これまでに無い事
菖蒲に連れられ、櫻真がたどり着いたのは、山科駅から徒歩で10分ほどの所にある毘沙門堂だ。秋には境内へと続く階段が紅葉に染まり、駅構内のポスターなどにも使われる程の景観になる場所だ。
そして、その階段の先。
大きな門の前に、こちらを不満気な表情で見る葵が立っていた。
「葵姉さん……」
思わずそう口に出して横を見た。すると、菖蒲が肩を軽く竦めさせる。
「奴が櫻真の探しているものを、持ってはる。どうやって手に入れたのかは分からへんけどな」
「つまりは、消えた鬼絵巻を持っておるのか?」
訊ねたのは、驚いた様子の桜鬼だ。驚く桜鬼に菖蒲が目を細めて頷く。
「これは不幸中の幸いというものなのかのう……あの者は信用おけぬが、一応は櫻真の肩を持っておる」
複雑そうな表情で、桜鬼が櫻真に話しかけてきた。
桜鬼の気持ちは分かる。櫻真も似た様な気持ちを持っていた。どんなに、自分の肩を持っていると言われても、葵はどこかに吹く風の様な人物だ。
いつその風向きを変えるか分からない。けれど、ここは葵の風向きが変わっていない事を信じて行くしかない。
葵の元まで階段を上ると、表情を変えない葵が口を開いてきた。
「どうして、櫻真はこうも抜けているのかしら?」
開口初めに出てきたのは、櫻真への不満だった。
そして、そんな葵は菖蒲と同じく櫻真の身に何が起きたのか知っているのだろう。
もう驚きはしない。
櫻真は胸に溜まった息を吐き出し、葵を見る。
「確かに。俺は相手の策に何も対処、出来ひんかった。けど、まだ手遅れってわけやない」
「はぁ。本当に素晴らしい頭ですこと。姉さんの手元にお宝があるから、そんな強気な事を言えるんじゃなくて? よく分からない小坊主に取られてたら、どうしてたの?」
葵の言っていることは、ぐうの音も出せない程の正論だ。
もし、あのまま隆盛たちに取られていたら……むしろ、儚たちに取られていた可能性もある。
彼女も自分と同じく鬼絵巻を集める主なのだから。
しかし、もしそうなっていたのなら……先ほどの桜鬼との会話を思い出す。
「それなら、桜鬼と一緒にその鬼絵巻を取りに行くだけや」
葵の目を見て、櫻真が言い返す。
すると目を細めていた葵の瞳が微かに見開かれた。
「まぁ! 櫻真ったらそんな立派な事が言える様になったのね? 姉さんは感激よ。本当に感涙しちゃいそう」
わざとらしく、着物の袂で目元を拭う葵。
だがそんな葵の話を険しい表情の菖蒲が折って、話を次の段階へと進めてきた。
「君の能書きは要らへんから、さっさと鬼絵巻を出してもらおうか?」
「菖蒲ちゃんったら、せっかちさんね。いつも地味な事しかしてないのに、どういう風の吹き回しかしら?」
「君に語る必要ある?」
自分を睨む菖蒲を葵が愉快そうに笑う。
「あら、やだ素敵。良いわ。とりあえず、菖蒲ちゃんの話は後でゆっくり聞かせて貰うとして……こちらが、お目当てのブツよ」
嫌な言い回しやな……。それに、何で姉さん、あんなに楽しそうなんやろう?
鬼絵巻を手の平に乗せて、満面の笑みを浮かべる葵に櫻真が首を傾げさせる。
しかし、そんな櫻真の視線を受けても葵が口を開く素振りはない。
何故なら、櫻真の横にいる菖蒲が葵の事を鋭く睨みつけているからだ。
葵の手にある鬼絵巻に変わった様子はない。
「桜鬼、その鬼絵巻から出る気配を読み取ってみな」
そう言ったのは、これまでの会話を黙って見ていた魄月花だ。
桜鬼が葵から鬼絵巻を片手で受け取り……魄月花に言われるがまま、鬼絵巻に手を翳す。暫しの沈黙のあと、桜鬼の表情が強い驚きの色を浮かべた。
「まさかっ! 斯様な事が本当にあるのかえ?」
「さすがのあたしも驚いた。けど、事実なんだなぁ」
眉を寄せる桜鬼と対照的に、魄月花はさっぱりとした様子だ。
「桜鬼、何か分かりはったん?」
あまり良くない事だとは思う。しかし、櫻真は訊かずにはいられない。
そして、桜鬼も櫻真の顔を見て話し出す。
「消えた者たちは今……鬼絵巻の中じゃ」
「鬼絵巻の中? ホンマに?」
信じられない事実だった。まさに桜鬼や魄月花が驚くのも頷ける。
「まさか、人が鬼絵巻の中に閉じ込められるとは……先の戦いではなかったことじゃ」
「つまり、中がどういう状態なのか分からへんってこと?」
桜鬼が答えにくそうに無言になる。櫻真の中で不安が一気に加速する。
そして、その気持ちを助長するかの様に葵が言葉を紡いできた。
「櫻ちゃん、そんな顔をしないで。大丈夫よ。あと一日は保つだろうから」
「一日は保つって……?」
「聞きたがりねぇ。本当はどうなっちゃうか薄々分かっているんでしょう? 鬼絵巻の原動力は誰かからの声聞力や生気よ? ジワジワと中にいる子たちの声聞力や生気を吸って行っちゃうってわけ」
つまり、早く助け出さなければいけない。時間との戦いだ。
「早よ、俺たちで儚たちを助けださへんと!」
「うむ。そうじゃのう。その方法を魄月花たちは知っているのであろう?」
必死な視線で櫻真たちが菖蒲たちを見る。
けれどその視線の先にいる菖蒲の表情は曇っていた。
「櫻真の気持ちは分かる。けど、さっきも少し言うたけど……僕らができるのは援助や。具体的に言うと……出口のない所に出口を作るって作業や。そしてその出口まで歩きはるのは儚たちや」
「しかも、儚ちゃんたちに私たちの言葉は通じないのよ」
「それじゃあ、儚たちにどうやってその出口を探して貰えばええの? しかも、儚たちが中で時間を掛けてしもうたら……それこそ一大事や」
菖蒲と葵の顔を交互に見て、櫻真が眉を潜めさせる。
今のこの状況は、儚たちを救う上で最適解と言えるのだろうか? もっと他に方法はないのだろうか?
そんな気持ちを菖蒲たちにぶつける。
しかしそんな櫻真の気持ちを菖蒲があっさりと撥ね退けてきた。
「そう言わはっても……別の方法を見つける余裕がある? 勿論、僕もできる事はする。けどな、櫻真が僕の所に来はる前にした占術では答えが出なかった。鬼絵巻の中の事までは見られへんのか……将又、今が儚たちの未来を決定する分岐路なのかもしれん」
菖蒲の言葉に櫻真が唇を噛む。
遠い先でもない事を占っても結果が出ないのは……かなり稀な事だ。むしろ、これまで櫻真が占術をしてきた中で出なかった事なんてない。
改めて今の状況が異例の事態である事をヒシヒシと感じる。
「櫻真、僕らに迷ってる暇はない。僕らが出来る事は、中の奴らが帰れはる様に尽力するだけや。僕の術式に合わせるんやで? ええな?」
斟酌なしの菖蒲の言葉に櫻真は口をぎゅっと結び、そしてゆっくりと頷いた。
天神様に認めて貰うため、儚たちは縁日の中にあるという欠けら探しを始めていた。
しかし、ヒントというヒントが無いため……どこから手を付ければ良いのか分からない。
困ったなぁ。占術もまともに出来ひんし。
欠けらを見つけるとなってすぐに、儚は占術を始めたのだ。しかし、戦術で出てくる答えは、文字化けをした様な声しか聞こえなかったのだ。
儚と変わるように隆盛も占術を行った。だが結果は儚と同じ物だった。
「こんな無人の空間で、どうやってヒントを探せば良いんだよっ!」
行く当てが無く、一番最初に不満を漏らしたのは隆盛だ。
隆盛は、目くじらを立てながら辺りをきょろきょろと見回している。あまり、この場にそぐわない表情だ。
人がいないというのは、本当に奇妙だが……それ以外は素敵な縁日の光景だ。
「アンタ、そんな鬼みたいな顔せんといてよ。気分が壊れるわ」
「そうや。雰囲気だけでも楽しんどるのに」
儚と紅葉が隆盛に対してクレームをつけると、
「こんな時に雰囲気を楽しんでんじゃねぇーよ! 余裕だなっ! お前らっ!」
隆盛が素で突っ込んできた。
「余裕って訳やないけど……いきり立っててもしゃーないやん。こういう時こそ焦らず落ち着いて行動した方がええ事あるんよ」
「そんな呑気な事を言ってる場合じゃねぇーだろ? とっとと欠けらを探して、とっとと此処から出ねぇーと」
「分かっとるけど、何でそんなに焦ってんの?」
境内の中をゆっくりと進んでいるが、今のところ自分たちに仇をなす様な存在も気配もない。
なら、無理に焦って体力を使わなくても良いのでは? そう儚は思ってしまう。
しかし、前を歩く隆盛はそう思っていないらしい。
「何かよく分かんねぇーけど、あんまりここに居ない方が良い気がするんだよ」
そう言って、不確かな感覚に隆盛が片目を眇めている。
この場の雰囲気に当てられて……いる様には見えない。それに隆盛もこう見えて一端の陰陽師だ。もしかすると、この空間に漂う微細な何かを感じ取っているのかもしれない。
そう考えると、儚も少し緩んでいた意識をキッと引き締める。
するとその時、儚たちの背中を強い風が吹き付けてきた。
「なっ!」
思わず髪を抑え、目を瞑る。いきなりの突風にも驚いたが、それよりも、閉鎖的である空間で何故、突風が起きたのかという疑問が儚の脳裏に浮かんでくる。
「おい、儚。あれを見ろ」
魁にそう言われ、儚が目を開けて正面を見る。
するとそこには……
浴衣を着た何人かの子供の姿が現れたのだ。
「さっきまで居なかったのに……」
風と共に現れた少年たちもさっきの少年と同じく、火男やお亀などのお面をつけている。
そして、さっき吹いた風など知らない様に、ヨーヨー釣りの露店の前で座り込んでいた。
儚の横にいる魁がその子供達を見て、目を細めさせる。
「いきなり現れたということは……欠けら集めの起点になるかもしれねぇな」
「じゃあ、アイツらに話を聞いてみようぜ!」
魁の言葉を聞いた隆盛が一目散に子供達の方へと近寄っていく。
「ちょっと、まだ何を聞くかも決まってへんのにっ!」
考えなしに動き始めた隆盛に不満の声を漏らしながら、儚も魁や紅葉と共に子供達へと近寄った。
「なぁ、少しお前らに聞きたい事があるんだ。良いか?」
隆盛の言葉に子供達が顔をこちらに向けてきた。
しかし返事をする素振りもなく、ただこっちを向いているだけだ。
「えーっとな、ウチら今、天神様にお供えする欠けらを探しとるんやけど……何か欠けらについて知ってる事、あらへん?」
少し戸惑いつつ、儚が子供達に話しかける。
……やっぱり、答えてもらえへんかなぁ? そんな微かな不安を儚が抱いていると、火男の仮面を被った少年が口を開いてきた
『僕の風船が鳥居近くの木に引っかかっちゃったんだ。お姉ちゃんたち、取って来てくれる?』
返答ではなくお願いをされ、儚は戸惑いつつも少年の話を聞くことにした。
「……風船?」
『うん。ここに来るときに飛ばされちゃったんだ』
「分かった。お姉ちゃんたちがその風船を取って来てあげるね」
儚がそう返事をすると、少年が満足そうに頭を頷かせて来た。
『ありがとう。待ってるね』
感情の起伏があまりない声音だった。けれど、そんな声音だったからこそ、儚の中で欠けらに繋がる確信を得た気がした。
「行こう。鳥居って最初に見た奴やろ?」
少年から目を離し、他のメンバーに声を掛けた。
「だから、そんな事やってる暇は……」
「ええから。行くで! 遠回りしたいんやったらええけど?」
「はぁ? どういう事だよ?」
皮肉混じりの儚の言葉に隆盛が眉を顰めて来た。しかし、そんな隆盛の言葉には答えず、儚は歩みを進めさせる。
「儚さん、何か分かりはったんですか?」
気持ち早足で自分の横にやって来た紅葉が儚に首を傾げさせてきた。そんな儚に紅葉が自信に満ちたウィンクを返す。
「まぁ、見てて。風船を取った先に答えが分かるから」




