消えた人々
嫌な気配を辿って行くと、どうやらそこは櫻真の家から程近い二条城内からだ。
二条城は、京都を代表する世界遺産の一つで、
開城時刻はとっくに過ぎ、発券場近くの東大手門は閉じているが、中から結界のような物が張られている気配がある。確実に敵がいるということだ。
「どこかに、結界内に入るための点門があるはずやから、それを探さんと」
こちらを誘き出しているということは、中へと繋がる点門があるはずだ。
櫻真たちはそれを探すために、外堀の周りを調べながら歩く。
すると、丁度北大手門と西門の間くらいの所に空間の捻れを感じ取った。
「ここやな」
すぐさま、櫻真が閉じている点門を開く術式を唱える。点門が開き、中に入るとそこは二の丸庭園のすぐそばだった。
そして池の近くには、隆盛、彩香、紫陽、そして……制服姿の紅葉の姿があった。
「紅葉っ!」
「まさか、小娘まで巻き込んでいるとは。奴らめ、どういうつもりじゃ?」
目を細める桜鬼の横で、櫻真はただただ呆然としていた。
まさか、紅葉が自分たちの事情に巻き込まれてしまうとは、夢にも思っていなかったからだ。
都合の良い勝手な見解だが、櫻真は隆盛たちが無関係な人を巻き込む事はない、術者ではない人も、隆盛たちの関係者だと思っていたからだ。
困惑する櫻真が隆盛に視線を向けると、不機嫌そうな表情を浮かべる隆盛と目が合った。
「ようやく来たか。待ちくたびれたぜ?」
胸の前で腕を組んできた隆盛に、櫻真が怪訝な表情を浮かべる。
「待ちくたびれたも何も……勝手に行動したんやろ? それに、関係ない人を巻き込んで、何も思わへんの?」
静かに怒りを含ませる櫻真に、隆盛が眉根を寄せてきた。
「何とも思わないわけないだろっ! これは勝手に……っ」
「隆盛君、ストップ。今、そんな弁解をした所で意味はないよ。ただ一つ言えるのは、千高紅葉さんに危害を加えるつもりはないって事だ」
隆盛の代わりにそう言ってきたのは、昨夜の時はいなかった紫陽だ。
「危害を加えるつもりないって……そんなん信じられへん。現に、紅葉に何かしらの術を掛けてはるやろ?」
「確かに術は掛けてるよ。けど、それはこちらに協力して貰う為なんだ」
「やる事が姑息じゃのう。協力して貰うだけならば、櫻真の知り合いを選ぶ必要もなかろう?」
「それは、確率の問題だよ。こちらもただ闇雲に計画を企ててるわけじゃなくてね。計画は成功させるからこそ、意味がある。違うかな?」
紫陽の問い掛けに、櫻真たちが眉を寄せる。
その間に、隆盛と彩香が攻め手の術式を詠唱してきた。
「桜鬼、大変やと思うけど……紅葉の術式を解く事を最優先にしよう。あの二人を相手するのはその後や」
「うむ。そうじゃのう」
桜鬼が櫻真の言葉に頷いてきた。
「なら、その間にウチと魁であの二人を相手にするわ」
「おおきに。助かるわ」
儚に礼を言い、櫻真が紅葉に掛けられた術式を解こうと詠唱を始める。
「呪禁の法の下、この地に張られし霊脈よ、斯の者に憑きし呪を払え。急急如律令!」
詠唱を終えると、地中から半透明の姿を白蛇が姿を現した。
白蛇が術を掛けられている紅葉を目視すると、そのまま紅葉へと頭から突っ込んでいく。
しかし、そんな櫻真の術を見ても、紅葉の近くに立っている紫陽に慌てる様子はない。むしろ、事の成り行きを見守っているような節がある。
そう簡単に解ける術ではない、という自負だろうか?
櫻真がそう考えている間に、白蛇が紅葉へと突っ込んだ。その瞬間に、バリバリという音が辺りに響き渡る。
聞こえた音は、白蛇が紅葉を囲むように掛けられていた結界に接触したからだ。
先程まで、紅葉の周りに結界が張られている気配はなかった。
これを踏まえて考えると、術式払いの気配を悟られない程の高度な結界を張っていたか、櫻真の術式が衝突する寸前に結界を張ったかのどちらかだ。
どっちにしても、術者として優れているのは明白だろう。
そして、櫻真の放った白蛇は相手の結界と相打ちになって霧散した。
「そう簡単には、解かせないよ?」
紫陽が紅葉の前に、再び同じ術式を使ってきた。
今度は気配を隠す気ないらしく、櫻真たちの目に視える結界を張っている。
術式を編む速度が速い。
しかし、対処の仕様が無いという事でもない。
先程の術式は、操られている紅葉の事も考慮して攻撃的なものではない。
だがそれでは、先程のやり取りを繰り返すだけだ。
ここは、桜鬼に結界を破って貰いつつ、相手の術式が発動される前に先程の術式を放つしかない。
櫻真が霊的交感で、桜鬼にその旨を伝える。
桜鬼が刀を構えながら、首を縦に頷かせ、紅葉へと疾駆する。櫻真たちから紅葉の距離は約30m。一度地面を蹴った桜鬼が一瞬でその距離を縮めさせる。
紅葉を囲む結界に桜鬼が刃の切っ先を向け、斬った。
呆気なく結界が斬り破られる。
櫻真の詠唱が完了し、白蛇が間髪入れずに紅葉へと向かう。大口を開けて向かう白蛇の行く手を阻むものはない。
「予想外だったな。君も術式を編むのは速いなんて」
紫陽が術式の書かれた護符を白蛇へと投げる。
結界を作った所で、桜鬼に破られると判断したのか……櫻真の放った術式を消しにかかって来た。
だが、櫻真からすれば紫陽に術式を消されようと構わない。
破りたければ、破ればいい。
櫻真はただ自分の目的を達成するだけだ。
「桜鬼、今の内に紅葉をここから離れた場所に!」
櫻真の言葉で桜鬼が動く。
刀を持っていない方の手を桜鬼が紅葉へと伸ばす。その手の先にいる紅葉は、感情が見えない虚ろな視線だ。
だが、そんな紅葉が自分へと近づいてくる桜鬼に反応を示してきた。
紅葉が桜鬼に対して手を伸ばす。
「小娘、気を確かに持て!」
桜鬼の手が紅葉の手を掴んだ。
その瞬間、紫陽がにっこりと微笑み手を叩いてきた。
「良かった。これで無事に計画は成功したよ」
一瞬、紫陽の言葉の意味が理解できなかった。
しかしそんな櫻真の気持ちを無視して、事態が動いたのだ。
桜鬼の手に掴まれた紅葉の手から、櫻真が見た事もない術式が溢れ出し、桜鬼の体を這う様に刻まれていく。
「桜鬼! その嬢ちゃんから離れろ!」
叫んだのは隆盛たちと戦っていた魁だ。
しかし、その時には既に桜鬼の体は術式に蝕まれ、上手く身動きが取れない状況になっている。
櫻真もすぐに桜鬼を助けるために動く。
「呪禁の法の下、厄を成す業を打ち払え! きゅ……」
「させるかっ!」
櫻真の元に隆盛が使役する朱雀が突っ込んできた。風を切る朱雀の勢いは到底、人の身である櫻真では避け切れるものではない。
泣く泣く櫻真は、桜鬼への詠唱を止めて準備した護符を二枚投擲した。
一枚目は水行の術式が書かれたもので、もう一枚は守護の術式を書いたものだ。
投げた護符を同時に発動させる。
水行の護符は渦を巻く水柱となり、朱雀を飲み込んだ。
朱雀を飲み込んだ水柱から白い湯気が立ち込め、朱雀の甲高い鳴き声が辺りに響く。
渦を巻く水柱の中心が、橙色に染まり始める。
中にいる朱雀が炎の力を強めているのだろう。
だが、そんな朱雀の動きを見るよりも先に櫻真は再び詠唱に入っていた。
十二神将である朱雀を護符に込めた術だけで対処できるとは考えていない。しかし、先決すべきは桜鬼を助けることだ。
意識を集中させる。
水柱の中にいるはずの朱雀の炎が、辺りの空気を上昇させる。
汗が吹き出し、皮膚がヒリヒリと痛み出す。
しかし、櫻真はそれを無視して詠唱を続ける。
「呪禁の法の下、厄を成す業を打ち払え! 急急如律令!」
櫻真の放った術式が五芒星を描き、桜鬼の身体を蝕む術式に介入する。
しかし、それはあと一歩の所で追いついていなかった。
櫻真の術式がそれを解く前に、向こうの術式が全てを終わらせていた。術式が完了すると、身動きを封じられていた桜鬼が地面に倒れこむ。
それと同時に、桜鬼の体……いや桜鬼が持つ櫻真との契約書にあった鬼絵巻が倒れた桜鬼の頭上で浮いていた。
「狙いは鬼絵巻やったんや!」
隆盛たちの目論見をようやく理解し、櫻真が思わず苦虫を噛み潰した顔を浮かべる。 そんな櫻真の傍らで、水柱が爆発した。
辺りに、高温のお湯となった水飛沫が四散する。
「よしっ! 今だ!」
そう叫んだのは、隆盛だ。
水柱から抜け出た朱雀と共に、鬼絵巻へと突貫していく。
「させへんわ!」
叫びながら、櫻真も思い切り地面を蹴った。
よく分からない理由で、しかもこんな卑怯な手を使った隆盛たちに、鬼絵巻を奪われるわけにはいかない。
しかし、その瞬間。
「呪禁の法の下、式神を我が鉾とし我が盾とし、鬼を降ろし申せ。急急如律令!」
隆盛が術式を唱える。
すると、隆盛に使役する朱雀が隆盛の元へと飛翔し突貫した。突貫した朱雀が隆盛の中に吸収でもされるかのように、溶けていく。
代わりに、隆盛の体に炎と同じ熱気が纏わり付いた。
「もしかして……朱雀と合体しはったん!?」
驚く櫻真を隆盛がニヤリと得意げな笑みを浮かべて肯定してきた。
朱雀と合体した隆盛の速度が、一気に人間離れしたものへと変貌した。
櫻真と同じくらいの距離間だった隆盛が、あっという間に鬼絵巻へと接近する。例え、術式で肉体を強化したとしても、従鬼と同等の速さを有した隆盛に追いつく事は不可能だろう。
櫻真がいる距離的な事を話してしまえば。
しかしそれは、櫻真よりも近くにいて隆盛と同じ速さを持った者ならば話は変わってくる。
「残念だが……鬼絵巻をやる訳にはいかねぇーな。他所者にやれる程、安くねぇーんだ」
刀を腰の辺りで構えた魁が鬼絵巻へと猛進する。
「うるせーー。あれは俺がゲットするんだっ! 邪魔する奴は俺の炎でぶっ潰す!」
「いいぜ。やってみろよ」
熱り立つ隆盛に魁が笑ってみせる。
鬼絵巻との距離は僅差で魁に軍配が上がっている。
だからこそ、余裕を見せた隆盛の顔が曇ったのだろう。
その間に紫陽と彩香が魁の妨害をせんと術式を放つが、それを櫻真と儚で妨害する。
「悪りぃな。俺の仲間は頼りになるぜ?」
紫陽たちの術式を打ち消す櫻真たちを横目に魁が不敵な笑みを浮かべる。
「好い気になんな! 勝負は五分五分だっつーの!」
魁に続いて、隆盛が地面を勢いよく蹴る。
しかし、蹴ったタイミングと体格の差で圧倒的に有利なのは魁の方だ。
鬼絵巻へと手を伸ばす魁の表情にも、勝利を確信している表情だ。
そしてそれは、式鬼神を纏った隆盛相手でも変わりはしない。
しかし、その結末は彼らの手の先にある鬼絵巻が異変を起こした事によって急変する。
宙にいる鬼絵巻が赤色に強く光出し、そのまま光で辺りを飲み込む。
この場にいた誰しもが目を瞑ってしまうほどの光。
そして光が収まり、櫻真が目を開けると……
「あれ? 鬼絵巻は? それに……」
あったはずの鬼絵巻がない。そして鬼絵巻の近くにいたはずの魁や隆盛が居ない。そして辺りを見れば、儚や紅葉の姿も居なくなっている。
櫻真がいる場所は先程と何ら変わりない。少し離れた所に大きい黒い影……二条城二の丸御殿も見える。本丸御殿を囲む池もある。
界隈からする気配や空気にも変わった様子はない。
「櫻……真……?」
「あっ、桜鬼っ! 気がつきはった?」
桜鬼のすぐそばまで来ていた櫻真が、地面に倒れていた桜鬼を抱き起す。
「うむ。じゃが、何が起きたのかさっぱり分からぬ……」
「桜鬼が悪い訳やないから、気にする必要なんてあらへんよ? むしろ、俺が怒りたいのは……」
眉根を下げた桜鬼を慰めた櫻真は、紫陽と彩香の方に視線を向けた。
「何をしはったんですか?」
訊ねた櫻真から怒気を帯びた声聞力が溢れ出す。
「こ、この事態は私たちからしても緊急事態です」
彩香が困惑した様子でそう答えてきた。
しかし、自分たちと敵対している彩香たちの言葉は信用できない。
「俺らがそれを信じはると思う?」
櫻真がそう言って睨むと、彩香が俯いて言葉を詰まらせている。
しかし、そんな姿を見ても櫻真の中で怒りが収まらない。
自分たちの問題と無関係な紅葉を巻き込み、桜鬼に怪しい術を掛け、鬼絵巻を奪った。自分たちの強さを証明する為に……。
隆盛も居なくなっただろうが、それも向こうの手かもしれない。
櫻真は敵意を崩さないまま、相手の様子を伺う。
もし、少しでも向こうが動けば反撃をしよう。そう意気込んで。
だが、そんな櫻真の気持ちを他所に戦意を失速させたのは彩香たちだった。
「……そうですね。䰠宮櫻真さん、貴方が怒るのも無理はないと思います。けれど、やると決めたからには、私も謝罪はしません。でも、今先ほど起きた事態は……本当に予測していなかったのです」
戸惑いの色を浮かべつつ、彩香が真っ直ぐに櫻真の顔を見てきた。
戦意を収め、真摯な彼女の姿勢に少しだけ櫻真も冷静さを取り戻す。
そうや。今ここで感情的になったところで、居なくなった人が戻ってくるわけでもない。
「櫻真、消えた鬼絵巻を探そう。きっとそこに手掛かりがあるはずじゃ」
少しフラつきながらも立ち上がった桜鬼がそう口を開いた。
「鬼絵巻を? でもどうやって?」
「手ならある。まぁ、それも博打のようなものじゃがのう」
「分かった。その手を試してみよう」
博打という言葉が引っかかるが、このまままごついてもいられない。
消えた人たちがどういう状況に置かれているかも分からないからだ。
「彩香、僕たちも引き下がろう。居なくなった隆盛の行方を探さないといけないからね」
今も複雑そうな表情を浮かべる彩香に紫陽がそう声を掛ける。
そんな紫陽に彩香が不安そうな表情を浮かべ返す。
すると紫陽が静かに頷き返す。
そして、二人が外への点門を開き、その中へと消えていく。
「新たな鬼絵巻が出ても居らぬのに、まさかこんな事になろうとはのう」
「ホンマやな。でも、何としても取り戻さんと」
「うむ。そうじゃ。何としても奴らよりも先に鬼絵巻を見つけ出し、小娘たちの居場所を突き止めるぞ」
桜鬼の頼もしい言葉に櫻真も力強く頷いた。




