ゲームセット
放課後、体育館の中二階にある卓球場には、黄色い声援が飛び交っていた。
その声援の中心には青白色のユニフォームを来て、余裕綽々な笑みを浮かべる光がいる。
「ちゃんと約束を守ってくれはって、良かったです。尻尾撒いて逃げてしもうたら、どないしようかな? って思ってましたから」
櫻真のコート越しに立つ光が鼻で笑って来た。
「逃げへん。こんなアホな試合で逃げ出したら、それこそ笑いもんや」
光の態度に腹立った櫻真が、むっとしながら言い返す。
「言いますね? 何です? 同じ顔の応援者がおるから強がってるんですか?」
「なっ、強がってるのは君の方やろ?」
棘のある言葉で火花を散らしながら、櫻真と光が睨み合う。
『むぅ。櫻真に対しての不遜な態度……看過出来ぬのう。櫻真、頑張るんじゃ! 櫻真なら絶対に勝てるぞ!!』
「櫻真、相手に一泡吹かせるんやで。気負けしたらアカンからな!」
櫻真の背後にいる桜鬼と蓮条が、試合始まる前から熱のある声援を送って来た。桜鬼の横にいる鬼兎火は、そんな二人に微苦笑を浮かべている。
「先輩の唯一の声援者も騒ぎ出したことですし、試合を始めましょうか?」
桜鬼たちの姿が見えていない光がそう言って、審判役の生徒に声を掛ける。審判役の生徒は、やや戸惑うように、光の顔を見てから……
「これより、四十万光対䰠宮櫻真のシングルス戦を始めます。ルールは先に11点、1セットを先取した方の勝ち。同点の場合、二点先取した方の勝ち、デュースにて決めます。それでは、試合開始」
大まかな試合の流れが説明され、櫻真と光が立つ台で試合が開始された。
先行は、試合前のじゃんけんで決まった櫻真だ。
「初回のサーブは重要ですからね。先輩、力まずに頑張ってくださいね?」
精神攻撃のつもりなのか、光が逐一言葉を掛けてくる。
こんな、幼稚な言葉で集中力を乱しとる場合やない。
櫻真は手元に乗せたボールを見て、確実にサーブを決める事だけを考える。
意識を集中させ、櫻真がサーブを打った。打ったサーブは櫻真から見て台の右端に落ち、跳ね返る。
そんなボールに光が迷わず、反応を見せて来た。
「最初からサーブミスがしなかったのは、褒めますけど……極々普通のサーブですね」
サーブを返して来た光は、余裕のまま言葉を並べる。櫻真は黙ったまま返されたボールを打ち返す。
ただ、光とこのままラリーを続けるわけにはいかない。相手が油断している時に、ポイントを稼がなければ。
櫻真がそんな事を考えていると、光の声援に来た四人の女子の声が何やら大きくなり始める。
「もうすぐで光君のアレが見えるで」
「そやな。心して見んとバチが当たりそう」
「これは期待度、高いわ」
「ホンマやな」
という言葉が櫻真の耳にも入ってくる。
きっと、これから光が何かを仕掛けてくるということだ。
注意せんと。
「先輩、無駄ですよ? どんなに集中した所で僕のスマッシュは止められへんですからっ!」
元々大きめの瞳をカッと開き、光が自分に向かって飛んでくるボールを見ながらジャンプする。
「この技はっ!」
「「「「きゃーー! 出た! 光ヘソ見せスマッシュ!」」」」
審判の生徒の驚きの声と、四人の声援が揃った所で櫻真へ強烈なスマッシュが打たれた。ボールが風のように櫻真の横に通り過ぎて行く。
は、速い。
ふざけたネーミングは置いとくとして、全く反応が取れなかった。
「どうですか? 僕の華麗なるスマッシュは?」
唖然とする櫻真に、勝ち誇った笑みを浮かべる光。その笑みに無邪気さの欠片もなく、ただただ櫻真の事を見下す笑みだ。
『あの高慢な笑み! 気に入らぬ! 蛙のように跳びおって!』
「何が光ヘソ見せスマッシュや。きしょいねん」
『技名はどうあれ、あれを決められ続けたら櫻真君に勝ち目はなさそうね』
『それはいけぬ! 此の様な戦いで櫻真に生き恥などかかせられん。櫻真の従鬼である妾が櫻真の誉れを守らなければ!』
そんな話をしている間に、櫻真と光の試合は進行していた。
次のサーブ権は、光だ。
「僕のサーブターンやし、少し時間を撒きましょうか?」
そう言って、光がボールが一瞬消えたように見える魔球サーブを放って来た。
「ボール? どこ?」
櫻真が辺りを見回した時には、ボールが櫻真のコートでワンバウンドして光に二ポイント目が加算されてしまう。
「このまま、僕のストレート勝ちですかね? すみません、䰠宮先輩。まさか、先輩がここまで卓球が苦手だとは思わへんで……」
悔しい。
このまま本当に光にストレート勝ちされてしまうのか? こんな腹立つ様な事を言われたままで……。
しかし悔しく思っていても、自分と光の実力差は歴然だ。
正直、光の強さはただの中学一年生の卓球部レベルではない。
「さて、先輩も時間に追われてはる様ですし、早めに試合を終わらせましょうか?」
片手を腰に当て、写真の立ち絵かのようにポーズを決めている光。
勝つのは無理かもしれへんけど、一点くらいは入れんとアカンな。このままやとホンマに学校中の笑い者にされそうや。
それだけは絶対に阻止しようと、櫻真がサーブを打つ。
打つ時の力はさっきと同じ。サーブが台を飛び越さない事だけを意識する。
ラケットの面が軽い卓球ボールを触れる。
その瞬間、櫻真は確かに声聞力を感じた。
これって……。
櫻真の放ったボールが、先程の光が放ったスマッシュとは比較にならないほどの速度になり、台で跳ね返ったボールが銃弾のように、光の横を擦り抜けて行く。
「なっ……」
信じられないものでも見たかのように、光が愕然としている。今まで光を応援していた女子や、審判の生徒も似た様な顔を浮かべている。しかしそれに反して、櫻真は然程驚いていなかった。
ラケットでボールを打った時に感じた声聞力。それは紛れもない桜鬼のものだ。
フェアやないけど……もう、しゃあない。
元々、向こうが自分の得意な卓球を選ぶというフェアじゃない事をしてきたのだ。
櫻真は、少し引っかかりを覚える自分に言い聞かし、光のサーブを待つ。
「まぐれだとしても、よくあんな速度のサーブを打てましたね? さすがの僕も驚きました。でも、まぐれはそう簡単に出ませんよ?」
光が再び消える魔球サーブを放つ。けれど、櫻真はそのボールの行方が追えていた。ボールからは桜鬼の声聞力の気配が漂っており、ボールの回転も遅くなっている。
おかげで、櫻真は光の消える魔球を楽に返すことができた。
しかも櫻真が打ち返す時は、ボールの速度が通常の倍以上になっている。
最初にあった二点の点差は、あっという間に櫻真が追い抜き……
「嘘だ。この僕が卓球で素人相手に負けるなんてっ!」
マッチポイントを櫻真に取られた光の顔が青ざめ、試合開始直後の余裕の表情は霧散している。
悪いけど、この試合……勝たせてもらうわ。
口に出さずに、櫻真は視線だけを光へと向ける。
そして、最後の一打を櫻真が打つ。
ボールを打ったのと同時に目を丸くする光の顔が見えた。その瞬間、櫻真は妙な熱から醒め、冷静な思考が戻って来た。
あっ、しもうた。
冷静になった櫻真がそう思った時にはすでに、桜鬼のアシストを受けたボールは凄い勢いで光のラケットを避けて、後方へと飛んでいく。
「ゲームセット! 勝者、䰠宮櫻真!」
審判役の生徒が悔しさのあまり肩を震わす光を横目に、試合終了を告げてきた。
「ほな、これで君との勝負は終わりな。それじゃあ、俺は用事があるから」
そそくさと、櫻真が視線を下げる光に声を掛け、桜鬼や蓮条たちの元へ駆け寄って行く。
『櫻真! 良かったのう! これで櫻真の威信は保たれたぞ!』
戻って来た櫻真に桜鬼が笑顔で声を掛けて来た。
「桜鬼、ありがとう。けど……ちょっとやらかしてしもうたわ」
『ん? それはどういう事じゃ?』
「多分、勝たん方が正解やったやと思う。あの子の性格を考えると」
櫻真が小声で桜鬼にそう言う。
すると、桜鬼が櫻真の言わんとする事が分かったらしく、複雑な表情を浮かべて来た。すると一緒に話を聞いていた蓮条が口を開いてきた。
「面倒な事になるとは思うけど、今はそれよりも鬼兎火たちが見つけはった護符の方が先や」
「せやな。うん、行こう」
蓮条に頷き返して、櫻真は卓球台のある方を一瞥する。一瞥した先にいる光はまだ卓球台の前で立ち尽くしたままでいる。
けれど、そんな光に対して掛ける言葉が思いつかないまま、櫻真は卓球場を後にした。




