井の中の蛙
最後まで楽しんで頂けたら、少しでも心に響いたら幸いです。
グワァアアアアアアアア。
先ほどよりも大きな雄叫びを上げ、天狗が痛みに体を躍らせている。
刃が闇雲に振り回される。振り回された刃が校舎を切り裂き、地面に食い込む。
切り裂かれた場所は、櫻真がいる場所から少し離れてはいるが……もし、その斬線がズレていたらと思うと、背筋が凍る。
しかし、櫻真はここを動くわけにはいかない。
蓮条の術式が完成するまで、この場所を守護するのは櫻真の役目だ。
さっきの一撃で倒せれば良かったんやけど……。
一番最初に切り裂いた腕は、もうすでに再生されており、両目から流れていた血もすでに止まっている。
「櫻真、無事かえ?」
櫻真の横に桜鬼が戻ってきた。
「うん、大丈夫や。ただあの回復力は厄介やな」
「うむ。あれはきっと鬼絵巻が作り出した紛い物じゃ」
「つまり、また鬼絵巻が暴走しとるって事?」
櫻真の問いに、桜鬼が頷き返してきた。
その視線は驚異の再生力を見せる天狗へと向けられている。桜鬼からは声聞力が溢れ、戦闘態勢に入っている。
そんな桜鬼に合わせて、櫻真も術式を詠唱する。
理想とするのは、あの天狗の再生能力を凌ぐ攻撃を放つ事だ。
溢れていた桜鬼の声聞力の熱が、櫻真の声聞力を受けてさらに熱を上げた。その熱が空気を温め、蜃気楼のように視界を揺らめかせる。
「良い感じに温まってきたのう、櫻真。よし、試し切りじゃ」
桜鬼が櫻真へと悪戯っぽく笑ってきた。
そんな桜鬼に、櫻真も満足そうに頷いた。頷いた瞬間に、桜鬼が天狗に向かって跳躍した。
敵に向かっていく桜鬼を見ながら、櫻真は目を瞑り意識を集中させた。
天狗の急所、声聞力が過度に集まっている箇所を探る。
そしてそれは、同時に天狗の体のどこかにあるはずの鬼絵巻を探すという事だ。
鬼絵巻の気配は、天狗の身体全体から放たれている。少し探った程度では核がどこにあるのか分からない。
探せ、探せ、探し出せ。
櫻真は自分へと叱咤する。
この間にも、桜鬼は天狗と戦っていのだ。そんな桜鬼の為に、櫻真が出来る事は、天狗の急所を探し出す事だ。
深呼吸を何度か繰り返す。天狗からする鬼絵巻の気配を辿る。
一度掴んだ糸を手繰り寄せるように、鬼絵巻の核を探す。慎重に。それを離さないように。
集中力を途切れさせてしまえば、また降り出しに戻ってしまう。
けれど、今の櫻真にやり直している時間なんてない。
今この間にも、桜鬼や他の人たちがそれぞれ頑張っているのだ。自分のミスでこれ以上の負荷は掛けられない。掛けるわけにはいかない。
そんな櫻真の意識が一つの地点に到達する。
「これや……」
探り当てた場所は、体の鎖骨の中心あたりだ。ここに強い鬼絵巻の気配を感じる。
すぐさま櫻真は、桜鬼へと霊的交感を繋げた。
櫻真が天狗を形成する核の部分を探り当てている間に、桜鬼は交戦を続けていた。
近くになればなるほど、敵の大きさがよく分かる。
鬼絵巻から生まれし天狗は、近づいてくる桜鬼を目障りな羽虫でも見るかのように、睥睨している。
刀を地面へと向けていた右手に動きがあった。
一瞬の動きだ。
桜鬼はそれを見逃さなかった。すぐに空中で身を翻し距離を取る。その瞬間に、桜鬼が先ほどまでいた場所を真上に振り上げられた巨大な刃が通り過ぎる。
下段から上段へと振り上げられた大太刀を見ながら、天狗の巨体に肉薄していた。
今度は、その大きな腸を切り裂いてくれよう。
着地していた桜鬼が足裏に力を込め、地面を思い切り蹴った。
大鎌の刃を寝かせたまま、横一線の斬戦を描くように払う。払った鎌から斬撃が繰り出され、天狗の腹へと飛翔していく。
しかし、天狗もただの木偶ではなかった。桜鬼が放った斬撃を左手に着けている籠手で受け止めてきた。
……防がれてしまったか。
桜鬼が表情を曇らせる。だがその瞬間に、頭上から物凄い衝撃が桜鬼を襲ってきた。
衝撃に押し潰されるように、桜鬼は地面に叩きつけられた。
全身に電流でも走ったかのように、ビリビリと痺れる。痛みが後から襲ってきた。
五臓六腑、骨、筋肉が痛む。薄い皮膚からは血が滲み出る。
一瞬、自分に何が起きたのか分からなかった。
けれど受けたダメージに身体を竦めている場合ではない。
痛む体を無視して動かなければ、そうでなければ桜鬼に待っているのは完全なる敗北だ。
桜鬼は仰向けに寝転び、大鎌を両手で持ち、盾にして真上へと突き出した。
その瞬間に天狗の拳が降ってきた。
大鎌に風を纏わせ、拳と大鎌の間に緩衝壁にする。
それでも、天狗は力任せに拳を桜鬼へと突き出す。壁となった風の気流が乱れる。
「大した馬鹿力じゃ……じゃがっ!」
押し返さんとしてくる力に震える自分の手に力を込め、
「妾は、負けぬっ!」
叫び、激しい風の力で天狗の拳を押し返す。
強い風に押し返された天狗の体が後ろへとよろけ、そのまま倒れた。
桜鬼がすぐさま起き上がり体制を整え、乱れた声聞力を落ち着かせる。
すると、そんな桜鬼に櫻真が話しかけてきた。
『桜鬼! 天狗の急所を見つけた』
『さすがじゃ、櫻真! それでその急所とは?』
『首の付け根。鎖骨の中央辺りの所や』
『うむ、ではそこに妾の声聞力を一気と行こうかの。櫻真も浄化の準備を頼むぞ!』
『分かった!』
ここで霊的交感が切れる。
櫻真が浄化の準備に入ったのだろう。
この天狗はただの邪気ではない。鬼絵巻が作り出した邪気よりも高位な化け物だ。それを完全に霧消させるには、まず自分が敵を弱体化させ、浄化を櫻真が行う他ないのだ。
桜鬼が大鎌から使い慣れた刀へと武器を持ち替えた。
一点の弱点を突くのなら、鎌よりも刀の方が良い。
桜鬼はスッと目を細めて、巨躯を無造作に動かし起き上がろうとしている。けれど、起き上がらせはしない。
「そのまま、そこで眠っておれ!」
桜鬼が声を張り上げ、跳躍し、霞の構えを取る。跳躍した桜鬼の視線が向かう場所。それは櫻真が指し示してくれた天狗の急所だ。
そこへと桜鬼が急降下する。
天狗が向かってくる桜鬼を見て、天狗が刀を大雑把に振るってきた。横薙ぎの一線だ。しかしその一線が桜鬼に当たる事はなく、ただ空を切っただけだ。
天狗が威嚇の声を上げてきた。
結界内を揺らす大きな声だ。
しかし、そんな大きな波紋の中に、別の静かな波紋が確かにあるのを桜鬼は感じていた。
天狗を浄化せんとする櫻真の祝詞だ。
「高天の原に神留ります……」
奇しくも霊扇を手に舞う櫻真の姿を見る事は出来ない。残念ではあるが、今は致し方ない。
この浄化を成功させるためには、桜鬼もこの一撃を決めなければならないのだから。
桜鬼は、自身の声聞力を振い出し、刀身へと流し込む。
そして……鬼絵巻があるであろう、その箇所に思い切り刃を突き刺した。
その瞬間に、櫻真の舞も終演を迎えていた。
「……六根清浄、急急如律令」
急所を突かれた上に、櫻真によって浄化された天狗はその姿を消していく。
桜鬼は、消えていく天狗の姿を目にしながらしばしの安息を漏らした。
時間が少し巻き戻り、瑠璃嬢たちは自分たちのやるべき事に取り掛かっていた。
蓮条が一枚の護符を取り出し、詠唱する。
するとその護符が一枚の書物へと姿を変えた。
「……それは?」
「瑠璃嬢が使った護符と同じ術式が書かれとる本や。これで、変わりの護符を作る」
「でも、それだと別の結界ができる可能性もあるんじゃないの?」
瑠璃嬢が眉を顰めると、蓮条が静かに頷いてきた。
「ただ作ったら別物になる。けど、一つの媒体を使えば、それも変わってくるで」
そう言って、蓮条が護符の切れ端を取り出してきた。
「元々この護符は、この結界を作っとった奴や。だからこれを使えば、この結界を維持する予備キーを作れる」
「へぇ。随分と用意周到だね。占術でも使って、この状況を見てたわけ?」
「見てへん。けど、葵を探す為の手掛かりやったから持ってただけや。まっ、今思えば必然やったのかもしれへんけど」
小さく溜息を吐いてるものの、自分の言葉を確信しているような目をしている。
そんな蓮条を見ながら、瑠璃嬢はふと思った事を口にした。
「必然ねぇ。でも、何のために必然ってあるわけ?」
別に何の皮肉もない。ただの素朴な疑問だ。
けれど、そんな瑠璃嬢の疑問に蓮条が少し戸惑った表情を浮かべてきた。
そして、少しの間を開けてから蓮条が口を開く。
「これは、俺が勝手に思っとる事やけど……俺や瑠璃嬢、人には絶対に人生の中で『やるべき事』があって、それをするために必然的な道筋があるんやと思う」
「やるべき事……」
蓮条が何気なく口にしたその単語に、瑠璃嬢は思わず苦い記憶を思い出す。
胃の中から、何とも言えない感情が吐き出しそうになる。
やるべき事って、何だ? そんな身勝手なモノあってたまるか! と。
けれど、そんな瑠璃嬢の感情が爆発する前に蓮条が言葉を続けてきた。
「きっと、それが自分の心の底からやりたい事になるんやろうなぁ」
蓮条は、ただ自分の頭の中に思い浮かんだ事を口にしただけだろう。
けれど、その一言が爆発しそうだった瑠璃嬢に冷たい水を掛けてきた。
「かなり空想的だけど、まぁ……そうなのかもね。そこに善悪二つの種類があったとしても」
「そやな。けど今の俺がやりたい事は『善』って事は確かやな」
肩を竦めた瑠璃嬢に対して、蓮条が微笑を浮かべてきた。
そして、媒体に使用する護符の切れ端を指剣で挟むように持ち、本に書かれた術式を詠唱していく。
最初にこの護符を貰った時に瑠璃嬢も思ったが、この術式はかなり古い。
そのため、戦国、江戸に編み出された術式よりも術式を作り上げる段階が多いのだ。
その分、集中力も使うし、声聞力も使う。
けれど、術式を唱える蓮条に躊躇う様子はなかった。
そしてそれは、少し離れた所で戦っている櫻真も一緒だ。
普通に自分の事だけ考えれば、今、この結界は桔梗、菖蒲、葵の人柱によって支えられている。
なら、その間に点門を開き、友人を連れて逃げる事は出来る。
しかし櫻真たちは、端からそんな事を考えていないのだ。
自然と培われた良心がそれを阻んでいるのだろうか?
いや、違う。
瑠璃嬢は蓮条や、魑衛たちに気づかれない様に溜息を吐き出した。
良心の呵責だけの問題ではないのだろう。
むしろ、今の櫻真たちは自分のしたい事をしている。
だからこそ、何の迷いなく動けている。そう見える。
自分の為であって、他人の為でもある。
これが、自分と櫻真たちとの違いなのだろうか?
『自分の事しか考えてない人が当主になるのは良くない』
ここに来る前に、瑠璃嬢に説教を垂れてきた櫻真の事を思い出す。
あの時は、櫻真の言っている事を聞く気はまるでなかった。
ただの綺麗事だと、聞き流していた。
瑠璃嬢にとって櫻真が言っている事は、まるでイメージが湧かなかったからだ。
自分の周りにいたのは自分の事しか考えていない奴らだった。
分家の総意と言いながら、本当は自分の事しか頭にない。
そんな大人をずっと瑠璃嬢は見ていた。
小さい頃は何も考えておらず、云われるがままに親たちに操作されていた。
何故なら、それが幸せだと思っていたからだ。
我が子に興味関心がない親なんて、沢山いる。山程にいる。
しかし、自分は親に干渉され、色々な事をやらされる。つまり、自分は興味を持たれていると。
なんて大きな勘違いなんだろう。
今の瑠璃嬢が幼い自分を見たとき、鼻で笑う。いや大笑いをするかもしれない。
そして言い放ってやるのだ。
『お前はただの駒にされているだけで、お前自身に興味を持たれているわけではない。思い上がるな』と。
その事実に瑠璃嬢が気づいたのは、小学生の高学年で行われた進路相談での事だ。
瑠璃嬢が東京で通っていたのは、有名な私立の小学校だった。
その為、小学生であっても進路相談があったのだ。
瑠璃嬢自身は、あまり深く進路について考えていなかった。
これから色々な勉強を重ねて、自分のやりたい事を決めて行こうと思っていたのだ。
しかし、瑠璃嬢の母親は違った。
平然とさも当たり前かのように、当時の担任にこう言い放ったのだ。
『この子には、もうやるべき事があるんです。だから進路相談は必要ありません』
隣で母親の言葉を聞きながら、瑠璃嬢は「え?」と目を丸くさせていた。
あたしのやるべき事って、何?
それまで、自分は自分のやるべき事を両親から話された事はなかった。
勿論、瑠璃嬢がやりたい事を訊いてくる事もない。
じゃあ、隣の母親が言った『やるべき事』って何だ?
進路相談が終わり、瑠璃嬢は母親に対して自分の疑問を口にした。
その時に浮かべた母親の酷薄な笑みを、瑠璃嬢は今でも鮮明に思い出せる。
あの日、母親は語った。瑠璃嬢のやるべき事を。
簡素な言葉で言えば、本家の報復だ。
まだその時は、従鬼などは現れていない。その為、分家がやろうとしていたのは声聞力の高い数名を使って、本家に殴り込みを掛けるつもりだったのだろう。
脅迫し、暴れて、自分たちの地位を上げようとしていたのだ。
小さくて、下らなくて、馬鹿馬鹿しい。
今よりも幼かった自分ですらそれを聞いて、ゾッとした。
自分の未来は、そんな下らない事に使われてしまうのかと。
そして、幼い瑠璃嬢も口にしていた。
「やりたくない。そんなのどうでも良い」と。
すると、口よりも先に母親が手加減なしに瑠璃嬢の顔を叩いてきた。
自分に口答えした人形に対して、怒りをぶつけてきたのだ。
頰に走ったヒリヒリとする痛み熱に、瑠璃嬢は思わず呆然としていた。
そして、母親の顔を見る前に目から涙が溢れでた。
悲しみというよりも、混乱していた。
涙を流した瑠璃嬢に対して、母親が次に瑠璃嬢に見せてきたのは悲哀の顔だ。
「アナタがお母さんの言うことをちゃんと聞いてくれれば、打たなくて済むの。分かるでしょう?」
身勝手な言葉を吐く母親に、その時の瑠璃嬢は頷くしかできなかった。
それから、更に親たちの干渉はひどくなっていったのだ。
幸いだったのは、従鬼である魑衛が現れた事で、下らない報復内容が幾分かマシになったことだ。
そして同時に、瑠璃嬢自身の報復が出来るようにもなった。
でも……
声聞力もなく、非力になった自分の頭で考える。
自分たちの感情のままに報復を企てている親と、今の自分はどこが違うのか?
そして出た答えは、蛙の子は蛙というシンプルな物だった。
「最悪、最低……」
自分に対しての罵詈雑言を弱々しく瑠璃嬢が口にする。
昔の事を考えていたせいか、益々身体にのし掛かる疲労感も増した気がする。
その時だった。
結界内の歪みが一瞬だけ強くなり、軋むような音が耳朶を打ってきた。
「なっ!」
驚嘆の声を上げたのは術式を編んでいた蓮条だ。
「どうしたの? 蓮条?」
辺りを警戒していた鬼兎火が蓮条へと振り返る。瑠璃嬢と魑衛も同じく蓮条の方へと向いていた。
「術式を言い終えた。けど……元の奴と馴染まへん。むしろ反発しとる」
「はっ? どういう事?」
蓮条の言葉に瑠璃嬢が苦悶の表情を浮かべる。
そして、蓮条が見ていた術式を瑠璃嬢が横から覗き見た。
「……これ、よく似てるけど……術式自体が間違ってるんだけど?」
「えっ、えっ、ホンマに? 嘘やん……」
「こんな時に嘘言っても仕方ないでしょ? 全くあれだけ勇ましい事言って、パチ物の術式を組んでたなんて。人柱の三人から文句タラタラじゃない?」
驚きのあまり狼狽する蓮条に、瑠璃嬢が呆れた溜息を吐き出す。
瑠璃嬢の言葉に、蓮条も二の句が継げずに言われるがままだ。
そしてそんな蓮条に魑衛も追い討ちを掛けるように、眉を顰めさせている。
けれど、今は失敗を責めている場合ではない。
「誰にパチ物を渡されたか知らないけど、とりあえず術式ならあたしが分かる。あたしの後に詠唱して」
蓮条にそう言って、半ば強引に瑠璃嬢がこの場を仕切り直す。
「分かった。頼むわ」
蓮条もすぐに頷いて、二回目の術式を組むことに取り掛かり始めた。
瑠璃嬢自身も、何度も何度もこの術式を組んだ。
大元を作った葵の声聞力と自分の声聞力を馴染ませるために。
あの時は、櫻真たちを倒す為に術式を組んだ。
けれど、今は櫻真たちを手助けする為にその時の事が役に立っている。
どんな皮肉だろう?
もしかすると、これも自分の「やるべき事に」繋がっているのだろうか?
ふと、それを考えた時……瑠璃嬢は不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
そんな自分自身に小さく苦笑を零し、瑠璃嬢は詠唱の先導を始めた。
「ひふみ よいなむや……世の離せし空よ、我が創せし世と交わり給え。さする五芒星、五行の始点よ、天を創り、地を創れ……」
瑠璃嬢の言葉に続いて、蓮条も詠唱を紡いでいく。
術式を詠唱する蓮条の声聞力が膨み始めた。
それを感じながら、瑠璃嬢が術式の続きを読み上げていく。
本音を言えば、この術式を口にするのでさえ重労働に感じる。疲れのピークを越えて、言葉を口にしているのが奇跡にすら感じる。
それだけ瑠璃嬢が身体的に蝕まれているということだ。
しかし自身の身体の限界で詠唱を止めたくはない。
この気持ちは瑠璃嬢の中にある意地だ。
山を登り始めたのなら、最後まで登り切ってやる。
「……尊天の光、金行の法の下、この媒体に宿り給え。急急如律令」
蓮条も瑠璃嬢の言葉を追い、術式を言い切る。
すると媒体にしていた護符に黒い字が浮かび上がった。
「魑衛、アンタの出番!」
「御意。瑠璃嬢、もう少しだけ踏ん張ってくれ」
魑衛が刀を構え、自身の声聞力を一気に高める。
すると魑衛の瞳が黒から赤へと変貌した。そして刃を両手で上段に構えている。
狙い斬るは、瑠璃嬢と繋がっている元々の媒体。
鬼兎火も蓮条が形成した護符を手に、魑衛との息を合わせようと構える。
魑衛が護符と瑠璃嬢の繋がりを切った瞬間に、この結界は短時間で消滅を始めるだろう。
「抜かるなよ、鬼兎火」
「勿論。絶対に蓮条たちの頑張りを無駄にはさせないわ」
鬼兎火が頷いた瞬間に、魑衛が刀を勢いよく下段に振り下ろす。
術式すらも断ち切る魑衛の一線。
その一線が術式との繋がりを断ち切る。その瞬間に、瑠璃嬢に伸し掛かっていた錘が取れたような感覚に襲われた。
それと同時に、大きく結界が歪み始める。
縦に結界内が揺れ、耳を劈くような歪な音が掻き鳴った。
瑠璃嬢が予想していたよりも大分速い結界の消滅速度だ。その驚く速度に「このまま、消滅してしまうのでは?」という不安が沸き起こる。
けれど、それは一抹の不安でしかなかった。
蓮条の従鬼である鬼兎火が『差し替え』の術式を掛けて、先ほど作成した護符を貼り付ける。
すると、先程までの崩壊が嘘のように静まり治った。
「……良かった、成功ね。蓮条、何か変わった感じはある?」
「今の所は平気や。それよりも、今の内に四十万たちを点門で戻さへんと」
「ええ、そうね」
そんな蓮条たちの話を聞きながら、瑠璃嬢はその場に座り込んでいた。
「瑠璃嬢!」
「別に平気。ただ疲れただけ」
自分の元に駆け寄ってきた魑衛に瑠璃嬢がそう答える。
体は軽くなったとはいえ、疲労感が消えるわけではない。
とはいえ、瑠璃嬢はその体を振るい立たせる。
まだあと一つ、やり残している事があるのを思い出したからだ。
そんな瑠璃嬢の元に、蓮条と鬼兎火が近づいてきた。
「瑠璃嬢も四十万たちと一緒に点門から先に出はった方がええよ」
「……それは、無理」
「はぁ? 何で?」
瑠璃嬢の容態を気遣ってきた蓮条が眉を顰めさせている。
そんな蓮条を見て、瑠璃嬢も同じように眉を顰めさせた。
「忘れたの? あたしがここに居る理由は鬼絵巻を手に入れる為だから。それが終わらないと戻れない」
「……その状態でようそんな事を言えるな? 正直、そんなガッツかんでも櫻真が手に入れてれば、譲渡してくれはるよ?」
「どうだか。それに飽くまで櫻真が手に入れたらでしょう? もしかすると、桔梗か菖蒲が手を出してくるかもしれないじゃん」
魑衛に肩を貸して貰いながら、瑠璃嬢が外へと歩き出す。
そんな二人の姿に蓮条と鬼兎火は、
「ホンマに、凄い執念やな」
「ある意味、見習いたくなるほどの熱意ね」
呆れを通り越して脱帽していた。
だが、そんな瑠璃嬢たちの執念も虚しくグランドの方でも事件が起きていた。
ポイントを頂けると、とても嬉しいです(≧∀≦)




