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終業式の日

 雨がからりと上がり、夏の日差しが二階の窓から体育館内を差し込んでいた。

 櫻真は蒸し暑い体育館の中で、一学期の終業式に臨んでいた。


 どんなに眠くなる校長先生の言葉でも、明日から夏休みだと思えば気持ちも苦じゃない。

あの鞍馬寺の事件から、まだ一つも鬼絵巻が出ていない。

 桜鬼からすると何とも言えない「複雑な気持ち」だと言っていたが、櫻真からすると有難い限りだ。

 もしも、学期末テストと被ってしまったらと考えていたのだ。


 桜鬼には申し訳ないけど……どうせならテストがある月は出てこんで欲しいなぁ。


 櫻真がそんな事を考えていると、ふと前方からの視線に気づいた。

 横目でこっちを見ていたのは、少し挙動不審の紅葉だ。

 ぱちっと自分と目が合った紅葉が慌てた様子で前を向いている。


 何やろ? 何か俺に用でもあるんかな?


 紅葉の方を見ながら、櫻真が首を傾げさせる。


 そんな櫻真の目に千咲の姿が映った。しかも、櫻真の視線に気づいたのか千咲がこちらの方に振り向いてきたのだ。

 一気に気まずくなり、奇しくも先ほどの紅葉のように慌てて目を逸らしてしまう。


 ああ、何で俺ってこう……意気地がないのだろう?


 ここで愛想の良い笑顔の一つでも浮かべられたら、この気持ちも少しは前進するのに。


 しかし、今日は終業式。

 千咲と顔を合わせる機会は、グッと減るだろう。

 いや、むしろ……夏休みが終わるまで顔を合わせる機会はないかもしれない。大いにあり得る可能性を考えて、櫻真は静かに肩を落とした。



 あかーん。


 まさか、あそこで櫻真と目が合ってしまうなんて思わんかったわぁ。


 体育館から教室へと戻りながら、紅葉は恥ずかしさで頭を抱えたくなっていた。


 朝が弱い櫻真の事だから絶対にボーッとしていると高を括っていたのだ。


 しかし、そんな予想は外れてしまった。


「あーー、どうしよう? 櫻真に怪しい女やなぁ、とか思われたたら?」


 乙女の不安から奇妙な唸り声を上げてしまう紅葉。

 奇しくも怪しい女になってしまっている事に本人は気づいていない。


 今の紅葉の頭の中にあるのは、櫻真に後でどんな言い訳をしようか? という事だけだ。

 櫻真やったら、『たまたま後ろを見とったら、目が合ってしもうた』という言い訳でも納得してくれそうな気がする。


 ただ、紅葉の中にある乙女心が『攻めなくてええの?』という言葉を投げてくるため、変に考え込んでしまっている。


「紅葉ちゃん、どうかしたん?」


「へ?」


 一人で自問自答を繰り返していた紅葉に後ろから千咲が声を掛けてきた。


「何か悩んでる顔をしてはったから、何かあったのかと思うて」


「ああ! あー……、んーー、ちょっとなぁ。あたしが朝から墓穴掘ってしもうて。それにどうフォローを入れようかと……」


「墓穴? どんな事?」


 小首を傾げてきた千咲を見て、紅葉は悩みを相談しようか、しないかを考える。


 こんなアホな事言うて、呆れらへんかなぁ?


 そんな不安もあるし、好きな人に関する悩みを相談するのにも勇気が必要だ。

 しかし、千咲は良い子だ。

 その事は、部活動を通して知っている。


 よし、決めた。この際だから祥さんに相談してみよう。


「ちょっと、祥さん! こっち来て!」


 決意を決めた紅葉が教室に向かう列から、千咲の腕を掴み、抜け出る。

 そして、そのまま人気のないトイレの方へと向かう。

 ここなら、他の人に自分の悩みが聞かれる危険も少ないだろう。


「あのな、実は……」


 少し声のトーンを抑えて、紅葉が自分の悩みを千咲に打ち明ける。

 すると、千咲が少し目を見開いてから小さく頷き返してきた。


「そうやねぇ。攻めるって言うのがどうすればええのか、分からんけど……変には思わへんと思うよ。䰠宮君は優しいし、紅葉ちゃんと仲ええから」


「仲ええ……」


 千咲の最後の言葉に、紅葉が目を輝かせる。

 他者から見た自分と櫻真は仲良く見られている事実が嬉しい。おかげで思わず口元がニヤついてしまう。

 それなら、もっとこの距離をどうにか縮めたい。


 学校が夏休みに入ってしまえば、いくら近所でも櫻真と会える機会が減ってしまうかもしれない。

 櫻真には、能の稽古や舞台があるだろうし、自分は和菓子屋である自分の家の手伝いと部活がある。


 家が近いのに顔を合わせられへんとか、洒落にならんわ。


 嫌な想像に内心で頭を振る。

 そんな悲劇にならない為にも、どうにかして、櫻真と会える口実を探さなければ。


 少し落ち着いて、紅葉は考える。

 夏なのだから、たくさん行事はある。そうだ。夏といえば夏祭りなどもある。

 すでに七月初めから京都三大祭りの一つ祇園祭が行われている。そしてもうすぐ祇園祭のメイン、二十四日の山鉾巡行祭りが近い。


 櫻真に浴衣姿を見せるチャンスや!


 そして、櫻真に浴衣姿を褒められた日には……

「紅葉ちゃん?」

 千咲に声を掛けられ、紅葉はハッとして夢心地の気分から帰ってくる。


「ああ、ごめんな。ついつい祥さんの言葉が嬉しくなってしもうて……でも祥さんのおかげで何か悩みが軽くなったわ。ありがとう。あたしも祥さんも悩みあったら言うてな? 力になれる事があったら、力になるから」


 にっこりと笑って、紅葉が千咲の手を握る。


「お礼なんて、ええよ。友達やもん。それに、お礼を言ってもらえる程のアドバイスも出来てへんから」


「ううん! そんな事ないで。ホンマに助かったわ!」


 自重気味の千咲にそう伝えると、そこで号令のチャイムが二人の耳に聞こえてきた。


「あかん! 早よ、教室に戻らんと! ごめんな、あたしの所為で」


「ええよ、ええよ。気にせんで」


 謝る紅葉に千咲が笑みを浮かべてきた。


 やっぱり千咲は優しい性格だ。もし、自分が男子だったら間違いなく、千咲に惚れていたかもしれない。


 やっぱり、櫻真もそう思うんかな……? 


 一瞬、そんな事を考えて紅葉は嫌な目眩を覚えた。


 いやいや、別に祥さんが櫻真を好きとか言うてへんもん。ないない。


 自分の気持ちを落ち着かせるように否定を重ねて、紅葉は先ほど考えていた夏祭りの事に思考を巡らせた。

 さっき思い浮かべた素敵な光景を実現させるには、まず櫻真を夏祭りへと誘わなければいけない。誰かに誘われてしまう前に。


 そや、頑張れ、あたし!


 自分自身に喝を入れ、紅葉は櫻真を夏祭りに誘う事を決意するのだった。

 やや表情を曇らせる友人に気づかずに。



 半日の学校を終えた櫻真は、昇降口で靴を履き替えていると、

「櫻真! ちょっと話ええ?」

 少し表情を強張らせた紅葉が声を掛けてきた。


やっぱり、なんか用事があったんやなぁ。


 先ほど終業式で自分の方を見てきた紅葉の姿を思い出し、櫻真が頷き返した。


「ええよ、何?」


「えっとな……ほら、もうすぐ山鉾巡行があるやん?」


「ああ、あるな」


「それでなんやけど、もし誰とも祭りに行く予定がないんやったら、あたしと……」


 一緒に行こう、紅葉の中でその言葉が続く筈だった。


 それなのに……


「櫻真っ! 校門の前で櫻真を待ってる奴がおるで! 男やけど!」


 何やら事件が起こりそうな気配に胸を踊らせる守によって、自分の話が遮られてしまった。


「えっ、俺を待ってる人? 誰やろ?」


「年齢は、俺らと変わらんくらいやな。訛りがなかったから、関東の人とかちゃう?」


「同い年くらいで、関東の人……? あかん、さっぱり誰か分からん」


 守の言葉で眉間に皺を寄せる櫻真。


「でも確実に䰠宮櫻真を呼べって、言わはってから、間違いないと思うで?」


「ホンマに? 何か、嫌な予感しかせんな……」


 ますます表情が険しく、というかげんなりとしてくる櫻真。


「まぁまぁ、そんな顔せんで。行けば分かる事なんやから。紅葉、ちょっと、櫻真の事を借りてくで?」


「何か、嫌な予感しかせんけど……紅葉、話聞くのは後でも大丈夫?」


「う、うん。ええよ。あたしの家は隣なんやし、櫻真が帰ってきたら話に行くわ」


 守に急かされた櫻真に困った顔で訊ねられたら、紅葉は頷くことしか出来ない。


「ありがとう。ほな、またな」


「うん、また……」


 櫻真にバレない程度に引きつり笑いを浮かべて、紅葉は櫻真を見送る。


焦るな、あたし。大丈夫。自分の家と櫻真の家は隣同士。

 今、この瞬間を逃しても祭りに誘うチャンスはある。


 ソワソワして落ち着かない気持ちを鎮める様に、紅葉は自分自身に言い聞かせた。


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