12 血抜き
物言わぬ少女の傍らへ。
着衣が乱れていたのできちんと整えてやった。
「銀のチョーカーで咬まれた傷跡を隠してまで、吸血鬼を追っていたのか」
吸血鬼に噛まれたものは吸血鬼となるが、まれに抵抗を示しすぐには発症しないものがいると聞いたことがある。
ヒトの世では吸血鬼の存在は許されない。
自分が吸血鬼となれば討伐されることはわかっていただろうに、それでもなお少女は全身を銀で包んで吸血鬼を狩ると決めたのだ。
吸血鬼と化した人間を戻す術はないと聞く。
獣人の子を助けた心の優しい吸血鬼の感染者がいたことを、せめてオレだけでも覚えていてやろう。
だれにも弔われない遺体に対して死化粧まではしてあげられないが、せめて髪飾りとチョーカーはつけてあげよう。
オレはチョーカーを片手に少女の遺体の傍らに来た。
チョーカーをかけようと少女の首筋に触れるとズクンと脈動を感じた。
少女の首筋の傷跡は弱々しくはあるが動いていた。
「え?」
オレはあまりのことに驚いていたが、ふとあることに気づいた。
――少女は灰になっていないのだ。
吸血鬼は灰にならない限り完全な死は与えられない。
オレは先ほどこの手で不死者と呼ばれている吸血鬼を灰にして、完全なる死を与えたところだ。
オレは少女の胸元に耳を当てた。
微弱ではあるが脈動を感じた。
それも2種類の……
弱々しい一定のリズムと、荒々しくも不揃いのリズム。
吸血鬼の血によって魔に侵食された少女であるが、それでもなお一定のリズムを刻み続ける微弱な脈動があった。
「まだ吸血鬼になり切ってはいなかったんだな」
安堵してフウと深く息を吐いたが、これからやることを考えたら気が滅入ってきた。
吸血鬼に覚醒しようとしていた感染者を蘇生させるのだ。
蘇生させたはいいが、この少女の牙で犠牲者を増やすわけには行かないからな。
本日真っ暗な将来が決まってしまったオレですら、できれば望んで死にたくはない。
ベッドに寝かせた少女の四肢をロープでしっかりと固定し、ロープが解けた時の保険の魔法陣も刻んでおく。
ロープが解けたならば骸骨剣士が起き上がりあっという間に串刺しになる仕掛けだ。
少女の肌に触れるたび、ズクンズクンと脈動が聞こえてくる。
急がねば。
吸血鬼の魔力は血液と牙に宿る。
少し残酷な気がするが、耐えてくれよ。
もう一度少女の心音を確認するが、少し休んだだけで心音は勢いよく脈打ち続けている。
皮肉なことに吸血鬼の血の魔力によって生命力が高まっているのかもしれない。
これだけ血管が動いていれば傷によるショックで心臓が止まることはないだろうな。
「では失礼するぞ」
オレは少女の牙を剣で斬った。
牙に宿る吸血鬼の魔力は大分弱体化していたのか、オレの剣でもあっさりと切れ引き抜くとポロリと根元から落ちた。
口の中に傷跡が残らない様にローブの中の魔石を使い、骸骨魔導師を呼び出して回復魔法をかけ続けた。
「それでも、咬まれた傷跡は動き続けるのか……」
牙を失い少し勢いを失ったようであるが、傷跡は少女の心臓とは別に鼓動をうち続けていた。
「腕にも傷跡が残らない様に斬ってやるからな」
吸血鬼の魔力を取り除くため、オレは少女の右腕の静脈を斬りつけた。
勢いよく少女の手首から血液がほとばしる。
これで吸血鬼の魔力は弱体化するはずだが……
だいぶ血液が抜けたところで、少女はパチリと目を開けた。
腕から血を流したことに首筋の傷跡が反応したようだ。
顔周辺の血管が盛り上がり、瞳から血液を流していた。
「血……血を下さい……体が熱くて乾いて仕方がないのです」
少女は弱々しく立ち上がろうとしていた。
「血抜きは意味があるようだな。
吸血鬼の血が、少女の体の中で生き続けようとあがいてやがる」
吸血鬼と戦っている間に傷跡の上に悠長にチョーカーをまくことは考えづらいから、この傷跡をつけたのはオレが殺した吸血鬼ではないのだろう。
にもかかわらず、あの吸血鬼と戦った後に少女は吸血鬼化しかけた。
右手にケガをしており、かなりの出血量だったからな。
血を一定量失うことが、体内に残る吸血鬼の血の魔力が暴走する引き金なのだろうか。
「だが、確実に血抜きをすることで吸血鬼の魔力は薄まっていくはず……」
「血……血……」
うなされるように少女はつぶやき続ける。
吸血鬼となった者も血を吸えばしばらくその凶暴性は収まると聞く。
だとすれば……オレは自分の右手を斬り、流れ出る血液をガラス瓶に貯めた。
そもそも血抜きをしたら輸血しなければならない。
少女から抜き取った血と、オレの血を混ぜてスライムを詰めた小瓶に収め、かき混ぜて様子を見る。
スライムは綺麗な朱色に染まっており、凝固などはしていない。
「どうやら、オレと少女の血液は問題なく適合するようだな」
オレは死霊術士だから呪術用にモンスターの血液などは常備してあるが、さすがにこの少女にそれを輸血する気にはなれなかった。
「頑張ってくれよ。
オレだってこうして頑張ってるんだからな……死ぬなよ」
注射器を取り出して先ほど取り出したばかりのオレの血を少女の静脈から注ぎ込む。
「あ……あああああ」
苦悶に震える少女を押さえつけながら、オレは少女の顔色と心音を度々確認しながら血抜きと輸血を繰り返した。
☆★
……遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。
朝か。
これでオレは、夜までは安息を得る権利を得たことになる。
吸血鬼は日中は活動できないから、暗所で息をひそめて過ごすほかはない。
力を発揮できない吸血鬼であればオレが仕込んだ魔法陣でなんとか抑え込めるはずだ。
夜通し働きづめだったオレは力なく壁に寄り掛かるとうなだれた少女を見やる。
血抜きが効いたのか、少女の首筋の傷跡は脈動を潜めていた。
少女の手首足首にはロープによって痛々しい跡が残っていた。
「さすがにこのままきつく結んでいたら手足が腐り落ちてしまうかもしれないな」
少女の身体を縛り付けていたロープと、暴れだしたときに備えていた呪法を解き、ベッドに布団をかけて寝かせてやった。
「おい、オレは眠るぞ。
骸骨魔導師、できれば傷跡が残らない様に回復魔法をかけてあげてくれ。
頼むぞ」
骸骨魔導師は無言で呪文を唱えだした。
骨だけの手から柔らかな光が少女に収束していく。
オレの言うことを理解してくれたみたいだな。
しかし、アンデッドに返事を期待するものではないな。
愛想がないことこの上ない。
オレは少女の傍らの壁に剣を抱いて寄りかかったまま眠ってしまった。