狐と狸
「先輩、ホンマに僕たちここから帰れるんですか?」
「しっ。静かに。邪鬼がこっちに気付いたらまた面倒な事になるわ」
佳は、自分たちに守護を掛け、邪鬼の気配が薄い校舎の三階へと移動していた。ただ気配が薄いといっても、全くいないわけでもなく油断はできない。
この結界内は、邪鬼がかなり多い。そのため、この場所に漂う邪鬼を全て祓うことは不可能だ。自分の声聞力が尽きてしまう。
いつ、この結界から出られるのかも分からない状態で、声聞力を切らすわけにはいかない。
「どのくらいで、帰れるのかは分からへんけど……帰れない可能性は考えてへん」
「ホンマですかっ!? 先輩の強がりとかではなく?」
「強がりって……。今、このタイミングで強がりを言うても意味ないやろ?」
「そうですよね。ああ、良かった。先輩は地味そうやから、こういう時に自分の沽券を上げようとしているのかと思いました」
自分の背後に隠れている割に、こんな事を言う光。なんとも先が思いやられる後輩だ。ただ、この非常事態でも、動揺せずにいてくれるのは有り難い。
正直、陰陽道に精通していない人間がこんな場所に閉じ込められれば、パニックを起してしまうだろう。
「それじゃあ、どうして先輩は僕たちが帰れると思うたんですか?」
「理由は簡単や。䰠宮たちがこの結界から出られてはるから。勿論、自ら出はったというよりは、何らかの要因で出てしもうたって感じに見えたけどな」
あのとき、櫻真たちは瑠璃嬢と呼ばれる少女と敵対していた。そしてその少女は自分たちを狙い、櫻真たちがそれを阻んでいる感じがした。
考えられるとしたら、やはり『鬼絵巻』が関係しているに違いない。そして自分たちを狙って来た事を考えれば、自分たちのどちらかにそれが潜んでいるということだ。
しかし、自分には千咲の時のように身体に異変が起きている感じはない。そのため、佳は辺りを見回している光へと訊ねる。
「なぁ、四十万君。君は身体に異変があったりしはる? 現時点で」
「身体に異変? ありませんね。特には」
佳へと首を振り向かせて来た光に、何かを隠しているという素振りはない。そのため、自分の考えは憶測の域を出なかったのかもしれない。
そう思うのに、腑に落ちない。
あと一歩で何かを掴めそうな気がするのに、その一歩が届かないもどかしいさが胸を燻っている。
そして、そんな自分が感受している物に手応えのような物があるから、尚更、厄介だ。
前に千咲から鬼絵巻が現れた時の事を思い返す。そして、さっきの戦いの事を思い出す。
……二つの記憶に共通することは、どちらの時にも櫻真たちがいる、という事だ。
そして、今は鬼絵巻が出てくる気配がない。これらを考えると、鬼絵巻の出現に櫻真たち、というより、従鬼という存在が必要なのかもしれない。
だとしたら、自分か光に異変が起きないのにも納得がいく。
「あの、こんな所にずっと座っとるんやなくて、脱出方法を探しません? 先輩も䰠宮先輩たちと同じ特殊スキルを持ってはるんですよね?」
「そやけど……でもな、それが出来てたら、もうとっくの昔にやっとるよ」
痺れを切らした光に、佳が正論で返す。
「なっ、そんなこと言わはって、先輩としての威厳はないんですか?」
「残念なことに……。だから俺から言えることは一つや。俺から離れんこと。確かに君は普通の子より、肝が据わってはると思う。けど早々怖い思いもしたくないやろ?」
光を説得しながら、自分でも情けない気持ちになってくる。しかし、それでも自分の後輩に当たる光を、危険な目に遭わせてしまうよりはマシだ。
そう思っての言葉だったのだが……
「先輩の言わはることも重々に分かります。けど、僕は将来……芸能界を背負って立とう思ってます。だから、例え心霊現象をレポートすることになっても、誠心誠意を込めてやるつもりです。だから、今のこのへんてこりんな体験やて、僕の糧となるでしょう。それこそ、テレビのひな壇で特殊体験ネタとして!」
両手を広げながら、未来のビジョンを語る光の熱は、佳にもしっかりと伝わった。
しかし、こんな所で語るネタではない。
「正直、芸能界とはあんまり興味あらへんけど……君の熱意だけは伝わったわ」
「そうですか。なら、先輩に今度の月曜日から始まる新連続ドラマをおすすめします。僕のママの素晴らしい演技も見れますんで必見ですよ? 後で感想を聞かせて下さい」
「……分かったわ」
もうこれは、おすすめではなく強制に近いな、と佳は思った。つまりは、自分は無事にこの結界から出たら、そのドラマを見なくてはいけないという事だろう。
まだドラマを視るだけなら、別に良い。その後に感想を言わなければならないというのが佳の気を重くさせた。
「とりあえず……脱出は出来なくても方法を探す努力はする。だから、君も俺が言うた事には従って欲しい」
「あんまり、自分の進み道を人に決められるのは好きじゃないんですけど……ええでしょう。先輩に従います」
どこまでも、上から目線なのか……と溜息を付きながら、見落としている異変がないか探る事にした。
櫻真たちが現世に戻れたということは、結界と現世を繋ぐ点門になりうる箇所があるはずだ。
その場所さえ見つけ出せれば……
佳は深く息を吸い、意識を集中させた。
櫻真は蓮条と共に、貴船神社へと続く参道前へと来ていた。辺りには不思議な程、人の気配はない。日が沈んでいるとはいえ、少し妙な感じだ。
「何か罠が張られていそうじゃのう?」
「俺もそう思う」
「確かに、何かきな臭い気ぃするな。どうする? 四人で貴船神社と鞍馬寺を順に見てくか。二手に別れて見るか……」
眉を顰めさせる蓮条が櫻真にそう提案してきた。
櫻真は、蓮条からの提案に考えを巡らせる。一瞬、占術の結果が頭を掠めたが櫻真は頭を小さく振り、
「二手に別れた方が良さそうやな。じゃあ、まず俺と桜鬼で貴船に……」
「蓮条君と僕で貴船に行こうか」
櫻真の言葉を遮ってきたのは、先程別れた桔梗だ。
「桔梗さん! 来てくれはったんですか?」
「来るよ。僕も一応……鬼絵巻を集める資格を得てるわけやし。このまま動かずにいると、僕の従鬼から謀反が起こりそうやから」
桔梗が自分の背後にいる椿鬼を見る。すると椿鬼が不服そうな表情で「主に謀反など……」という呟きを漏らした。
「それで? 僕が言うた通りにしてもろうても、ええ?」
「あっ、はい。俺はええですけど……」
戸惑いながら櫻真が頷き、蓮条を見る。すると蓮条が不服そうに桔梗を見て、
「……別に、ええけど」
と不承不承に頷き返した。
しかし、そんな不満たっぷりの蓮条などお構いなしに、桔梗が笑みを深めた。
「ほな、時間も惜しいことやし、行こうか?」
そして、そのまま桔梗が蓮条たちと共に貴船神社へと向かって行く。
桔梗たちの後ろ姿を傾げながら、櫻真が首を傾げる。
はっきりとしない、妙な凄く違和感を感じた気がした。
「櫻真、妾が先に本堂へと登り、点門を繋げるという形でも良いかえ?」
蓮条たちの後ろ姿を見ていた櫻真に、桜鬼がそう提案してきた。貴船口駅から鞍馬寺だと一山越える形になって、体力を消耗してまうだろう。桜鬼からの提案は至極妥当なものだ。
「せやな。そうしてもろうた方が助かるわ」
櫻真がそう言って頷き、桜鬼が道を外れて鞍馬寺本殿の方へと、跳躍しながら駆け上がって行く。櫻真も術式を唱え、点門の起点をつくる。
それからすぐに、桜鬼により点門の終点がつくられ、本堂と貴船口を繋ぐ点門が完成した。
「さて、どういう仕掛けでやっとるん?」
櫻真の姿が開いた点門の奥へ消えた所で、桔梗が蓮条へと向き直る。すると、桔梗へと向き直った蓮条が肩を竦めさせてきた。
「まさか、バレちゃうなんて……ひどいわ。渾身の変装術だったのに」
そう言って、蓮条の姿が霧のように消えてなくなったかと思うと、その代わりに袂で口許を隠す葵の姿へと変わった。
桔梗がそんな葵に冷ややかな視線を向ける。
「それで、櫻真君をどこに連れて行かはろうとしてたん?」
「あら、ヤダ素敵。桔梗ちゃんったら、もう私を敵扱いなのね? でもその考えは全く持って外れているわ。私はただ、行く道が分からず途方に暮れる櫻ちゃんたちの道標になってあげただけだもの」
「道標ねぇ……。わざわざ蓮条君に化けた挙げ句、しかも幻術で従鬼とその気配まで作って?」
「凝ってるでしょ? この術はあおりんだから出来ること。うっふふ。どうだ? 凄いだろ?」
「君の自慢話なんてどうでもええんやけど、このまま君といたら厄介な事に巻き込まれそうやし、櫻真君の方に戻ろうかな?」
桔梗が葵の方から来た道の方へと視線を向ける。
だが、そこへ、
「狐と狸で密会か……。それで? 櫻真の姿が見えへんけど、一緒に来たのとちゃうの?」
眉間に皺を寄せた菖蒲が桔梗たちの前に現れた。
何とも言えないタイミングだ。
「菖蒲ちゃんがお出迎えなんて珍しいね」
「まぁ、私と桔梗ちゃんを動物に例えるなんて、失礼極まりないわ。それに……よくも邪魔してくれたわね? この地味眼鏡!」
自分たちを睨みつける菖蒲に、桔梗達が各人各様で答える。しかし、菖蒲の態度に変化はない。その代わりに口を開いてきた。
「正直、今回の鬼絵巻を櫻真が手に入れる確立は低い。けど、念には念や。葵がどんな事をしてくるか分からへんし、桔梗の幻術が厄介やからな。ここでお灸を添えんと」
こちらを睨みつける菖蒲の後方から、六角棒を担いだ魄月花が飛び出して来た。
「椿鬼」
桔梗が椿鬼の名前を呼ぶ。すると椿鬼が桔梗へと飛び出してきた魄月花に対して、一条の閃光を走らせる。その光のすぐあとでパァアンという銃声。
「はっ!?」
魄月花の驚きと共に、一発の銃弾がその肩を削いだ。魄月花の削がれた肩からは、赤い血が流れ彼女の着物を濡らしている。
「魄月花。これは威嚇射撃です。それ以上我が主に近づくならば……貴方の肢体中に風穴を明けます」




