勝敗の先
これもきっと自分を変に焚き付けて、隙を作るための言動がもしれない。
「……俺だってそのくらい、分かっとる。祝部君も普段と違って随分、余裕そうやな。俺みたいな素人相手に自分の実力見せつけて楽しいからなん?」
櫻真の言葉に佳がやや辟易とした顔で、溜息を吐いてきた。
「楽しいわけないやろ? 䰠宮、勘違いしてはるようやけど……俺が本気でぶつかるのは、これが負けられない試合やからや。相手の力量なんて関係ない。䰠宮だってそれくらいは分かりはるやろ?」
微かに感じられた上からの物言いに、櫻真はムッとなる。
確かにこの勝負が佳にとって負けられない事は分かる。バナナボートに作った時の差があるため、これに佳が勝てなければ、陰陽院側の敗北は確定するのだから。
(そうや……。今の段階で言うと俺らの方が勝っとるんやから……)
自分よりも焦っているのは、佳の方だろう。冷静に勤めているように見せかけて、櫻真よりも心が足速になっている可能性だってある。
だからこそ、必要以上に自分のことを挑発してきているのかもしれない。
そう思うと、幾分か櫻真の胸に貯まっていた怒りが少しだけ和らぐ。
「良い感じにお二人共、熱を上げてらっしゃいますね?」
「うふふ、良いじゃない。木刀での勝負に関わらず……子供のちゃんばらを見せられたら、葵的に退屈過ぎて、欠伸が止まらなくなっちゃうもの」
火花を散らす櫻真たちの姿にご満悦の葵たちが、そんな感想を口にして、二本目の開始を告げてきた。
先程とは違い、先に動き出したのは櫻真だ。
佳が自分との距離を開けてくるよりも先に、櫻真が中段の構えから……そのまま佳の胸へ刺突を繰り出した。
そんな櫻真の攻撃に佳がやや眉を潜めながら、体を横にズラして躱してきた。
自分の攻撃を避けてきた佳を深追いはせず、櫻真も反撃を喰らわないように斜め後ろへと後退し間合いを開ける。
正眼の構えを取りながら、櫻真の正面に来るように位置を移動させる佳。相手が少し動く度に、櫻真の体に力は籠る。
次はどんな攻撃を仕掛けてくるのか? 相手が動いた時に自分はちゃんと躱せるのか? 諸々の不安が櫻真の頭を支配してくる。相手と同じく正眼の構えで、佳の動きを注視しているが、気持ちとしては心許ない。
佳も櫻真を見据えたまま動こうとはしない。
「櫻真、さっさと相手の木刀を振り払う気で攻めなよ!」
勝負を見ている瑠璃嬢からの声が櫻真の耳に飛んでくる。けれどその一方では……
「相手が待ち切れなくなって、穴熊から出てきた時を狙った方がええよ」
という桔梗の言葉も聞こえてくる。
どちらも間違えではない。しかし櫻真の足はどっちに動くべきか逡巡してしまう。
すると、そんな櫻真へ佳が動いてきた。
櫻真の心の動揺を見て取り、踏み込んできたのだ。砂を蹴り上げ、正面から迫り来る佳の動きは俊敏だ。
『大丈夫じゃ! 櫻真。吹いてくる風を受け止める必要などない! 流すのじゃ!』
迫り来る佳を見ていた櫻真に、桜鬼が霊的交感を使い助言をしてきた。
(受け止める必要はない……流す……)
心の中で桜鬼の言葉を復唱しながら、櫻真は息を整えて、焦る気持ちを外へと追い出す。
(そうや。ちゃんと気持ちを落ち着かせて、相手を見んと)
相手に煽られ、どんどん追い込まれていた自分の気持ちを整え、そして見た。
先ほどの自分と同じように、頭上で上げられた木刀が振り下ろそうとする佳を。
振り下ろされる木刀は、櫻真を縦に両断するかのような斬線だ。櫻真はその斬線を描く木刀を、自身の木刀の側面を使い、斬線の軌道を横へと逸らす。
「なっ、んやと……」
思いがけず櫻真によって、自分の軌道を変えられた佳が目を見開いてきた。
勢いをつけていた為か、佳の重心が横へと傾く。
その隙を逃すまいと、櫻真は急いで木刀を佳の左肩へと振り下ろした。
自分の木刀が相手の肩に当たった感触が、柄部分を持つ櫻真の手に伝わってくる。
先程の佳のように見事な斬線は描けていない。相手の肩を棍棒で叩いたかのような動きだ。けれどそれでも……櫻真が格上である佳に対してダメージを与えられた事に変わりはない。その為、櫻真の口から思わず……「やった」という短い歓喜が漏れ出た。
そんな櫻真の声に続いて、観客側から桜鬼たちからも喜びの声が上がっている。
「おやおや、まぁまぁ、これは最後の最後まで展開が分からなくなってきましたね」
「櫻真も弱者の意地を見せつけた形ね。お見事っ!」
実況解説者にでもなったつもりなのか、夜鷹と葵の言葉が櫻真たちの耳を打つ。
(ホンマに、人を煽るのは得意なんやから……)
おかげで勝利の余韻もすぐに霧散し、最後の勝負への緊張が胸に広がる。
現状では一勝一敗。後にも先にもこれで佳たちとの勝負は終わりだ。
佳も櫻真と同じ心境なのか、口を固く結んでいる。
「それでは、これが最後の勝負となります。お二人共、悔いのないよう……戦い下さいませ」
夜鷹が最後と言う事で、敬々しく頭を垂れてきた。
彼女が頭を上げた瞬間に、最後の試合が始まり櫻真は真剣な表情の佳を見た。
佳も同じように櫻真を見ている。
何かを見定めているようだ。そしてそんな佳と同じく櫻真も思案していた。
どうすれば、相手を倒せるのか? という設計図を。
けれど己の身を使った戦いなど、まるでした事ない櫻真にはその図式を簡単に引く事が出来ない。勝つための動きが考えられないのは不味い。
考えている間に、佳が木刀で櫻真を攻めてきた。
櫻真はそれを何とか木刀で受け止め、躱していく。そのため、櫻真の思考は完全に守る事に意識を持ってかれてしまった。
連続で櫻真へと木刀を振るっていた佳が、あまり剣道の試合ではあまり見ることのない八相の構えを取ってきた。
刃を寝かせた構えのまま、佳が櫻真へと刺突を繰り出してきた。
自分に迫り来る矛先に、櫻真が反射的に体を横へと移動させる。するとけいが繰り出した刺突が櫻真の右頬を掠めていく。
頬の皮が裂けたのか、櫻真の頬にピリッとした痛みが走る。
しかしこれは掠めただけで、当たってはいない。つまり試合は続行される。
万が一、移動する向きが逆だったら、動くのがもう少し遅ければ……強烈な刺突が櫻真の顔面を襲っていたのは間違いない。
嫌な想像に背筋を凍らせながら、櫻真は自身の体制を整える為にも佳から距離を取る。
けれどそんな櫻真へと佳が間髪入れずに攻めに入ってきた。
櫻真に考える暇を与えないようにしているのだろう。
(どうにかせんといけんのに……)
佳からの攻撃に間断などなく、櫻真の木刀に打ち込んでくる。
気づけば、櫻真は防戦一方になってしまっていた。
歯を食い縛りながら、佳の攻撃に堪える櫻真に、固く口を閉ざしていた佳が言葉を紡いできた。
「䰠宮、俺は自分の力を証明させてもらうわ」
強さの証明とは? そんな疑問が櫻真の頭を掠めた瞬間、佳から声聞力の気配が溢れた。
そしてその気配を感じた時には、櫻真の手にしていた木刀が佳の木刀によって折られていた。いや。折られたというよりこれは……
「斬られた……」
切断部分を見て、櫻真の目が驚きで見開かれる。
そんな櫻真の隙を逃さず、佳が素早く切り返した木刀を上段で構え、櫻真の頭上に振り下ろしてきた。
頭に鈍く重い痛みが走った瞬間、櫻真の視界が暗転した。体の力が抜け、背中から砂浜へ倒れ込む。
倒れる櫻真を見て、勝ちを悟った佳が静かに踵を返す。
「櫻真っ!」
耳元に桜鬼が駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。背中に太陽の日差しを内包した砂の温度を感じながら、櫻真はゆっくりと目を開ける。
瞼を開いても、視界はまだグルグルとしていて微かに明滅している。
「俺……」
力ない声で櫻真が呟くのと同時に、
「勝負ありっ! よってこの勝負は祝部様の勝利となります」
相手の勝利を告げる夜鷹の声が聞こえてきた。




