嬉々とする少女の笑み
対面する魄月花を睨む椿鬼の手には、小柄な椿鬼と対照的な対物ライフル(M82A1)が握られていた。少女が持つには重過ぎるその銃を、椿鬼は軽々しく持っている。
「ヒューー。イケイケ、椿鬼! いきなり飛び出して来た地味眼鏡なんて、やっつけちゃってぇ!」
魄月花の勢いを完全に殺した椿鬼に、葵が安い茶々を入れる。桔梗は呆れたように溜息を吐く。
「そんな物騒なもん、どこで手に入れた? ホンマに面倒な奴やな」
眉間に皺を寄せた菖蒲が桔梗を毒突きながら、術式を詠唱し始めた。魄月花に金行の加護が付与され、魄月花の周りに、銀色の槍が無数に現れる。
「そっちも飛び道具使うんなら、こっちもそれに対応っしょ!」
魄月花が先程のダメージなどなかったかのように、六角棒を頭上で勢いよく振り回し椿鬼ヘと突貫してきた。
一瞬の内に椿鬼と魄月花の距離が縮まる。二人の距離はもう1mにも満たない。この距離では椿鬼が引金を引くよりも、魄月花の六角棒が椿鬼の腹を殴打する方が速い。
「さっきの痛かったから、お返しっ!」
魄月花が躊躇いもなく、硬球のように椿鬼を宙へと吹き飛ばす。元々軽い椿鬼は呆気なく宙へと放り上げられた。
斜上へと飛んでいく椿鬼を見て、魄月花の表情が歪んだ。それと対照的に飛ばされた椿鬼の口許が微かにほくそ笑む。
地上で顔を歪める魄月花をあざけ笑うように。今の己の状態に歓喜するように。
「おほほ。従鬼も主に似て性格がひん曲がってるわね。それとも、従鬼と主って似た者同士でくっつくのかしら?」
わざとらしく笑う葵。
その瞬間に魄月花の頭上から椿鬼が煙のように消えていた。その代わりに、川を挟んだ森の暗闇の中から魄月花に向かって、幾つもの閃光が放たれた。乱射された銃弾を魄月花が金棒で細い火花を上げさせながら、弾き防ぐ。けれど対物ライフルから放たれる銃弾は想像以上の重さと、威力がある。
椿鬼の銃弾を防いでいた魄月花の身体が後ろへと押し戻される。ここで防御を捨て攻撃に転じれば、暗闇に潜む椿鬼に蜂の巣にされるだけだ。
しかし、魄月花の性分からして守りに徹するのは嫌いだ。楽しくない。どうせ、戦わなければならない運命ならば、それを楽しもう。魄月花は何時如何なる戦いの時もそう心がけている。
だから……
「菖蒲!」
「少しは、桔梗の所みたいに落ち着き払って欲しいんやけどなぁ……」
魄月花の意図を読んだ菖蒲が肩を軽く竦め、
「金行の法の下、鉄よ、楯無の鎧となれ」
菖蒲の言葉と共に、魄月花の身体の輪郭が白銀色に光り始める。すると魄月花が闇の中から銃弾を放ってくる椿鬼へと怯む様子もなく、突貫していく。
椿鬼が放っている銃弾は、桔梗の声聞力によって形成された銃弾だ。そのため、強靭な肉体を持つ従鬼といえど、急所に当たれば無視できないダメージになる。
そのため、先程までの魄月花は守備体勢になっていたのだ。しかし、楯無の鎧を纏えば、その状況は変わってくる。
魄月花に着弾した弾が、身体を貫通せずに外周へと弾きかれ地面に落ちていくのだ。
鎧を纏った魄月花が跳躍し川を超え、六角棒で銃弾が飛んで来た方に生える木を薙ぎ倒して行く。魄月花の一振りで、川沿いに沿って生えていた木が倒れ、視界が森の奥へと届くようになる。
けれど、いるはずの椿鬼の姿は見えない。
「厄介だよな。椿鬼のその力……」
椿鬼の気配を察知せんと意識を集中させる。菖蒲の援助により、魄月花の察知能力は極限にまで高められている。そのため地中の中で静かに動く微生物まで感じられるレベルだ。ここまで高めれば、従鬼やその契約した主にすら自分の気配を隠す事のできる椿鬼の尻尾くらいは掴めるはず。
そして、掴む。
目には見えず、朧な椿鬼の気配を!
「はぁあっ!」
大きな声で魄月花が吠える。相手を威嚇しながら、自分の勢いを高めるために。そして、その勢いのまま大きな六角棒を気配の感じる方へと振り下ろす。振り下ろされた金棒に加わっている力は、20tを悠に越える強さだ。椿鬼がそこにいたのなら、全身の骨を粉砕できたはずだ。しかし、振り下ろした金棒は地面を大きな円形状に抉り取り、数キロにも及ぶ亀裂を四方八方に刻んだだけだ。
椿鬼を仕留めたという感覚はない。
「嘘だろ? 椿鬼のやつはどこだ?」
自分は確かに椿鬼の気配を掴んだはずだ。その感覚はあった。しかしその手応えと今の状況には大きな食い違いが生じている。
あたしの勘違いだったかな?
「桔梗が自分の従鬼のダミーを用意してはるみたいやな……魄月花、気配を追うのはやめや」
面を食らった表情を浮かべていた魄月花に菖蒲がそう声をかけてきた。
「ダミー……ってことは、偽物だらけってことかぁ〜。やっぱり、椿鬼の主は面倒なのが多いな」
少し離れた所で頭を掻く魄月花に、椿鬼の主である桔梗がニッコリと笑みを浮かべてきた。そして、にっこりと微笑んで来た桔梗が魄月花に人差し指を立てて来た。従鬼の視力がその仕草を捉える。
嫌な笑みを浮かべる桔梗につられて、魄月花が上を見る。
すると、大粒の雨粒が勢いよく降り注いで来た。その瞬間にこちらの戦いを面白可笑しくみていた葵の「うげっ」という悲鳴が上がった。
「こんのぉおおーー」
上空に潜んでいたらしい椿鬼の銃撃に声を上げながら、魄月花が足裏で地面を勢いよく蹴り、跳躍する。六角棒を両手で持ち、頭の上、上段で構えて。
今の自分は楯無の鎧を身に纏っている状態だ。恐れるに値しない。そう、そのはずだ。
けれど……身体に着弾する銃弾がじわりじわりと魄月花にダメージを与えてくる。それが分かる。つまり長期戦に持ち込むのは得策ではない。
一気に片をつけるための一撃。
今の自分に必要なのはその一撃を繰り出すための力。
魄月花は、楯無に注ぎ込まれていた菖蒲の声聞力を一気に六角棒へと送り込む。
鎧を脱ぎ捨て、捨て身の一撃を椿鬼へと叩き込むために……。
「あたしの一撃、喰らって、味わいな」
防御を捨ててきた魄月花に、上空にいた椿鬼が目を見開いた。
「貴方は、何を……」
見開いた椿鬼の声は途中で途切れる。言葉の代わりに響いたのは、地上へと叩き落とされた椿鬼の衝突音だ。
勢いよく立ち上がった砂煙に目を細めながら、魄月花が重力に導かれるまま地上へと落下する。
大きな一撃を喰らわせたのは、確かだ。しかし、先程と同じく偽物の可能性もなくはない。
やっぱり、幻術得意な奴ってやり難い!
苦々しい気持ちを抱きながら、魄月花は椿鬼が落ちた場所へと意識を凝らす。すると、巻き上がった砂埃から、黒い影が浮かび上がる。だがそれも陽炎のように揺らめき消えた。
次の瞬間に、魄月花の目の前に椿鬼が姿を現す。
椿鬼の額からは血が流れ、顔も砂塵で汚れていた。つまり、先程の椿鬼は偽物ではなかったということだ。
気配を消し、魄月花へと接近した椿鬼が苦無を取り出してきた。魄月花もそれに応戦する形で金棒を椿鬼へと振り回す。
ただ近接戦では、六角棒の真価を発揮することが難しい。
椿鬼もそれが分かっているからこそ、自分との間合いを詰めてきたのだろう。
「……仕方ないか」
溜息を混じりの言葉を呟き、魄月花が手に持っていた愛用武器を手放す。そして武器を手放した瞬間に、椿鬼の容赦な刺突が魄月花の左頬を突き刺してきた。
そして咄嗟に後ろによろけた魄月花の顎先に、椿鬼がバク転をしながら蹴りをいれてきた。
間髪ない攻撃に、魄月花が後ろに倒される。
倒れるまで、自分がどんな状況になっているのか分からなかった。
従鬼として幾度となく戦っていても、慣れないものは慣れない。しかし、まさか椿鬼からこんなダメージを与えられるとは思いもしなかった。
全く、予想がないことばっかり起こりやがって……。
地面から起き上がりながら、魄月花は小さく苦笑を零す。きっとこの笑みは、椿鬼には届いていない。
いや、その方が良いのだと思う。……今は未だ。
立ち上がった魄月花が少し離れた場所で対面する椿鬼を見る。そして、左手に5枚の護符を取り出した。
取り出した護符を投擲し、椿鬼、桔梗、葵を囲む陣を形成する。
「マジか。地味眼鏡の従鬼も術使いだったのね。うわぁ、最悪〜〜。桔梗ちゃん、どうする、どうする?」
「僕に言わはっても、困るんやけど? むしろ、僕らばかり働かせんで、自分でも動いたらどう?」
「えーー、なにそれ? 別に葵が桔梗ちゃんに菖蒲ちゃんと戦え、なんて一言も言ってないでしょ?」
飽く迄楽しようとする葵に桔梗が苛つきを覚えたのか、桔梗が葵を火行の術で吹っ飛ばしている。しかも吹っ飛ばされた葵は陣の壁に激突している始末だ。
「仲間割れせんで、そこから抜け出すために協力した方がええと思うで。ほな」
菖蒲が陣の中にいる桔梗たちに声を掛け、魄月花に目配せをしてきた。すぐに櫻真や瑠璃嬢たちの元へ行こうとしているのだろう。
ったく、従鬼使いの荒い奴……。
「菖蒲! これ終わったら、あたしが満足するまで酒を飲ませろよ。もうそれこそ、浴びるほどだぞ! 浴びるほど!」
「……ええけど。その頬の傷が感知したらな。酒飲んで、血を吹き出されても迷惑やから」
「傷? あー、こんな傷あっと5分もすれば塞がるから平気、平気。気にすんな」
魄月花が菖蒲の肩を叩きながら、そう言うと菖蒲が辟易とした表情で溜息を吐いてきた。




