切っても切れない
蓮条は櫻真と別れた後、葵の手がかりを掴むために祝部家の方に来ていた。市内を闇雲に探しまわった所で、葵が見つかるとは思えない。
なら、佳が言っていた「祝部家の術」という言葉に着眼点を置いて、葵捜索から術式捜索へと切り替えたのだ。
同じ術式で作れる結界は一つ。
なので、瑠璃嬢が作り出した結界がある現状で、蓮条が同じ術式を使うと新しい結界は形成されず、瑠璃嬢が作り出した結界へと繋がるのだ。
つまり、葵が見つからずとも、葵が使った書物を見つけ出せれば、あの結界内へと行くことができる。
書物などが置いてある倉庫は、透過した鬼兎火に探してもらい時間を掛けることなく、侵入することができた。
「ただ問題は……どの本に葵が使った術が載っとるか、やな」
「そうね。賀茂家は陰陽道を普及させた家でもあるから、その書物は膨大なはずよ」
倉の中に積まれた古い書物を見ながら、蓮条と鬼兎火が眉を顰めさせる。積まれている書物の量は膨大だ。
この書物を一つ一つ確認していくことは、時間的にも難しい。
何か手がかりになるものは……
そう考えたとき、蓮条は手掛かりになればと持ってきていた、先程の結界の切れ端をポケットから取り出した。
「これがあれば占術使って、道が開けるかもしれへん」
「それじゃあ、私は蓮条が占術を行っている間、誰か来ないか見張っておくわね」
「うん、任せるな」
鬼兎火の背中を見送りながら、蓮条は深く息を吐く。
ここにちゃんとした式盤はない。そのため、護符で作り出した簡易の式盤で対応させる。
簡易のであれ、何の糸口が掴めないよりはマシだ。
蓮条は、護符で使った式盤の上に先程の護符の切れ端を備え、占術を始める。すると、蓮条の耳に反響する鈴のような音が聞こえ始める。
段階を踏めば踏むほど、その音が大きくなりやがて声となる。
「汝、欲するもの厄と共に遭われる……」
口から自然と零れ出た言葉に、蓮条は思わず眉を顰めた。欲するものとは当然、先程の結界を作り出した術式が載っている書物だろう。
書物が見つかるのは良い。けれど厄と共に現れるというのが気がかりだ。
「蓮条、占術の結果は?」
蓮条の声聞力が途切れたのを見計らって、見張りから戻ってきた鬼兎火が結果を訊ねてきた。鬼兎火に先程の占術結果を話すと、やはり鬼兎火も難色を示してきた。
「厄っていうのは、敵かしら?」
「おめでとう、大当たりって言ったらどうする?」
鬼兎火の言葉に答えたのは、蓮条ではない。鬼兎火の背後、入り口の所に立つ、見知らぬ青年だ。
「どなたかしら?」
一気に警戒を強めた鬼兎火が、青年を睨みながら誰何する。
「俺? 一応、この家の人。つまり、君等をお巡りさんに突き出せる人物」
飽く迄、自分たちに名乗る気はないという事だろうか?
不味いことになった。
確かに自分たちは、この青年から見れば怪しい物取りだ。釈明の余地すらない。
どないしよう?
「貴方のその手に持っている物は?」
困り果てた蓮条の傍らで、鬼兎火が青年の持っている一冊の古書を指差す。
「ああ、これ? これはアンタ等が探してる本」
「……つまり、䰠宮葵と貴方は繋がってはるちゅうことやな?」
蓮条が眉を顰めて訊ねると。青年がニタりと笑ってきた。正解とでも言いたいのだろうか? それとも的外れな事を言った自分を嘲笑しているのだろうか?
判断は難しい。
蓮条と鬼兎火が青年に向けて、警戒心を強めていると……
「そんな肩に力入れても仕方ないなくない? それに俺は君等にこれを手渡そうとしてるだけなんだけど?」
やる気のない声で、本を二人に翳してきた。
「どういう事かしら?」
予想外の言葉に鬼兎火が眉を顰めさせる。
「んー、別の言葉で言うと俺はアンタ等の敵じゃないよ。今の所は……って意味」
眠たそうな表情で戸惑う蓮条たちに言い放ってきた。そして、それでも警戒心を薄めない蓮条たちに、青年が肩を揺らす。
「こう見えて、俺も䰠宮葵に騙された質なのよ。分かる? でもさ、謝罪はなし。その代わりに、君らにこの本を渡せって言ってきたわけ。本当に虫がよすぎ……」
「そんな事言わはってるのに、葵の言う事聞くんやな? それはどうして?」
「あーー、それは俺と切っても切れない関係だから」
「切っても切れない関係?」
「うん、そう。俺の存在意義というか。あの人なくして俺はない的な感じ」
青年の言葉に、蓮条が目を丸くして唖然とする。
まさか、あの葵にこんな関係の人物がいるなんて、夢にも思っていなかった。この口ぶりからすると、葵に弱みを握られている感じでもない。
「それで? どうすんの、この本? 要らないなら、持って帰るけど?」
唖然とする蓮条を余所に、自分のペースで青年が訊ねてくる。蓮条ははっとして鬼兎火の顔を見て、頷く。
「要る。ただ下手な真似したら許さんからな?」
「うわぁ、テンプレートみたいな安い釘刺し。まっ、別に良いけど。俺も従鬼を相手にする気なんてないし」
そう言った青年が鬼兎火に向かって、古書を投げ渡してきた。鬼兎火がその古書を掴み、古書の中身を確認する。
「……古書だと思ったけど新書ね。書いてある術式は一つだけで、あとは白紙みたい」
鬼兎火が本の質感を見て、青年に訝しげな視線を送る。
すると青年が軽く肩を竦めて、
「写生本ね。本物を渡したら祝部の奴に俺が怒られるじゃん? でも書いてある術式は本物。白紙の部分は、メモ用紙にでも使ってよ」
と弁解をしてきた。
そして、そのまま青年が蓮条たちに背中を向けて歩き出す。
「待ちや。どうして、貴方が従鬼の事を知ってはるん? それも葵から聞きはったん?」
「まぁ、そう。別に興味なかったけど、聞かされた。ああ、それから……お前等が行くべき場所は天狗寺ね。じゃあ、俺はちゃんとヒントっつーか、答えを教えたから。後はどうぞご勝手に」
自分の言いたい事を言うだけ言った青年は、今度こそ蓮条たちの元から立ち去ってしまった。
倉庫に取り残された蓮条は、鬼兎火の手にある写生本を見る。
「術式は出鱈目ではなさそうよ」
「……なら、ええわ。葵の関係者そうやから、あんまり手は借りたくないけど。しゃーない。後は、櫻真と合流するだけやな」
「ええ、そうね。でも、あの青年を追跡しなくても良かったのかしら?」
鬼兎火の言葉に、蓮条は少し考える。
確かに気になる存在ではある。でも今は……
「祝部たちを助け出す方を優先させるで。きっと菖蒲さんも分かってくれはるわ」
「そうだと良いけど。あの人は、どうして蓮条に葵と桔梗を見張ってろ、なんて言ったのかしら?」
「それは……」
蓮条は、この間の事件の後に菖蒲と話している。
その時に、蓮条は菖蒲にこう言われたのだ。
『今回はもうしゃーない。異例の事が起きてしもうたから。ただ、戦意だけは折れへんでな。鬼絵巻を取る時は取れ。それから、葵と桔梗のことは今後とも注意深く見といて。櫻真に接触しようとしたら、すぐ僕に連絡するんやで?』
と、蓮条に念押ししてきたのだ。
何故、自分にそう言ってきたのかは分からない。菖蒲がどんな思惑を抱いているかが分からないからだ。
「なぁ、鬼兎火。どうして、菖蒲さんは自身で鬼絵巻を取りに行かへんのやろ?」
「私もそれについて考えてたわ。これは憶測の域だけど……もしかすると何かしらの制約が付いてるのかもしれない。魄月花は探知に優れている従鬼。だから、どの従鬼よりも真っ先に鬼絵巻の場所を把握できるの。けれど彼女が勝ったのは、回顧録によると一度だけ。それって、彼女が保有する能力を考えると、少な過ぎる」
「確かに。なぁ、前までの戦いで鬼兎火は魄月花とも戦いはったやろ? その時はどんな感じやった?」
「ええ、勿論あるわよ。彼女が所有している鬼絵巻を取るために。でもその時は特段、変わった動きも様子もなかったわ」
「そっか。それやったら、制約というより菖蒲さんからの言いつけを忠実に守ってはるだけって事も考えられるな」
「もし、そうであるなら、私たちも慎重になるべきね」
鬼兎火が言っているのは、きっと菖蒲に対しても警戒すべきだと言っているのだろう。蓮条自身もそれは思う。しかし、昔から知っている菖蒲を警戒するのは、気が引ける。
けれど、もう既に菖蒲に対しても疑問を持ち、こんな話をしてしまっている。なら、これがただの杞憂になることを願いながら、警戒していくしかない。
「とりあえず、菖蒲さんたちの話は心に留めておくとして……さっきの男が言わはった天狗寺って、鞍馬寺の事やろうな?」
蓮条が術式の書かれた頁を見て、市内の北部にある鞍馬寺を想起させる。あそこは天狗に縁のある地だ。
強い気場を放つ場所でもある。
「結界を作るには持って来いやな」
「それか、もう既に結界事態は作られているのかもしれないわね。私たちをわざわざ向かわせる事を考えると」
蓮条は相槌の代わりに鬼兎火の顔を一瞥して、術式を読み始めた。術式を読み上げると、蓮条の足下に陣が浮かび上がる。
すると、蓮条の前に小さな空間の歪みが生じた。空間が捻れ、その中央の先に見えたのは、均等な幅で並べられた机……教室だ。
蓮条が術式で歪めた空間は、蝋燭の火が消えるようにフッと消えてしまう。
「間違いない。これでさっきの結界内に行けるはずや。ただ出入り口を安定させるには、もっと大量の声聞力が必要やな」
「……つまり、さっきの男が言っていた通り、気場の強い鞍馬寺に向かった方が良いって事ね」
「せやな。そうと決まったら櫻真と合流せんと……」
蓮条が端末で櫻真へと連絡を入れる。しかし、櫻真が通信に出る素振りはなく、むしろ通信が途中で切れてしまった。
「櫻真の奴、何で出えへんのやろ?」
繋がらない端末に首を傾げながら、とりあえず自宅の方へと通信を入れてみた。
すると、
『蓮条? どうかした?』
稽古場の方だけでなく、自宅の端末にも蓮条の番号を登録しといたらしく、桜子が笑顔で蓮条の通信に出てきた。
蓮条がそんな桜子に、ぎこちなく笑みを返す。前よりは関係も改善されているとはいえ、まだ自然とした反応を取るのは、気恥ずかしさも相俟って難しい。
「いや、その……櫻真は家におる?」
ちょっとした気まずさ誤摩化すように、蓮条が櫻真の事を訊ねると、桜子が目をぱちくりと瞬かせて、予想外な事を言い放ってきた。
『えっ? 櫻真? 蓮条と一緒にさっき家から出掛けはったんやないの?』
「俺と? 嘘や」
『えっ、嘘と言われても……じゃあ、さっきの蓮条は?』
通信越しからでも分かるほど、桜子は動揺している。思わず蓮条は鬼兎火と顔を見合わせた。
「桜子、母さん、心配せんで。ちょっと何となくやけど、状況が掴めたわ。また、連絡入れるから、それまで待っとって」
すると、桜子は心配げな表情を浮かべながらも、静かに頷いてきた。蓮条は通信を切り、倉から外へと出た。
すでに日は完全に落ちている。
櫻真はきっと鞍馬寺の方へと向かったはずだ。
「急ぎましょう、蓮条。最悪な状況になる前に」
鬼兎火の言葉に、蓮条が大きく頷き返した。




