助け舟
詠唱を始めた二人を見て、紅葉はどうしたものかと迷っていた。自分は儚や隆盛みたいにやれる事が思い浮かばない。二人のように特別な力はないからだ。
だから、今ここで何か出来なくても紅葉を責める人は何処にもいないだろう。
しかし、それとは別に紅葉は何かしたかった。何かしてなければ、体を撼わす、息が詰まる様な、この恐怖から抜け出せる気がしない。
そう思うのに、紅葉にはこの恐怖を紛らわせる手段さえないのだ。
ああ、こんな時に櫻真が居てくれたらどんなに心強いだろう?
空の手を慰める様に持っていた貝合わせの貝をぎゅっと握りしめる。すると、仄かにその貝が暖かくなているのに気がついた。
握りしめていただけでは、感じられない様な温かさだ。不思議に思って紅葉がそっと手を開き、貝を見た。
手に乗っていた貝から眩い光が溢れ、紅葉の顔を眩しいくらいに照らしてきた。
「えっ、どういう事?」
恐怖も忘れ、自分を照らしてくる光の強さに紅葉が目を丸くする。
すると、そこから……
『だ、れか……聴こえ……る?』
やや途切れ途切れではあるが、紅葉の耳にここにはいるはずの無い人の声が聞こえてきた。一瞬、自分の耳が可笑しくなったのかも、と不安になる。しかし、そんな紅葉の不安を晴らす様に再び声が聞こえてきた。
『聞こえとったら、返事をして』
声自体は小さいが、今度ははっきりと聞こえた。この声は、櫻真だ。
「櫻真、聞こえとるよ!」
紅葉が必死に櫻真に返事をする。
『紅葉? 紅葉やな。良かった……。紅葉は一人なん? それとも誰かと居る?』
少し語気が速くなている櫻真の声に安堵しつつ、紅葉は今の状況を伝える。
今の自分に出来ること、やるべきことは伝達だ。
上手く説明出来ているかは分からない。けれど、懸命に櫻真へと話した。
『そっか。分かった。なら、俺たちも儚たちが動きやすくなるように干渉してみる。それまで、キツいと思うけど、頑張って待たはって』
「うん……分かった」
櫻真の言葉に力強く紅葉が頷き返す。この状況に立ち向かっているのは自分たちだけではなかった。その事実が紅葉に大きな勇気をくれる。
あとは、この事をどうやって儚たちに伝えるべきか? 魁はここに居らず、儚と隆盛は何とか術式を編もうと集中し、努力している。
そんな三人を遮って良いものか迷うが、伝えるべきだとも思う。
そうや! ここは変な躊躇いは捨てよう!
紅葉が半泣きの目を手で拭い、深く息を吸う。そして、櫻真とのやり取りを儚たちに話すため、足を動かした。
「あのっ! ちょっと、あたしの話を聞いてもろうてええですかっ!?」
勢いで出た言葉は、自分でも想像している以上に大きかった。意気込み過ぎて力んでしまったのだ。そのため、声を掛けた紅葉も少しだけ恥ずかしくなる。
しかし、そんな自分に対して儚や隆盛からの返答がない。
二人とも未だに目を瞑ったまま、口先で術式を唱え続けている。
「凄い、集中力……じゃなくて、どうしよう? どうやって櫻真たちの事を伝えよう?」
出鼻を挫かれた気分で紅葉が眉を顰めさせていると、再び大きく強烈な雄叫びと共に、負傷した魁が勢いよく飛ばされてきた。
怪物の雄叫びで意識を削がれた儚と隆盛も、紅葉と同じ光景を目に焼き付ける。
「魁っ!」
目を大きく見開き、叫んだのは儚だ。
彼女の叫びも虚しく、餓鬼に吹き飛ばされた魁が地面に叩きつけられる。紅葉の口から思わず短い悲鳴が漏れた。
地面に叩きつけられた魁が、小さい声で呻く。意識はあるようだ。そんな魁の元へ儚と隆盛が駆け寄っているのが見えた。
紅葉も同じように駆け寄って行きたいが、心臓が高鳴り、足が上手く動かない。
抱き起こされた魁は体の至る所から出血をしている。当然だ。さっきの現れた餓鬼を相手にしていたのだから。もしかすると、あのくらいで済んでいるのがマシな方なのかもしれない。
紅葉が少し離れた所で、傷を負う魁とそれを心配そうに見る二人を見る。
自分とあそこにいる人たちの間には、見えないけれど、埋める事が出来ない溝がある。
あやふやではなく、明確にそれはある。
それは、つまり——櫻真ともあるという事だろうか?
一抹の不安が紅葉の頭を過ぎったとき、巨大な衝突音が鼓膜を揺すってきた。音に続いて視覚に情報が濁流のように流れ込んできた。
目の前にあった立派な赤い鳥居が、他の瓦礫と共に宙に舞っていた。
そして、鳥居があった場所には、さっきよりも生臭い臭いを醸し出す餓鬼の姿があった。
逃げたい。どんなに無様な姿になっても良いから逃げたい。
心では強く思う。けれど、身体は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまっている。
まさか、アタシがこんな弱虫だってなんて……思いもしなかった。正直、ホラー映画を観ても目を瞑ってしまうとか、夜、眠れなくなるとか、そんな事は一切なかった。だから自分は周りの女子よりタフかもしれないと自負していたのだ。
「アカン。今度から自分をタフって言うのはやめとこ……」
半泣きで紅葉がそんな事を呟く。
するとそんな紅葉に、
「おいっ、お前! そんな所でボサっとすんな! 出来るだけアイツと距離を取るぞ!」
隆盛が大きな声で怒鳴ってきた。
「そんなん怒鳴られても、足が思うように動かんもんっ!」
泣き声混じりに紅葉が答えると、隆盛が困ったように眉を顰めさせてきた。
なんて声を掛けるべきか迷っているのだろう。
「〜〜〜〜! あーーーー、ったく!」
纏まらない考えを外に押し出すように隆盛が声を唾棄して、紅葉の元に駆け寄ってきた。駆け寄ってきた隆盛が紅葉を抱き上げる。
「なっ!」
予期していなかった自体に、涙が引っ込みそうになるほど、紅葉が目を丸くする。しかし、そんな紅葉を他所に、隆盛はすでに鳥居から離れるように走り出していた。
儚も立ち上がった魁と共に走り出しているのが見えた。
そんな紅葉たち四人を追うように、餓鬼が石階段を物凄い勢いで駆け下りてきた。這いつくばりながら、四本の足で地面を叩くように進んでくる。
自分たちを追い掛ける音が紅葉たちの恐怖心を煽ってくる。
逃げる、逃げる、逃げて。
頭の中がその言葉で埋め尽くされてしまう。餓鬼が再び自分の身体を覆っている触手を紅葉たちへと伸ばしてきた。
「くそっ」
儚と共に走り逃げていた魁が伸びてきた触手を刀で斬り払う。切り離された触手の先は地面に落ち、そのまま煙を上げて地面に溶けていく。一方の断面はそこからすでに再生が始まっていた。
「これじゃあ……切りねぇな」
魁が眉を寄せて、餓鬼を睨む。その瞬間に餓鬼が一際大きな声を上げ始めた。そしてその瞬間に餓鬼の動きがピタリと止まった。
その瞬間に、紅葉たちも周りにあった林の中に身を隠す。
明かりなどはなく、辺りは真っ暗だ。しかし、細く早い呼吸音は聞こえてくる。自分自身のだけではなく、他の三人の息する音だ。
身体は命の危機に瀕している重圧で磨耗している。
それでも視線は木の陰から、得体のしれない怪物を見ていた。
「上手くハメられたな。まさか、脱出のための欠けら集めが実は怪物起こし手助けになっちまうなんてな」
息を整えている隆盛がふとそんな言葉を呟いてきた。
その言葉に、側で降ろしてもらった紅葉が顔を俯かせる。結果を見れば、隆盛の言う通りだ。自分たちは、あの狐面の男の子に騙されてしまった。欠けらを組み合わせ、奉納し、アレが出てきたのだから、そうだろう。
しかし……
「アタシはそんな風に思いたくないなぁ……」
正直な紅葉の気持ちは、こうだった。
「何でだよ? アイツが䰠宮櫻真に似てたからか?」
「ちゃうよ。そういう理由やなくて、あの子……ええ子そうやったもん。そうじゃなきゃ、あたしにコレを持たせるわけ……あっ! そうや!」
手に持っていた貝を見て、紅葉は自分のやるべき事を思い出した。
「何だよ、いきなり? あんま大きい声を出すなっつーの」
隆盛に注意され、紅葉も咄嗟に手で口を覆う。それから、離れた所で止まったままの餓鬼の様子を見る。
餓鬼は今も変わらない姿で、眠ってしまった様に動きを止めている。
その様子に胸を撫で下ろし、紅葉は少し離れた所にいた儚たちを手招きした。手招きされた儚たちが素早い動きで紅葉の元へとやってきた。
「どうかした?」
自分を読んできた紅葉に儚と魁が首を傾げさせてきた。それは、元々近くにいた隆盛も同じ顔をしている。
そんな三人の顔を見ながら、紅葉が静かに口を開いた。
「実はさっき櫻真と話したんです」




