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微睡みの中で

 桜鬼は意識を失った櫻真を抱え、本堂の奥の森の中へと撤退していた。櫻真の外傷は、衝撃による全身打撲だ。

 桜鬼は治癒の術式で、櫻真の身体を回復させる。ただそれでも櫻真は意識を失ったままだ。そしてそんな自分たちの元に近づいてくる気配がある。

 ここでおちおちとしては、おれぬのう。

 近づいてくる気配は、魑衛のものだ。

 敵がまだ自分たちを標的にしている以上、戦闘態勢を解除することはできない。けれど、櫻真の気が戻らないままの戦闘は自殺行為でしかない。

 何としてでも、櫻真は守らなければ。

 桜鬼が櫻真を抱えながら、魑衛に自身の居場所を悟られないように、木に生い茂る葉に身代わりの術を掛け、自分たちの気配を分散させ、時間稼ぎを狙う。

 せめて、櫻真の意識が戻るまで持ってくれれば良いが……

「小賢しく、見苦しいぞ? 桜鬼」

 まさか、こんなに早く?

 まだ距離があると思っていた魑衛の声が聞こえた瞬間、桜鬼たちの周りに生えていた木々が、あっという間に切り刻まれた。

 自分たちの姿を隠していた木々が無くなり、桜鬼たちは魑衛の前に丸裸の状態だ。自分たちを追ってきた魑衛の傍に、主である瑠璃嬢の姿はない。別行動を取っているのだろうか? それとも、どこかに身を隠し、挟撃を狙っているのか? どちらにせよ、あまり良くない状況だ。

「其方たちの狙いは、鬼絵巻であろう? 丸腰の妾たちに感けていて良いのかえ?」

 魑衛を睨みつけたまま、桜鬼が問う。

 すると、愚問だと言わんばかりに魑衛が鼻を鳴らして苦笑を浮かべてきた。

「無論、鬼絵巻を手にするのは我々だ。しかし、今回の鬼絵巻で全てが揃うわけではあるまい? なら、主の意識がなく、攻撃力、防御力の下がった貴様を再起不能にしておいた方が、後々好都合だ。そうだろう?」

「つまり、妾達の契約書を狙っている……という事じゃな?」

「そう言う事だ。魄月花の主には煩わしい小言は言われたが……奴も敵。小言に耳を傾け、守る義理もないのでな」

 魑衛がそう言いながら、霞の構えで桜鬼たちに刀の穂先を向けて、斬り掛かってきた。勢いよく突き出された刺突は高速だ。

 桜鬼は風の盾で相手の攻撃速度を緩めながら、櫻真を抱えて後ろへ跳び退く。だがすぐに魑衛の刃は桜鬼たちへと襲いかかってくる。

 魑衛の放つ鋭い斬撃が空気に細波を起こし、地面を撒き抉り、木々を破砕し桜鬼たちへと飛来する。

 その速さは主による強化も加わっているのか、避けきれるものではない。

 桜鬼は身を盾にして、獰猛な斬撃から櫻真を守る。魑衛の斬撃が桜鬼の背中に直撃し、鋭い痛みと焼き鏝でも当てられたかのような熱が全身を貫いてきた。思わずその場に両膝をつく。背中から血が地面へと滴り落ち、桜鬼の口から叫喚が溢れ出た。

「主を守る殊勝な姿には、同じ従鬼として敬意を払ってやろう。そこで、貴様に選択肢を与える。ここで大人しく私に契約書を渡すか、呻き声も上げられぬ痛みを受けて、契約書を奪われるか、答えは二つに一つだ」

「詰まらぬ事を訊くでない。妾は其方に櫻真との大切な契約書を触れさせるわけなかろう?」

「苦悶の表情を浮かべている割に、口だけは達者のようだな? ならば、その軽口を呪え」

 魑衛が地面に座り込む桜鬼へ、斜上から斬撃を容赦なく加えてきた。桜鬼も風の盾を作り、攻撃の威力を軽減はしているが、それでも生傷は次から次へと増えて行く。痛覚が麻痺し始め、身体が微かに震えてきた。

 けれど……

 ここで、自分が意識を失うわけにはいかない。櫻真との契約書は必ず守る。敵の手に触れさせてなるものか。

 桜鬼は震えてなりそうになる歯を食いしばり、魑衛の攻撃に堪え続ける。

「このままでは、大切な契約書が己の血で汚れてしまうぞ? 良いのか?」

 良いわけがない。

 先程から、良く喋る口で詰まらない事を重ねてくる。おかげで、痛みで薄らいでいた意識が侮辱への怒りで回復してきた。

「……魑衛。貴様はこれで妾を追い詰めたと思うたのかえ? 其方も実に……実に浅墓になったものじゃな?」

 櫻真をそっと、地面に寝かせゆっくりと魑衛の方へと振り返る。

 振り返り様に、振り下ろされた魑衛の刀を左手で握り受け止める。その瞬間、魑衛の顔が訝しげに歪んだ。

「意識を失っているとはいえ、櫻真の前で此の様な辱めを受けさせた罪……その身でじっくり償わせてやろう」

「ほざけ。瀕死状態の貴様に何を言われようと、引き下がる私ではない」

 魑衛がそう言うと、半ば強引に自身の刀を引き抜くと、間髪入れずに立ち上がった桜鬼の腹部に突き刺してきた。

 鋭い刃が身体を貫通し、口内で逆流してきた血が溢れる。復帰した意識が一瞬切れた。だがその瞬間、桜鬼を黒色混じりの紫煙が包み込む。

 その紫煙は、桜鬼から溢れ出た声聞力だ。

 桜鬼の表情から生気がどんどん失われていく。けれど、その代わりに桜鬼を取り巻く声聞力は濃度が上がっていく。

 そして、表情のない桜鬼がそっと魑衛へと右手を突き出してきた。掌手のような構えで。本能的に危険を感じ取った魑衛が桜鬼と距離を取る。

 けれどもはや、距離に意味はない。

 表情のなかった桜鬼の口許に、笑みが浮かぶ。

 魑衛の目が開かれた時には、防ぐ事も、立ち向かう事もできずに、魑衛の身体は軽々しく数百メートル先まで吹き飛ばされる。

 後に残るのは、破壊され折られた倒木の残骸だけだ。

 桜鬼はそれを見ながら、薄く笑っていた。



「おやおやおや?」

 戯けた声を上げる葵の隣で、桔梗は小さく眉を顰めさせていた。菖蒲に閉じ込められている間に、櫻真と瑠璃嬢がぶつかり合う荒々しい声聞力は感じていた。

 しかし、先程感じた声聞力はそのどちらの物でもない。

「桜鬼が持つ声聞力……なんかな?」

 桔梗が訝しげに目を細めて、強い声聞力を感じた方へと視線を向ける。すると、妙に気分を上げた葵がノリノリで口を開いてきた。

「流石、第八従鬼よね? まさに従鬼の真髄、本領を発揮したって感じ」

「……それは、つまり櫻真君がピンチになりはったって事やね?」

 葵が頷いてきた。実に芳しくない。自然と桔梗の顔が険しいものになる。

「心配はご無用なんじゃない? きっとそのピンチも桜鬼ちゃんのミラクルパワーで万事解決よ」

「僕、無理矢理の力技ってあんまり好きやないね」

「あーら、桔梗ちゃんはそんな事を言える義理なの?」

 含みのある葵の言葉に、桔梗が辟易とした顔で溜息を吐いた。

「誤解はせんで。僕は無理矢理(・・・・)なんてした事ないからね」

「あらやだ素敵。でも私的には無理矢理というシチュエーションの方が大盛り上りなんだけど?」

「ホンマに、君って大アホやな。むしろ、君……木の幹をよじ上る様な蟻歩きはやめはったん?」

 さっきまで、葵は陣の壁を蟻よりも惨めな姿で昇ろうとしていたのだ。ただそれは全て失敗に終わっている。

 すると、葵がやれやれと言わんばかりに肩を竦めてきた。

 他の人にやられても苛つきはしないのに、葵にやられると苛つくから不思議だ。

「あのね、桔梗ちゃん。この壁には突起物がないの。つまりツルツル。足に鋭利な突起物がない限り、昇れるわけないでしょう」

「じゃあ、さっきのは君なりにパフォーマンスやったん? 誰への?」

 ここに葵に注目してくれるような、酔狂な者はいない。つまり一人で馬鹿な事をしていただけに過ぎないのだ。

 桔梗に問われた葵が、目を細めて黙りこくる。

 それっぽい表情をしたって、何の含みにもなりはしない。ただ単に言い返せなくなっただけだろう。

「椿鬼、内側からの攻撃で陣が破壊できるか試してみて」

「畏まりました。主にはともかく……もう一人の方に何かしらの影響があるかもしれませんが、宜しいですか?」

「ええよ。僕は一向に構わへんから」

「おい、こら待て。従鬼は自身の攻撃範囲を決められるだろうが。なにしれっと、葵りんに危害を加えようとしてるんだ?」

「確かに攻撃範囲は決められますが、それによる余波まで抑えることは出来ません。主に及ぶ余波は私が全て防ぎます。けれど、貴方の面倒まで見るつもりは毛頭ありませんから」

「まぁ、主に似ていけ好かない小娘ね? そう言う奴は……地獄の炎に焼かれて消えろ!」

 中二かかった決めポーズで、葵が椿鬼に下らない言葉を吐き始めた。

「……それ、誰の真似なん? 悪いけど、僕、そっち系に疎いんよ」

「ったく、これだから博識の薄い奴は、駄目なのよねぇ」

 葵が手を腰に当て、滑った事をはぐらかす。

 その間に、椿鬼が対物ライフルを取り出し、檻の壁へと銃口を向けて発射した。すでに耳を塞いでいた桔梗でも、大きいと感じる音だ。

 耳を塞いでいなかった葵にはかなりの爆音だったはずだ。

 その証拠に、葵が両耳を塞いで縮こまっている。

「ええ光景……」

 ぼそりと桔梗が呟くと、葵が恨みの籠った視線で桔梗を見てきた。

「主、手応えはありました。けれど何発か撃ち込まなければ、この陣を破壊することは不可能でしょう」

「しゃーないね。僕は構わへんよ。君も文句ないやろ?」

 桔梗がそう訊ねると、もうすでに耳を塞いだ葵が「うーー、あーー」などの大きな声を上げている。

 あの状態では、桔梗の声も聞こえていないだろう。

 ……駄目やったな。

 内心で溜息を吐きながら、桔梗も耳を塞ぐ。するとそれを合図のように椿鬼が容赦ない連射を撃ち始めた。



 魑衛と別れた瑠璃嬢は、鞍馬寺の本堂の奥にある魔王殿へと来ていた。ここには、先程の結界内に繋がる点門があるはずだ。……菖蒲の話によると。

 瑠璃嬢は本堂の前に立ち、点門を開くための術式を唱え始める。元々形成されてある点門を開くことは、声聞力を費やせずに開くことができる。

 術式を唱えると、魔王殿前にある石灯籠の上あたりの空間が歪み、結界へと続く点門が開いた。

「開いた……」

 点門が開いた事を確認し、周囲に怪しい影はないか見回す。自分で視認できる範囲では、その影はない。あとは櫻真の契約書を奪取しに行った魑衛を待つだけだ。

 桜鬼たちは、本堂横の奥の院参道を外れて逃げて行った。とはいえ、従鬼である魑衛からすると、このくらいの山中ならば敵を追う事など造作ないことだろう。

 斯く言う瑠璃嬢も、従鬼並みに身体を強化しているため、時間と体力を費やせずに着く事ができたのだ。

 とはいえ、最初に結界に入った時からずっと重い鉛を背負っているように体が重い。

 何故だ?

 本格的に始まった戦いに、己が思っているよりも体力的、精神的に参っているという事だろうか?

 もし、そうならさっさと結界に入り、体力が尽きる前に鬼絵巻を手に入れたい。

「割と、時間食ってるな……」

 開いた点門を見ながら、瑠璃嬢が思わず呟いた。

 魑衛が追った桜鬼たちは、主である櫻真が気を失ったため、強敵ではないはずだ。そのため契約書を奪うのも時間を掛けずに済むと思っていた。

 菖蒲は、契約書を破棄したら当主にはなれないと言っていた。しかし、それなら奪うだけなら、どうだろう?

 瑠璃嬢はそう考えたのだ。

 だから、魑衛に櫻真たちを追わせた。

 だが、魑衛がすぐに戻ってこないのを考えると向かわせたのは間違いだったかもしれない。

 こうなったら、自分一人で鬼絵巻を取ってきてしまおうか? どうせ、結果以内にいるのは邪鬼と、二人の中学生だ。

 一人は、いくらかの声聞力を使うようだが……まぁ、何とかなるだろう。

 瑠璃嬢は、ぐっと足に力を込め点門へと跳躍しようとした。

「行かせへんよ」

 その言葉と共に、瑠璃嬢の周囲を炎が広がり行く手を塞がれる。瑠璃嬢は、表情を大きく歪ませ、炎の術式を操る蓮条へ大きく舌打ちをした。

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