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苦悩と願い

 儚の家では大袈裟な素ぶりで櫻真と蓮条を浅葱が出迎え、遅れて帰ってきた瑠璃嬢たちがブツブツと文句を言っている。

 そんな家を背に、桔梗は百合亜たちを寝かせてから……一人、夜の湖畔に立っていた。

 体を休める前にやっておく事があるからだ。

『また面倒な奴が出てきたな』

「そうやね。僕も驚いたよ。あの言い草だと菖蒲ちゃん同様、色々知ってはるみたいやからね」

 端末の向こうに映るのは、䰠宮菖蒲だ。

 画面越しの菖蒲は、生真面目な顔で眉間に皺を寄せて何かを考えている。

 桔梗が伝えた情報を頭の中で整理しているのだろう。

 その気持ちは分からなくもない。

『その神宮寺紫陽って男の目的が、また何とも掴み難いわ。救済やったっけ?』

「僕にはそう言ってきたよ。ただ何を救済したいのかは言わへんかったけど」

 向こうが敢えて伏せたのか、偶々言わなかっただけなのか……そこは桔梗にも計り知れない所だ。

 訊けば、あっさりと答えそうな気配はある。

 けれどその答えがどうにもきな臭い、というか碌でもないような気もしてしまう。

「あの男が、何か良からぬ事を考えてそうなのは確かやね。僕の眼力が当ってたら、あいつは自分の目的の為なら、他人を不幸にすることを厭わないタイプに見えたから」

『……そうか。なら、そいつの事も面倒なことが起きない内に調べへんとな。そいつも僕と同じく記憶を持ってるんなら、尚の事や』

「でも、菖蒲ちゃんの記憶には……アイツは居なかったんとちゃうの?」

 桔梗がそう訊ねると、珍しく菖蒲が歯切れの悪そうな表情を浮かべてきた。

『僕が持ってはる記憶の中にはいない。けど、これからの記憶の事までは分からへん』

「なるほどね。でも、葵の奴も知らへんかったみたいやで? アレもかなり驚いてたから」

 自分と同じく紫陽の言動に驚いていた葵の事を話す。

 いつもは何でもお見通しかのように、飄々としている葵にしては珍しい反応だった。

 菖蒲も同じ事を思ったのか、失笑している。

『化け狸が驚いとる(さま)は、僕も見たかったなぁ。その点だけで言えば惜しかったわ』

 そう言って笑う菖蒲には、何処となく浅葱の面影がある。

 異母とはいえ、やはり兄弟だ。

 そう思った後で、桔梗の脳裏に紫陽が取った奇妙な点が思い浮かんだ。

(菖蒲やったら、何か分かるやろうか?)

「ねぇ、菖蒲ちゃん。その男の行動で一つ気になる事があるんやけど……」

 桔梗がそう切り出し、紫陽が熱心に祝部佳を強化していた話をする。

「本人は未熟な仲間を心配して、とか言うてたけど……僕としては妙に引っ掛かるんよ。どうしてやと思う?」

 鬼絵巻の件に関しては、自分よりも菖蒲の方が知識も深い。

 菖蒲に心当たりがあれば、この胸のつっかえは取れる。むしろ、そこが分かれば紫陽の目的が判明するような気さえするのだ。

 暫しモニター越しの菖蒲が口元を手で抑え、考え込む。

 そして、何か思い当たったかのように……口を開いてきた。

『祝部家の方に、まだ䰠宮が知らない鬼絵巻に関する何かがあるのかもしれん。前に蓮条が祝部家の蔵で葵の知り合いに会うたって言わはとったやろ? 葵はそれを僕らに見られへんように見張ってはる可能性があるかもな』

「なるほどね。確かに無くはない話……か」

 自分の頭で考えて、納得する。

 むしろ、その可能性は大いにあり得る事だ。菖蒲が記憶を掘り起こしているといっても、全てでは無いのだから。

「でも、葵が目を光らせてるとなると……祝部家の蔵に近づく事は難しいやろうね。きっとそれなりの防犯対策はしてはるやろうから」

『そやな。でも、それならいっそ啄木鳥みたいに奴がその男を突くのも手やな。最初の内は、襤褸を出したりはせんやろうけど……その内、出てくるかもしれん。葵なら魄月花の制限の事も知っとるやろうから』

「なら、変に焦らずの方がええって事やね」

 菖蒲が桔梗の言葉に軽く頷いてきた。

「じゃあ、今日の報告はここまでにしておくわ。僕も疲れたし」

 桔梗が軽く肩を上げてから、通信を切ろうとした。

 すると、そこで菖蒲が思い出したかのようにもう一つの情報を開示してきた。

『桔梗、切る前にもう一つ』

「なに?」

『藤たちが言うてた『プヨちゃん』の事なんやけど……何処にいるか分かったで』

「へぇ。さすが菖蒲ちゃん。きっと二人も喜ぶよ。それで何処に居ったん?」

 桔梗がそう訊ねると、何故かモニターに映る菖蒲が溜息を吐いてきた。

 そしてその後に、短い言葉を吐いてきた。

『香港』

 全く予想していなかった言葉に、桔梗は思わず我が耳を疑う。

「今、香港って聞こえたんやけど……聞き間違え?」

 動揺しながら再度訊ねるが、菖蒲からの答えは変わらなかった。

『聞き間違えとちゃう。鬼絵巻の一つは今、香港におる』

 菖蒲の言葉を聞いて、桔梗は思わず目眩を感じた。

 まさか、鬼絵巻が海を越えているとは露ほどにも思いはしなかった。



 桜鬼は、ルンルン気分で鬼兎火と魅殊と共にお風呂へと入っていた。

「椿鬼の奴も変に意地を張らず、一緒に入れば良いものを……」

 檜造りの湯船の縁に、両手と頭を乗せながら桜鬼がしみじみとした声を出す。

 すると体を洗っていた鬼兎火が、小さく苦笑を浮かべてきた。

「椿鬼が意地っ張りなのはいつもの事でしょう。でもまぁ、今回は鬼絵巻を手に入れた事を喜んでるんでしょうけど。あの子の主が鬼絵巻を手にしたのは、これが初めてだもの」

「なるほど。そういう事か。ならば仕方あるまい。その気持ち、妾にも分かるからのう」

 広い湯船に浮かせた足を桜鬼がゆっくりと動かす。

櫻真と共に手にした鬼絵巻は、これまでの時以上に嬉しかった。

 手に入れるという結果も大事だが、この喜びは結果だけでは得られないものだ。

「櫻真と妾の絆の勝利じゃ」

 上機嫌で桜鬼がそう呟く。すると、そんな桜鬼に対して鬼兎火が複雑そうな表情を向けてきた。

「やはり、不服かえ?」

 今回の戦いだけで言えば、鬼兎火は敗者だ。そのため、勝者である自分の言葉を疎ましく感じたのは仕方ない。

 けれど、そんな桜鬼の言葉に鬼兎火が首を横にしてきた。

「確かに、今回の鬼絵巻を取れなかったのは残念よ。けど、私が考えていたことは違うわ」

「そうなのか? では何故、斯様な小難しい顔をしているのじゃ?」

 顔を顰められている理由が分からず、桜鬼が小首を傾げさせる。

 すると鬼兎火がやや躊躇ってから口を開いた。

「桜鬼、じゃあ訊かせて貰うけど……櫻真君の事、異性として好きなの?」

 鬼兎火の言葉に、桜鬼は思わず目を見開き、あまりの気恥ずかしさに言葉を詰まらせた。

 別に隠したい気持ちというわけではない。

 けれど、自分以外の口からそう言われると、何とも言えない恥ずかしさがある。

 その恥ずかしさを落ち着かせるように、桜鬼が口元を湯船の中に沈めて、鬼兎火をジト目で見る。

 そんな桜鬼の仕草から全てを悟ったかのように、鬼兎火が険しい表情のまま溜息を吐いてきた。

「桜鬼、貴女の為にはっきり言わせて貰うわね。櫻真君を好きでいるのは止めた方がいいわ」

 鬼兎火の言葉は、熱くなった桜鬼の頭に……冷たい水を掛けてきた。

 桜鬼の横で湯船に浸かっている魅殊が、横目で桜鬼の顔を覗いてくる。けれど桜鬼はそんな魅殊の視線に構う余裕もなく、戸惑った様子で鬼兎火を見つめ返す。

「桜鬼も前回の私の事は知ってるでしょう? 正直、辛い思いをするだけよ。私たちと主たちでは生き方が違い過ぎるの」

 鬼兎火にそう言われ、桜鬼の脳裏に過ぎったのは……夏祭りの時に千咲と一緒にいた櫻真の姿だ。

 あの姿を思い出すと、桜鬼の胸に張り裂けるような痛みが走る。

 喧しい己の心臓の鼓動は、鬼兎火の言葉を肯定するように速い。

 いや、きっと正しいのだろう。

 自分は従鬼であり、人ではない。

 鬼絵巻が集まれば、自分たちは櫻真たちの前から消えてしまう。

だからこそ、鬼兎火も自分の気持ちを胸の奥にしまい込んだのだ。

(鬼兎火はやはり正しい……)

 けれど……

「辛いのは百も承知じゃ。でもこの気持ちは……辛いからと言って、どうにかなる物なのかえ?」

 桜鬼の口から出たのは、鬼兎火に対する辛辣な疑問だった。

「もしもどうにかなる気持ちならば……最初からこの様な想いなど抱いておらぬ。そうではないのか?」

 眉を顰めて、桜鬼が鬼兎火を見る。

 桜鬼の言葉に、鬼兎火が息を呑んだのが分かった。

(そうか。そういうことか……)

 口を閉じる鬼兎火を見ながら、桜鬼は納得していた。

「鬼兎火、其方もこの気持ちを捨てる事が出来なかったからこそ、しまったのだな?」

「……そんな言い方、やめて。しまったんじゃないの。私は私なりに決着をつけたわ」

「嘘じゃ。鬼兎火は気持ちに決着などしておらぬ。だからこそ、この間……魁に怒ったのであろう?」

 桜鬼が鋭く切り返す。

 すると鬼兎火が少し声を震わせて、言葉を返してきた。

「じゃあ、訊くわ。貴女は私たちが従鬼である事実を変えられるの? 消えずにすむ事が出来るの? 人になれるの?」

 鬼兎火の目からは涙が溢れていた。

 きっとこの言葉は、恋をした彼女がずっと胸に抱えていた気持ちだろう。

 鬼兎火はきっと、ずっと自分が従鬼であることを恨んでいたのだ。

 今度は桜鬼が言葉を詰まらせた。

 自分たちの存在を覆す力など、桜鬼にあるはずがない。人が人以外になれない様に、自分たちも従鬼以外になれはしない。

「分かった? 私たちは恋なんてしない方がいい。そうよ、私も、貴女も、魑衛も、そして魁も……恋なんんてしたら駄目なのよ」

 鬼兎火の言葉は震え、弱々しい。

 けれどそんな言葉が桜鬼の胸を容赦無く切り刻んできた。



 桜鬼たちが風呂に入っている間、櫻真たちはソファの上でぐったりとしていた。

「疲れた……ホンマに……」

「櫻真、それ昨日も言うてへんかった?」

 櫻真にそう突っ込んだのは、同じ様にソファに座る蓮条だ。

「そう言うても、鬼絵巻と戦うとやっぱり声聞力が根こそぎ取られしもうて……」

 声聞力を大量に消費すると、体力と共に気力が大きく失われる。

 蓮条と話す櫻真の声も、いつもより小さい。

「でも、今日はいつもより調子が良さそうやったやん? 鬼絵巻と戦ってる時の声聞力も上がってる感じやったし」

「あー……実は、俺自身もそれは感じ取ったわ」

 桜鬼と共に戦いながら、櫻真は今までの戦いの中で術の切れが良いのを感じていた。

「多分、調子が良くなったのは……舞を踊った後かな?」

 あの後から、声聞力の出力も、術の展開も、いつも以上に良かったのだ。

「そう言う蓮条も……舞、凄かったで? なんか、父さんみたいで……ちょっと悔しかった」

 櫻真が素直な気持ちを口にする。

 桔梗に言った時の気持ちより何割か抑えて、本音を言う。

(蓮条の舞を見て、焦ったとか……かっこ悪いもんな)

 自分の方が先に能楽師として舞を踏んでいたプライドもある。

 けれど、そんな櫻真の気持ちを他所に……蓮条が口の両端を上げて笑ってきた。

「当たり前や。俺の夢は……父さんを越すくらいの舞を踏むことなんやから」

 胸を張って、誇らしげにそう言ってきた蓮条。

 そんな双子の兄弟に、櫻真が苦笑を漏らす。

「もしかして、竹生島にある土器に書いた願いって、それなん?」

 櫻真がそう言うと、蓮条が顔を少しムスッとさせて、

「だから何?」

 と返してきた。

(めっちゃ、照れとる)

 照れ隠しをする蓮条に、櫻真は堪えきれず声を上げて笑った。

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