悩める少女
「櫻真、櫻真、この浴衣はどうじゃ?」
夕食を食べ終えて、櫻真が自室で寛いでいると……白地に青や紫色の紫陽花柄が綺麗な浴衣を手にした桜鬼が満面の笑みで部屋に入ってきた。
「うん、凄く綺麗な柄やと思うよ? 夏っぽいし」
「では、こちらはどうじゃ?」
そう言って、桜鬼が櫻真の前にもう一つ持っていた浴衣を見せてきた。
もう一つの方は、紺色の生地に赤い金魚柄の浴衣だ。
「桜鬼は、どっち着ても似合いそうやからなぁ……迷うなぁ」
紫陽花柄の浴衣を着ても、金魚柄の方を着ても凄く似合いそうだ。
「うむ。では……どちらも櫻真の目には良く見えるという事じゃな?」
「うん、そうやな」
素直に櫻真が頷くと、桜鬼が少しばかり目を瞑り考えてから……
「よし、ではこうしよう! どちらの柄を着るかは明後日の楽しみとしよう! その方が見る時の楽しみが出来るであろう?」
パッと目を開けて、無邪気な笑みで櫻真にそう言ってきた。
そんな桜鬼の笑顔につられて、櫻真も笑顔になる。
「ええな。確かにそっちの方が当日の楽しみになるわ」
「ふふふ。我ながら良案じゃ。これで櫻真の視線を妾に釘付けにし、ついでにやってくる小娘にもギャフンと言わせる事が出来るぞ!」
「ぎゃふんって、なるかなぁ?」
「うむ、なるに決まっておる! むふふ、小娘め、妾よりも先に櫻真と会ってるからと、調子に乗りおって……。ここは、妾と櫻真の縁を見せつけてやらねばのう!」
紅葉に対抗意識を燃やす桜鬼が意気込みを漏らす。
しかし、櫻真からすると自分の事で幼馴染である紅葉と張り合われても、反応に困ってしまう。そのため、櫻真は敢えて言及せずに、静観することにしていた。
それにしても、こんなに楽しみにしてくれとるのは嬉しいな。
こういう光景を見ていると、自分が桜鬼との約束を破らずに済んで良かったと思う。
そんな事を櫻真が思っていると、部屋の襖を儚がそっと開けてきた。
儚は二四日の祭りに行くと決めてから、そのまま櫻真の家に泊まっている。
「儚、どうかしたん? 部屋に入りはったら?」
廊下に立ったままの儚に櫻真がそう言うと、おずおずとした様子で儚が部屋に入ってきた。
「なぁ、蓮条……今朝のことで、ウチの事どう思ったかな?」
「それは、えーっと、儚が魁の主だから、蓮条が悪く思ったかって意味?」
儚の質問の詳細が分からず、やや疑問を含ませながら櫻真が訊ねる。
すると、儚が小さく首を横に振ってきた。
益々、櫻真の中で謎が深まる。
「それじゃあ、どういう事を気にしてはるん?」
櫻真が儚の真意を確認しようと、首を傾げさせる。
「……ほら、今朝の時にウチは蓮条に何も言ってあげられへんかったやん? だから、蓮条……ウチの事を嫌な感じに思ってしもうたかなって……でも、魁が悪いようにも思えなくて……それで……」
顔を俯かせて今にも泣き出しそうな儚。
今朝からずっと悩んでいたんだ、と櫻真は思った。
蓮条に同調したい気持ちと、魁を擁護したい気持ちで。
そんな儚を見て、桜鬼がそっと口を開いた。
「うむ。それは確かに恋慕を募らせる女子からすると、大問題じゃが……今回の場合、それは杞憂であろう?」
「俺もそう思うわ」
桜鬼と櫻真の言葉で、俯いていた儚が顔を上げる。
「今日、蓮条と市内を見て回ったんやろ? その時の蓮条、怒ってはった?」
「ううん、怒ってへんかったと思う。でも、それは蓮条がウチに気を使ってくれてて、本当は嫌な気持ちになってたかなって……」
「そんなん思わなくて、ええよ。蓮条はそんな風に気を使ったりせんから」
「櫻真の言う通りじゃ。今の主がやるべき事は、今朝の蓮条と全く同じ。普通にしておれば良い。それに、祭りにも一緒に行くのじゃろ?」
桜鬼がそう言うと、儚が少し目を潤ませてコクンと首を頷かせてきた。
「そうやな。二人の言う通りやわ。ダメやね。変に弱気になってしもうて……」
「しゃーないと思うで? 俺も儚と同じ状況やったら弱気になるわ」
自嘲した儚を励まそうと、櫻真がそう言う。
しかしそんな言葉に儚が目をパチクリとさせて、
「もしかして、櫻真……好きな子がおるの?」
と飛んでもない事を訊いてきた。
「えっ、何で、そうなるん? 別に俺は自分を儚の立場に置いてみただけで……」
頑張って言い訳をするものの、自分の顔が赤くなっているのが分かる。
しかもそんな櫻真の顔を見た儚がさっきとは打って変わり、ニヤリと少し意地悪な笑みを浮かべてきた。
「そうなんや。櫻真、好きな子がおるんやぁ。どんな子なん?」
「いや、だから……別に好きな子なんて」
「その反応からして完全に嘘やん。明らかに目が泳いどるし」
「うっ」
まさか、励ましの言葉でこんな状況に陥るとは思ってもいなかった。
どないしよう?
もし、ここで好きな子がいると頷いてしまったら、絶対に顔を見せてと言われたり、進捗状況などを訊かれるに決まっている。
だが、女豹の如く櫻真から恋愛話を聞き出そうとしている儚から逃れる術が思いつかない。
そんな櫻真を救ったのは、儚の肩を軽く叩いた桜鬼だ。
「儚よ、そんなに切羽詰まって櫻真から聞き出すまでもないぞ?」
「えっ、何で? やっぱり桜鬼は知っとるの?」
「無論じゃ。何せ! 櫻真の好きな女子なら目の前にいるではないか!」
得意げな顔で胸を張る桜鬼。
そんな桜鬼の姿に、儚と櫻真の目が点になる。
そして、儚が櫻真の方へとくるり。顔を向けてきた。
「えっ、そうなん? 櫻真と桜鬼ってそういう関係?」
「! なっ! そういう関係って、ちゃうよ、ちゃう! 桜鬼もいきなりそんな誤解を招くような事……言わ……んで……」
だんだん櫻真の言葉尻が萎んだのは、慌てて否定をした櫻真の顔を桜鬼が悲し気な視線を送ってきたからだ。
「櫻真……、そんなに必死に否定をして……幾ら、櫻真が恥ずかしがり屋と言っても、悲しいではないか」
「あっ、いや、ごめんな、桜鬼。別に桜鬼を傷つけたいわけやなくて……だから、そのそんな悲しまんといて」
必死に悲しむ桜鬼を慰めに入る。
「では、そんな悲しい事を言わんかえ?」
「うん、言わんから。なっ?」
櫻真が桜鬼の問い掛けに頷くと、ようやく桜鬼が明るい表情を浮かべてくれた。
「櫻真って……結構、押しに弱いタイプなんやな?」
「いや、そんなんちゃうよ! 今は偶々……」
「まぁ、そういうことにしとくわ」
呆れた様子で自分を見てくる儚に櫻真が弁明を返すも、儚に軽く受け流されてしまう。
櫻真はもう弁解を諦めて項垂れるしかない。
そんな時、櫻真の背中がぞくりとなった。
「えっ、今のって……」
儚も同じく嫌な気配を感じたらしく、襖の外の方へと視線を送っている。
「うむ。何やら嫌な気配がしたのう」
桜鬼が表情を険しくさせ、儚と同じ方向を見ている。
「どうやら、俺たちを誘き出すのが目的みたいだな」
そう言ったのは、部屋に入ってきた魁だ。
「また、昨日の連中か?」
「恐らくな。けど……術者でも、何でもない、ただの人間の気配もあるぞ。人数は一人。感知した背格好からすると、どっちも桜鬼の主と同じくらいの歳の女だな。後の三人は気配からして陰陽師だ。昨日、桜鬼たちと戦ってた奴らと……もう一人は、昨日居なかった奴だ」
「気配だけでそこまで分かりはるんや……」
「うむ。第三従鬼である魁は、遠距離攻撃を得意とする為か、魄月花に次いで探知能力に優れておる」
「そういうわけだ。で? どうする? 誘いに乗るか?」
魁が儚と櫻真の方に視線を向け、意向を訊ねてくる。
相手の狙いが自分たちを誘き出すのが目的だとするなら、向かう先に罠があるのは確実だ。何の対策もなしに向かうのは危険だろう。
しかし、櫻真と同じくらいの歳の女の子の存在が気になる。
「なぁ、昨日の陰陽師以外の子は、どんな感じなのか分かる?」
不安そうに顔を歪めた儚が魁に訊ねる。
「俺が探知できるのは、標的対象の影みてぇーなもんだ。だから、詳しい表情とか状態までは分からねぇーな」
魁の返答に儚が口を閉ざす。動くべきか、動かないべきか迷っている様子だ。
勿論、その迷いは櫻真の中にもある。
けれど、それでも……
「行ってみよう。今、行かなくても、どうせは向こうから来たはると思うし」
相手が動き出しているのなら、自分たちも動くしかない。
「短兵急な(たんぺいきゅうな)動きという訳でもないし、敵に囲まれた訳でもないからのう。妾も櫻真の意見に賛同じゃ。そちらはどうする?」
意思を固め、櫻真たちが儚たちを見る。
「うん、ウチらも行くわ。ここでウダウダしてるわけにいかんもん。そうやろ、魁?」
「おう、やってやろうぜ」
魁が勝気な笑みを浮かべて儚に頷き、櫻真たちは嫌な気配がする方へと急いだ。




