13個の欠片
一瞬、眩い光に包まれて、目を瞑ったのは覚えている。
むしろ、あの時にした動作はそれだけだ。術式も使った覚えがない。
しかし儚は、全く見知らぬ場所に来ていた。儚の足元には神社の境内に敷かれている様な砂利道だ。
そして、少し離れた所には橙色の光が薄っすら見えた。笛の様な音も聞こえて来る。
どこかの祭り?
しかしそれにしては、雑音が少なすぎる。
祭りが行われているのであれば、人々から出る雑音がするはずだ。
それなのに、ここにはまるでその音がしない。静かすぎて、気味が悪いほどだ。
「うぅ、何か嫌な感じやなぁ……」
わけの分からない場所で、一人しかいない状況はかなり怖い。
心細さに泣きたくなってくる。
どんなに霊の類が見えたとしても、怖いものは怖い。
「魁ぃ……どこにおるのぉ? 一人にせんでよぉ」
半泣き状態で自分の従鬼の姿を探す。けれど、いつもいるその姿が見当たらない。
もしかして、ここに来てしまったのは自分だけなんじゃ……。
「そんなん嫌やぁ。どうすれば、ええのーー?」
恐怖で涙が溢れ出る。もう、パニック寸前だ。しかし、その混乱が爆発することはなかった。
「儚、ここに居たか?」
「か……魁ぃ」
現れた魁の姿に、泣いていた儚の顔が一気に安堵の表情へと変わる。
そして、そんな魁が両脇に抱えているのは、意識を失っている紅葉と隆盛だ。
魁が居たのは良かった。けれど、他の二人まで着ているとは思ってもみなかった。
きっと、自分と同じく訳も分からずにここへ来てしまったのだろう。
だから、魁が紅葉と呼ばれていた少女を助けるのは分かる。しかし……
「その子まで連れて来たん?」
敵対していた隆盛までここに連れて来る必要があったのだろうか?
もしかすると、自分たちをここに来させたのは彼かもしれないのに。
不満そうな表情で、儚の意とする事が分かったらしく魁が肩を竦めてきた。
「まぁ、そういうな。これは此奴の所為じゃねぇからな。きっかけは作ったかもしれねぇーが」
「どういう事?」
地面に二人を寝かせた魁に儚が首を傾げさせる。
「ここはきっと……櫻真たちが持ってた鬼絵巻の中だ。取り込まれたって感じだな」
「えっ……、ええ? ここ鬼絵巻の中なん? むしろ、鬼絵巻の中ってこんな風になっとるの?」
「いや、俺も鬼絵巻の中に取り込まれるのは初めてだけどな……儚、上を見ろ」
魁にそう言われて、儚は上を見た。
そこにあったのは、黒いペンキで塗り潰したかの様な夜空だ。
しかし、そこにあるべき物がない。
「星が全く……ない」
曇り空でない限り、そこには星や月があるはずだ。それなのに、見上げた空にはそれがない。
「それに、辺りというか、ここの空気全体に鬼絵巻の気配がするしな。十中八九、鬼絵巻の中だろうな」
「でも、そしたらどうやって出ればええの? 点門とかで外に出られるん?」
再び儚の胸中にジワジワと混乱が再燃してくる。
そして、そんな儚に追い打ちを掛ける様に魁が首を振ってきた。
「いや、点門で出ることは不可能だろうな。さっき俺が儚を探すために術式を使おうとしたんだが……術が使えなかった」
困ったといわんばかりの顔で魁が肩を竦めさせる。そんな魁の姿に儚も困ってしまう。
昔から声聞力があり術式を知識として習い、邪気を相手にしたりはしていたが……今回の様な事は初めてだ。
そのため、どんな対処をすれば良いのか、皆目見当が付かない。
「儚、そんな顔すんな。安心しろ。必ず俺がここから出る方法を見つけてやる」
そう言って、いつもの様に魁が笑ってきた。不安になる自分を落ち着かせるために。
噯にも出さないが、この状況に魁も戸惑っているはずだ。それなのに、魁はいつでも儚の事を気遣ってくれる。
きっと、それは儚が自分の主だからではない。彼の優しさから来る気遣いだろう。
そんな魁の優しさに、儚も嬉しくなる。
「うぅ、ホンマに魁って頼りになるし、カッコええな。蓮条がいなかったら、魁に恋してたわ〜〜」
「ハハッ。そうか。俺に惚れるのも良いが、今持ってる自分の気持ちを大事にしろよ?」
「勿論。ウチは一途やからそう簡単に心変わりせんよ」
「なら、安心だな……。よしっ、とりあえず、少し辺りを調べてみるか。ここから出る手掛かりが見つかるかもしれねぇーからな」
「せやな。まず見るべきは、光ってる向こうの方ちゃう?」
音と光が溢れ出す方を儚が指差す。
鬼絵巻の中という閉鎖的な空間の中で一番調べる事がありそうなのは、あそこしかない。
「そうだな。確か向こうに階段と鳥居があったはずだ」
魁と儚で今後の方針を決めていると、地面に寝かせていた二人が意識を取り戻した。
「……ここは?」
まず初めに気づいたのは、隆盛の方だ。それに続いて、紅葉も目を覚ます。
「えーっと……何で、あたし外で寝とるの?」
辺りを見回し、自分の状況に紅葉が首を傾げさせる。
そして、紅葉が魁の方を。隆盛が儚の方を見て……
「…………どちらさんでしょう?」
「お前っ!」
と各々で、驚きながら体を起こしてきた。
そして、最後は起き上がった者同士が視線を合わせて、紅葉が「ああっ! 昨日の!」と言いながら指をさし、隆盛が気まずそうな表情を作った。
そんな二人に儚が手を叩き、自分の方へと視線を集めさせる。
「少しウチの話聞いてもらえる? 今、かなりややこしい話になってんねん」
儚がそう話を切り出し、紅葉には自分の名前と共に櫻真たちの親戚という自己紹介をして、今の状況を説明した。
本当は、蓮条と同い年で、同じ学校である紅葉に、蓮条の事を色々聞きたい気持ちはある。例えば、周りの女子からの反応とか、蓮条に仲の良い女子はいるのか、とか諸々の話がしたい。
しかし、今はとりあえずその気持ちを儚はグッと堪える。
儚の話を聞いた紅葉は、最初ぽかんとした様子だった。
自分が夢の中にでもいる様な、そんな表情だ。
隣にいる隆盛は地面で胡座をかきながら、腕を組み、何かを考えている。
一般人である儚と違って、隆盛は陰陽師だ。しかも儚たちとは流派……というか術式の系統が違う。
もしかすると、自分が思い付かない様な術式を知っているかもしれない。
期待を込めて儚が考えに耽る隆盛を見る。
だが……待って出た彼の言葉は、
「ああっーー、ダメだ! 幾ら考えても良い案なんて出てこねぇーー!」
というガッカリするものだった。
「期待したウチがアホやった……」
「ただの時間の無駄やん」
「仕方ねぇーだろ! 何も出てこなかったんだからっ!」
女子二人からの冷たい反応に、隆盛が悔しげに吠える。
だが、それすらも受け流された隆盛が小さいうめき声を漏らしながら、肩を落とした。
「何で、世の中の女子ってこんなにも理不尽なんだ……」
「そう気を落とすなよ。女心を把握できる男なんて滅多にいねぇーよ」
快活に笑う魁が隆盛を励まし、四人は光が見える方へと向かった。
四人で石畳の階段の前へと立った。階段を上った先にあるのは、大きな朱色が綺麗な鳥居だ。
さっきいた場所よりも、少しだが自分たち以外の気配もする。
しかし、ここが鬼絵巻の中である以上、その気配に安堵することはできない。
「何か……どこかのお祭りに来た気分やなぁ」
少し抜けた調子でそう言ったのは、儚の横に立つ紅葉だ。
「確かに。でも、何で縁日なんやろう?」
儚が首を傾げさせると、紅葉が何か思いついた様に口を開いてきた。
「まさか……あたしらを誘き出す為の罠やったりして……」
「えっ、どういうこと?」
「ほら、お祭りって楽しいやん? あたしもお祭りのキラキラした雰囲気が好きやから、ずっと居たいとか、帰りたくないとか、思うてしまうんやけど……その心理を利用した罠だったり……」
少し青ざめた表情で紅葉が自身の肩を抱いている。
何となく、有り得なくないかも……。
紅葉に引きずられる様に儚も顔色を青くさせる。
すると、そんな儚たちの気分を隆盛がすぐに一蹴してきた。
「どんな邪気が悪さをしてるか知らねぇーけど、ビビる必要なんかねぇーだろ」
頭の後ろで両手を組んだ隆盛は、余裕綽綽の顔だ。
そんな隆盛の態度に、儚と紅葉が顔をムッとさせる。
「それやったら、アンタが先に上りはってよ? あたしら後から付いて行くから」
「そやな。怖くない人が先に上った方がええもんね」
「ああ、良いぜ! ビビってるお前らの代わりに、俺が見てきてやるよっ!」
隆盛がそう息巻いて、ズカズカと石畳の階段を上って行く。
「何であんなに張り切っとるんやろ?」
「さぁ、分からん」
「まぁ、そう言うな。ただ単に汚名返上したいだけだろ。青二才って奴だ」
首を傾げる儚たちに魁がそう笑って答えてきた。
「なぁ、ウチの気の所為やったらアレなんやけど……魁ってあの子に好感的やない?」
「そうか?」
「うん、何か擁護的というか……」
儚がそう言うと、魁が少し考えてから口を開いてきた。
「そうだな、きっと、俺の根っこの部分にあるものが、あの坊主と似てるんだろうな。だから、見てると、つい応援したくなっちまうんだ」
上へ、上へと階段を上って行く隆盛を見て、魁が目を細めさせる。
けれど、儚には魁と隆盛の共通点が分からない。
魁は、気が利くし、優しいし、背が高くてカッコよくて、強い……理想の頼れるお兄さんという印象だ。
しかし、それとは逆に隆盛は、アホそうだし、小さいし顔も普通だし、声が大きくて煩い……まだまだ子供という印象だ。
これを考えると、共通点というより相違点の方しか見当たらない。
でも魁は、そんな儚に苦笑を浮かべるだけだ。
益々、分からない。
隣で話を聞いていた紅葉も、首を傾げさせている。
しかし、その話は一番上にたどり着いた隆盛の声で終わりになった。
「早く上がって来いよ! 早く出たいんだろ!?」
「分かっとるって! もう焦らせんといて!」
「女子を急かす男は嫌われるで?」
儚と紅葉が隆盛に言い返しながら、石階段を一気に駆け上がる。
上った先には、下から見えていた鳥居と石で出来た灯籠があり、火が灯っている。
そして、鳥居の先には……
「ホンマに縁日が開いとる……」
参道の奥の方まで、石畳の道の両側に華やかな出店が立ち並んでいる。しかし、そんな出店には、売主らしき人物は一人もいない。
「これって、どういう事?」
鳥居を潜り無人の縁日内を見て回る。屋台には光が煌々と灯っていて、境内は凄く華やかな色に包まれている。
しかし、奇妙であることに変わりはない。
「ったく、何なんだよ? こんな無人の場所でどう手掛かりを探れば良いんだ?」
頭を掻きながら、隆盛が路頭に迷ったような顔を浮かべて、儚たちへと視線を向けてきた。
しかし、儚たちもそんな隆盛に返せる言葉がない。
「儚さんとか、えーっと……」
「住吉隆盛」
「そうそう。住吉はそのこういう事に詳しいんやろ? 何か、推理みたいに糸口になるような物を見つけたり出来へんの?」
紅葉が儚と隆盛を見て、そう尋ねてきた。
その問いに儚が首を振る。情けない気持ちもあるが、ここで見栄を張っても仕方ない。
「ウチらからしても、異例なんよ。あっ、でも心配せんでな! 絶対、何とかしてみせるからっ! ちょっといつもとは変わった体験をしとるな〜と思ってくれればええよ?」
首を振った自分に、不安そうな表情を浮かべた紅葉にやや早口でそう告げる。
きっと、紅葉は自分たち以上に物案じているに違いない。
そんな彼女をこれ以上、心配させるわけにはいかない。
すると、そんな儚の気持ちを読んだのか、隆盛が続けて口を開く。
「その女の言う通りだぜ。少し時間は掛かっちまうかもしれねぇーけど、絶対出してやるし、何か来ても、俺が軽く薙ぎ払ってやるからな」
彼なりに自分の気持ちを察して、合わせてくれたのだろう。
まぁ、割と良い奴なんやろうなぁ……。
少しだけ隆盛を見直しながら、
「とりあえず、奥まで行ってから考えよう」
紅葉にそう提案する。
すると、紅葉も自分たちの気持ちに応えるように首を頷かせてきた。
「よしっ、話が纏まったなら、あとは行動を起こすだけだな」
三人の様子を見ていた魁が満足気な表情を浮かべている。
すると、そこへ……
『君たち、ここには来たばかり?』
狐の仮面を被った一人の少年が自分たちに話しかけてきた。少年は縁日に相応しい麻色の浴衣姿だ。
その少年に思わず、儚たちがギョッとしてしまう。
ずっと無人だとばかり思っていたのもあるが、まさか向こうから話しかけられると思ってもいなかったからだ。
戸惑う儚たちを余所に、隆盛が口を開く。
「まぁな。お前、ここについて詳しいのか?」
『詳しいって程じゃない。けど……二つ忠告しとく。元の場所に戻りたかったら、ここの場所の物は食うな。あと眠気が来ても寝るな。良いか?』
「食うなに寝るなな。良いぜ、分かった。けど、それを守ってれば元に戻れるのか?」
頷きながら隆盛が質問を見ず知らずの少年に尋ねる。
すると狐のお面を被った少年が少しだけ沈黙する。
『……分からない。けど、俺がお前らに出来ることがあればするつもりだ』
絞り出したかのような声で、少年が胸中を口にする。
何故、自分たちにこう言ってくれるのか……それは分からない。けれど、今の自分たちがこの少年を信じて頼る他ないのも事実だ。
少年がどう様な存在なのかは分からないが、幸い邪気の気配もない。
「じゃあ、ウチらは何をすればええ? それは、分かる?」
思い切って儚が少年に訊ねてみる。
『天真様に認めてもらうしかない。天真様に認められるには、まず……元の場所に戻るための欠片が必要なんだ』
「欠片?」
『ああ、欠片はこの縁日のどこかにある。それを探し出して、この奥になる神社の本殿にお供えをするんんだ。そうすれば……元の世界に戻れると思う』
名も知らぬ少年がそう言うと、話を聞いていた魁が口を開いた。
「そこまで知ってて、お前は何もしないのか?」
鋭い魁の視線が少年を貫く。
すると少年が顔を地面の方へと俯かせた。
『俺の場合はもう手遅れなんだ。欠片を集める事だって容易じゃない……方法を知ったからって、すぐに集められる物じゃないんだ』
お面の裏で少年が苦笑を漏らす。
その声音には諦めの様なものが入り混じっている。すると、そんな少年の態度に痺れを切らしたかの様に隆盛が口を開く。
「ごちゃごちゃと意味分かんねぇーこと言うなって! お前も来いよ!」
『……嫌だ。俺はお前らとは一緒に行かない。欠片はこの縁日の中のどこかにある。数は……』
「13個だろ?」
確証を持った声で魁が答える。少年が静かに頷く。
『あとはその欠片を持ってきたら、俺の所に来てよ。そしたら、それをどうするのか教えるから』
そう言って、狐のお面を被った少年が儚たちの元から立ち去ってしまった。




