迷い家 8
吉野山の近くのホテルに戻った隆盛は、自分たちの引率役である夜鷹に呼び出されていた。
「いきなり、呼び出してどうしたんだよ?」
夜鷹がいるのは、教員が止まる部屋だ。
部屋には、他の教員の姿はなく、部屋にいるのは自分と夜鷹のみだ。
「ふふふ。女性教諭の部屋に男子中学生一人……普通に考えればコレはかなり際どいシチュエーションですね」
「なっ! そーいうのは良いから! 要件を言えっつーの!」
「相変わらず、隆盛君はシャイですね。でもまぁ、ここで妙に盛られても困るんですけどね。儀式の準備も出来てませんし……」
「何の話だよ!?」
平然とした顔でとんでもない事を言ってくる夜鷹に、隆盛が顔を赤らめて怒鳴る。けれどそんな隆盛の反応など気にする素振りもなく、夜鷹が話を続けてきた。
「取り合えず、雑談はここまでにして……昼間に話していた䰠宮所有の「星明殿」についてのお話です」
「夜鷹は知ってたのか? その屋敷のこと?」
夜鷹から「星明殿」の名前が出てきた事に驚きつつ、隆盛が訊き返す。夜鷹ならば自分が知らない情報も把握している可能性は高い。
けれど夜鷹は静かに首を横へ降ってきた。
「いいえ、私も詳細は知りませんでした。先ほど紫陽さんとお話をするまでは。ただ残念ながら、䰠宮の縁者である紫陽さんでも、屋敷の詳しい所在地や、そこへの行き方は把握していないようです」
「マジかよ? 紫陽でも分からない場所って……どんな所だよ?」
陰陽院の中でも随一に物知りな紫陽だ。正直、紫陽に訊けば大抵の事は分かると思っていただけに“分からない”という返答は意外なものだった。
「一つ言えるのは、その屋敷が䰠宮にとってとても重要な場所だ、ということです。つまり、そこには私たちが知り得ていない鬼絵巻に纏わる資料が残っているやもしれません」
「本当かよ、それ!」
夜鷹の言葉に思わず、隆盛が体を前のめりにさせる。
「飽くまで、可能性があるという段階ですが……行って損はないと思います。だからこそ、隆盛君に頼みたいのです。本来ならば私も御同行したいのですが……幾分、教師という立場上、やることも多くて……」
はぁ、と溜息を吐きながら、夜鷹が徐に暖かいお茶を淹れ始める。
「やる事が多いとか言って、何で茶なんて飲もうとしてんだよっ!」
「ああ、それは千葉先生と約束してしまったのですよ。美味しいお茶を淹れておきますね、と。まだ関係も浅い今の内に、約束を反故するのは得策とは言いがたいのですよ」
湯飲みに入れたお茶を飲みながら、夜鷹がやれやれと言わんばかりの顔で首を横に降ってきた。一見すれば、隆盛の手伝いをできない事を惜しんでいるように見える。
しかし、これは夜鷹の巧妙な芝居に過ぎない。さすがの隆盛でもこれくらい分かる。何せ、お茶を美味しそうに啜る夜鷹は、もうすでに浴衣姿で温泉にも入ってきた感じの雰囲気だ。
つまり「温泉に入って一息ついた後で屋敷探しはしたくない」という事だろう。
「大人のくせに、汚ねぇ〜〜」
隆盛がジト目で夜鷹を見る。けれど夜鷹はそんな隆盛からの罵詈を意にも介さず、愛想の良い笑みを返してくるだけだ。
「じゃあ、彩香にも声を掛けねぇーとな。アイツに黙ってて、後でバレたら鬼婆みたいに怒るから」
昔、それで隆盛は痛い思いをした事があるのだ。アレは朱雀と契約する為の試練に一人で立ち向かおうとした時の事だ。
(試練でボロボロになる前に、彩香にKOされちまうとこだったぜ……)
昔のほろ苦い記憶に隆盛が苦笑していると、柿の実が練りこまれた羊羹を取り出した夜鷹が首を横に動かしてきた。
「彩香さんに伝えておこう、という隆盛君の気持ちも分かります。けれど、今回ばかりは誘わない方が吉でしょう」
「はぁ? 何だよ? 彩香にバレたら俺が大変なんだぞ?」
「ご安心ください。彩香さんには私から伝えておきますから。それにこれは飽くまで調査。彩香さんも話せば分かって下さいますよ」
羊羹を切り分ける夜鷹は、不服そうな顔を浮かべている隆盛に笑顔を向けてきた。
「それに……彩香さんは女性であるが故に、ちょっとした障害に当たってしまっているのです。監視対象が人気な異性であるのは大変ですね」
何か思う所があるのか、夜鷹が小さく肩を竦ませている。そんな含みのある夜鷹の様子に、隆盛は嫌な想像が脳内に浮かぶ。
「まさか、彩香の奴……何かの理由で虐められてるのか?」
隆盛が焦った声を上げると、夜鷹が「ふふふ」と声を出して笑ってきた。
「大丈夫。今の段階で虐めなどには発展していませんから。けれど……だからこそ、この林間学校での交流が彼女にとって重要なのですよ」
「虐められてないなら、まぁ、良いけどよ。夜鷹もちゃんとそこは見とけよな」
隆盛が寛ぐ夜鷹にそう言い残し、部屋を後にする。
(どんな聖域だろうと、速攻で見つけ出してやるぜ)
点門から占術に使用する羅針盤を持って、隆盛は部屋にも戻らず、ホテルを後にした。
(最上君、どこに行きはるんやろう?)
ホテルから何処かへ向かう隆盛の姿を千咲が目撃していた。元々、千咲は隆盛に占いを頼もうと、彼の事を探していたのだ。
けれどやっと見つけたと思った隆盛は、昼間に使っていた道具を持って、外へと行ってしまった。誰かに占いを頼まれたのだろうか? でも誰に? 学校の生徒ならば、わざわざホテルの外へ行く必要もないだろう。
胸に膨らんだ疑問を胸に、隆盛の後を追っていく。
隆盛が何処へ行こうとしているのかは分からないが、彼が一人でいる状況は凄く有難い。他の友達がいる前で、転校生である隆盛に占いを頼むのは少し気が引けていたのだ。
(占いをしても、気持ちがどうなるかは分からへんけど……)
良くも悪くも、何かしらの答えは見つかるかもしれない。そんな期待を千咲は胸の中で膨らませていた。
胸の中にある不安は、無視するには大き過ぎる。けれどこの不安をずっと抱えたままにするのは良くない。そう思ったからこそ千咲は隆盛の占術に縋りつきたくなったのだ。
昼間の光景を見た感じだと、隆盛の占いには信憑性があるように見えた。
(自分の気持ちを教えるのは、恥ずかしいけど……)
自分に渦巻く状況は切迫しており、背に腹は変えられない。
ホテルを抜けて、隆盛の後を追っていくと……隆盛が市内を抜け、車道の脇の山道へと入り始めた。
(えっ! こんな危ない道を行きはるの?)
前にあるのは舗装などされていない、獣道だ。まず、普通の人は使わない。
(どないしよう? こんな所に入りはって、最上君は大丈夫なんやろうか?)
自分の恋慕とは関係のない不安と動揺が千咲を襲う。そして……
「最上君っ! 何してはるのっ? こんな所に入ったら怪我しよるよっ!」
精一杯に声を出し、隆盛へと叫んでいた。
自分の叫び声の後に続くのは、不気味な野鳥の鳴き声と虫の音だけだ。自分の胸中に意識を奪われていた間に感じていなかった恐怖が、一気に押し寄せてくる。
周りを見れば、建物の明かりは凄く遠くにあるように見える。
「ホテルに戻る? でも……」
一人で獣道に入ってしまった隆盛に何かあったら……?
それを考えると、すぐにホテルへと足先を向けることはできない。
「最上君っ!」
さっきよりも大きな声で隆盛の名字を叫ぶ。しかしそれでも、隆盛からの返事はない。
(聞こえてへんの?)
全く返事がない事で、絶望的な気持ちになってくる。今思えば、この獣道に入ってすぐに隆盛の姿は見えなくなってしまった。
もしかしたら、道に入ってすぐに滑落してしまったという可能性もある。
(もう少し近づいて……)
呼んでみよう。もしそれでも駄目だったら……先生を呼ぶしかない。
そう決めて、千咲が一歩だけ獣道へと足を踏み入れる。けれどそれが大きな間違いの一歩だった。足を踏み入れた獣道は、夕刻に降った通り雨の影響で濡れており、滑りやすくなっていたのだ。
「えっ、えっ、ちょっと……きゃあっ」
少女の叫び声は虚しく宙に舞い、そのまま千咲の体は傾斜のある獣道を転がり落ちる。
止まって欲しいのに、全然止まらない。
(私、このまま死んじゃうのかもっ!)
目を瞑って最悪な結果を想像する。自然と目に涙が浮かんだ。




