その②
宇宙船"方舟号"が飛び立つ前の数日間、プロジェクト基地周辺には5,6億人もの暴徒が集まり、何としてでも方舟号に乗り込もうと四方から突入を試みたが全て返り討ちにあったらしい。
死者の数は2億人を下らないとのことであったが、どのみち近いうちに遊星の衝突で消滅してしまう身なのだ。船内でその死を悼む者はいなかった。
「たつ鳥あとを濁さず」等という美徳ははるか昔のものとなってしまった。
方舟号は人類史上最悪の虐殺という記念を残し、無事宇宙に旅立った。
そんな事件が起きていることなど誠は知るよしもなかった。
彼は乗り込む数日前に方舟に到着して簡単なレクリエーションを受けたのちに"カラス"としての生活を開始した。
船内は地球にある街をそのまま模した作りとなっており、若干風景は違うもののそれまでと何ら変わることのない生活を送れるようになっていた。
ただし、誠は裸であった。
カラスは当然ながら服を着ない。
彼の身体には至るところに様々な言語で"カラス"と刻印がされていた。
屋外で生活し、エサはゴミを漁った。
雨がたまに降るものの、気温はそこまで下がらなかったので、凍えて死ぬということはなかった。
ただ、もう人間らしい生活など二度とできないことはわかった。
船内には誠の他にも多数の"動物枠"の人間がいた。
犬や猫はもちろんのこと、雀や鳩といった鳥類、ネズミなどの哺乳類、トカゲ、蛇などの爬虫類、カエルなどの両生類までいた。
水場がなかったので魚類は見かけなかったが、水族館には酸素ボンベを背負った"魚類"がいるらしい。
"人間"に近いペットは美男美女が占めていた。
誠も顔を知っている芸能人もいた。
裸の元アイドルや女優が首輪とリードをつけてワンワン言いながら散歩をしている光景を何度も見た。
にゃんにゃん言って不器用に塀のうえを歩くハリウッド女優もいた。
初期の頃はそういった姿が劣情を煽り、"野生動物枠"の男たちが手込めにしようと群がることがよくあった。
しかし、そんな時にはカメラで船内中を監視している"保健所"の役人が現れて動物枠の人間を殺処分した。
生態系は厳しく管理されていたので繁殖は同種としか行えなかった。
あくまでも"動物枠"は"動物枠"なのだ。
こんな生活ぞっとするかもしれないが、それでも誠はマシなほうだと考えていた。
船内には"食糧枠"の人間も乗り込んでいたから。
時おり家庭ゴミに人骨が出ることから誠たちも気づいた。
初めはひどく困惑した。
なぜ人間が人間を食う?
きれいに肉をはぎとられたしゃれこうべを見て誠はしみじみと考えた。
でもいくら考えても答えは出ない。
そして慣れとは恐ろしいもので、いつの間にか誠はその状況を受け入れてしまっていた。
誠のような"鳥類枠"の人間たちは割りと自由な移動が許されたので、あちこち飛び回った(と言っても実際には飛べないので手をぱたぱたと動かしながら歩いた)。
お気に入りは動物園だった。
屋外に展示されている"動物"なら自由に観て回れた。
鼻に肩をあてて手をぶらつかせているのは"ゾウ"。
多数の金属首輪をはめて首を伸ばしているカレン族の"キリン"。
いかめしい顔つきの黒人は"ゴリラ"。
白くて毛むくじゃらなロシア人は"シロクマ"。
人としての権利を捨てた観賞用動物が、その特徴を上手く活かして逞しく生き残っていた。
"ライオン"の人間たちは"食糧枠"の人間たちを生きたまま与えられていた。
最初の頃は涙を流しながら餌に歯をたてて、泣きわめくその肉を食いちぎっていたものだ。
"人間枠"の連中はそれを見てゲラゲラ笑っていた。
しかし一年も経つと彼らも適応したのか手際よく"食糧枠"を殺して肉を貪るようになっていた。