白々しい惚け方
「お、桜鬼っ! 落ち着いて。嬉しい気持ちは分かるけど、抱きつかんでも……」
顔を赤らめながら照れる櫻真が桜鬼を宥めようとするが、喜びで胸一杯の桜鬼には届いていない。
(この調子だと、後五分はこのままやな……)
照れながら桜鬼を見る櫻真の口元には、笑みが浮かんでいた。
有難い事に、ここは地上から離れた上空だ。多くの人に見られる心配はない。
そのため櫻真は桜鬼を離すのを諦め、彼女の気が済むまで抱きつかせる事にした。
気恥ずかしい気持ちはあるが、やはり櫻真にとっても嬉しい気持ちは同じなのだ。
頭上で鬼絵巻を手にする櫻真を見て、蓮条は一気に肩の力が抜けた気がした。
「今回は、本当にツイてなかったわね……」
「ホンマや。あの時、変な邪魔さえ入らなければ取れたかもしれへんのに」
がっくしと落ち込む蓮条と、それを慰める鬼兎火の背には、眠気のピークに達した藤と百合亜がおんぶされている。
彩香の悲鳴が聞こえたあとすぐに、眠そうな表情で彩香と共に二人が現れたのだ。
悲鳴を上げていた割に、無傷の彩香は妙に戸惑った様子で、蓮条に二人を預けて……気絶している隆盛の元へと向かって行った。
それから、赤べこ状態の二人を蓮条と鬼兎火がおんぶして、本堂へと続く点門をくぐったのだ。
藤と百合亜の従鬼である魅殊と魘紫は、蓮条たちの後ろに居るだけで、凄く大人しい。
魅殊の様子は自分たちと別れた時と変わらないが、魘紫は明らかに気分が下がっている。
(一体、俺らが居ない間に何が起きたんやろ?)
そんな事を考えながら、蓮条が辺りを見回していると……
「あっ! あそこにおるのって……」
声を上げた蓮条の視線の先にいたのは、宝物殿の方に視線を向けたままの葵と、以前、祝部家の倉庫であった青年の姿だ。
蓮条と同じく二人に気づいた鬼兎火が、警戒するように目を細めさせる。
「行くで、鬼兎火。きっと俺らを邪魔しよったのはあの二人や」
自分と入れ替わるように現れた葵を見て、蓮条がそう確信する。そんな蓮条に鬼兎火も首を頷かせてきた。
「ええ、そうね。元々あの人は櫻真君たちを押しているみたいだから。でも、注意して行きましょう」
蓮条と鬼兎火はおぶっていた百合亜と藤を降ろし、近くにあったモチの木側にある灯篭に寄り掛からせた。
蓮条が険しい表情のまま、葵たちの元へと向かう。
すると漸く自分たちの存在に気づいた様子の葵が目を見開いてきた。わざとらしさがない分、本当に自分たちが戻ってきた事を知らなかったらしい。
葵が何を気にしていたのかも気になるが、それよりも……
「俺らの邪魔をしたのは、葵たちやな?」
ギロッと葵を睨み、蓮条がドスを効かせた声で訊ねる。すると葵が視線を横に逸らし、今度はわざとらしい惚け顔を浮かべてきた。
「おほほ。何のことかしら? 葵、分かんなーい」
「白々しい惚け方、すんな! アホッ!」
「いやん。蓮ちゃんってば……そんなに目くじら立てないの。姉さんはただ、慣れない舞をして、疲れてるかなーーと思って家に送り届けただけじゃない」
「嘘つけ! 絶対に俺の事を邪魔したかっただけやろ!」
更に目を吊り上げた蓮条に葵が眉を下げて、
「そんなに怒らないで。姉さんだって間違えたと思ってるわ。蓮ちゃんだけじゃなく、桔梗ちゃんにもお帰りになって貰えば……良かったって」
そう言いながら、しょんぼりとした顔を浮かべてきた。
「つまり、あの鬼絵巻は椿鬼の主に渡ったのね」
溜息混じりにそう口を開いたのは鬼兎火だ。
その結末を聞いた蓮条は、何とも言えないモヤモヤとした感情が沸き起こる。
「俺、ホンマにただの邪魔され損やんっ! ああ、もうっ! 絶対に許さんっ! 今から葵をぶっ倒す!」
蓮条が怒りのままに、護符を構える。
するとそこへ……
「随分、荒ぶってはるね。蓮条君」
涼しい顔をした桔梗が椿鬼と共にやってきた。反対の方向からは地上に降りてきたらしい櫻真たちも近づいて来ている。
蓮条はムスッとした表情で、自分の胸中にある怒りを話す。
すると桔梗がにっこりと笑いーー
「うん、それならしゃーないね。やっちゃって。もし手間取りそうなら僕も手を貸すよ?」
と同意してくれた。
そんな桔梗の言葉に葵がすぐさま反論を返す。
「おい、何勝手な事言ってんだーー! 姉さんはお前らを陰ながら支えてるんだぞ!」
「支えてる? はぁ? 邪魔してるの間違いじゃなくて?」
葵の妄言は、冷めた表情の桔梗に一蹴される。
ここに来たばかりの櫻真と桜鬼は、顔を見合わせながら事の成り行きを見守っている。とはいえ、この先話が進んだ所で櫻真が葵の肩を持つことはないだろう。
唯一、味方である見知らぬ青年も欠伸を掻きながら、
「本当に姐御って嫌われてんだね。こりゃあ、大変だ」
とまるで他人事だ。
するとその反応にイラっとしたらしい葵が青年の頭を鷲掴みにする。
「邪魔者二人を、この島に送り届けたおバカさんが何を言ってるのかしら?」
米神辺りにある指に力を込め、葵が首を傾げさせる。
「いで、いでででぇえ。いや、間違えたのは俺だけじゃないから。姐御も伽羅の量を間違えてんじゃん。間違えなければ、奴らは明日の朝までは起きない手筈だったのに」
葵の手を離そうともがく青年が、そう反論する。
するとその言葉に反応したのは、
「なるほど。昨日から僕たちへの妨害をしていたのは貴方方でしたか」
気絶したままの佳を抱える紫陽だ。
その横には合流した仲間の隆盛と彩香がいた。二人の顔には嫌悪感混じりの険しさが浮かんでいる。
現れた陰陽院の人たちの姿に、葵が肩を竦ませた。
「最初にこっちの邪魔をしてきたのは、そっちじゃなくて? ならこちらも当然、邪魔はするでしょ?」
悪気のない葵の様子に、隆盛が怒った表情のまま一歩足を前に出した。
けれど、そんな勇む隆盛を紫陽が手で制する。
「隆盛君、落ち着いて。ここで彼女を相手にするのは危険だよ。そう易々と倒せる相手ではないし、彼女の言っている事も間違いではない」
「おほほ。さすがオッドアイちゃん。そこの自分たちが見えてない系、熱血坊やとは違うわね。さっ、貴方たちの犯人探しは終わったでしょうから、良い子に帰りなさい」
手をヒラヒラと動かし、葵が軽口を叩く。
するとそんな葵に紫陽が肩を軽く上下させてきた。
「いえいえ、まだ帰るわけには行きません。訊いて置きたい事がありますから」
「あら! 無血で帰って良いわよ、と言ってあげてるのに、まだ強請るっていうの?」
「勿論。では訊きますが、僕らの中に貴方が紛れたのは、この子が陰陽院に入ったからでしょうか?」
紫陽が示しているのは、意識を失ったままの佳の事だろう。
そしてそれを訊ねられた葵は、首を横へと降る。
「まさか、まさか。葵がそんな地味な男の子に目を向けるわけないでしょう。正直、その子がどんなに強くなっても、宿敵櫻真には勝てないもの。それにモブとしてはあまりにも役不足。それだったら私……貴方の方がかなり気になるわよ?」
目を細めて葵が紫陽を見る。
二人の間、いや、桔梗を足した三人の中に只ならぬ張り詰めたような空気が漂い始める。
けれど、葵の言葉の意味が分からない蓮条たちからすると疑問が深まるばかりだ。
しかしそんな怪しい空気は……葵の横にいた青年によって壊される。
「腹の探り合いしてるところ悪いんだけど、俺、帰って良い? マジでこの話に興味ねぇーわ」
「吏鬼ちゃん、主人である私を置いてこうって言うの?」
「だって、話が長くなりそうだし……俺、まだ夕飯食ってないから腹減ってんだよね」
「あら、そう。でも残念ね。貴方は邪魔者をこの島に入れたから減俸よ。おまんまは半分になったわ」
「うわ、ひでぇ。そういうのパワハラなんですけど?」
眠そうな顔から一転、葵の物言いに顔を強張らせる吏鬼。けれどそんな吏鬼の顔など御構い無しに、葵がスッと一歩前に出て、
「さっ、私の手下も小煩いし……一応、櫻真も鬼絵巻をゲットしたし、葵はこれにて退散といたしましょう」
と、いきなり撤退の意向を示してきた。
「なっ! 何かよくわからへん内に逃げるな! 俺との事はまだ済んでへんやろ!」
「蓮ちゃん、既に他の者の手に渡った物なのよ? ここは男らしく諦めなさい。昔からしつこい男は嫌われるのだから」
怒りを再燃させようとする蓮条から逃げるように、葵が術式を使って吏鬼と共に何処かへ飛んで行ってしまう。
「アイツ、言いたいことだけ言うて逃げよった!!」
口をわなわなと動かし、晴らせなかった怒りに蓮条が身を震わす。
するとそんな蓮条の肩を桔梗がポンと軽く叩いてきた。
「まぁまぁ、蓮条君。さっきの子やないけど落ち着いて。今、焦らずとも葵に借りを返す機会はあるから」
「そう言うても……葵の奴、神出鬼没やん」
納得出来ない表情を浮かべる蓮条に、桔梗が涼しい顔で口を開く。
「逃げる段階のアイツに仕返しするより、逃げ出さない状況のアイツに仕返しする方が良くない?」
桔梗の言葉で自分の怒りが一気に冷却されるのを蓮条は感じた。
「……桔梗、ホンマにええ性格しとるわ」
「そう? 僕は効率的な事を考えて助言したんやけどね」
溜息混じりの蓮条の言葉に、桔梗は温和な笑みを返してくるだけだ。桔梗の中に葵への情はまるで無いらしい。
そんな桔梗が口を閉じたままでいた紫陽たちへと口を開く。
「それで? 君たちはこれからどうするの? 僕たちと戦う?」
桔梗が顔だけ紫陽たちの方へ向ける。すると紫陽が首を横に振ってきた。
「これから戦う事に意味は無いでしょう。ここに出現した二つの鬼絵巻はどちらも回収されてしまいましたし。それを無理矢理奪おうとすると、どうなるかも……この前の件で分かってしまいましたから。なら、僕らは別の島にいる二人と共に退散しますよ」
「そう。なら話が早くて助かるわ。それなら、僕らも帰ろうか? 小さい子たちも夢の中みたいやし」
桔梗が灯籠近くで寝てしまっている二人に目を向け、蓮条たちにそう言ってきた。
話を聞いていた蓮条たちにも異論はない。
正直、上がっていた熱も冷めてしまい、体に残っているのは疲労感だけだ。戦わなくて良いのならそれに越した事はない。
眠ってしまった二人を櫻真が飛廉に乗せ、桔梗が点門を開く。
先に点門を抜ける櫻真と桔梗の背に続き、蓮条も点門を潜ろうとした。しかし、ふと気配を感じた。
蓮条が横目で振り返る。
するとそこには、地面に座って項垂れる隆盛に、佳の回復に回る彩香。
どちらも蓮条たちの方は向いていない。
こちらを向いていたのは、先ほどまであっさりとした態度の紫陽だった。その視線に敵意などは感じられず、ただこちらを見送っているように見える。
けれど、彼の視線は蓮条とは合わない。
蓮条ではない、別の何かを見ようとしている。
「蓮条? どうかしたの?」
横にいた鬼兎火に声を掛けられ、蓮条は首を横に振った。
「いや、別に何もあらへんよ」
敵意が感じられない以上、心配する必要はないだろう。
(……アカンな。変に心配性になってしもうて)
自分の性分に溜息を吐きながら、蓮条は点門を潜り抜けた。




