賀茂氏の結界
時間が少し戻り、鬼兎火と共に蓮条は校舎の東側二階にある美術室へと来ていた。護符が張られていたのは、美術室にある机の裏側。
そこに鬼兎火たちが言っていた黒い護符が張られていた。
強い術が掛けてあるのは明白で、先程、蓮条が術を使って鬼兎火と共に護符に込められた呪を解こうとしたが、強い結界によって阻まれてしまったのだ。
そして、今は護符の術が発動され、元いた空間から別の空間へと閉じ込められていた。この状況は、この間の結界と類似している。そのため、否が応でもこの間の事が頭を掠め、蓮条は苦い気持ちになる。
「まさか、蓮条と二人掛かりでも破れないなんて……相当強力ね」
「せやな。でも桔梗の話やと、瑠璃嬢は術式が苦手なんやろ? こんな強力な術式を護符に込められるんかな?」
不服な表情で蓮条が首を傾げさせる。まさかこんなにも強固な術式を込められるとは思いもしなかった。
「直接、その主を知っているわけじゃないから何とも言えないわね。ただ、魑衛もそこまで術が得意な従鬼ではないわ。彼は術より力が強い従鬼だから」
鬼兎火がそう言って怪訝そうに表情を曇らせる。鬼兎火も今の状況を腑に落ちない様子だ。
「主も従鬼も術が苦手……ってことは、これ他の奴から貰うた護符とかないかな?」
蓮条が頭に浮かんだ考えを鬼兎火に話す。
すると鬼兎火が少し考えてから、線が繋がったように頷いて来た。
「それは大いにあり得るわね。この術なら見知らぬ人間がいてもいなくても発動できる。それなのに、すぐに発動しなかったのは発動するのに時間が掛かってしまったから……」
護符は術者の声聞力が込められている。本来、護符に込められた声聞力と術者の声聞力が一緒ならば、発動に時間を要することはない。しかし、蓮条の仮説通り、瑠璃嬢が誰かから護符を譲り受けたなら、話は別だ。
他人の護符を発動させるには、自分の声聞力と内蔵された声聞力を馴染ませる必要がある。馴染ませなければ、反発し術を発動することができないからだ。
そして、今回の護符に込められた術は強力だ。いくら声聞力が高いとはいえ、あっという間に別空間を作り出す術を形成できるわけじゃない。
そのため、自分の声聞力と護符に込められた声聞力を馴染ませるのに時間が掛かったのだろう。
「つまり、瑠璃嬢たちの後ろには強力な協力者が居はるって事やな?」
「そういうこと。でも今はそれを割り出す前にこの結界から出ることが先決ね。きっと相手はその間に襲ってくるとは思うけど……」
含みのある言葉と共に、鬼兎火が目を細めさせてきた。
「別に望む所やろ。どうせ、別の時でも戦うことになるんやし」
「それもそうね……蓮条、誰かこっちに来るわ!」
蓮条の言葉に頷いていた鬼兎火が、視線を入り口の方へと向ける。
すると、そんな入り口の方から護符を構えた、佳が驚いた様子で現れた。
「䰠宮……いや、もう一人の方か?」
最初は櫻真だと思った佳がそう言い直して、蓮条の方へとやってきた。そして近づいてくる佳は蓮条の横にいる鬼兎火を見定めるように見た。
「䰠宮の方に訊きたいんやけど、そっちの人は?」
「この人は、簡単に言ってしまえば……俺の縁者の陰陽師」
「䰠宮家の陰陽師?」
蓮条の言葉を聞いて、佳が再度鬼兎火をマジマジと見る。すると自分を凝視してきた佳に鬼兎火がにっこりと笑みを浮かべた。
「あら、こんな風に真剣な顔で見られたら……さすがの私でも照れちゃうわね? 私に興味があるのかしら?」
「あっ、いや……その、すみません」
「うふふ。謝らなくて大丈夫よ。私は全然、気にしてないから」
照れたように顔を赤らめた佳に、鬼兎火がいつもの調子で返す。そんな鬼兎火を見ながら、蓮条は小さく安堵の息を零した。
やっぱり、櫻真が言ってた通りやわ。
間髪入れずに鬼兎火が自分のペースに持って行ってくれたため、佳の気持ちが上手い具合にすり替えられた。しかし、もし少しでも動揺していたら、こうもあっさりこちらのペースに乗ってはくれなかっただろう。
「貴方も声聞力を持っているのね? 何か分かった事はあった?」
鬼兎火が自然な流れで、佳が持っている情報を聞き出しに入る。すると、佳は少し困った顔を浮かべてから、首を横に振って来た。
「校内で怪しい気配を感じて、どこからなのか調べていたら……いつの間にかこの結界に閉じ込められてたんです。だから、状況把握はまだ全然出来てなくて」
「そう。でも仕方ないわ。私たちもついさっきここに来て……ここにある護符を調べていたところなの。ね? 蓮条?」
同意を求めて来た鬼兎火に蓮条が頷き返す。
「そんで、俺らもこの護符を何とかしよ思って術を使ったんやけど……術が強固で解けへんかった」
「……ちょっと、俺もその護符を見せて貰うわ」
真剣な表情に戻った佳が机の下に張られた護符を見る。するとその護符を佳が見た瞬間、はっとした表情を浮かべて来た。
「何か思い当たる節でもあったん?」
「家の蔵にあった本で見た事あるわ。これは、賀茂氏が得意とした結界術の一つや。対陰陽師用の。ただ、この術式は古くて使える人なんておらんと思うけど……」
そう言いながらも、佳の表情は険しいままだ。
「それで、祝部はこの術の解き方は知ってはるの?」
「もし、この護符がホンマにその本で見た奴なら……この術を解く方法はない」
「術を解く方法がないなんて、そんなアホな……」
驚いた蓮条が佳の言葉に眉を顰めさせる。
解く方法のない術なんてあまりにも危険な術だ。しかも、これを使用したのが瑠璃嬢だとすると、この結界内に潜んでいる確立が極めて高いだろう。
きっと、瑠璃嬢はこの結界内に自分たちを閉じ込めて戦おうとしているのだから。
しかし、それを考えた蓮条の頭に嫌な考えが浮かび上がる。
もしも、自分と鬼兎火で話した仮説が当たっていたとしたら、瑠璃嬢がこの護符を深く知らずに使用した可能性も十分にあり得る。
鬼兎火も同じ事を思ったのか、その顔には戸惑いと険しさが浮かんでいる。
「……もう一人の䰠宮もやっぱり、この空間に来てはるん?」
「来とるよ。多分、こことは反対側にいるわ」
「せやったら、䰠宮とも合流した方がええな。きっと䰠宮もこっちと同じ状況になってはるはずや」
「そやな。櫻真にもこの状況を伝えんと」
蓮条が佳に頷き、鬼兎火に目配せをする。
正直、この悪夢的状況を自分たちだけで抱えている気持ちにはなれない。ただ、一つ問題なのは、この状況を知らない敵がどう動いてくるかが問題だ。
知らぬが仏って、まさにこの事やな……。
蓮条は頭を抱えたい気持ちをぐっと抑え、佳と共に櫻真たちの元へと向かった。




