。
姉が吸血鬼であれば、弟もそうなのではないか」
ほほ笑んだリルの口元から、尖った歯がのぞいている。
「その歯、伸びてないか?」
「……気づきましたか。
レオン様に血抜きをしていただいたときに抜けた牙がこんなに大きくなっています」
リルが示した歯はすでに、牙と言って差し支えないものだった。
「吸血鬼の魔力は強いな。
体は大丈夫か?」
「ええ、不思議と体は辛くありません」
リルは何でもないと言う風に笑う。
「けれど、身内から吸血鬼、夜の眷属が出た王族を皆は認めてくださるでしょうか」
リルは体を震わせた。
その恐れは人間として正当なものだ。
人間よりも圧倒的に強い力を持つ夜の眷属。
人狼や吸血鬼が現れた村は滅ぼす。
そうやって、人間は夜の眷属から自分たちを守ってきたのだから。
「私が吸血鬼に襲われたことすら、誰にも言えませんでした」
リルはゆっくりその時のことを思い出し、話してくれていた。
一人で恐怖と戦っていたリル。
その恐怖を安らげてあげられないかと思い、後ろからリルを抱きしめた。
「ありがとうございます」
オレに体重を預けた際に浮かべた笑顔にも、牙がちょこんと現れた。
口を隠すリルの手を握り、リルの牙をまじまじと見た。
「この牙、オレは可愛いと思うぞ」
「レオン様……」
この牙だって、リルの一部なんだから。




