嫌いな自信家
投擲された護符は炎を上げて、二つの姿に変化する。
「前鬼と後鬼」
呟いた佳の前には、夫の赤鬼である前鬼が巨大な鉄斧を桜鬼に向けて振り回す。さすがの桜鬼も強行突破はせずに、鉄斧を弾き返す反動を使って後ろへ跳んでいる。
その間に妻である青鬼の後鬼が、佳へと瓶に入った霊水を振り掛けてきた。
後鬼に霊水を掛けられた佳は、そのまま風のクッションの上に背中から落ちる。
「先に風を起こしておいて、正解やったな……」
安堵しながら倒れた体を起こし、佳は自分の霊水を掛けられた体を確認する。
しかし何処を見ても、触ってみても、濡れている様子はない。
霊水はあっという間に佳の体に入り込み、乾いてしまっている。けれど、この式鬼神を出したのは間違いなく紫陽であり、先ほどの霊水は佳の声聞力を一時的にでも上げるものだろう。
後鬼は佳を守るように正面で待機している。元より後鬼は攻撃に特化してないのだ。
佳が空を仰ぎ見る。頭上では前鬼が桜鬼相手に空中戦を行なっていた。
前鬼と戦っている桜鬼の手には、もう一本の刀が握られている。前鬼・後鬼の登場を見ていた櫻真が桜鬼に付与したのだ。
前鬼はそんな桜鬼に鉄斧一つで奮闘していた。しかしそれも時間の問題だろう。
いくら式鬼神の中でも強い前鬼・後鬼だとしても十二神将ほどの強い霊体ではないからだ。
けれど紫陽も自分と同じく従鬼を相手にしている。これ以上の増援は望めない。
(保って、二分が関の山って所やな……)
そう考えながら、佳は集中して声聞力を高め始める。
紫陽が与えてくれたこの機会を、無下にすることは絶対にできない。
桜鬼を倒すことは出来なくても、主である櫻真に痛手を負わせることが出来れば……それだけで活路が開けるはずだ。
指剣を構え、佳が術式を詠唱する。
「木行の法の下、雷獣の咆哮を撃とし、敵を討て! 急急如律令!」
天雲を突き抜け、地上へ降り立つ三本の剣。雷の轟きと苛烈さを携えて、櫻真の頭上に振り下ろされたそれは、佳による渾身の一撃だ。
剣から溢れ出す余波が、櫻真たちが張った結界の外にいた邪鬼をあっという間に駆逐する。
無数の邪鬼を一瞬で浄化させた技の威力は壮大だ。例え櫻真が防ぎ切ったとしても、結界を維持するために声聞力を消費するはずだ。
それに加え、今の佳は後鬼の霊水を浴び、声聞力が上がっている状態でもある。
これなら、イケる。胸中で佳の中でそんな自信があった。
櫻真が慌てた様子もなく、新たな術式を詠唱する。
「土行の法の下、地の盾よ、空から飛来せん雷を防ぎ給え! 急急如律令!」
瞬間的に、櫻真の頭上に土壁が形成される。
確かに土は木行系列でも火行属性の色が強い雷において優勢だ。けれどその関係性を持っていたとしても、佳が放った一撃は大きく、簡単に防ぎ切れるものではない。
威力を減衰されたとしても、櫻真の土の壁を突き破れさえすれば良い。
そう踏んでいたのだが……
佳の放った雷撃が櫻真の頭上で弾け飛ぶ。凄まじい閃光が辺りを白く染め上げた。電流が迸り、辺りの木を薙ぎ倒す。
しかしその攻撃の矛先は櫻真の術式によって、上空へと跳ね返されてしまった。
閃光が染めた世界は、元の色に戻っていく。
佳の頭上で戦っていた前期は、すでに跡形もなく姿を消している。時間にして二分を切っていた。
それを見ながら佳は茫然とし、ショックを受けていた。
何も考えることができない。渾身の一撃を跳ね返された事による反動だろうか?
「先ほどの技、なかなかの物であった。じゃが……我が主、櫻真を落城させることは不可能であったのう」
声は自分の背後から聞こえてきた。
けれど佳がその声に振り向かない。いや、振り向くよりも先に首を襲った衝撃で意識を失ったのだ。
そしてその瞬間、今まで微塵も動かなかった青雲が、櫻真を自身の挑戦者へと定めてきた。
「またも幻術を使って、狙撃から逃れてきました」
そう言ったのは、照準から目を離した椿鬼だ。桔梗たちは本堂から離れ、宝物殿の方へと来ていた。
「全く忍者でもないんやから影分身とか止して欲しいわ。ホンマに昨日の餅アイスの時といい、小細工が多くて……」
宝物殿の前に立つ、本物の紫陽へと桔梗が目を細めさせる。すると紫陽が困り顔で苦笑を浮かべてきた。
「僕としても飛んだ誤算でした。昨日の戯れぐらい、貴方だったら気にしないと思ったんですが……結構、根に持つタイプだったんですね?」
「そうやね。僕はこう見えて負けず嫌いなんよ。しかも、アレだけ虚仮にされたらねぇ……もう、黙っていられへんやろ?」
桔梗がそう言ったのと同時に、椿鬼がライフル銃の引き金を引く。椿鬼が放った銃弾を紫陽が結界を使って弾き、眉を顰めさせた。
「少しも僕の事ばかり言えない気がしますけどね。僕を撃ってきた銃弾に特殊な術式を掛けているんですから」
紫陽の言葉の通り、椿鬼が放った銃弾には結界を破れるように術式破壊の術を掛けてある。
如何なる術式を斬ることのできる魑衛ほどまでには行かないが、単発的な結界なら破ることができる。
そのため紫陽の結界はガラス窓のようにヒビが入り、結界が破れた。
「そんな顔せんでよ。また結界を張ればええ話やろ? それに僕はまだ生温い方やと思うよ? 隠密こそ本領発揮の椿鬼を前に出して、戦わせてるんやから。あっ、でも先に言うておくね。次は当てるよ」
桔梗が牽制の言葉を吐くと、紫陽の顔が険しくなる。
けれどそんな顔をしながらも、相手の意識が分散しているように感じるのは気の所為ではないだろう。
「僕もいい加減、舐められ過ぎとるみたいやね。さっきの言葉は冗談でもないんやけど。それとも、自分の身よりも向こうにいる子が気になりはる?」
桔梗がそう訊ねると、紫陽が大袈裟に溜息を吐いてきた。
「あの子は、まだ成長途中なんですよ。だから、さすがに第八従鬼である彼女を相手にするのは厳しいでしょう。それを考えれば心配するのも当然では?」
尤もらしい意見だ。
けれど道理が通り過ぎていて、逆に信用ができない。
桔梗が目を細めて、対峙する紫陽へと口を開く。
「じゃあ、どうしてそんな成長途中の子を連れてきはったん? 僕との戦いに集中できへんくらい心配なら、連れて来るべきやないと思うんやけど? それを考えると君の言葉って、辻褄が合ってそうで、合ってへんよね?」
「それは、ただの深読みという奴ですよ。僕は本当のことしか言ってません。それに、当初の僕の予定では、貴方の相手を彼にしてもらう予定だったんですよ。でも、貴方が詰まらない執着で僕を狙ってきたので……計算が狂ったんです」
紫陽の言葉に、桔梗が思わず眉を寄せた。
どんなに祝部佳という少年が著しい成長を見せようと、今の自分を倒すことはできない。
それにも関わらず、この男は佳と自分を戦わせようとしていたのだ。
やはり、この男の言っている事は真っ黒だ。不快な気持ちが口から溢れそうになる。いっそ、この気持ちのまま、この男に攻撃を始めようか? とさえ考えてしまうほどだ。
(ああ……。やっぱりこの男、僕の嫌いなタイプや)
しかしそんな気持ちを一度、頭の隅に追いやった。感情の熱にまだ浮かされるわけには行かない。
「……君の言葉自体が策略か何か?」
相手への嫌悪感を喉元で押し留め、桔梗が静かに声聞力を上げながら訊ねる。紫陽自身も気付いているはずだ。桔梗が自分に対して嫌悪を抱き、敵意を剥き出しにしている事は。
けれど、紫陽は苦笑を浮かべるばかりだ。
「策略なんて考えてません。だからそんな敵意を剥き出しにされるのは、困りますね。僕はただ確信があるんですよ。貴方が佳君を倒す前に……僕が彼らを倒せると」
そう言って紫陽が徐に右手を上げた。するとその右手に羅針盤のような物を現れた。
そして羅針盤の上を光の指針がクルクルと回転し、【東北東】を示してきた。その位置は紫陽から見れば、丁度桔梗と椿鬼が立っている方角だ。
指針がピタリと止まった瞬間に、椿鬼の体に大小ある無数の風穴が空いた。頭の左上部、右胸、お臍、左足……が消滅している。
一瞬の出来事に桔梗の目が見開かられる。けれどすぐにそんな桔梗の表情が笑みに変わる。
「ホンマ……凄い自信家やねぇ。それで、そんな慢心している君にええ事を一つ教えとくね」
風穴だらけにされた椿鬼の姿は霧が晴れるように消えて無くなる。そこから現れたのは、人形の和紙一枚。
「僕はね、君みたいな自信家が一番嫌いなんよ」
桔梗の言葉が言い終わるのと同時に、紫陽の背後から二つの銃弾が放たれる。
放たれた銃弾は紫陽が張っていた結界を突き破り、右太腿と右手上に乗る羅針盤を貫いた。
そして、その銃弾と共に椿鬼自体が紫陽へと肉薄した。




