それぞれの願い
すぐさま櫻真と桜鬼で、鬼絵巻の元に駆け寄る。しかし、櫻真たちの動きに気づいた鬼絵巻は、目にも留まらぬ速さで店の奥へと逃げてしまう。
「あっ、待て!」
慌てて鬼絵巻を追おうと動く櫻真と桜鬼。けれどその二人の行く手は、
「オキャクサン、ニホンノヒト?」
店から現れた店主の叔父さんによって、阻まれてしまった。
白い半袖姿でお腹が前に出た叔父さんは、一生懸命に櫻真たちに小さい鈴と毛沢東のついたストラップを勧めてくる。
店主の勢いは半端じゃない。
(あかん! 鬼絵巻が! むしろ、このストラップを買わされる!)
隣にいる桜鬼も「今はそんな暇はないのじゃ!」と言っているが、叔父さんの耳には入っていない様子だ。
おかげで、櫻真たちはまんまと鬼絵巻を見失い、小さい毛沢東のストラップをH K $90(1170円)という飛んでもない値段で買わされる羽目になってしまった。
(ええ事のあった後は、やっぱり悪い事もあんねんなぁ……)
せっかく見つけた鬼絵巻は見失うし、買う気のなかったストラップを高い値段で買わされ、櫻真の気分は、だだ下がりしてしまった。
桜鬼と共に見つけた鬼絵巻の気配を探そうと試みても、ここを漂う独特な雰囲気に掻き消されてしまう。
まさかこんな落とし穴があるなんて、思いもしなかった。
(一気にこのストラップに運気吸われたかな?)
「櫻真、どうかしよったん?」
ストラップを手に肩を落とす櫻真に蓮条が話しかけてきた。
「いや、ちょっと……。蓮条、これいる?」
「いらん」
ストラップを見せた瞬間、蓮条の答えは即答だった。
「やっぱり……」
答えは分かりきっていた。なにせ、自分が逆の立場でも「いらない」と答えるはずだ。
蓮条はすぐにストラップから興味を失せ、鬼兎火と共に先へと行ってしまう。
「櫻真が困っているならば、妾が引き受けるぞ! 妙に目を惹き付ける代物じゃ」
気を使って、桜鬼がそう言ってくれてはいるが……たらい回しになっているストラップを彼女に押し付けるのは可哀想だ。
「ええよ、桜鬼。このストラップは、俺自身のお土産にするわ。うん、これも何かの縁やとお思って」
よくよく見れば、実に中国らしい物だ。そう、そうやって自分に言い聞かせれば、胸中を襲う遣る瀬無さを少しは緩和できる。
そんな櫻真を尻目に、桜鬼がやや残念そうな表情で櫻真の手にあるストラップを見つめている。しかし櫻真はそんな桜鬼の視線に気付かなかった。
櫻真の思考はストラップから離れ、先ほど見た鬼絵巻の姿に移っていたからだ。
(プヨちゃん……想像してたのと全然違っとったな……)
飛行機に乗っている時に、櫻真がイメージしていたのはメタリックなエイリアンだ。
しかし、実際に見た鬼絵巻の姿は、小学校低学年くらいの子が飛びつきそうな姿をしていた。
(むしろ、似たようなストラップを紅葉がランドセルに付けとった気がする)
あの姿ならば、百合亜たちが可愛がるも無理はない。
櫻真が黒のワンショルダーバックにストラップを仕舞いながら、そんな事を考えていると……
「ねぇ、何でさっき桜鬼と慌ててたわけ?」
魑衛を引き連れた瑠璃嬢が話しかけてきた。
瑠璃嬢の手には、どこの店で見つけて買ったのか分からない虫取り網を持っている。
「……実はさっき鬼絵巻を見つけたんよ。逃げられてしもうたけど……」
「うそ! 何処に行ったわけ?」
「いや、あっという間の速さで逃げよったから、何処に行ったか分らへん。気配を読もうとしても、ここに漂う気配に消されてしまうし……」
「その言葉に嘘偽りはあるまいな?」
「ないわ。むしろ何で瑠璃嬢は虫取り網なんて、持ってはるん?」
櫻真が虫取り網を指差す。
「これ? ここよりも手前の店で買ったの。70円くらいで売ってたから。今回の鬼絵巻って虫くらいに小さいでしょう? この網、伸びるし。捕まえやすそうじゃん」
瑠璃嬢の言葉に、櫻真は思わず言葉を失った。
鬼絵巻を虫取り網で捕まえようとしている瑠璃嬢に驚いたわけじゃない。違う。櫻真が言葉を失ったのは、自分が買わされたストラップと比較してしまったからだ。
70円の安さを知って見ても、編み目は細かいし、伸びるという棒の部分も割りか丈夫そうに見える。
それに例え簡単に壊れたとしても、値段が値段だ。心痛まずに済むだろう。
(何やろ? この妙な敗北感……)
瑠璃嬢との買い物バトルをしたなら、櫻真の完全なる敗北だ。
敗北感に奥歯を噛む櫻真に、目の前にいる瑠璃嬢と魑衛が顔を見合わせて小首を傾げている。
櫻真の心中を察するのは、隣にいる桜鬼のみだ。
「なぁ〜〜、今度はハリウッド・ストリートの方に行こう〜〜!」
櫻真たちを呼んできたのは、先を歩いていた儚たちだ。その側には蓮条たちもいる。
「俺らも行こう。ここにはもう鬼絵巻もおらんし。ワンタンラーメンも食べに行くんやろ?」
瑠璃嬢たちに櫻真がそう言うと、少し名残惜しそうにしていた瑠璃嬢も静かに頷いてきた。
ハリウッド・ストリートはキャット・ストリートの一本奥にある通りだ。手前にあるキャット・ストリートよりも長い通りで、お洒落なお店が多い。
お店の外壁には、巨大なマリリンモンローやオードリーヘップバーン、喜劇王チャップリンなどが書かれた壁画や、居酒屋、九龍城砦なども書かれており、有名なカメラスポットにもなっている。
櫻真たちもそれらの壁画を楽しみながら、途中にある香港最古であり、天井から吊り下がる線香で有名な文武廟に立ち寄った。
寺院中にお線香の煙と匂いが染み付いており、お寺にある銅鐘のような形で渦巻く線香に圧倒されてしまう。
(俺も失った運気を取り戻さんと!)
父親の浅葱ほど幸運……とまでは行かずとも、変なお土産を買わされずに済むくらいの運気は欲しい。
お供え用の線香を買い、境内に建てられた蝋燭で火を灯す。束になっている線香を3本ずつ分けて、お供えしていく。
熱心に祈る櫻真の傍らで、他のメンバーも各々の願いを祈っていた。
儚 『蓮条との仲が進展しますように』
瑠璃嬢『鬼絵巻がゲットできますように』
蓮条 『能が上手くなれますように』
桜鬼 『櫻真と長い時間が入られますように』
鬼兎火『迷いや思いを断ち切って、成長できますように』
魁 『平穏無事と美味い酒が飲めますように』
魑衛 『私と瑠璃嬢の願いが叶いますように』
八人の願いは、線香から白い煙となって上がっていく。そして、その煙は宙で混ざり、辺りに散らばった。
文武廟を出て、泰昌餅家のエッグタルトを購入してからワンタン麺を食べに向かった。
櫻真たちが入った店は、卵麺、ビーフン、河粉(棊子麺)の三種類から選ぶことができる。櫻真が選んだのは卵麺だ。
卵風味の麺を啜りながら、プリプリと弾力のあるエビワンタンを口の中に入れる。
塩っ気のあるあっさりとしたスープとよく絡んで凄く美味しい。
エビワンタンの他に、魚つみれ団子もトッピング出来て、凄く満足の行く味だった。
「替え玉とかあれば、良かったんだけどな〜」
「人気店ともなれば、一人の客に割ける時間がないのだろう」
「でも、日本で食べる麺より硬めだったわね」
「妾はもう少し柔らかければ、なお良かったのう」
従鬼たち四人も満足そうな顔で感想を耳にしながら、櫻真たちは店を後にした。
日照時間が長いとはいえ、もうすでに時間は十九時になる頃で、辺りは暗くなっている。
「まだピーク・トラムもやってそうやし、香港の夜景を見に行かん?」
「賛成! ウチも夜景撮りたい」
二人の言葉に反対もなく、櫻真たちは中環と金鐘の中間地点から出ているピーク・トラムに乗ることにした。




