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鬼絵巻 〜少年陰陽師 、恋ぞつもりて 鬼巡る〜  作者: 星野アキト
第六章〜珍獣駆ける九龍島〜
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予想外な場所

 櫻真がその情報を知ったのは、家に遊びに来ていた百合亜の一言だった。

「百合亜ね、ホンコンって所に行くんだよーー。いいでしょ?」

 百合亜はダイニングのテーブルに腰を下ろし、足をブラブラさせながら桜子が用意したバニラアイスを食べていた。

 銀のアイス皿に盛られたアイスは、すでに半分以上が無くなっていて、残った部分も溶けている。

 そんな百合亜の姿を見ながら、百合亜が口にした香港を頭の中で想い描いた。

 香港は中国の特別行政区で、元はイギリスの植民地。経済活動は盛んで、超高層ビルがひしめき合っている場所だ。紙幣は香港ドル(HKD)を使用している。

 中国でありながら、中国ではない国。

 櫻真の中にある香港は、こういう認識だ。

「へぇーー。百合亜、香港行きはるんや。ええなぁ。家族旅行?」

 八月の終わりとはいえ、まだ夏休み期間だ。

 家族旅行に行く、と言われても何ら不思議はない。

(あれ? でも百合亜の父親は……海外に単身赴任してはるやっなかったっけ?)

 そして、母親の方は百合亜が小さい時に他界している。その関係もあり百合亜は藤の家で暮らしているのだ。

 ややうろ覚えになっている百合亜の家庭事情を思い出しながら、櫻真はしまった、と思った。

 つい何気なく「家族旅行」という単語を口にしてしまったが、それは無下に百合亜を傷つけてしまったのではないか? そう櫻真は心配になった。

 小学一年生とはいえ、事情の全てが分からないわけではない。

 しかし櫻真の視線の先にいた百合亜は、何の表情も浮かべてはいなかった。

 ただ無表情のまま「ちがーう」と首を横に振っただけだ。

「百合亜と香港に行くのは、桔梗ちゃんと菖蒲ちゃん、後は藤も行くんだよ」

 然程、しょげた様子もない百合亜に安堵しつつ、同時に疑問も浮かんだ。

「その四人だけで行きはるん?」

「うん、そう!」

 夏の天気のようにコロッと気分を変えた百合亜が、溌剌とした声で頷いてきた。

 そしてそんな百合亜に目を細めたのは、櫻真の横で黙っていた桜鬼だ。

「それは臭うのう。とてもきな臭い」

 桜鬼の手には、苺シロップと生クリームの掛かったかき氷の器が持たれている。

 それを口にしながら、桜鬼が百合亜をじっと見た。それから百合亜の横でチョコレートアイスを食べる魘紫を見る。

「魘紫、どういう事じゃ?」

「その言葉の通りだよ。俺は、百合亜たちとホンコンっていう場所に行くんだ」

 へへん、と胸を張り、桜鬼に対して自慢している。

「そうは言うが、魘紫。其方はそのホンコンという処が、どういう場所かも分からないのではないのかえ?」

「おう、知らねーー! ただすげぇ、遠い場所らしいぜ? 何せ、海を越えて、大陸に行くんだからな」

 鼻下を人差し指で摩り、魘紫が得意げな顔をする。

 すると桜鬼が恨めしそうに顔をムッとさせた。

(桜鬼も行きたんや……)

 これまでの付き合いから、櫻真は桜鬼の気持ちを見透かしていた。きっと日本以外の外国などに行った事のない桜鬼たちからすれば、『海越え』『大陸』という言葉は、まさに心惹かれるワードだろう。

 櫻真だって、香港には行ったことがない。

 だから行ってみたいという、桜鬼の気持ちもよく分かる。

「でも、どうして菖蒲さんと桔梗さんと行くん? 真菜さん達は?」

「真菜ママは行かないよ。だって、百合亜と藤でプヨちゃんを探しに行くんだもん。ねぇーー、魘紫?」

 百合亜が首を動かしながら、魘紫に同意を求める。

 すると魘紫も威勢よく首を頷かせてきた。

「おう! 絶対、捕まえようなっ!」

 百合亜と魘紫で納得し合っている所為で、櫻真と桜鬼は見事に取り残されてしまった。

(プヨちゃんって、何やろ?)

 その呼び名だけでは、まるで想像が出来ない。

 スクイーズ的な何かだろうか? いや、もしそれなら「捕まえる」っていう言い回しはおかしい。

「なぁ、百合亜……そのプヨちゃんって生き物なん?」

「そうだよ。プヨちゃんは凄く小さくて、可愛くて、プニプニしてるの」

 百合亜がプヨちゃんを掌に乗せているような仕草をしてきた。

 一瞬、小さくて、プニプニしているという言葉から小さな蛙を想像する。

 小さい頃に、櫻真もよく雨の日などに捕まえて、母親の桜子に見せた記憶がある。

 その度に、桜子が引き腰気味で「蛙さん、元の場所に帰してあげてね」と言ってきた。

(でも、わざわざ蛙を捕まえる為に香港?)

 香港と蛙では、あまりにも噛み合わせが悪い気がした。

 櫻真が顎先に指の背を当て、首を傾げさせる。

(鬼絵巻……だったりして……)

 いや、でも鬼絵巻が香港にいるというのもかなり妙に感じる。

 なにせ鬼絵巻は䰠宮家の当主を決める代物だ。

 それが海外にいるなんて、どうにも考えられない。

 結局、この日の櫻真はその疑問の答えは辿り着けなかった。

 しかし、その答えは追わずともすぐにやってきた。



 答えを持ってきたのは、鬼の形相で家にやってきた瑠璃嬢だ。瑠璃嬢の後ろには腕を胸の前に組んだ魑衛もおり、その表情は険しい。

 只事ではない瑠璃嬢の表情に、剣呑な雲行きを櫻真は感じた。

「浅葱さんは?」

「えっ? 何で父さん?」

 開口一番に浅葱の名前が飛び出した事に、櫻真が驚く。けれど、瑠璃嬢たちはそんな櫻真に答えず、ズカズカと中へと入ってきた。

(ホンマに、どうしたんやろ?)

 遠慮という言葉を欠いた瑠璃嬢たちの後ろを櫻真が付いて行く。

 先を歩く瑠璃嬢の顔は、普段以上に真剣だった。瑠璃嬢がこういう顔をする時は大抵……

「もしかして、新しい鬼絵巻が出はったん?」

 鬼絵巻が絡んでいる事が多い。

 櫻真をジロりと見てきた瑠璃嬢が息を吐き出し、素直に頷いてきた。

「そう。最近、コソコソ旅行準備してると思ったら……香港にいる鬼絵巻を捕まえに行くみたい」

「ホンマに居ったんや……」

「何? アンタ知ってたの?」

 口をポカンと開く櫻真に、瑠璃嬢が訊ねてきた。そんな瑠璃嬢に櫻真が肩を竦めて、昨日の百合亜との話をする。

 話を聞き終えた瑠璃嬢が、憎々しげに「菖蒲までいるのか」と舌打ちを鳴らしてきた。

(今回の瑠璃嬢は、鞍馬の時ぐらいの気迫やな……)

「なぁ、瑠璃嬢って……やっぱり、まだ当主になりたいん?」

 躍起になっている瑠璃嬢に櫻真がそう訊ねる。

 けれど櫻真に返ってきた言葉は「さぁ」という淡白な返事だった。自分のことにも関わらず、まるで他人事のようだ。

「だってさ……」

 肩透かしを食らった顔をしていた櫻真に、瑠璃嬢が話を続けてきた。

「よくよく考えれば、当主の仕事って大変でしょ? 知ってる奴から、よく知らない奴まで纏めないといけないし。色々あたしの気持ちも冷めたし」

 そう答えてきた瑠璃嬢の声音に嘘は感じられない。そもそも瑠璃嬢は、嘘を付くタイプではないだろう。面倒臭がり屋な性格という事もあって、回りくどい事はあまり好んでいないように思う。

 そして当主という立場の大変さを彼女なりに考えて、面倒だという事に行き着いたに違いない。

 少々呆れてはしまうが、瑠璃嬢らしい言い分だ。

「なら、どうしてこんなに躍起になってはるん?」

 当主という立場を億劫に感じたのなら、瑠璃嬢がここまで一生懸命に動く必要はないはずだ。

 そんな櫻真の言葉に、瑠璃嬢が溜息を吐いてきた。

「鬼絵巻を一個も取れずに、東京に戻るとか絶対嫌だから。むしろ、やるからには、とことんやりたい派だし」

「つまり、意地が働いとるって事やな?」

「そういう事。そんで、アンタにも情報提供してやったんだから、櫻真、アンタも浅葱さんを説得してよね?」

 瑠璃嬢が横目で念を押すように、櫻真を見てきた。

(……そういう事か)

 自分に釘を刺す視線を受け、櫻真は瑠璃嬢の思惑が何となく理解できた。

 瑠璃嬢は櫻真を使って浅葱を説得し……香港に行こうとしているのだろう。

 だからこそ、鬼絵巻の情報をあっさりと自分に開示してきたのだ。

 自分だけで浅葱に頼むより櫻真と一緒に頼んだ方が、勝率が良いと見越して。

 その証拠に「浅葱さん、櫻真たちに甘いから」と付け足してきた。

(でもまぁ、良いか)

 百合亜から話を聞いた時から、櫻真も香港に興味を抱いていたし、行けるなら行きたいとも思っていた。

 しかし稽古の事を考えると中々言い出し難く、櫻真は静かに諦めていたのだ。でも、鬼絵巻が絡んでいるとなると、話は変わってくる。

 ちゃんとした理由があるなら、浅葱も無下に却下してきたりしないだろう。

(稽古は大事やけど……)

 頭では理解していても、やはりいつもとは違う場所へ行きたい、という気持ちは胸の中で燻ってしまうものだ。

 暗い道が一気に明るくなり、櫻真の気持ちは浮き足だった。

 桜子に浅葱の居場所が書斎である事を聞き、櫻真たちはすぐさまそこへ向かった。

「父さん、ちょっとええ?」

 櫻真がそう言いながら書斎に入る。書斎にいた浅葱はテーブルの上で数枚の資料と睨め合っていた。

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