繰り返される闘争
浅葱の部屋を後にした櫻真は、ダイニングへと向かった。ダイニングにある大きめのテーブルには、桜子が用意した朝食が二人分置かれている。
「母さんが、桜鬼の分も用意したみたいなんやけど食べはる?」
従鬼である桜鬼が自分たちと同じものを食べるのか分からなくて、櫻真が念のためそう訊ねる。しかしそれは櫻真の杞憂に終わった。
振り返った先にいる桜鬼が、目をキラキラさせて、用意されている食べ物を見ていたからだ。まさか、こんなに目を輝かせると思っていなかったため、櫻真は面を喰らう。
「見事じゃ。この美しき米、それにこんがりと焼かれた魚の唐物……汁物、漬け物、卵焼き、豆腐も付いておるではないか! 豪勢じゃのう」
朝食メニューにご満悦の表情を浮かべる桜鬼。
この様子を見る限り、桜鬼も自分たちと同じものを食し、好んでいるようだ。
何か、漫画とかで見るようなのよりも食文化は人に近いんやな。なんか、ますます人間にしか見えんようになってきた。
隣の椅子に座り無邪気にご飯を食べる桜鬼を見ながら、櫻真はそんな事を考えていた。
ご飯よりも先に、お麩の入ったみそ汁を一口啜る。出汁の効いたみそ汁は、口の中に広がってすぐに喉の奥へと入って行く。それと同時に、さっきまで気を張っていたのが嘘のように、櫻真は落ち着いた息を口から零していた。
「むっ、これは……」
気持ちをゆったりとさせていた櫻真の横で、桜鬼が短い唸り声を上げてきた。
「どうしたん?」
「櫻真、これは豆腐ではなかったようじゃ。なんなのじゃ? この豆腐のようにも見えるドロッとした物は?」
「ああ、それはヨーグルトやな」
「ヨーグルト?」
ヨーグルトの入った小皿を持ちながら、桜鬼がぱちくりと目を瞬かせる。聞き慣れない言葉を上手く飲み込めないように、桜鬼がフリーズしている。
「あはは。そうやな。桜鬼はヨーグルトなんて知らんもんな」
ヨーグルトという未知なる食べ物との遭遇に固まる桜鬼に、櫻真が思わず笑い声を零す。すると、桜鬼が顔をむくれさせて来た。
「妾は、江戸の頃から眠りについておったのじゃ。ヨーグルトたる物を知らなくても当然であろう。それで、何なのじゃ? このヨーグルトとは?」
「うーん、何て説明したらええんやろ? 牛乳に乳酸菌とかを混ぜて発酵……って言っても分からんやろうし……あっ、あれや! 納豆みたいなものやな。ただ納豆より癖は少ないから、桜鬼も気に入ると思うよ?」
櫻真がそう言って、一緒に用意されていた梅ジャムをヨーグルトに掛けてスプーンを手渡す。スプーンを受け取った桜鬼が、ジャムの掛かったヨーグルトをマジマジと見てから……ぱくっと一口、ヨーグルトを頬張った。
どんな反応するんやろ?
初めてヨーグルトを口にする桜鬼の反応に櫻真が視線を注ぐ。櫻真に注目されながら、初めてのヨーグルトを食べた桜鬼が身体を小さく震わせた。
そして、そんな桜鬼から出たのは歓喜の声だった。
「美味じゃ! 何故、こんな美味しいものを今まで食べれなかったのかと……そんな仕様もない事を考えてしまうほど、美味すぎる!」
目を輝かせて、ヨーグルトを見る桜鬼はまるで子供のように無邪気だ。
見た目の華やかさに反して、子供のような表情を見せる桜鬼に櫻真は微笑ましい気持ちになる。
こんな姿を見ると、とても邪鬼を払ったり、誰かと争うための式鬼神には思えない。
櫻真がヨーグルトを噛み締めながら食べる桜鬼を見ていると、何の前触れもなく背筋がぞくりと粟立った。
隣にいる桜鬼も表情を鋭いものへと変わっている。
「ほう、もう始めた者がおるのか……」
「始めた者? どういうこと?」
「誰かが従鬼の力を使って、邪鬼を払ったようじゃな。ただ、遠く小さい気配だったゆえ、素知らぬ顔は知っとったのじゃ。きっとその者も試し斬り感覚で使ったみたいじゃのう」
目を細めさせた桜鬼の言葉に櫻真は、心臓の音が大きく鳴る。
鬼絵巻を集めようとは思う。
けれど、誰かと争うことはしたくない。
でも、それは櫻真が勝手にそう思っているだけだ。他にもいる七名が自分と同じ考えを持っているかなんて分からない。櫻真にだってそれくらい分かる。しかし心のどこかで期待もしていた。争うことに寛容な人なんていないだろう。それに、『当主』という肩書きに固執するのも馬鹿げていると。だから、自分たちの主旨を話して分かってもらえば良いとばかり考えていた。
だから、こんなすぐに従鬼を使われたという事実に動揺してしまっている。
試し斬りの感覚で従鬼を使った相手を説得できるだろうか?
一気に櫻真の胸中で不安が膨れ上がる。
「櫻真、一応教えておくが……妾が感じ取った従鬼の気配は第四従鬼の魑衛じゃ。でも珍しいのう。彼奴がこんなに早く動き出すことなんて今までなかったというのに。まぁ、主の意向かもしれんが」
最後は独り言のように呟いた桜鬼がやや不思議そうに眉を寄せている。
「桜鬼、俺はちゃんと出来るんやろうか?」
鬼絵巻を集めることを。そして他者と争うことを。
出したくなくても、櫻真の不安は勝手に口から零れ出た。臆している自分に情けなさは感じる。しかし、それよりも動揺と不安が櫻真の気持ちを掻き乱している。
桜鬼を見られず、視線を下げる櫻真。
「何を言うておる、櫻真?」
俯いたままの櫻真の髪を桜鬼が優しく撫でて来た。その優しい手に導かれるように櫻真が視線を上げる。上げた視線の先にいた桜鬼が優しく微笑んで来た。
「不安になることなんてないぞ。櫻真は妾が守る。そしてそんな妾を櫻真が信じてさえくれれば、何も怖い事なんてないのじゃ」
「でも、ホンマにそれだけでええんやろうか?」
桜鬼の優しい言葉を掛けられても、櫻真は不安が拭い切れない。
「ふむ。櫻真は心配性じゃのう。その心配性な所……誰かに似ているような気がするんじゃが、駄目じゃ。思い出せぬ!」
「多分、桜鬼が前に使えていた人とかちゃう?」
「あー、んー、いや、そんなタイプではなかったぞ。逆に次の当主は自分じゃー、と張り切っておった」
「自信家だったんやな……」
「そうじゃ。名は虎太郎。確か当主争いでは虎太郎が勝って、当主になったはずじゃ。といっても、その時も鬼絵巻は完成せず、契約は突然切られてしまったがのう」
「ん? でもその話、おかしくない? 当主になる人って鬼絵巻を完成させた人やろ?」
「櫻真の疑問は尤もじゃ。そしてそれには訳があっての。鬼絵巻は十三個の絵巻を集めて完成じゃ。けれど、これまで真の意味で鬼絵巻が完成したことは一度もない。何故なら、十三個の絵巻を集めても、勝者である従鬼の願いが叶えられた事がなかったからじゃ。そこで䰠宮家の当主決めでは、十三個の鬼絵巻を集めた者が当主となるという処置が取られておるのじゃ。実際、䰠宮家からすれば、真に鬼絵巻が完成せずとも当主は決められるからのう」
「そうやったんや。でも、鬼絵巻はどうなったら真の完成って言えはるん?」
「それは、従鬼である妾たちの願いが叶えば、鬼絵巻の完成じゃ。始まりの戦いで勝利したのは第七従鬼の魘紫だったのじゃが、十三個の絵巻を集めても、願いが叶うどころか、妾たちと主人の契約は解除されてしまったのじゃ。そして次に呼び出された時には、集めた鬼絵巻はまたバラバラとなっていたという始末じゃ」
「じゃあ、桜鬼たちは今までずっと同じ事を繰り返してたんやな……」
「うむ。そうなるの。妾たち自身にもどうすれば鬼絵巻が完成するのか分からぬ。けれど分からぬからと言って、やめることももう出来ぬ。まさに願いという名の餌を吊るした呪いじゃ」
桜鬼が少し困り顔のような表情を浮かべて、苦笑を零して来た。
そんな桜鬼の表情を見ながら、櫻真は嫌な仮定が頭を過ぎる。
式鬼神と違い、従鬼は術式で操られているわけではない。従鬼は自分の願いを叶えるべく、鬼絵巻がある現世に具現化されているに過ぎない。
そして櫻真たち術者は、具現化の手助けをする変わりに、自分たちの争いに従鬼を利用しているのだ。
しかし、誰が教えたのだろう?
鬼絵巻を集めれば、従鬼たちの願いが叶うと。
それこそ、桜鬼には記憶がないのに……。
「櫻真、どうしたんじゃ? そのような暗い顔をして? もしや、妾が少し長話を続けていたからかのう?」
「あっ、いや……ちゃうよ。ただ、鬼絵巻はいつになったら完成するんかな? と思って。考え込んでただけや」
「そうかえ? それなら良いが……。もし気分を害していたらそれこそ妾にとっては大問題じゃ」
先程の話をしている時とは打って変わり、桜鬼がオロオロとした表情を浮かべている。こんなに自分の事に気を使ってくれている桜鬼に、胸が痛む。
しかし、たとえ邪推であったとしても波を立てるようなことは言えるはずもない。だったら、自分の頭に過った考えなんて、忘れてしまえば良い。
「桜鬼がそんなに気にすることちゃうよ。だから気にせんといて」
桜鬼の心配を拭うために優しい声音で言う。
本当に桜鬼が気にする事ではないのだから。すると桜鬼がほっとしたように胸を撫で下ろして来た。櫻真が桜鬼に微苦笑を浮かべ、食事を再開する。
すると、そんな櫻真たちの元に、
「櫻真、今、紅葉ちゃんから電話掛かってきてはるよ?」
桜子が家の電話を持ってやってきた。




