再び点門の中へ
自分の目の前にいる瑠璃嬢は、眉を顰めて鋭くこちらを睨んでいる。しかし、相手の凄みに臆している場合ではない。しっかりと確認しなければならない。
「櫻真は、どこや? 俺よりも先に会いはったんやろ?」
瑠璃嬢の微細な変化を見逃さないように、意識を集中させながら蓮条が訊ねる。するとそんな瑠璃嬢から吐き捨てられた言葉は、
「さぁ」
という短い返事だ。
そんな瑠璃嬢の太々しい態度に、怒りが込み上げてくる。
瑠璃嬢が知らないはずがない。蓮条がここにくる間に声聞力がぶつかり合う気配を感じていたのだ。
蓮条が指剣の構えを取り、鬼兎火が刀を取り出す。
「火行の法の下、火龍の赫怒をその身に宿し、悪鬼を裂け。急急如律令」
鬼兎火に火行の術式が付与され、その身体が炎の化身のような熱を帯びる。鬼兎火から細かな火花が散っている。
「強化したところで、悪いんだけど……あたし、アンタの相手をする気なんてサラサラないから」
そう言って、瑠璃嬢が地面を強く蹴り、石灯籠の上に開いた点門へと飛び込んで行く。
「逃がさへん! 鬼兎火、行くで!」
「ええっ!」
間髪入れずに、蓮条が一時強化の術を自身に掛けて、鬼兎火と共に瑠璃嬢の後を追う。
点門を抜けると、蓮条は自分の通う中学校によく酷似した結果内に来ていた。
けれど、そこについ先ほど入った瑠璃嬢の姿はない。
「まずい。先に祝部たちを探しに行かれたな……」
「心配せずとも大丈夫よ。何故かは分からないけど、彼女の傍に魑衛の姿はなかった。探知能力なら、主よりも従鬼に分があるもの」
焦りを見せた蓮条に、鬼兎火がにっこりと笑い、そのまま目を閉じた。
「……居たわ。二人の気配と少し離れた所に一人の気配。そして、お目当ての二人がいるのは……」
すぐに自分たち以外の気配を探知した鬼兎火が、右手に握っていた刀を真上へと振り上げる。振り上げた刀の斬撃で、真上の天井に亀裂が入り、穴が開いた。
「この上よ」
鬼兎火が片目を瞑り、蓮条を抱えて真上へにある教室へと跳躍する。そんな蓮条たちに雷撃が襲ってきた。蓮条が「呪禁の法の下、守陣展開」と術式を唱え、自分たちに降り掛かる雷撃を防ぎ、そのまま上へとあがる。
「……䰠宮? 戻って来れはったん?」
「何とか。祝部たちの方は何ともないな?」
「こっちも何とかな」
佳がそう言って、蓮条へと苦笑を浮かべる。
「まだ和やかムードになりはるのは早いですよ。さっさとこんな不気味な所から退散しましょう」
「せやな。あっ、それから四十万ちょっと来て。四十万から受け取りたいものが……」
蓮条がそう言って、光へと近づこうとした瞬間。
「蓮条!」
鬼兎火が蓮条の腕を横へと引っ張る。その瞬間に、先ほど蓮条が立っていた位置を斬撃が通り過ぎた。
斬撃が飛んできた廊下側へ、蓮条が視線を向ける。するとそこにはあるはずの教室と廊下を隔てる壁が無くなり、刀を振り下ろす瑠璃嬢が立っていた。
「横取りなんて、させない。その前にアンタを始末する」
殺気の籠った視線で瑠璃嬢が蓮条を睨みつけた。
「あ……れ……? 俺は……」
「よ、櫻真〜〜! 気がついたのかえ? 中々、意識が戻らぬから心配したぞ!」
半泣き状態の桜鬼が真上から櫻真の顔を覗き込み、そして覆い被さるように抱きついてきた。
「えっ、えっ、桜鬼?」
抱きしめられて、櫻真に動揺が走る。確か、自分は瑠璃嬢の攻撃を受けて意識を失ったはずだ。いやだからなのか? 起きた自分は、桜鬼の膝に頭を乗せた状態で、地面に寝ている。つまり、膝枕をされていたのだ。
「落ち着きはって、桜鬼。今、どんな状態なん? 瑠璃嬢たちは?」
櫻真が「良かった、良かった」と呟きながら、抱きつく桜鬼にそう訊ねる。すると、桜鬼がはっとして、それからしょんぼりとした顔を浮かべてきた。
「それが……妾もよく分かっていないのじゃ。不甲斐ない事ではあるが、妾も少し意識を失っておってのう。目覚めた時には、妾たちの契約書を狙っていた魑衛の姿がなくなっていたのじゃ」
「えっ、じゃあ、瑠璃嬢たちに契約書が取られたってこと?」
慌てて櫻真が訊ねると、桜鬼が静かに首を振ってきた。
「いや、契約書なら無事じゃ。妾も確認しておる。それに……妾が覚えている限りでは、此の場所はこんなに視界が開けていなかったはずじゃ」
目を細めた桜鬼が、地面が大きく抉り取られ、無慚に木々が倒れた周囲のようを示してきた。
「俺らが意識を失ってしもうてる間に、誰かが助けてくれはったってこと? 蓮条たちかな?」
「何者かが魑衛と戦ったとは思うが……蓮条や鬼兎火の可能性は低い」
桜鬼がそう言う理由も分かる。
けれど、それなら誰が意識を失っている自分たちの危機を救ったというのだろう? そんな事を櫻真が考えていると……
誰かが草木を掻き分ける音が耳に聞こえてきた。
「桜鬼!」
すぐさま櫻真が桜鬼に声を掛けて、敵襲に備えて身構える。だが、そこにやってきたのは、やや不機嫌そうな桔梗と疲弊した様子の葵だ。
「桔梗さんに、姉さん……?」
少し呆然としながらも、櫻真が二人に声をかける。すると、ハイキングする人用に取り置きされている木の杖を持った葵が口を尖らせてきた。
「よくもまぁ、こんな山の中に身を潜ませてたわね? おかげで姉さん、登るつもりのなかった山に登る羽目になっちゃったでしょ?」
「君、少し山登ったくらいで大袈裟やな。運動不足にも程があるよ。本当に横でピーチク、パーチク煩くて敵わんかったわ。むしろ、何で付いてきはったん? 山に登りたくないんやったら、来んで良かったのに」
「それは無理な話よ。私は櫻真のセコンドだもの。危機に瀕している櫻ちゃんの元へ駆けつけるのは当然じゃない?」
桔梗にそう言う葵が、櫻真と桜鬼ににっこりと微笑んできた。心強い言葉と笑顔を向けられているのに、どうしてこうも胡散臭いと感じてしまうのだろうか?
櫻真は自分へと笑いかけてくる葵に、微かに眉を顰めさせる。
「俺のセコンドとか言わはって、姉さん……瑠璃嬢たちの手伝いをしとったんやろ? そんな姉さんの事、信用できへんよ」
「そうね、そうよね……櫻真。確かに私は瑠璃ちゃんのお手伝いをしたわ。そこは否定しない。けれど! そうけれどよ! 考え方を変えてみて。瑠璃ちゃんの痕跡を分かり易くしたのも、此の私。そうでなければ、櫻真たちは、忍び寄る瑠璃ちゃんの気配を感じ取れなかったでしょう。さらに、結果的に二つ目の鬼絵巻を見つけるきっかけにもなったの。それを考えたら……櫻真たちの味方にもなってね?」
「せやけど……どうも、納得出来へん」
「そうじゃ。敵の味方をする者を味方に思えなどと無理な話じゃ!」
櫻真に加勢する桜鬼が、葵に向けて牙を向ける。すると葵が手の指で角を立て、桜鬼に応戦してきた。
「全く、人を信じられない者に未来はないのでーす。少しくらいは、わざわざここにやってきた葵の事を信じなさーい。ねっ? 桔梗ちゃん?」
「僕も君の言葉には、あんまり頷きたくないね。けど、ここまで言わはるんやったら、何か起死回生の策でも持ってはるの? きっともう菖蒲ちゃんたちは動いとるよ?」
話を次へと進めるように、桔梗が葵にそう訊ねる。
すると葵が「もう、確信犯め」と呟きながら、ニヤリと笑みを浮かべてきた。
どうやら、あるらしい。
小さく肩を竦めた桔梗が、櫻真たちに意見を求めるように視線を飛ばしてきた。櫻真はそんな桔梗の視線を受け、視線を桜鬼へと向ける。
目が合った桜鬼は、黙ったまま自分を見つめ返している。櫻真の意志に従うという意志だろう。
櫻真は少しだけ考え、そして小さく頷いた。
「分かった。今は姉さんに手を貸してもらう。今はそれしかない」
「まさに英断ね。そう、もう状況は動いている。なら策ある者の手に縋り付くのも重要だもの」
悪魔の囁きにも近い葵の言葉に、櫻真は桜鬼と共に静かに息を飲んだ。
「さてさて、話がちゃんと纏まった所で……鬼絵巻争奪戦に復帰してもらいましょうか。今度は、菖蒲ちゃんに断ち切られないようにしないと」
葵が着物の袂から一枚の黒い護符を取り出してきた。
「まさか、これって……」
「うふふ。いくら察しの悪い櫻真でも気付いたようね」
察しが悪いっていうのは、余計やな……。
「そう、これは先ほどの結界へと櫻真たちを誘うための護符よ。瑠璃ちゃんに渡した物とは、少し違うけどね。あの時の護符は菖蒲ちゃんに断ち切られてしまったから、代用品よ」
小さく溜息を吐く葵の言葉に、櫻真の疑問が一つ消え、そして別の疑問が生まれる。
「姉さんの言い方やと、菖蒲さんが俺らを結界内から出したってことやろ?」
「ええ、そうよ」
「でも、そしたら可笑しくない? 菖蒲さんは瑠璃嬢を押してはるのに、どうして瑠璃嬢まで結界から出したん?」
「良い質問よ、櫻真。その答えは簡単。瑠璃ちゃんを引きずり出したのは菖蒲ちゃんではなく、私だからよ」
さも当然かのように話す葵に、櫻真と桜鬼が顔を付き合わせる。
まさか、自分たちの知らない所で葵と菖蒲の攻防が合ったとは思っていなかったからだ。
「そして、君と菖蒲ちゃんの戦いは今に持ち越しになったってことやね」
「そういうこと。なので、さっさと結界の中に入ってあの地味眼鏡の出鼻を挫いてやりましょう。ふふ、普段は根性無しの櫻真も、今は根性の見せ所よ」
再び余計な事を言いながら、葵が手にしていた護符を櫻真と桜鬼の足下へと放り投げてきた。
葵の言葉にむっとする櫻真と横に立つ桜鬼の足が、葵の護符によって開いた点門へと吸い込まれていく。
「さてさて、点門も開けた所だし、私と桔梗ちゃんも櫻ちゃんのセコンドとして、いざ結界内に参っちゃおうかしらね。もしかすると、菖蒲ちゃんも潜んでいるかもしれないし」
「菖蒲ちゃんは、小細工を仕掛けるのが上手やからね。君と一緒っていうのがネックなんやけどね」
「もう、本当に素直じゃないわね。葵と一緒に入れるのが嬉しい癖に」
「それ、皮肉のつもり?」
「まさか、まさか」
葵と桔梗がそんなやり取りをしている間に、櫻真たちを飲み込んでいる点門が桔梗たちの足下にまで伸びて行く。
「じゃあ、櫻真君……また向こうで」
もう顔半分まで飲み込まれている櫻真に、桔梗がヒラヒラと手を振ってきた。そしてその直後に櫻真の姿は完全に点門の中へと消えた。




