予想外な展開
予想外な展開になってしもうたみたいやな。
桔梗は、八坂神社近くの市営駐車場の地下に車を止めて、境内の方から感じる特殊な邪鬼の気配と結界の気配に溜息を吐いていた。
『椿鬼、そっちの状況はどうなってはる?』
『魄月花の存在を確認。そして結界内には、䰠宮蓮条と一人の少年の姿を確認しました』
『その魄月花っていうのは、菖蒲の従鬼やったね? それが仕掛けはった可能性は?』
『いえ、その可能性は極めて低いかと。魄月花は元々探知と防御に長けている従鬼なので、斯様な結界を張ることは不可能なはずです』
椿鬼の言葉を聞きながら、桔梗は眉を顰めさせた。この結界が菖蒲の仕業でないとすると、葵が仕掛けたものだろう。
葵が策をこうじ、蓮条がこんな妄挙を起こすとは。
しかし、菖蒲の息が掛かっている蓮条にそう簡単に近づけるのか? 疑問は残る。
『主。結界内で奇妙な事が起こっています。これは一体……?』
椿鬼の声音にははっきりとした動揺が感じられる。椿鬼は少々熱い所もあるが、基本的には冷静で落ち着いている。
そんな椿鬼が慌てている。
『何か、予期してない事でも起こりはったん?』
『……はい。どうやら鬼兎火の主である䰠宮蓮条の身体を何者かが憑依している様です』
『蓮条君に憑依? そんなアホな……』
『いえ、間違いありません。何者かによって意識を乗っ取られています』
椿鬼の言葉に、桔梗は大きな溜息と頭痛の様なものを感じた。蓮条も従鬼を呼び出せるほどの声聞力を持っている。だからそれなりに邪鬼の払い方などは習得しており、まず邪鬼に憑依される事などあり得ないはずだ。
けれど、こんな時に椿鬼が嘘をつくとも思えない。
そして何かが憑いていると考えれば、蓮条の行動にも納得がいく。
当初予定していた事から大きく外れてしまうが、背に腹は代えられない。
『椿鬼、この状況を菖蒲の従鬼に伝えて。菖蒲ならこの結界をどうにかできるかもしれんから』
『良いのですか?』
『仕方ないやろ。それとも、君に何か良い手だてでもありはるの?』
『……いえ。申し訳ございません。伝言はすぐに』
自分の怒りを買ってしまったとでも思ったのか、椿鬼の声は沈んでおり、霊的交換もすぐに切って来た。
けれど、その誤解を解いてやる暇もない。
桔梗にとっても、寄りにも寄ってという事態になっているからだ。
背筋に冷たい悪寒のような物を感じ、櫻真は思わず背後の方に目を向けていた。そしてそれは、前に立っていた桜鬼も同じらしく、自分と同じ方角に視線を向けている。
「何やろ? この感じ?」
「邪鬼のような気配はするが、いつもの邪鬼とも少し違う。何じゃ? この気配?」
桜鬼が嫌な気配のする方を見ながら、目を細めて刀を取り出している。櫻真も桜鬼の動きに合わせて意識を凝らして、気配を探る。
そんな櫻真たちの元に、
「櫻真も、気がつきはったんやな」
という言葉と共に、櫻真にとっては叔父に当たる䰠宮菖蒲がやってきた。
「菖蒲さん……どうして、ここに? 今感じてるこの嫌な気配は?」
菖蒲の突然の来訪と、このおかしな気配で櫻真が困惑の表情を浮かべる。しかし、そんな櫻真に対して菖蒲がやや眉を顰めて来た。
「この気配に何か心当たりある?」
「ないです。俺たちも今気がついて……」
「櫻真、下がれ。何やらこの者から高い声聞力の気配がずるぞ。何かをする気じゃ」
桜鬼が櫻真の前に立って、菖蒲へと刀を構える。
「君が第八従鬼の桜鬼か……。初めましてやな。僕は櫻真の叔父で䰠宮菖蒲。第一従鬼の魄月花の主や。よろしゅう」
「魄月花の主とな? では、その主が妾たちに何の用じゃ? ここには妾たちが争うべき鬼絵巻はないぞ」
当主争いに関わっているということを知り、桜鬼が警戒を強めている。けれど、櫻真はそこで疑問を感じた。
「待って、桜鬼。もしかしたら、菖蒲さん、俺たちと争う気なんてないわ」
「ん? どういうことじゃ?」
今にも詠唱を始めようとしていた桜鬼が、櫻真の方に視線を向けて来た。櫻真はそんな桜鬼の視線にゆっくりと頷く。
「もし俺らと争うんやったら、自分の従鬼を傍に置いとかへんのも、おかしいやん」
「確かに、櫻真の言う通りじゃな。では、菖蒲とやらがここに来た理由は?」
櫻真が桜鬼と共に菖蒲の方に視線を向ける。
すると、菖蒲がやれやれと言わんばかりに溜息を吐いて来た。
「……状況が変わりはってな。僕の従鬼から連絡がきたわ。この特殊な邪鬼の気配の元凶が蓮条で、その蓮条も何かに憑かれてはるってな」
「蓮条が? そんなん、嘘や」
「僕も初め聞いたときは、耳を疑ったわ。けど、実際、八坂神社の方に大きな結界が張ってあって、通りの人間から生気を奪ってはるみたいや」
何かの間違いに違いない。
しかし、菖蒲が自分にわざわざこんな作り話をするとは思えないし、邪鬼の気配がする方向には確かに八坂神社がある。
「鬼兎火は? 鬼兎火はどうしておる?」
ショックを受けている櫻真を目配せで心配しながら、話を進めさせる。するとそんな桜鬼に菖蒲が首を横に振って来た。
「確認したらな、どういうわけか鬼兎火の姿は見当たらんらしいわ。理由はまだ分からん。そんでな、話を最初の質問に戻すと、蓮条に憑いてはる奴を祓うために力が必要や。手を貸して。生憎、僕の従鬼や桔梗の従鬼やと火力不足やねんな」
「櫻真、この者はそう申しておるが……櫻真の意志はどうじゃ?」
菖蒲の話を聞いた桜鬼が、櫻真の方へと向き直ってきた。けれどそれは、疑問というより確認に近い。きっと、桜鬼は分かっているのだ。
今の自分がどんな答えを出すのかを。
そして、こんな状況になってようやく櫻真は気がついた。櫻真にはまだ話さなければならない相手がいたことを。そして、話をしたいと思った瞬間、櫻真の中に様々な事が溢れ出してくる。けれど多種多様な言葉が出て来たとしても、その言葉から導き出される結論は一つだ。
俺は、それを蓮条にちゃんと言うために……
「俺は蓮条を助けたい。俺がその邪鬼を祓う」
櫻真は力強い言葉で、桜鬼と菖蒲に明確な意思を伝える。
「畏まった。妾はその命に従い、櫻真と共に蓮条を助け参る」
「話が纏まった所やし……ほな、行こうか」
二人からの返事に櫻真は大きく頷き返した。
菖蒲の車でやってきた八坂神社の前には、数台の救急車が止まっていた。救急車の周りには、救急員に支えながら、顔を青くしている人の姿がある。
「どうやら、生気を吸われているようじゃな」
「あの身体に巻き付いている煙みたいな邪鬼の所為やな」
「そうじゃ。あれで、ゆっくりと人から生気を奪っておる。見ておれ」
窓を開け、桜鬼が手刀のような仕草で宙を横薙ぎに切る。すると人に巻き付いていた邪鬼が、分断され、空気内に散漫した。
しかしその場にいた人間全てから、気配を切り離せたわけではなさそうだ。気配は神社の境内から無数に伸びており、それを一つ一つ分断するには時間がかかる。
「この数やと、大元を叩いた方が早いな」
「そうじゃな。じゃが、鳥居の前に見張りのような人間が立っておるが、大丈夫かえ?」
桜鬼が指差しているのは、鳥居の前で規制線の前に立つ警官だ。きっと大人数の人間が目眩や貧血のような症状を訴えているのを受け、何かの事件性を疑った警官が出動したのだろう。
「そこは心配せんでええわ。魄月花に頼んで抜け道を探してあるからな」
桜鬼の疑問に答えたのは、車を運転する菖蒲だ。
菖蒲は近くの駐車場に車を止めると、櫻真たちと共に抜け道の方へと歩いて行く。
境内に張られているという結界に近づけば近づく程、むわっとした熱気が櫻真たちの身体に纏わり付いてくる。
空気中の熱気のような邪鬼を櫻真たちは祓いながら、抜け道を使って境内へと侵入する。魄月花が見つけておいた抜け道は、市内駐車場の方の脇道から境内に向かって、規制線が張られていない所から境内に入るというルートらしい。
しかしその場所は、草木が生い茂った斜面だ。
「ここを昇りはるんですか?」
階段にもなっていない、斜面を見ながら櫻真が菖蒲に恐る恐る訊ねる。
「いいや、昇らん」
「そうなんですか? なら、どうやって境内に入りはるんですか?」
てっきり斜面をよじ上ると思っていたが、どうやらそれをやらずに済みそうだ。安堵した櫻真が菖蒲に境内に入る方法を再度訊ねる。
「言わんでも、一緒にくれば分かるわ」
少し前を歩く菖蒲からそう言われたら、櫻真も黙って着いて行くしかない。前を歩く菖蒲は、斜面を注意深く見ながら歩いている。
この斜面に何か秘密でもあるのだろうか?
櫻真がそんな事を思っていると、前を歩く菖蒲がぴたりと足を止めてきた。
「ここやな」
ぼそりとそう呟いた菖蒲が、目を瞑り術の詠唱を始めた。
すると、その瞬間に何の変哲もなかった斜面が歪み始め、そしてその歪んだ所に木の洞のような物が出て来た。
正直な気持ち、あんまり入りたくない穴だ。
しかし、そんな櫻真の気持ちなどお構いなしに、菖蒲がその穴へと吸い込まれるように入って行ってしまった。




