噛み合わない話
「これやな」
『うむ、そうじゃ!』
頷いた桜鬼と共にいるのは、校舎西側の外れにある家庭科室だ。蓮条と鬼兎火はもう一つの護符が張られている東側の方へと行っており、ここにはいない。
「特殊な結界が張られてるのは、確かやな」
そう言って、櫻真は顔の前で指剣の構えを取る。家庭科室のある食器棚に下に貼られている。
「祓い給え、清め給え。符に籠りし呪よ、その思念を解き祓い給え」
櫻真がそう言って、配置された護符へと声聞力を飛ばす。
しかし、櫻真の声聞力が黒い護符へと届く前に、護符を守る結界によって阻まれてしまった。
「あかん。もしかすると、この護符は取り付けた本人の声聞力やないと呪を除けんのかもしれん」
「ならば、これを仕掛けた術者を探し出すしかないという事かえ?」
「そういう事やな。けど、やっぱりまだ瑠璃嬢の従鬼の気配は掴めてへんのやろ?」
櫻真が桜鬼の方に振り向くと、桜鬼がゆっくりと頷いて来た。
「念のため、昼からずっと奴の気を追っておるのじゃが……尻尾は見えぬままじゃ」
「なら、今日はこれを使わへんって事かな?」
「う〜〜む、それは考え難いと思うぞ。なにせ、魑衛の主の狙いは契約書じゃ。ならば、妾たちがここにいる間にこの術式を使用するはずじゃ」
桜鬼の言葉に、櫻真ははっとする。
「確かにそうや……俺たちが居ないなら、術式を発動させても意味あらへんから」
「そうじゃ。そして昼時に魑衛の気配を妾たちに察知させたのも、この護符の存在を気付かせた。きっと櫻真たちを人気のないこの時間まで、引き止めさせるためかもしれぬ」
つまり、この護符の呪がいつ発動してもおかしくないということだ。
「不味いな。ってことは、半ば無理矢理にでもこの護符を取り除かんと」
「よしっ、では……汝、呪禁の法の下、その身を晒せ」
桜鬼が手に刀を取り出し、構える。
櫻真も目を閉じ、意識を高め……詠唱を始めた。
「木行の法の下、天風よ、我が身にもたらされし、呪を舞い……」
「䰠〜宮〜櫻〜真! どこ行かはった!!」
物凄い足音と共に、低い声で自分を探す声が耳に届いて来た。
「えっ、この声って……」
怒りでやや野太くなっているが、この声は間違いない。
『四十万光の声じゃ!』
桜鬼がそう言って、姿を透過させる。櫻真もまさかと思いながら後ろを振り返る。
「見つけましたよ? 先輩はこんな所で何をしてはるんですか?」
家庭科室の入り口の所に立ち、目くじらを釣り上げた光が、荒い息遣いで櫻真に訊ねて来た。光は櫻真と試合した時と同じユニフォーム姿だ。
「光……君……。どうして、ここに?」
「僕が貴方を探してる時に、着物を着て、日傘をさしてはる綺麗な女性が教えてくれはったんですよ。䰠宮先輩がここにおるって……」
着物に日傘って……絶対に姉さんや。
息を切らす光を見ながら、櫻真は脳裏に葵の姿を思い浮かべる。
「よう信じはったね。いきなり現れた着物女性の言いはること」
櫻真がもし光だったら、絶対に不審者だと思い言葉に耳を傾けない。そんな意味を込めて、光に櫻真がそう言うと、光は何故だか得意気な笑みを浮かべて来た。
「僕は、先輩と違って人を疑う事なんてしないんです。特に女性の事は」
こういうのってフェミニストって言うんやろうか? 分からんけど……
「君が会ったその着物の女の人は……多分、信じたらアカン分類に入る人やから気いつけはった方がええと思うよ?」
女性が怪しい訳じゃない。着物を着た女性が怪しい訳じゃない。ただ、光に自分の居場所を伝えて来た着物の女は、絶対に信用したらいけない人物だ。
「フッ。僕が女性ファンを一人増やしてしまった事に嫉妬してるんですね? 先輩も面倒な人やな」
どういう聞き方をしたら、こんな解釈になるんやろう?
むしろ、葵らしき女性の言葉に耳を傾ける前に、こっちの言葉にも耳を傾けて欲しい。
「光君がどんな解釈をしてはるのかは分からんけど……何しに来はったん?」
「そんなの決まっとるやないですか? 僕はさっきの試合に満足してません! 再戦を望みます! 正直、僕は先輩が卓球ド素人……むしろ、運動音痴やと思って見縊ってました。まさか、あんな隠し球を持ってはったなんて……。完全に意表を突かれましたわ」
「いや、その、意表を突くつもりは全くなかったんやけど……」
「突くつもりはなかった言うても、貴方は突いたんや! その事実は覆しようないものや!」
「まぁ、そうなんやけど……」
『櫻真、すまぬ。妾がやり過ぎたばかりに、こんな面倒な事に……』
『桜鬼が気にせんでもええよ。元々俺が巻き込まれたことやし、桜鬼は俺を助けようとしてくれはっただけやから』
申し訳なさそうにする桜鬼を励まそうと、櫻真が微笑を浮かべる。
『櫻真……』
「なに、一人で笑ってはるんですか! 貴方、本当は腹黒いでしょ?」
「あっ、いや……これはっ!」
櫻真が咄嗟に口許を抑え、全力で光に首を振る。
けれど、光の怒りは沸点に達したとばかりに、ずんずんと怒り心頭の顔で櫻真の元へとやってくる。
あかん。無意識で火に油を注いでしもうた。
櫻真が自分の方へとやってくる光に顔を青くしていると、
『櫻真! 護符から強い声聞力が溢れ始めたぞ! これは術が始まる兆候かもしれぬっ!』
ええっ! こんな時にっ!
「光君、待って! 今は再戦できへん! 再戦を希望しはるんやったら、今日は今すぐ、その窓からでもええから、外に出て帰って!」
慌てた声で櫻真が光にこの場を去るように促すが、
「僕をこんなに怒らせといて、帰れって何なんですか? 先輩は僕の事をおちょくってるんですか?」
「いや、おちょくってる訳やなくて、ホンマに今は帰った方がええねんっ!」
櫻真がそう言いながら、自分の方へと近づく光の元へと向かい、腕を掴む。
「ちょっ、先輩! 暴力は反対ですよ?」
「暴力ちゃうわ!」
むしろ、さっきまで暴力を奮ってきそうな顔をしていた光には言われたくない。
櫻真は、色々と文句を言っている光の言葉を無視して、光を家庭科室から連れ出す。幸いな事に光は櫻真よりも小柄で、力が強いわけでもない。
おかげで、色々と文句を言われながらも引っ張れている状態だ。
早く光君を外に出して、あの護符の声聞力を抑えんと。
放課後とはいえ、まだここには部活をしている生徒や職員室に教員たちもいる。そんな所で怪しい護符の術式を発動させるわけにはいかない。
そんな事を考える櫻真の目に職員が使う職員玄関が見えてきた。
よしっ、このまま……
けれどそんな櫻真の気持ちを嘲り笑うように、護符から感じた声聞力の気配が一気に強まった。
そして一気に護符に込められた術式が拡張し、校舎に結界が張り巡らされる。
「しまった……遅かった……」
櫻真がぼそりと呟く。けれど結界が張られて気付いた事もある。
この結界は、前に八坂神社の時に張られた物と酷似しているということだ。そうなると、これは普通の結界ではなく、現実世界に良く似た亜空間に閉じ込める類の結界だ。この空間は邪気が多く集まる場所だが、声聞力を有していないと入り込む事は出来ない。
良かった。ここでなら他の人に被害が出ることはないはずだ。しかし、それと同時に櫻真の頭の中に、疑念が浮かび上がった。
確か……桔梗の話だと、瑠璃嬢は術が苦手だと言っていた。それなのに、こんな高度でしかも声聞力を大量に消費するような術を使用している。
話がまるで噛み合ってない。
桔梗さんが俺らに嘘の情報を与えたって事かな?
いや、でもこれまで桔梗が自分を陥れるような行動はしてこなかった。それに桔梗は何かと言って、櫻真に助言をしたり、助けてくれたりしていた。
櫻真の気持ちとしては、あまり桔梗を疑いたくはない。
んーー、謎や。
「何か、いきなり暗くなってません?」
櫻真が悶々と考えていると、ふいにそんな疑問を居るはずのない人間が口にして来た。




