星明殿
「お前らと違って、占術が出来ない俺に言うな」
彼からしたら尤もな返答だ。けれど、穂乃果はそれでも首を傾げさせる。
「だって、穂乃果だったら自分を取り合うイケメンの数が大いに越したことないよ? それだったら佳君よりも遠夜君に来て欲しいけどなぁ」
「鳴海さんっ! 祝部君に失礼だとは思わないんですかっ!?」
失礼極まりない穂乃果の言葉に、彩香が目尻を吊り上げる。
「失礼って言っても、事実だから仕方ないと思うよ? 勿論、下には下がいるとは思うけど、佳君と遠夜君を比べたら、ねぇ?」
「人を見た目で比べるのは、如何な事だと思いますよ? 人間大事なのは中身です」
彩香がきっぱりとした声でそう言うと、穂乃果が彩香に哀れみの視線を向けてきた。本音を言えば、その視線を突き返したいのは彩香の方だ。
けれどそんな自分の心情など考えていないように、穂乃果が口を開く。
「百瀬ちゃんがイケメン好きって訳じゃないのは知ってるよ? 百瀬ちゃん、隆盛君にラブだもんね」
「なっ! 違います!」
彩香は穂乃果の言葉に即答で否定した。けれど、そんな否定はまるで意味を成しておらず、穂乃果が口元に酷薄な笑みを浮かべてきた。
「嘘ばぁーっかり。穂乃果に隠し事をしてもムダムダ」
穂乃果にからかわれ、顔を真っ赤にしながらも反論の言葉を返せず、彩香が慌てふためく。
するとそこへ、明音を先導するように笑顔の夜鷹が入ってきた。
「まぁまぁ。皆さん、何を盛り上がっているのです?」
「うーんとねぇ……」
「いえ、特に何も! 全くもって盛り上がっていませんっ!」
これ以上、変な話を盛り上げられないように彩香が声を大きくして、穂乃果の言葉を遮る。気色ばんでいる彩香の様子に、夜鷹が「ふふ」と笑ってきた。
幸いだったのは、夜鷹が話を蒸し返さずに別の話題を持ってきてくれた事だ。
「皆様に少々、お話したいことがあるのです」
改まり話始めた夜鷹の声音と顔は、真剣なものだった。
その空気を感じて、彩香を含む全員の顔に緊張が走った。先ほどまで下ららない事を考えていた穂乃果でさえも、真剣な顔つきになっている。
「これは、私の思い過ごしならば良かったのですが……どうやら、この陰陽院の中に紛れてはいけない物が紛れていたようです」
目を細めた夜鷹の声はとても静かだった。けれどその声音には芯があり、彩香たちの気持ちを揺らすのには十分な威力があった。
櫻真たちは、竹生島へと向かう準備を始めていた。
「占術通りに考えるんやったら、鬼絵巻と戦うっていうより、舞を見せるって感じなんかな?」
声聞力を込めた護符を書き足しながら、竹生島の舞を確認していた。
一瞬、能の舞台としては新しい分類に入る「竹取物語」も確認しようと思ったが、占術に出た「天女」というワードを踏まえて、竹生島の舞に集中することにした。
竹生島の舞は、何度か見たことがある。それこそ、䰠宮の稽古場でも後シテでやる龍神の舞も、後ツレである弁才天の舞は稽古していた。
基本、能楽はシテ方役、ワキ方役、狂言師……のそれぞれに流派がある。一般的には、シテ方役流派、ワキ方役流派などに別れて稽古を行うが、䰠宮家は全ての役の稽古を行っていた。
これは極めて稀な事であり、他の流派からしてみれば、ある意味異質な流派にも見られている。
古参の人たち曰く、䰠宮は平安時代から雅楽に精通しており、自前の舞台を持っている事が大きく関係しているらしい。
櫻真自身は、まだその䰠宮が持つという舞台は見たことがない。
父親である浅葱にその舞台について訊くと、『䰠宮にとって重要なこと』が行われる神聖な場所のため、普段の出入りは禁止していると言っていた。
(桜鬼たちは、知ってはるんかな?)
まだ見たことのない舞台に興味を抱いた櫻真が、桜鬼の方へと視線を向けた。
「ん? 櫻真、どうかしたのかえ?」
自分の視線に気づいた桜鬼があどけない仕草で小首を傾げてきた。
「いや、どうもしてへんけど……ちょっと訊きたい事があって……」
「うむ。櫻真の疑問にならば、妾も誠心誠意を持って答える所存ぞ」
「そんな肩の力を入れへんでも大丈夫やで? 俺が訊きたい事って言うのも、䰠宮が持ってるっていう能舞台についてやから」
片手で胸をポンと叩いた桜鬼に、櫻真が苦笑を零す。
すると櫻真の言葉を聞いた桜鬼が目をぱちくりと瞬かせ、「星明殿のことかえ?」と訊ね返してきた。
「星明殿? 殿やと舞台っていうより、屋敷の名前っぽくない?」
「そうじゃ。櫻真が申しておる䰠宮の舞台は、その星明殿の正殿前にあるものじゃ。そこはかつて䰠宮家、陰陽の上が政務を行う場所であった」
つまり、櫻真が当主となれば使うべき場所じゃのう、と桜鬼がにっこりと笑みを浮かべてきた。
そんな桜鬼に櫻真が、イヤイヤと首を振る。
「正直、それがどこにあるかも分からへんし……政務って仰々しく言われても……いまいちピンときいへん」
それこそ、昔ならば朝廷や幕府から命を受ける事もあっただろうが、それは陰陽道が公のものであった時代の話だ。けれど、そんな櫻真に桜鬼があっさりとした声音で口を開いてきた。
「場所なら今でいう奈良県にあるぞ。談山神社より奥地の山岳じゃ。吉野山に近いかのう。まぁ、それに山岳と言っても山と山の谷間。その中腹に建立されておる。それに櫻真が政務と聞いても、今いち腑に落ちないのは仕方ない。それらを今担っておるのは、当主である浅葱じゃからのう」
桜鬼がそう言ってから、やや哀れむような、同情的な表情を浮かべた。
「ーー浅葱の身を考えると、些か難儀な話じゃ」
どうやら桜鬼が同情していたのは、櫻真の父親であり現当主である浅葱に対してのようだ。
そしてその意味が分からないほど、櫻真も愚かではない。
桜鬼の言う通り、いまだに䰠宮が政権関係者からの仕事も受けているとすれば、浅葱一人で担うには大変すぎる。
表情を曇らせた櫻真に、桜鬼が「じゃが」と声音を明るくさせてきた。
「浅葱も考えなしではなかろう。きっと荷が重いともなれば、別の誰かを名代に置いているはずじゃ」
「そやな。父さんが家の為に自分の身を粉してまで頑張らんもんな」
しかしそう言いながら、息子である自分や蓮条、妻である桜子の為なら無理するかもしれないーーと思い、櫻真は不安を拭うことは出来なかった。
もし、自分の知らない所で浅葱が無理をしているのであれば、それを何とか緩和したいとは思う。
そして、そうする為には、やはりもう一人の当主を決めなければいけない。
「桜鬼に教えてもろうて良かったわ。俺、ホンマに自分の家の事、分かってるようで全く分かってへんかった」
櫻真が桜鬼に苦笑を零すと、桜鬼はそれに穏やかな笑みを返してきた。
「そのような顔をする必要はないぞ。今知ったからと言って、遅いわけではない。むしろ、この時代を生きる者からすれば、早い方ではないのかえ?」
桜鬼にそう訊ねられ、櫻真は今度こそ晴れ晴れとした気持ちで頷いた。




