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嫉妬の感情

 佳は、近江舞子近くにある宿の一室にいた。紫陽が事前に予約していた所らしい。一般的な家族が泊まる大型施設ではなく、レストランがメインのオーベルジュスタイルの宿だ。

 周りにはよく手入れされた庭があり、アメリカの豪奢な隠れ家を思わせるログハウスは、まさに贅沢そのものだ。女性たちの部屋はまた別で、バルコニーデッキがついたモダンな雰囲気のある部屋だった。

 隆盛は部屋に入るなり、体をベッドに預けており、遠夜もログハウスの二階へと上がっていく。そんな二人の様子を佳がぼんやりと眺めていると、

「ここは料理も美味しいみたいだから、楽しみだね」

 この部屋を用意した紫陽が話し掛けてきた。

「はぁ。でもまさか泊まる事を前提にしてはるとは思いませんでした」

 少し疲れを滲ませた声で佳が紫陽の方へと顔を向ける。紫陽は既にコーヒーを飲む準備を始めていた。

「占術で未来を聞いたら、宿は取っておいた方が良いって出ていたからね。おかげでいい宿が取れて良かったよ」

「つまり、ここら辺で鬼絵巻を取り合うって、分かりはってたんですか?」

「いいや。残念だけど、僕の占術で鬼絵巻がいつ出るのか、どこに出るのかは分からない。僕が明確に分かるのは、僕ととある人がどう関わるかぐらいだからね」

 とある人? 随分と特定的な言い方だ。

「そのとある人っていうのは、䰠宮の人ですか?」

 気になった佳が首を傾げさせると、コーヒーを味わっている紫陽が首を頷かせてきた。

「そうだね。だからこそ、鬼絵巻の動きが分からなくても、その人の動きさえ分かれば、自ずと鬼絵巻に近づけるって事だよ。ただ、向こうには鬼絵巻自体の気配を探せる人もいるから……その人が先に動くと、僕たちは後手を引いちゃうんだけどね」

「紫陽さんが指す二人の人物って誰なんです?」

人物をボカす紫陽に自然と眉根が寄る。

 するとそんな自分を見て、紫陽が何かピンと来た様子で目を見開いてきた。

「そうか。君だったら……聞けるかもしれないね」

「えっ? どういう事ですか?」

「䰠宮菖蒲という人が鬼絵巻の気配を探れる術を持ってる人なんだけど……彼は君の家の縁者でもあってね。その人との関係性を占術で見ていけば、僕とは違うルートで鬼絵巻に辿り着けるはずだよ」

「そうなんですか? でもそれやったら、俺が占術するよりも紫陽さんが占術した方が明確に聞けはるんやないですか?」

 䰠宮の中に自分の縁者がいたのには驚きだが、今はそれよりも紫陽が何故ここまで嬉々として、自分に占術を頼んできたのかが気になった。

 占術で聞ける未来は、声聞力が高ければ高いほど鮮明になる。

 そこを踏まえて考えれば、自分ではなく紫陽自身が「䰠宮菖蒲」を対象に占術をすれば良いでは? という疑問が浮かんできたのだ。

 そんな自分に紫陽が小さく苦笑を浮かべてきた。

「君の意見は最もだ。元来、縁が深ければ深いほど、占術で聞ける未来は明確になるものだ。僕は䰠宮の血を引いているから、何もない隆盛君たちよりは……彼との関係性を見るのは容易く思えるよね? でも、鬼絵巻に関することだけはそれに該当しなくなってくる」

「でも、そしたら祝部の血にも関係してこないんですか?」

「そこは安心して良い。鬼絵巻に関する未来に制限を掛けられているのは䰠宮だけみたいだから。何故、そういう制限が設けられているのか、詳しい所は僕にも分からない。何らかの相対性が働いているんだとは思うけどね」

 一通り紫陽の話を聞いた佳は妙な気分を味わっていた。

 透明になった部分と不透明な部分が混在していて、素直に納得する事が出来ない。

 けれど、恐らくこの中で鬼絵巻に一番詳しいはずの紫陽が「分からない」と言うのだから、疑問を重ねた所で堂々巡りになってしまうのがオチだ。

 しかし、ここまでの話を聞いて佳は一つの結論に辿り着いていた。

(やっぱり、鬼絵巻は故意的に生まれたものなんやろうな……)

 最初佳は鬼絵巻の事を、地力を持った宝玉の類だと思っていた。

 しかし、鬼絵巻に関われば関わるほど、これが自然からの物ではないと思い始めたのだ。

 そしてその憶測が先ほどの紫陽の話を聞いて、その憶測が確かなものに変わった。

 自然から生まれた物が、自分を追跡できないように制限を掛ける事など出来るはずがない。

 つまり、鬼絵巻は䰠宮家の祖先が作り出した産物という事だろう。

(でも、どうして災禍まで引き起こす程の物になったんやろ?)

 鬼絵巻に関しての最大の謎はこの点だろう。

「色々な事を一生懸命に考えてるところで悪いけど、一つ佳君に訊いても良いかな?」

「あっ、はい。何ですか?」

 考え込んでいた佳が慌てて紫陽の方を見る。すると、紫陽が佳の前にコーヒーを置いてきた。

 辺りに充満するコーヒーの香りに気づかないほど、自分は考え込んでいたらしい。

「ミルクは入れる?」

「いえ、大丈夫です。それでその……俺に訊きたい事って?」

「うん……さっき勝負した䰠宮櫻真君についてなんだけど、彼は君の友達だろう? そんな相手にどうしてあそこまで怒ってたのかな?」

「別に怒ってた訳じゃ……」

 言葉を否定しようとしたが、その言葉は途中で詰まってしまった。

 別に気色ばんでいたわけじゃない。ただ自分は勝ちに専念していただけだ。そう反論すれば良い。けれど佳の口からそれは出てこない。

「ーーやっぱり、俺……怒ってたんやと思います」

「彼が君を怒らせるような事を?」

 紫陽の言葉に佳は静かに首を横に降った。コーヒーの入ったカップから上がる湯気を見ながら、佳は自分の気持ちを整理していた。

「俺、ずっと䰠宮の事を妬んどった。俺には出来ない事を簡単にしはるから。俺の家にも陰陽道に纏わる歴史があって、その血も続いてる。俺はそれに対して誇りを持ってるんです。陰陽術の勉強もそれなりにしてきました。けど……それでも䰠宮の力には勝てない。その事実がどんどん胸の中で膨らんで……。だからさっきの勝負でムキになってたんやと思います」

 自分の気持ちを吐露しながら、佳は自分の情けなさを噛みしめる。

 鬼絵巻を櫻真たちの手に渡らせないため。という建前を置いて、自分の妬みを櫻真にぶつけていただけだ。

 本来なら友人である相手にするべき行動ではない。

「そんなに自分を責める必要はないよ。妬みなんて人間誰しも抱く感情じゃないかな?」

 顔を伏せていた佳に紫陽があっさりとした声音でそう言ってきた。

「確かにそうですけど……何か醜いやないですか? 嫉妬って」

「ははは。そうだね。でも、嫉妬って感情は凄く強い物だと思うんだ。それこそ良心的な感情よりもね。だからこそ、その強い感情に押し流されて道を踏み外す人もいる。けど、それさえ気を付ければ人を動かす原動力にもなると思うんだ」

「そう、なんですかね? 俺にはまだ……前向きになれなくて」

 紫陽の言葉に佳が苦笑を零す。

 するとそんな佳に彼は再び笑い声を上げてきた。

「佳君は本当に真面目だね。それに正義感も強い。きっとだからこそ、負の感情に対して幻滅しやすいんだろうね」

「……頭が固いのは、それなりに自覚してます」

 自分自身ですら嫌になる頑固さだ。何とかしようと思っても簡単に変えられない。

「まぁ、取り敢えず飲み物でも飲んでごらん」

 紫陽に進められるまま、佳は少し冷めたコーヒーを口にする。

 あっさりとした後味で、酸味の薄いコーヒーだ。

「僕は根っからのコーヒー愛好家って訳じゃないから、薄いアメリカンを良く飲むんだ。考え事したり、ただ落ち着きたい時にね」

「確かに飲みやすいですね」

 それにさっきよりも、少しだけ心が落ち着いた気もする。

「少し落ち着いたところで話を戻すんだけど、嫉妬の感情を原動力にして、成功した人がいるんだ。誰だと思う?」

 少し意地悪そうな顔をして訊ねてきた紫陽に、佳が眉を寄せる。

 少しの間、考えて見た。

 思いつく人々の顔を思い浮かべる。けれど、思い浮かぶ顔と名前の中に紫陽が指すような人物がいない。

「すみません。その思い浮かばなくて……」

 答えられない自分に情けなさを感じつつ、佳が頭を下げる。

 すると紫陽がフッと笑ってきた。

「まぁ、普通に考えたら……答えられないよね? 答えは“僕”なんだから」

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