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鬼絵巻 〜少年陰陽師 、恋ぞつもりて 鬼巡る〜  作者: 星野アキト
第六章〜珍獣駆ける九龍島〜
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香港中に広がる霊

 ただ膨れていただけの人形の表面が波打っている。そしてその波打つ内部から朱色の霧が溢れ出す。

「瘴気だわ! しかもかなり濃度の高い!」

「ふんっ。そんな瘴気くらいあたしの結界が通すかってーの!」

 鬼兎火の言葉に、魄月花が得意げに鼻を鳴らす。

(本間に厄介な瘴気やな……)

 赤い濃霧に視界を奪われ、櫻真は桜鬼たちの姿を視認できない。結界の一番近くにいるはずの魁の姿ですら見えないほどだ。

 恐らく瑠璃嬢もこの瘴気に当てられ、気を失ってしまったに違いない。

 魄月花の張る結界のおかげで櫻真たちに影響は出ていないが、これをまともに受けていたら、櫻真たちも瑠璃嬢の二の舞になっていただろう。

 最悪の場合、起きられずに命を落とす可能性だってある。

「この瘴気は放置するわけにはいかんな」

 菖蒲が「天象神具、霊扇(れいせん)招来」と口にし、霊扇を取り出した。

高天(たかま)の原に神留(かみづま)ります 神魯岐(かむろぎ) 神魯美(かむろみ)(みこと)()ちて 皇御祖神伊邪那岐命(すめみおやかみいざなきのみこと) 筑紫(つくし)日向(ひむか)の橘の小門(おど)阿波岐原(あはぎはら)に 禊祓(みそぎばら)(たま)う時に()れませる祓戸(はらいど)大神達(おおがみたち) 諸々の禍事罪穢(まがことつみけがれ)を祓い給い清め給えと(まお)す事の(よし)を 天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百万(やおよろず)の神達共に(きこ)()せと(かしこ)(かしこ)(まお)す。六根清浄(ろっこんしょうじょう)、急急如律令!」

 菖蒲が唱えた祝詞により、部屋中に充満していた赤霧が払拭される。一瞬、霧の中に悲痛に歪んだ男の顔が浮かび上がり、消えた。

 人形についていた悪霊だろう。

 赤く染まっていた視界はクリアになり、桜鬼たちの姿が見えるようになった。

 けれど、姿が見えるようになった桜鬼と鬼兎火が心なしか動揺しているようにも見える。

「桜鬼、どうかしたん?」

 櫻真が訊ねると桜鬼が眉を下げ、戸惑った表情を返してきた。

「悪霊は消えた。この部屋に満ちていた瘴気もない。それは良いが……鬼絵巻の気配もないのじゃ」

 桜鬼の言葉を肯定するように、鬼兎火も静かに首を頷かせる。

「ちょっと、待てよ……」

 二人の言葉を聞いていた魄月花が、目を閉じた。

 そして……

「ああっ!!」

「どうした?」

 目をカッと開き、大きい声を上げた魄月花に菖蒲が眉を寄せている。

 櫻真たちも一人で口をわなわなとさせる魄月花へと目を向けた。

「居場所はわかった。けど……不味い事も起こってる」

「不味い事?」

 魄月花が菖蒲に頷き、言葉を続けてきた。

「鬼絵巻の奴、漂う瘴気に紛れて逃げてたみたいでな。今、チビたちと一緒にいるっぽい……」

「逃げた? チビたちと一緒? どういう事や?」

 魄月花に対する菖蒲の圧がどんどん増していく。それに比例するように魄月花が目を宙に泳がせている。

「言え。然もなくば今後一切、酒は飲まさへん」

 キッと睨みを利かせた菖蒲の脅しに、魄月花は背筋をピンと伸ばし、説明に入る。

「鬼絵巻の奴、百合亜と藤を洗脳して……街中を練り歩いてるみたいなんだよな? そこらへんにいる霊たちを引き連れながら」

 魄月花の言葉に、櫻真を含む全員の頭上に疑問符が浮かんでいた。

 内容は分かる。けれど感情が追いつかない。

「……君の役目は、結界を張ることと鬼絵巻を監視することちゃうの?」

 頭を抱える菖蒲の言葉に、魄月花がばつの悪そうな表情を浮かべて、

「いや〜〜、あたしもつい物珍しい悪霊に見入っちゃってな……ほら、うっかりなんて誰しもあるだろ?」

「うっかりしとる場合とちゃうやろ! 少しは反省しいや!」

茶目っ気のある顔を浮かべる魄月花に、菖蒲が大きな溜息を吐き、頭を抱えている。

 そんな菖蒲を尻目に桔梗が、

「ちょっと、待って。椿鬼たちは?」

 狼狽した様子で魄月花に訊ねている。

「椿鬼たちも追ってるみたいだぜ? どういう経緯かは分からないけど、異変には気づいてるみたいだな」

「そっか……。なら、早く急ごうか。鬼絵巻が何をしはろうとしてるのか分らへんけど、百合亜たちと周りに危害が及ぶ前に対処せんと」

 桔梗の言葉は尤もだと、櫻真も思う。

 鬼絵巻の影響力は壮大だ。悪霊以外にも浮遊霊や生霊にどのような効果を与えるかも分らない。そしてその霊たちが瘴気を放てば、一般の人たちの身体にも影響を及ぼすだろう。

「取り敢えず、ホテルに戻ろう? 瑠璃嬢たちを休ませへんと」

 話を聞いていた儚がそう提案を出してきた。

「そやな。じゃあ早く魑衛を助けへんと……いっ!」

 儚に頷いた蓮条が何かに気づいたように、目をギョッとさせてきた。

「蓮条、どうかしたん?」

 櫻真が訝しげに訊ねると、蓮条が気づいた物を指で示してきた。

 ここに来て、もう何度も驚いてきた。

 だから次に何か見ても、もう絶対に驚かないと思っていた櫻真だが、床に顔を伏せながら這い蹲って、こちらにやってくる魑衛の姿に櫻真たちは驚きのあまり言葉を失った。




 アパートを出た櫻真たちは、我が目を疑っていた。尖沙咀(チムサアチョイ)は香港でも随一の繁華街だ。夜とはいえ、通りには多くの人が行き交っている。そしてその中には、先ほどまでとは比べものにならない数の霊たちがいる。

 しかもその霊たちの殆どが、何かに導かれるようにどこかへ向かっている。

「鬼絵巻の所へ向かってはるんかな?」

「恐らくは……。じゃが、鬼絵巻は霊たちを集めて何をするつもりなのかのう?」

 櫻真と桜鬼が街中に溢れる霊たちを見て、眉を顰めさせる。

 菖蒲曰く、鬼絵巻は香港中をグルグルと回っているだけらしい。歩いているだけ、と聞くとどことなく無害そうにも思えるが、現実はそうではない。その証拠に、大きな通りをけたたましいサイレン音を鳴らす救急車が横を通り過ぎていく。

 鬼絵巻の影響を受けた霊たちによる瘴気が街を満たし、それに当てられた人々の身体に影響を及ぼし始めているのだ。

 頭を押さえ、顔を青くする人。通りにある店の壁に寄りかかり座り込む人。すでにかなりの人に異変が起きてしまっている。

(早う、鬼絵巻を掴まへんと)

 今の段階で影響が出ているのは、外を歩いている人たちだ。まだ瘴気が建物内部にまで届いていないのだろう。

 櫻真たちはすぐさまタクシーを捕まえると、ホテルへと急いだ。

 やはりホテル内にいる人たちは、瘴気に当てられていないらしく平然とした様子だ。

「取り敢えず、瑠璃嬢は浅葱さんたちの部屋に運ぼうか。一人で寝かせておくわけに行かへんから」

「そうですね」

 桔梗の言葉に櫻真が頷き、エレベーターで26階へと向かった。

 フロアに付き、櫻真が部屋のドアを叩く。

 すると、少し経ってから上着を着た桜子が静かに扉を開けてきた。

「母さん、ちょっと頼みがあって。瑠璃嬢のこと見ててくれへん?」

「えっ? うん。別に大丈夫やけど……。瑠璃ちゃん、どうかしたの?」

 菖蒲の背中におぶられる瑠璃嬢を見て、桜子が目を丸くさせる。

「説明すると長いんやけど、今、大変な事になっとって……母さん、寒いん?」

 櫻真たちを出迎えた桜子は長袖の上着を羽織っている。それにも関わらず、桜子は腕を仕切りに摩り、寒がっている。

 香港の夏は暑い。そのため店やホテルなどの冷房は強めに設定はされているものの、長袖の上着を着ていれば寒いと感じないはずだ。

「うん、なんかね……。何だか白い息が出るんじゃないかな? って思うほど寒いの」

 桜子の言葉に、櫻真たちが顔を険しくさせる。

「父さんは?」

「浅葱さんは、寝室で気持ち良さそうに寝てはるよ?」

「こんな嫌な気が充満してるのに、よく寝てられますね? あの人? 一応、声聞力はあるはずなんやけど……」

 小首を傾げる桜子の言葉に、桔梗が呆れたように目を細めさせる。

「父さん、昨日から徹夜だったらしいから、それもあるのかも……」

「徹夜ねぇ。なんか意外。浅葱さんの性格やったら旅行前にそんな無茶はせんと思ったけど」

 浅葱の飛行機嫌いを知らない桔梗が、心底意外そうな声を出す。

(理由は黙っとこう。父さんの名誉の為に……)

 櫻真がそう思いながら、桔梗と共に浅葱の寝室へと向かう。すると桜子の言葉通り、浅葱はキングサイズのベッドで気持ち良さそうに寝ていた。

「うむ。この寝顔を見ている限りだと、浅葱は瘴気の影響は受けておらぬのう。もしかすると、浅葱は瘴気に対して耐性が強いのかもしれぬ」

「うーん、あり得る」

 瘴気などの毒気に対する耐性は、声聞力の強さはあまり関係ない。耐性の強弱はそれこそ体質的な問題だ。

 桜鬼の言った事は、十分に考えられる事だ。

「でも、こんな気持ち良さそうに寝てる人を起すのは……」

 やはり、気が引ける。

 櫻真も睡眠欲は強い方だと自覚している。だからこそ、朝起きが苦手で、かなりの近さにはる中学校にも遅刻しそうになるのだ。

「浅葱さん、起きてください。今、寝てる場合やないです」

 躊躇う櫻真を他所に、桔梗が浅葱の頰を叩いて起す。

「えっ、何しはるん? いきなり……」

 桔梗に叩き起こされた浅葱は、まだ寝ぼけ眼の状態だ。

「寝ぼけてないで、早う、起きてください。桜子さんにも関わる問題です。それとも……」

 桔梗が浅葱の耳元で何かを囁く。

 すると寝ぼけ眼でいた浅葱の目がカッと開いたのだ。

 突然のことに、思わず櫻真が驚いて体を震わせる。驚くことがあり過ぎて、少々櫻真たちの外部からの情報に対し、感覚が敏感になっているのかもしれない。

「断る。経緯を説明して」

「残念ですけど、分かりました。じゃあ、向こうの部屋で説明します。瑠璃嬢は、向こうのソファで寝かせてもらいますから」

 桔梗の言葉に誘導されて、浅葱と共に先ほどの部屋へと移動する。

「桔梗さん、何て言うたんやろうな?」

「んーー、皆目見当も付かぬのう。ただ効果覿面であった事は確かじゃ」

 話をしながら、櫻真が先ほどの部屋に行くと……瑠璃嬢がソファの上に寝かされており、上から上質なタオルケットが掛けられていた。

 側には意気消沈した魑衛が立っている。

 先に部屋を出た桔梗たちは、大きなダイニングテーブルの方で浅葱たちに説明を行っていた。

 桔梗たちからの説明を聞きながら、ホラー嫌いな桜子が顔を青くし、浅葱は表情を険しくさせている。

「ーー状況説明は以上です。僕たちはこれから百合亜たちを助けに行くのと鬼絵巻を捜索してきます。出来るだけ外には出ないでくださいね。結界の護符は渡しときますけど……破られそうになったら、浅葱さんが補強しはってください」

「ん。分かった。瑠璃嬢は僕らが看取る。これ以上、厄介な事にならへんような」

 浅葱の言葉に、櫻真たちは頷き返す。

その瞬間に、鬼絵巻が九龍島ではなく香港島に移ったことを菖蒲が告げてきた。

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