争奪戦
櫻真に手を握られた千咲は、顔を赤くして戸惑っている。そんな千咲の顔を櫻真は必死に見ないように努めた。
自分がしている事ととはいえ、結構恥ずかしい。
学校の校門を出た所で、櫻真は走っていた足を止める。
「ごめん、いきなり走ってしもうて……」
「ええよ。少し驚いたけど、私は、その気にしてへんから」
息を整える千咲の言葉に、櫻真は胸を撫で下ろす。保健室で休んでいたとはいえ、病み上がりの千咲を一緒に走らせてしまったのは、申し訳なくなる。
するとそんな櫻真たちの元に、眉間に眉を寄せた蓮条が走ってやってきた。
「いきなり、祥の腕掴んで走るなや。祥も驚くやろ? なっ?」
祥を挟んで横にやってきた蓮条が、そう言って千咲の顔を覗き込むように見る。顔を覗き込まれた千咲が少し驚いてから、顔を赤くしている。手は繋いだままだ。けれど、その手にある熱が上がったような気がして、櫻真は落ち着かない気持ちになる。
やっぱり、祥さんは……
暗い事を考えて、櫻真の気持ちは軋む。そんな櫻真の耳に、不貞腐れたような桜鬼の声が聞こえて来た。
『むぅ〜、幾ら鬼絵巻のためとはいえ……ちっとも面白くない展開じゃ』
『面白くないって、何が?』
気分を変えたくて、櫻真が頬を膨らませる桜鬼に訊ねる。すると、桜鬼が目を細めて千咲を見てから、さらに櫻真と千咲の手を見る。
『決まっておる。妾が面白くないのはこの状況じゃ! 何故、妾を差し置いて櫻真はその女子といつまでも手を繋いでおる!』
『えっ、いや……これは流れというか。でも、何で桜鬼が怒ってはるん?』
『当然じゃ。櫻真と妾は一蓮托生であり、運命の糸で結ばれているんじゃ。それにも関わらず他の女子と手を繋ぎ歩くとは……不貞極まりないんじゃ』
そんな事言われても……どう反応取ればええのか困る。
とはいえ、そんな事を桜鬼に言えば今よりも、もっと目くじらを立てるのは間違いない。ここは静かに話を流しておいた方が良さそうだ。
しかも、自分と桜鬼が会話している間に千咲との手は離れ、再び通学路を歩き出した時には蓮条が千咲と何気ない会話を弾ませていた。
顔は似てても、会話力が全然違う。
この現実が櫻真をグーで殴ってくる。現実は残酷だ。しかし、すぐに自分の性分を変えられるわけでもない。
「䰠宮君と蓮条君で同じ舞台に立つ事とかあるん?」
櫻真が自分の情けなさに溜息を吐いていると、千咲が自分と蓮条を交互に見て、そう訊ねて来た。
「えっ?」
前後の話が分からず、櫻真が少し抜けた声を出す。すると、千咲が小さくクスリと笑って、
「ごめんな。さっき蓮条君が部活の変わりに舞台の練習をしてはるって言うてたから。䰠宮君もこの間、舞台立ってたのを思い出して……。二人で一緒にやりはるんかな? って思って」
笑いながら、質問の経緯を話してくれる千咲の優しさに櫻真はほっこりした気持ちになる。
それに……
「祥さん、俺が舞台に出たこと知ってはったん?」
「うん。あんまり能の事は分からなかったんやだけど……䰠宮君が舞台に出てる所、見たいなぁって思って見に行ったんよ。紅葉ちゃんと一緒に」
見に来てくれたんや……。
千咲がわざわざ、自分の舞台に来てくれた事に嬉しさが込み上げる。こういう時に自分が如何に単純で、彼女の事が好きなんだ、と自覚する。
しかし、そんな櫻真の浮き足立っている気持ちは、そう長くは続かない。千咲の奥にいる蓮条が不愉快そうに顔を歪めていて、後ろにいる桜鬼も不服そう目で千咲を見ているからだ。
嬉しい場面のはずなのに、全くそれを噛み締めることができない。むしろ、自分が嬉しさを噛み締めれば噛み締めるほど、気まずさも増しているような感覚だ。
千咲は、桜鬼の姿も見えなければ、蓮条が櫻真に向けている表情を見ているわけでもない。そのため、櫻真に見に来てくれた舞台について、一生懸命に話し、感想を述べてくれている。
嬉しいのに、辛い。
櫻真は、蓮条と桜鬼の視線から逃れるように、千咲の話に耳を傾けた。
そんな時、ふと千咲の胸元が仄かに紅く光っているのに気がついた。
『桜鬼、この光って……』
『鬼絵巻の気配が強くなったぞ。櫻真、すぐにその娘の胸元から鬼絵巻を取り出すんじゃ』
『ちょっと、待って! 取り戻せって言われても無理や!』
『櫻真、この期に及んで色香な事を考えている場合ではないぞ! むしろ考えてはならぬ! きっと蓮条の方も気付いておる!』
『そんなん、言われても……』
いきなり、千咲の胸元に手を伸ばせるはずもない。むしろ、そんな事をしてしまえば、ただの変態だ。唯でさえ、今日は千咲の前でおかしな事をしてしまっている。これ以上、変な印象を与えたくはない。
桜鬼に言っても、分からんやろうけど……。
櫻真がそんな事を考えていると、そのまま千咲の家の前まで到着してしまった。
「䰠宮君、蓮条君、今日はわざわざ送ってくれて、おおきに。ホンマに助かったわ」
にっこりと笑って、千咲が櫻真たちにお礼を言ってくる。
あかん。このままやと、祥さんから鬼絵巻を離すことができひん。
けれどこのままにしておくわけにも行かない。鬼絵巻が千咲に対してどんな影響を及ぼすか分からないからだ。
櫻真の脳裏に、体育の授業の時に倒れた千咲の姿が思い浮かぶ。
もしも、彼女の命を脅かすような影響が出たら……?
「あの、祥さん……」
「祥、ちょっと俺、祥と二人だけで話したい事があるんやけど、少しだけ家に上がらせてもろうてもええ?」
櫻真の言葉を遮り、蓮条が先に千咲へと言葉を投げて来た。
「えっ、私に話?」
驚く千咲に蓮条がこくりと頷いてから、千咲の傍へと近づき彼女の耳元に何かを囁いている。蓮条から何かを言われた千咲は、顔を真っ赤にして蓮条を見て、そして櫻真の事を一瞥してきた。
顔を赤くして、少し気まずそうにしている千咲の姿に、櫻真は何とも落ち着かない気持ちになる。
蓮条は何を言いはったんやろ?
そして、今自分を見ている千咲は何を考えているんだろう?
二つの疑問が胸の中で撹拌され、焦りが生まれる。どうにかして、この状況を打壊しないといけない。
けれど、櫻真が必死にそれを考えれば考えるほど、良い考えなど浮かぶはずもなく、桜鬼は櫻真の耳元で『櫻真、時間がない。動くのじゃ』という言葉を掛けてくる。
動かなければいけない事は分かる。しかし、身体は動かない。完全に今の状況に臆している。
櫻真が躊躇っている間に、千咲の胸元の光がさっきよりも強くなっているのが分かる。
ヤバい。どうないしよう? あかん。
『このままでは、いけぬ!』
そう言って桜鬼が櫻真の前に進み出る。
「あっ……」
か細い声を上げたのは、さっきまで顔を赤くし、玄関先で立っていた千咲だ。小さな声を上げた千咲が、そのまま意識を失い、身体を後ろへと傾き倒れる。
「鬼絵巻の影響か……」
意識を失った千咲を左腕で支えた蓮条がそう呟いて、櫻真を見てきた。その瞬間、蓮条から声聞力が溢れ、透過していた鬼兎火が現れる。
「改めて言わせて貰うわね? 初めまして。䰠宮櫻真君。私は蓮条と契約した第五従鬼、鬼兎火よ。宜しくね。といっても、仲良くはできないみたいだけどね」
「ふん、では妾も其方の主に名乗るかのう。妾は第八従鬼、桜鬼じゃ。もうこれ以上、勝手なことはさせぬぞ」
実体化した鬼兎火に合わせて、桜鬼も姿を現す。
「ふふっ。それはこっちの言葉でもあるわね。それに……今の桜鬼たちに私たちが負けるはずないわ」
「戯けっ! 勝負をする前から決めつけるでない! 妾と櫻真が組めば、其方たちなど敵ではないわ!」
桜鬼……完全に向こうの挑発に乗ってはる。
けれど、桜鬼が自分の前に出て、そう言い切ってくれたことで、櫻真の中にあった焦りが少しだけ薄まり、気合いが入った。
櫻真も意識を集中させる。意識を集中させるということは、声聞力を上げるということだ。そしてその声聞力が桜鬼へと伝わっているのか、桜鬼が得意気な表情で鬼兎火を見る。
けれど、鬼兎火の表情は変わらず涼しい顔だ。
「むぅ、あの得意気な顔、何か引っかかるが……まぁ、良い。汝、呪禁の法の下、その身を晒せ」
桜鬼が刀を復元し、鬼兎火へと向ける。
「櫻真、先手必勝じゃ! 櫻真は出来るだけ、蓮条の意識を削がすのじゃ!」
「分かった!」