次々に掛けられる疑惑
細麺の冷水スープのトマトパスタが並ぶテーブル。
パスタの隣には、夏野菜を卵で閉じた鶏ガラスープが湯気を漂わせている。
「デザートは、料理を食べ終えてからでええね。シャーベットやし……」
桔梗が椿鬼の隣に座り、正面に座る瑠璃嬢にそう言った。
するとそんな桔梗に、目を細めた瑠璃嬢が頷いてくる。
「別に良いけど……。アンタって悩み事あると料理とかに逃げるタイプでしょ?」
「……そんなことないよ。ただ今日は暑かったから、さっぱりとした奴が食べたかっただけ」
「ふーん。じゃあ、もうそろそろ……ソファの横にある籠で寝てる赤ん坊に触れても良いわけだ」
瑠璃嬢の視線に桔梗が微かに眉を寄せる。
「そうやね。僕もほとほと困ってるんよ。あの子が本当にどこから来たのか分からんし。君、本当に誰が置いてったかとか知らへんの?」
前に座り、人の苦悶などお構いなしにパスタをラーメンの様に啜る瑠璃嬢。
そんな瑠璃嬢は、夏休み休暇で家にいるのだ。
「残念だけど、あたしは日中、寝てるか、テレビ見てるから……大きい声で呼んでくれなきゃ分かんない」
(使えないにも程がある……いや、この子に期待するだけ無駄か)
内心で呆れながら、桔梗は瑠璃嬢の隣に座る魑衛に目を向ける。
瑠璃嬢では気づかない人の気配も、従鬼である彼ならば気づく可能性がある。
そう思ったのだが、魑衛が怪訝そうな表情で首を横に振ってきた。
「残念だが、私も不審な者の気配は感じ取っていない。いや、厳密に言うなら瑠璃嬢に対する不審な気配以外、察知しても追わないという方が正しいか」
「…………つまり、君は察知したかもしれへんけど、瑠璃嬢に関係ないから放置しはったってこと?」
「そういうことになる」
真面目な顔で頷いてきた魑衛に、桔梗は静かなる殺気を覚えた。
ーーなんて、使えない従鬼なんだろう、と。
しかし、主が主だ。
もしかすると、従鬼の意識も主の意思に沿う様になるかもしれない。
そのため、自分の隣に座る椿鬼も、チラチラと赤ん坊の方を意識している。
「じゃあ、少しでも察知した気配は、どんな気配やったん?」
怒りをとりあえず抑えて、桔梗が魑衛へと訊ねる。
「そうだな……私が察知した気配は女人の気配だった」
魑衛が桔梗の作ったスープを美味そうに飲みながら、答えてきた。
実に呑気な様だ。
そして、そんな魑衛の言葉を聞いて、再び瑠璃嬢が口を開いてきた。
「女なのは当然じゃない? だって、赤ん坊の懐から【貴方の子です】って出てきたんでしょう? それを男がやったら、むしろ怖いでしょ?」
「……そうやね。むしろ、そこだけ正論吐くのやめてくれはる?」
赤ん坊から出てきたその一通のメモの所為で、警察は「痴情の縺れ」という事で桔梗の相談を判断し、「相手の方とよく話し合って下さい」の一言で話を終わらせてきたのだ。
警察署で白い目を向けられた桔梗は居た堪れず、赤ん坊を連れて帰ってきたのだが……正直、良い解決策が浮かばず、途方に暮れていた。
「仕方なくない? 正論だもん。むしろ、アンタがどこでしくじったか、だよね?」
目を細めて、身に覚えのない疑惑を掛けられた桔梗は、頭を抱えたくなった。
隣にいる椿鬼でさえ、頬を赤らめて「主のプライベートは、極力守りたいので、相手の特定は……」などと、呟いている。実に嘆かわしい。
(僕って、そんなにやらかしそうなんかな?)
頭を抱えたくなるのを必死に堪え、桔梗は弁解を開始した。
「一言、言っておくけど……全く身に覚えないからね。正直、適当に女性を相手にすることないから」
「……本当に? アンタって抜け目なさそうで、やらかしそうなタイプに見えるけど」
ジト目で見られ、桔梗は肩を軽く竦めさせる。
「……僕にはちゃんと好きな人がいるから」
一人の女性を思い浮かべながら桔梗がそう言うと、そこに魑衛が食らいついてきた。
「まさか貴様……、その女人は瑠璃嬢と言うまいな?」
「絶対にない」
理不尽にひと睨みしてきた魑衛に即答する。
「魑衛、我が主に対する不遜な態度を謝罪しなさい」
今度は逆に椿鬼に目を釣り上げられた魑衛が眉を寄せてきた。
「謝罪などする必要がない。私は貴様の主に重要な質問をしただけだ。むしろ、それを聞いて私は一つの確信を得た」
「確信?」
訝しげに眉を寄せた椿鬼に、しれっとした表情の魑衛が答える。
「ああ、貴様の主は瑠璃嬢の魅力に気づかない、大うつけ者という事だ」
「そうかな? 僕的にはそう思わへんよ? でもまぁ……家に居て何も出来ないその子に、魅力を見いだしてる君の眼力には感服するけどね」
にっこり微笑んで桔梗がそう答える。
すると、パスタを黙々と食べていた瑠璃嬢が不愉快そうに眉を顰めさせてきた。
「本当のことやろ?」
「否定はしないけど……アンタのその性格の悪さ、好きな人に知られない方が良いね。絶対に嫌われるから」
「大丈夫。僕は好きな人にはとことん甘いタイプやから」
「……自分で言っちゃう辺りが確信犯だわ。でも、それならその女とは何かないわけ?」
「そこは、ノーコメントで」
「はっ? このタイミングで?」
「まぁね。でも、あそこにいる赤ん坊は絶対にその人とは無関係なのは確かやね」
桔梗が先手を打ってそう答える。
「じゃあ、逆にアンタに恨みを持った女の仕業とかは?」
瑠璃嬢からそう訊ねられ、桔梗は頭を捻る。
こんな悪質な嫌がらせを受ける程の事を、自分はした覚えはない。
しかし私恨とは厄介なものだ。
加害者にその気が無くても、被害者の気持ち次第で生まれてしまうのだから。
(自分に恨みを持つような人か……)
桔梗自身、自分がそこまで善人ではないことは分かっている。
だから知らない所で恨まれてても、そう驚くことではない。けれど、まだ生後数ヶ月しか経っていない赤ん坊を押し付けられる程の恨みとなると……やはり覚えがないのだ。
桔梗がそんな風に首を捻っていると、桔梗の端末が鳴った。
(誰やろ? こんな時に……)
そう思いながら、桔梗が自分の端末を見る。
するとその端末には櫻真の母親である【䰠宮 桜子】の文字があり、
「桜子さん……?」
桔梗が通信ボタンをタップする。
けれど、聞こえてきた声音は桜子ではなかった。
端末越しに聞こえてきた声は、幼く甲高い大きな声。
『桔梗ちゃーーん、明日、百合亜たちを琵琶湖に連れてって!!』
いきなり大声を出されたため、地味に耳の奥に響く。
「……百合亜?」
片耳を押さえて桔梗が名前を呼ぶ。すると端末越しの百合亜が元気な声で返事をしてきた。
『うん、そうだよ。ねぇ、桔梗ちゃん、明日、良い?』
「良いって、琵琶湖に連れてくこと?」
『うん! そう! 百合亜たちね、琵琶湖で遊びたいの! 桜子と真菜ママはね、明日行けないんだって!』
真菜ママとは、藤の母親のことだ。
一番自分たちを相手してくれる二人が何らかの用事により脱落し、こちらに白羽の矢が立ったのだろう。
「連れて行きたいのはやまやまなんやけど……明日、僕も稽古が入っとるから、ちょっと難しいなぁ」
桔梗は今から三週間後に舞台「竹生島」を控えている。
自分はそれのワキ役である「廷臣」を演じる事になっている。能舞台では有名な物語という事もあって人気の演目だ。
『大丈夫だよーー。浅葱おじちゃんが少しくらい休んでも平気やろ〜〜って言ってたもん!』
「……あの人、頭沸いてるのかな?」
歴とした宗家の師範代とは思えない体たらくに、桔梗は嘆息を吐く。
きっと自分が公演を終えたばかりで、休みを取りたいという魂胆だろう。
『ねぇ、ダメなの? 百合亜、桔梗ちゃんと琵琶湖で遊びたい〜〜』
百合亜が端末越しに、少し愚図る様な声音を出してきた。
桔梗は昔から百合亜のこの声に、めっぽう弱い。
(そうや……百合亜たちは夏休みでこっちに来とるんやし……ここで夏の楽しい思い出を作れないのは、あまりにも……可哀想だ)
責任と過保護の天秤が桔梗の中で大きく揺れる。
それに加え、今自分の元には……身元不明の赤ん坊がいる。
この件を何とかしない限り、集中して良い稽古は出来ないだろう。
「……百合亜、ちょっと返事待ってくれはる?」
『えーー? 何でーー?』
「うん、ごめんね。でもすぐに返事は出すから」
『……うん、いいよぉ。でも、すぐに返事頂戴ね? すぐだよ、すぐ!』
「勿論。じゃあまた掛け直すね」
そう言って、桔梗が百合亜との会話を切る。
そんな桔梗を瑠璃嬢がジト目で見てきた。
「……なに?」
「いや、アンタって百合亜に甘いけど……まさかショタコン?」
「ちゃうよ。君、次から次へと僕に変な疑いを掛けるの、やめてくれる?」
ただでさえ、以前は衆道の疑惑が掛けられているのだから。
ここで更なる奇異な肩書きを増やすわけには行かない。
「じゃあ、何で?」
「君がそう変な風に見てるだけ。別に百合亜に特別甘いわけやないよ」
片眉を下げて桔梗が肩を竦めさせる。
そして、瑠璃嬢からの反論が出る前に桔梗が席を立つ。
「桔梗様、何処へ?」
席を立ち上がった桔梗を見て、椿鬼が首を傾げさせてきた。
「うん、ちょっと占術して明日の事を決めようと思うて。赤ん坊の事も分かるかもしれへんし」
「なるほど。確かにそれは妙案ですね」
「むしろ、最初からそれをやれば良かったんじゃない?」
「分かってへんね。何でも占術に頼ってたら……その内、占い漬けになってしまうやろ? 占術は自分でもどうにもならへん時に、使うべきものなんよ」
瑠璃嬢の言葉にそう返しながら、桔梗がリビングを後にする。
「あっ、僕が占術をやってる間……ちゃんと赤ん坊の事は見ときはってね。それから、僕の分のシャーベットは食べないように」
部屋を出る直前に桔梗が瑠璃嬢へと釘を刺す。
すると、瑠璃嬢が黙ったまま肩を竦めさせてきた。




