攻撃範囲
桔梗は空気に嫌な波紋が広がったのを感じた。波紋は大きいのが一つ、小さいのが一つ。
大きいのはどうでもいい。問題なのは小さい方だ。
(……どうやったんやろ?)
桔梗はやや急勾配な石階段を登り終え、弁才天が奉られている本堂へと来ていた。
本堂の朱色の門は、堅く閉ざされており、その門の上には注連縄が張られている。本堂の前に立っても、鬼絵巻の気配はない。
ただ鬼絵巻に吸い寄せられる邪鬼の気配は濃くなっている。虫や夜鳥の声に邪鬼の呻き声が混ざってくる程に。
だから、鬼絵巻がここにあり、自分たちの前に現れるのは確実だろう。そしてそれに合わせて、何処かで様子見をしている葵も動くはずだ。
しかし状況が大きく変わらない以上、桔梗の考えは小さな波紋へと向かってしまう。
小さい波紋は、櫻真たちが開いた点門が開いた気配だ。
瑠璃嬢や儚たちが開いたならば良い。けれど、瑠璃嬢は自分が点門を通れない事を知っている。魑衛の能力を使っても、点門自体を無くしてしまうから無意味だ。
そしてそれが分からないほど、瑠璃嬢も考えなしではない。
儚も手立てが分からない以上、鬼絵巻が立てたこの制約すらどうする事もできないだろう。
可能性を潰していくと、行き着くのは百合亜たちだ。
しかし藤や従鬼たちはまだしも、女の子である百合亜がどういう手段を使って、点門を抜けたのだろう?
藤たちが百合亜だけを置いて行くのは考え難い。
(うーん)
額に手を当て、思い悩む桔梗。そしてそんな桔梗に追い打ちを掛けるように櫻真が辺りを
キョロキョロと見回し始めた。
櫻真も異変に気付いたのだろう。主の様子に気付いた桜鬼が気配を窺いーー
「魘紫と魅殊の気配がするぞ! どうやら、この島に入ってきておるようじゃ」
「えっ、百合亜たちが? でもどうやって?」
困惑する櫻真を横で、桔梗は深い溜息を吐いた。そんな桔梗の腕につく端末が振動した。
嫌な予感を抱えながらも、桔梗がディスプレイを表示する。
【䰠宮 浅葱】の文字を見て、桔梗はすぐに通信に出た。
『もしかしてなんやけど……百合亜と藤が従鬼を連れて、そっちに行ってりする?』
「もしかしてでもなく、来てますよ! 何でちゃんと見てないんですか?」
桔梗が端末越しに眉を顰めさせる。すると画面越しの浅葱も顔を険しくさせてきた。
『あのな、僕にも目を離さんと行けへん事情があったんよ。背に腹はかえられへんやろ?』
「小さい子相手に、背に腹はかえられないって、どんな状況ですか?」
『少し考えれば分かるやろ? 百合亜と一緒にいる従鬼……アレ、僕やばい奴やと思う』
眉間に眉を寄せたままの浅葱が神妙な声を出してきた。
(魘紫と何かあったんやろうな……)
内心で、魘紫と浅葱のやり取りを想像しながら、桔梗は腹を決めていた。
「分かりました。浅葱さんと魘紫の攻防は隅に置いとくとして……百合亜たちはこちらで何とかします」
桔梗はそう言って、浅葱との通信を終わらせた。
するとそんな桔梗に、椿鬼が声を掛けてきた。
「主がお話し中に考えていたのですが……もしかすると魅殊の能力が関係しているかもしれません」
そう言いながら椿鬼が顔を顰めさせる。
「魅殊の能力って、どういう能力なん?」
桔梗が訊ねると、椿鬼が言葉を言い澱ませている。どう主である自分に伝えあぐねているようだ。そしてそれは他の従鬼も考えているらしく、口を開かない。
「幻術的な感じ?」
櫻真が答えを求めて、桜鬼に質問を投げる。すると困り顔の桜鬼が微かに首を振ってきた。
「幻術ではないのう。能力をそのまま言うと……魅殊がかいた物は、本当に意味を成す。昨日、妾たちが金縛りにあったじゃろう? アレは魅殊が「縛」と言う字を書いたのかもしれん。他にも動物の絵を描けば、その描いた動物などが動き出すのじゃ」
「ええっ! それ、めっちゃ凄くない?」
櫻真ではないが、凄く厄介な技だと桔梗も思う。
「うむ。能力自体はのう。じゃが、魅殊の能力が及ぶ範囲は狭い。魅殊を始点と考えて、そこから3丈ちょいの相手にしか通じなかったはずじゃ」
「つまり、10m以上離れれば、魅殊の攻撃範囲から逃れられるって事か……」
桜鬼の説明を聞きながら桔梗が唸る。攻撃範囲が狭いと言っても、それが屋内になれば十分すぎる距離だ。
(世が世なら、ホンマにヤバかったかもしれん)
桔梗は時代と魅殊の主が「藤」である事に桔梗は心から感謝した。
「とりあえず、僕が百合亜たちをここまで連れてくるわ。椿鬼、行くよ」
「畏まりました」
桔梗が声を掛けると、椿鬼が恭しく頭を下げる。
するとそんな桔梗を見て、櫻真が何か言いたげな表情を浮かべてきた。櫻真の表情から何を言いたいのか、何となく予想はつく。
「櫻真君、気にせんでええから。それに……」
桔梗が指剣を構え、点門を開く。
「これを使って下まで降りるから」
そう言って、気まずそうな表情の櫻真に笑みを浮かべると、櫻真がホッとしたような表情を浮かべてきた。
そんな櫻真の顔を見てから桔梗が点門を潜り、都久夫須麻神社の前まで来た。
「櫻真君も本当に気遣い屋さんやね……」
きっと、櫻真は桔梗一人に百合亜たちの事を押し付けてしまう事を気にしたのだろう。
けれど、鬼絵巻がいつ現れるかも分からない状態で、自分が行くとも言い出し憎かったのだ。良心の呵責で悩む櫻真を考えると、ついとある人と重ねてしまい、可笑しくて笑いたくなる。
(まぁ、それだけ櫻真君が優しい子って事やけど……)
口元に小さな笑みを浮かべつつ、桔梗は辺りを見回す。
すると神社の前にある竜神拝所の周りをグルグルしている、子供たち四人の姿を見つけた。
「いた……」
安堵の息と共に、見つけた百合亜たちの元へと向かう。
「百合亜、藤」
桔梗が手前にいた二人の名前を呼ぶ。すると、幼い二人が顔を上げてきた。その目はここには居ないと思っていた桔梗の登場に驚いている。
そんな二人に桔梗が一瞬だけ笑みを浮かべると、子供たちも一緒に笑みを浮かべて来た。
二人の態度を確認してから、桔梗が表情を真顔へと戻す。
「二人とも、お留守番って言うたのに……どうして、ここに居るの?」
桔梗の口調自体は、至って冷静だ。けれどそこには怒りの圧がある。それを感じ取った百合亜と藤がはたとして、表情を強張らせてきた。
桔梗に訊ねられても、二人はしばし沈黙を保ったままだ。
「黙ってちゃ分からへんよ? 僕もね、二人の気持ちを聞いてから、色々考えたいんよ」
百合亜と藤の様子は、普段通りだ。どこか怪我してるとか、体調が優れないとか、そういう異変は見受けられない。
しかし、二人の口からここに来た経緯をちゃんと聞くまでは、掛ける言葉や態度を決める事は出来ないと思っている。
桔梗の言葉を受けて、律儀に手を挙げたのは藤だった。
手を挙げた藤の方へ桔梗が視線を向ける。
「僕が言ったの。百合亜に……探検しようって。だから百合亜は悪くないよ」
「じゃあ、ここに行こうって言い始めたのは藤なんやね?」
桔梗が確認すると、藤がコクンと小さく頷いてきた。そんな藤を見て、百合亜が慌てたように口を開く。
「でもね、でもね、藤と百合亜はね、遊びたかっただけなんだよ! 悪い事しようとしてないよ!」
自分を庇ってくれた事が分かった百合亜が、必死に藤を庇い始める。その内容がどうであれ、百合亜は一生懸命だ。
桔梗はそんな二人を前に、小さく息を吐き出す。




