異変の正体
ゴゴゴゴゴゴッ……という音が儚たちの耳を揺らしたと思えば、多景島から少し離れた場所の湖面に大きな渦が発生し、そこから金銀色の鱗を輝かせる龍神が現れたのだ。
「あの龍神、絶対に鬼絵巻やんっ!?」
驚きのあまり儚が大きな声を出す。そんな儚の声に合わせて、夜鷹と戦っていた瑠璃嬢から大きな舌打ちが聞こえてきた。
水中から現れた龍神は迷う素振りもなく、悠々とした動きで竹生島の方へと飛翔していく。
(このままやと、鬼絵巻が取られてしまう)
目の前に堂々と現れた鬼絵巻に、儚の気持ちは自然と焦っていた。
瑠璃嬢ほどの意気込みがないとしても、目の前に「宝」が現れれば、口惜しくなるのが人の性だろう。
しかし、その宝である鬼絵巻に近づくためには、目の前の敵を倒さなければならない。
「魁、物理やなくて術理で攻めようと思うんやけど……他にあの大百足の弱点になりそうな事とか知っとる?」
魁の顔を見上げながら、儚が足早に訊ねる。
すると大百足の吐瀉物を長槍で斬り落とす魁が少し眉を寄せてきた。
「太平記に描かれた唐橋に出てくる大百足は、人の唾に弱かったと思うぞ。あとは……百足は昔から龍や蛇と敵対してたな」
儚に答えながら魁が身を捻転させ、後方から襲ってきた百足の尾を槍で叩き落とす。
叩き落とされた尾は、大きな水飛沫を開けながら水面に落下した。
それに合わせて、魁が破壊されていない桟橋の上に着地する。
「じゃあ、龍か蛇の形を催して術を放つとか、どう?」
「いや、敵対してたって言っても、どの伝承も百足が優勢だったからな……いっそのこと弓矢で奴を射抜く方が勝機ありそうだ」
大百足の動きを観察しながら、儚と魁で大百足を倒す算段を話していると、斜め前方から声が掛かった。
「どんな戦い方をしても良いが、こちらに迷惑を掛けるな。それとも奴らと戦うフリをして、私たちの事まで妨害しているのか? 良い度胸だ」
文句を言ってきたのは、こちらを鋭い目つきで睨む、びしょ濡れ姿の魑衛だ。どうやら、先ほど上がった大量の水飛沫を被ってしまったらしい。
そして鬼絵巻の出現でかなり気が立っている様子だ。
口に手を当てあちゃーーという表情を浮かべる儚に対し、魁はケロッとした様子で、
「おいおい、勝手に深読みすんなよ。お前を濡らしちまったのは、偶々だ。それに水を被って良い男度が増したんじゃないか? 魑衛?」
と揶揄している。
「抜かせ」
短い言葉で魁の言葉を唾棄した魑衛は、瑠璃嬢からの合図で再び夜鷹へと向かっていく。そんな魑衛の姿を見ながら、魁が自身の敵へと目を向けた。
「よしっ、儚。魑衛の奴にも尻を叩かれたからな。早々に蹴りを着けるか」
威勢の良い声を上げ、魁が長槍を和弓へと変化させる。
「狙うは左目。景気の良い花火を上げてもらうぜ?」
儚を隣に降ろした魁が躊躇う様子もなく、矢羽を持った右手で弦を力一杯に引く。
矢尻が大百足の左目に向いた瞬間、弓から矢が放たれた。
放たれた矢は熱を帯び、炎を纏い、大百足へと天を走る彗星のように飛んでいく。
大百足が頭を動かすよりも速く、炎の矢は敵の目玉を貫き射抜く。
矢に射抜かれた大百足は、怪鳥のような甲高い声を上げて、そのまま後ろへと倒れ込むと跡形も無く消滅してしまった。
「あらあら、まぁまぁ……」
まさかと言わんばかりの表情で、目を見開き驚く夜鷹。けれどそんな夜鷹へと魑衛が斬撃を放っていた。放たれた斬撃は容赦なく夜鷹の体を切り裂く。
「……小癪な。変わり身か」
斬撃を放った魑衛が眉を顰めて、ボロボロに崩れた髑髏の残骸を睨む。
それから髑髏の奥に佇む夜鷹へと視線を移した。
「納得できなーーい!」
不服そうに頬を膨らませたのは、夜鷹の近くで大百足がやられる様を見ていた穂乃果だ。
そしてそんな穂乃果の言葉に、儚の隣に戻ってきた瑠璃嬢が顔を歪めた。
「地味にしつこくて、イライラする。それに、あの女……」
言葉を切った瑠璃嬢が桟橋の方に着けていたボートの方へと視線を向ける。彼女に合わせて儚もそちらを見ると、そこに在るはずのボートが無くなっていた。
あるのは水面に無残な姿で浮く木片だけだ。
「意地でもウチらを竹生島に行かれへんようにしてんねんな」
儚がそう呟くと、ご名答とばかりに夜鷹が微笑んできた。けれどそんな彼女の表情が儚の横にいる瑠璃嬢の闘志を点火させてしまう。
「アンタ達がその気なら……もう容赦しないから。魑衛っ!」
先程よりも声聞力を上げる瑠璃嬢が自身の従鬼の名を呼ぶ。
すると主の意思を汲み取っていたらしい、魑衛が瞑目し……その姿を変えてきた。閉じていた目を開くとその眼は朱となり、口から覗く犬歯も先程よりも長く、鋭くなっている。
そして額からは、それこそ額からは鬼らしい二本の黒い角が生えていた。
「あの姿って……」
「あの姿は所謂、魑衛の第二形態って奴だな。しっかし……俺が前見た時よりパワーアップしてる感じだぞ?」
目を瞬かせた儚にそう説明してくれた魁が、驚き交じりの苦笑を零してきた。




