迷い家 4
(何か、妙に胸が騒つく……)
何故だろう? と頭を捻っても、答えは出てこない。胸に何か引っ掛かりを感じさせてきても、何処かで会ったという身に覚えもないのだ。
「䰠宮、最上、お前らだけで勝手に行動すんなよ」
やってきた帝が櫻真たちに不服の声を上げてきた。帝と一緒にやって来た千咲とめぐみは「まぁまぁ」と言いながら、苦笑を浮かべている。
「悪い、悪い。でも後で使うような写真は撮れたんだし、そう生真面目になるなって」
不満そうな顔を浮かべる帝の肩を、隆盛が笑いながら叩く。すると、帝がやれやれと言わんばかりに、間延びした溜息を吐き……櫻真と隆盛の頭を両腕で寄せ集めてきた。
そして班の女子(主に千咲)に聞かれないように、小声で話し始めた。
「馬鹿め。俺は真面目にレポートをやろう、なんて言ってるんじゃない。レポートが終わったからこそ、向こうのお店で食い物を食べながら、休もうって言ってんんだよ? つまり、男子の憧れである祥と「ウフフ、暑いね。あっ、コレ美味しい」なんて言う会話も楽しめる絶好の機会なんだ! それなのに……それなのに……お前らが変に彷徨くから、時間が削られただろーが!」
小声であっても、帝の気迫は十分に伝わってきた。今回の林間のお昼は、各自班での行動だ。調べ学習をさっさと終わらせて、好きな店に入る生徒も多い。
(そっか。こういう事もあるんやな……)
全く想像していなかった状況に、櫻真もハッとして気づく。そして横目で千咲の方を盗み見て、妙に気恥ずかしくなる。
(やばい、上手く会話出来るか不安になってきた)
胸中で緊張を募らせる櫻真を他所に、千咲のような女子相手でも気後れのしない隆盛が肩を竦めてきた。
「そういう事か。なら早く言えって。確かに小腹が空いて来たもんな」
帝の腕から逃れると、千咲とめぐみに向かって隆盛が声を掛ける。
「なぁ、何処で飯を食うとか決まってんのか?」
「うん、折角やから葛切りと柿の葉寿司は食べたいって、話しとったんやけど……最上君たちもそれでええかな?」
千咲が端末で調べたお店を隆盛に見せながら、笑みを浮かべる。
「んーー、どれどれ? 葉っぱに包まれた寿司かぁ〜〜。まぁ、変な感じだけど寿司は寿司だし、良いぜ」
千咲の端末を覗き込む隆盛がニカっと笑みを浮かべ、満足げに頷いている。そのやり取りが何ともフランクで、櫻真には真似の出来ない芸当だ。
「おいおいおいっ! 最上の奴! なに、ナチュラルに祥との距離を詰めちゃってんだよ! まだ俺にだって出来てないのに〜〜! 䰠宮もそう思わねぇ?」
「た、確かに、凄いな。ホンマに転校して来たばっかりとは思えへん……」
歯軋りが聞こえて来そうなほど、悔しさで奥歯を噛む帝。そんな同級生の凄みに、櫻真は苦笑しか返せない。
しかしそこで意外な事に……自分たちの会話を聞いていた彩香が口を開いた。
櫻真たちにではなく、同じクラスで同じ班の蓮条に。
「私たちもお昼を、葛切りと柿の葉寿司にしませんか? 私も関東から来た身ですし、郷土の名産には興味あります」
「俺は別にええけど……。他の奴にも聞かへんとな」
「そうですね。分かりました! なら、私がちょっと訊いて来ます」
妙に意気込んむ彩香が、そのまま蓮条以外の班員の元へ走って行く。そして物の五分も掛からずに戻ってきた。
「班の皆さんも、行きたいそうです」
満足気に頷く彩香に、蓮条が「そっか」と頷いて、櫻真の方へと視線を向けてきた。
「なら、一緒に行こう。きっと祥たちが店の場所は調べてはるんやろうし」
「俺は全然ええよ。多分、他の人もええと思う……」
蓮条にそう答えながら、櫻真は再びハッとして帝の方を見た。
千咲、めぐみ、隆盛は大丈夫だろう。しかし、さっきの口ぶりからして、帝は同行者の増加を嫌がるかもしれない。
案の定、帝は一人、頭を抱えてブツブツと呟きながら悶えている。
けれど、反対の声は上がらなかった。他の人たちが『ノー』を示さなかったため、反対派になれなかったのだろう。
(うーん、そう上手くは行かへんなぁ)
櫻真は宙を見ながら、内心で苦笑を零していた。
柿の葉寿司が食べられるお店には、自分たちだけではなく、他の観光客の人でも賑わっていた。何とか席に座れた安堵感と共に、前に座る櫻真の顔を見た。
櫻真はメニューを見ながら、隣に座る隆盛と雑談していた。その顔はここに来たばっかりの時よりも、表情が柔らかくなっているようにも見える。
「千咲ちゃんは、もう決めはった?」
「あっ、うん。やっぱりこの柿の葉寿司セットにしようかな?」
櫻真を見ていた事を悟られないように、慌てて千咲がめぐみに答える。めぐみは何の違和感を感じることもなく、「あたしも、そうしよう〜」と相槌を返してくれた。
(良かった。バレてへん……)
ホッと胸を撫で下ろし、静かに安息を吐いた。
(䰠宮君は、何食べはるんやろ?)
隆盛と会話する櫻真は、もうすでにメニューを閉じている。きっと、何を食べるのか決待ったのだろう。
聞いてしまおうか? それとも黙っていようか?
本当の事を言えば、櫻真が何を頼むのかなんて気にする必要はない。ただその話題に漕ぎ着けて、櫻真と話したいというのが本音だ。
けれど、もうすでに櫻真は隆盛と話している。それなのに、自分が無遠慮に話しかけて良いものか? という迷いもあって、千咲は口を開くのを尻込みしていた。
(いつもの子たちと話すように、自然と……)
自分にそう言い聞かせ、千咲が口を開いた瞬間。
「あーー、櫻真たちもこの店やったん?」
店に入ってきた紅葉が櫻真へと声を掛けてきた。そして声を掛けられた櫻真も、慣れた笑みを浮かべ返している。
その顔に、自分に向ける笑顔との差が見えて、千咲は静かに胸を痛ませる。
(紅葉ちゃんも、䰠宮君の事が好きなんやもんね……)
飛び切りの笑顔で、話しかけるのは当然だ。彼女も自分と同じく、目の前の少年に恋しているのだから。
夏休みに入る前に、紅葉の気持ちは再確認している。
(あの時、私も自分の気持ちを言えてたら)
自分の気持ちは、また変わっていただろうか? 紅葉が自分を信じて相談してくれたように、自分もこの気持ちを紅葉に暴露していたら、また少しは変わっていただろうか?
自分自身に疑問を投げて、千咲は心の中で首を横へと振った。
もし打ち明けていたとしても、今のこの状況は変わらない。
(ーー自分自身が勇気を持たへんと)
「あ、あの䰠宮君、ちょっと話が……」
「はい。ご注文をどうぞ〜〜」
千咲の声に被さるように、帝が呼んだ店の人の声が重なる。こういう時に限って、悪いタイミングが続いてしまう。
千咲は仕方なく、自分の注文を頼んで……次の機会を待つ事にした。




