愚かな干渉
やっぱり、何かおかしな気配がする。
学校終わりに怪しい気配を感じ、佳は四条通から鴨川を超え八坂神社へと着ていた。神社の周りには交通量も多く、カメラで風景を撮影したり、着物を来た観光客で賑わっている。いつもの風景といえばそうだ。けれど、その賑わいの中に温く張り付くような、嫌な気配が混じっている。
意識を集中させれば、その気配は多く行き交う観光客に纏わり付いている。
そしてその気配は八坂神社の境内から伸びているようだ。
「行ってみるしかないな……」
境内に足を踏み込むと、妙な熱気が佳の身体に張り付こうとしてくる。佳は祝部家に伝わる呪詛返しを詠唱しながら、人の波を掻き分けて奥へ奥へと進んで行く。
暑い。身体から一気に汗が滲みでてくる。
しかし、今日の気温は二〇度前後の気温で、歩いているだけで汗を掻く気温でもない。何かの力が作用していると考えるべきだ。
でも、その力の正体を見抜く術を佳は持っていない。祝部の術は全て遠い過去にあった産物として、失われてしまっている。
きっと、櫻真ほどの声聞力があれば、この術の正体を見抜けたかもしれない。櫻真は、少し前に、学校の校庭に張られた結界の起点を瞬時に見つけ出し、四つの中の三つを無効化していた。あの時の起点は、そう簡単に探し出せないように、術が施されていたにも関わらずだ。
自分は素早く起点を見つけられず、櫻真から聞いた一つの起点を無効化しただけに過ぎない。
自分と櫻真ではこんなにも実力に差があるのか……。
強い失望感に教われそうになって、佳は奥歯をぐっと噛み締めた。
ここで、別の事に気を取られとる場合やない。まずは、俺がやるべき事を……。
本殿を通り過ぎた所で、気配が左へと逸れた。気配を追うように佳も左へと進む。参道を歩き幾つかの祠を通り過ぎた所で、周りの空気が一変した。
「何や?」
はっとして周りを見る。
周りにはまだ多くの参拝客がいたはずだ。けれど、今は自分以外の人の姿はなく、閑散としている。可笑しい。
結界? そう気付いたのは自分の腕にしていた時計の秒針が動いていない事を確認してからだ。邪鬼等に結界を張る力はない。
つまり、結界を張れる何者かによって、自分はここに閉じ込められたという事だ。
「はよ、対処せんと」
用意しておいた護符を急いで取り出し、結界に存在する境界点を探す事に意識を集中させる。
「させへんよ。今から俺の手伝いしてもろうからな」
「䰠宮……蓮条?」
自分以外いないと思っていた結界内に別の学校の制服を来た蓮条が立っていた。先程の言葉や今の状況から考えると、この結界を張り、自分を閉じ込めた相手はまず蓮条で間違いない。
「悪いけど、君の手伝いできへんわ」
蓮条をキッと睨んで、佳が護符を蓮条へと飛ばす。飛ばした護符は、光の槍となって蓮条へと襲いかかる。
蓮条が自分へと向かってくる槍を見て、怪訝そうな表情を浮かべてきた。それに合わせて、蓮条が詠唱をする。
すると、佳が放った槍が蓮条の前に現れた業火によって飲み込まれた。槍を飲み込んだ炎の勢いは消えるどころが、その勢いを増し、佳へと襲いかかって来た。
あれに捕まったら、まずい。
すぐさま火の相剋である水の護符を取り出し、放つ。放たれた護符が水龍となって炎へと牙を向く。
炎と水龍が衝突し、白い蒸気が辺りに立ち込める。蒸気によって蓮条の姿が見えなくなる。けれど、それは向こうも同じなはずだ。
境内に立ち込める熱気や先程の攻撃を考えると、蓮条の得意な元素は火行。ならば水行の護符を駆使して持ち堪えつつ、今張られている結界を解くべきだ。
それにしても、何かが妙だ。
自分を結界内に閉じ込めて来た割に、自分に何もしてこない。攻撃だって、先程の一回だけだ。
何か、裏があるんやろうか?
周りに拡散していた蒸気が薄くなり、うっすらと前方が見え始める。相手に激動がないとはいえ注意を散漫させるわけにはいかない。
護符を構え、佳が蓮条を注視する。
すると……
「愚か、愚か、愚かやなぁ」
酷薄な笑みで蓮条が佳を卑下してきた。そして、そんな蓮条の手に柄から穂先の部分まで、炎で出来た剣を手にしていた。
蓮条が余裕の笑みで炎の剣を、揮う。剣舞だ。剣が揮われると宙に炎の残線が浮かび残る。剣舞の残線が五芒星となる。
そしてその五芒星から出て来たのは、燃え盛る炎を帯びた鬼の手だ。鬼の手が勢いよく佳の身体を鷲掴みにしてきた。
「安心しいや。君は大切な供給源。殺しはせん」
熱い。まるで身体が金縛りにあったかのように動かない。相手の気が一歩違えば、この身体は粘土のように圧し折られてしまう。そんな想像が自分の身体を余計に動けなくさせてくる。
そんな自分の元に、表情を変えない蓮条がゆっくりと近づいて来た。
「君には感謝してはるよ。流石は賀茂氏家の者やなぁ。今までも数人、余たちに気付いて干渉しようとしてきた者はおったが……引っぱり出してきたのは、其の方たちが初めてぞ。其方はどこでこの術を知りはったん?」
顔を斜に上げて、蓮条が自分へと訊ねてきた。そしてその言葉によって、一つの事実を剔抉した。ここにいるのは蓮条であって、蓮条ではない。
きっと、今自分の目の前にいる者は……あの時の事態と関係している存在だろう。あの時に感じたのと同じ気配を感じる。
佳が『あの時』と指しているのは、櫻真たちが千咲と一緒に帰った日の事だ。あの時、櫻真の様子が気になった佳は、祝部家にいるもう一人の声聞力を有する陰陽師と落ち合い、共に櫻真たちを尾行していた。
そして尾行している最中に再び千咲に異変が生じ、櫻真達の傍らに従鬼と名乗る「式鬼神」が現れた。櫻真たちの戦いは目紛しく、到底自分が入っていける気配はなかった。だからこそ、佳は、もう一人の陰陽師と話し合い、千咲の胸元で光り輝く元凶をなんとかすることにしたのだ。元凶である球体に強い邪鬼の気配を感じたからだ。
光り輝く球体に、佳は教わった「浄化」の術を掛けた。
しかし、「浄化」の術を掛けた時、佳は違和感を感じていた。光り輝く球体を浄化したにも関わらず、球体は消滅することはなかったからだ。そしてそれは佳に違和感を残したまま蓮条の手に渡ってしまった。
浄化に失敗したのだと、その時は思った。
だから、その事を櫻真に伝えようとしたのだが……それは叶わなかった。そして、あの時の術が何かしらの影響を与えてしまい、この状況を作り出してしまったのだろう。
「貴方は誰なん?」
恐怖を噛み締め、佳が問う。すると不適な笑みを浮かべて口を開いて来た。
「よろしい。余の名は、撹運。火行の器となり、それを統べる者なり。では余の問いに答えてもらおうか」
「……答える義理はない。それより、早くその身体から出て行ってもろうか?」
撹運をギッと睨みつけ、護符を操る詠唱を口にする。すると自分を掴む鬼の手に水龍が髑髏を撒くように絡み付く。しかし、燃え盛る鬼の手に巻き付いた水龍は無数の気泡を破裂させながら水蒸気へと散って行く。
水行は火行に有利なはずだ。けれど、その均衡が術者の力量差によって崩れてしまっている。
「不躾な者やなぁ。でもまぁ、よろしおす。もう其方とのおしゃべりも終わりだからのう」
少しのダメージにもなっていない。
絶望的な状況に佳が奥歯を噛み締めた。そしてその瞬間に、身体の力が一気に抜けていく。両目の瞼が重い。
あかん。ここで寝たりしたら、相手の思うつぼになってしまう……
理性が自分を叱咤する。しかしこの脱力感と押し寄せてくる睡魔に佳はそのまま飲み込まれた。




