四本目の始まり
「なぁ、ウチの気の所為? 段々と勝負のハードルが上がってる気がするんやけど?」
葵たちが用意した水上相撲のステージを見て、儚が口元を引き攣らせる。
「確かに……しかもあのマットをどこかに運ぼうとしてはるで?」
そう言ったのは、水上スキー二台でマットを牽引しようとしている葵たちを見る蓮条だ。
「えっ、えっ、ウチの家の前でやるんちゃうの?」
疑問を口にしながら、儚の中でどんどん嫌な想像が膨張していく。
葵たちが向かう方向には、夏場湖水浴客で賑わう近江舞子のビーチがある。
(まさか、そんな大人数がいる所で……ウチらを戦わせようとしとるの?)
けれど、人を陥れることを好物としている葵ならやりかねない。
何故、いきなりハードルを上げてきたのだろう? これまでの勝負と同様にここでやれば良いのに。
あんな沢山の人で賑わう浜辺で、水上相撲なんて……完全に浜辺の笑い者だ。
しかもこの季節のビーチには、湖水浴を楽しみに来た同級生との遭遇率が高い。絶対に高い。自分の親しい友人はいなかったとしても、クラスが同じ、学年が同じ、学校が同じなど範囲を広げれば、絶対に一人はいるはずだ。
「アカン。姉さんたちの所為で戦う前に心が挫けそうや……」
涙目で儚が肩を落とす。するとそんな儚に魁が口を開いてきた。
「そんなクヨクヨすんな。勝負事って言ったら、観客が多い方がやり手の気分も上がるってもんだ」
「気持ちが盛り上がるって……正直、そんな風に思えへんよ。絶対、アホな女がいるって思われるやん」
「そうか? 俺は思わねぇけどな。むしろ、愉快な事やってんなって羨ましくなるくらいだ」
ケロッと笑う魁を見て、自分もこんなポジティブになれたら……と儚はつくづく思う。
しかし、『なりたい』と思っていても、そう簡単になれるものじゃない。
そんな儚を見て蓮条が口を開いてきた。
「俺も魁と同じ意見やな。俺は事情を知っとるから、アホなんて思わんし。赤の他人で見とっても凝ってはるな〜、ぐらいにしか思わへんよ。櫻真もそう思わん?」
蓮条が櫻真に同意を求めると、櫻真も少し考えてから頷いてきた。
「確かに……やっとる本人たちは恥ずかしいかもしれんけど……見てる側からすると、凄いとかしか思わへんかも。テレビとかでもやってる事やし」
「ほ、ホンマに〜〜?」
魁だけではなく、蓮条たちからもフォローを入れて貰ったおかげで、儚も少しだけ勇気が湧いてくる。
「後は……あんまり力み過ぎない事だな。変に肩に力が入ってると失敗しやすいからな」
「そやな。うん。そや。こんな恥ずかしい思いして勝負に負けたなんて嫌やもん」
自分に言い聞かせるように儚が頷いていると、そこへ……準備を終えて戻ってきた葵がやってきた。
(遂にこの時が来てしもうたっ!)
ジェットコースターで落ちる瞬間を待っているような緊張が、儚の体に走る。
そんな儚を葵が見て、にっこりと笑ってきた。
「ささ、儚ちゃん。私と一緒に行きましょうか? 戦いの舞台へ。他の人たちは点門から移動しなさんな。準備の良い姉さんが道を作ってやっといたから」
こういう時ばかりやる事が速い葵に、儚は小さな溜息を吐く。
(でも、ウジウジするのは……もう、ナシやな……)
儚が内心で自分を鼓舞し、
「ほな、皆んな……後でね」
魁たちに手を振り、葵と共にジェットスキーへと向かった。
葵のジェットスキーの横には、夜鷹のジェットスキーがつけられている。そこへ夜鷹に連れられた穂乃果の姿があった。
不機嫌そうな表情を浮かべている穂乃果と目が合う。
「勝つのは穂乃果だから。下手に粘らないでよね」
「なっ! 何勝手に決めてんねんっ! 勝つのはウチや!」
いきなり挑発してきた穂乃果に儚が言い返す。すると穂乃果が眉を顰めて睨んできた。
そしてそのまま夜鷹と共にジェットスキーの後部へ座ってしまった。
「なんや、めっちゃ感じ悪いっ! 姉さんっ! 絶対、ウチあの子の事負かすわっ!」
儚もジェットスキーの後部へ座りながら、葵に強く宣言する。
「始まる前から闘志を燃やして、良きかな、良きかな。そうね、女同士の戦いなんて醜くてナンボよ。めでたく敵を嫌いになれた事だし、その怒りを思う存分、相手に叩き込みなさい」
「言われへんでも叩き込むわっ!」
右手で拳を作り、穂乃果を打ち負かす事を心に誓う。
最初から会ったときから、感性が合わないとは思っていた。初対面の自分に対して、『自分の方が可愛いから、魁を寄越せ』とか『自分の方が優秀だから本気出す必要がない』とか……散々な嘲罵を吐いてきたのだ。
思い返すだけでも腹が立ってくる。
自分が何か憎まれるような事をしたなら未だしも。初対面の自分が嫌味を言われる筋合いはないはずだ。
(そや。この勝負であの子をぎゃふんと言わせて、謝罪させたる!)
このまま相手にばかり言われ続けるのは、さすがに癪だ。
それにこの勝負を蓮条が見ており、自分を応援してくれている。
好きな人にかっこ悪い姿を晒したくはない。それにここで穂乃果に完封勝利を収めれば、蓮条の中で自分の株が上がる……はず。
「うふふ。恋する乙女はこうでなくっちゃね」
ジェットスキーを運転する葵が弾んだ声で呟く。
けれど、脳内で穂乃果への勝利プランを考えている儚には聞こえなかった。
(速攻で倒す、って言って来たって事は……最初から勝負を仕掛けてくるつもりやろうか?)
相手が攻めで来るなら、自分は最初に守備を固めていた方がいい。
しかし、勝負は安定性のないマットの上。他の人たちよりも体幹に自信がない自分がどこまで踏ん張れるかが不安な所だ。
そんな事を儚が考えている内に、すぐそこに葵と夜鷹が用意したマットが見えてきた。
マットの奥には、湖水客で賑わう近江舞子のビーチも見える。
すでにいきなり用意されたマットに興味が湧いた様子の湖水客もチラホラ伺える。
(うぅ、やっぱり普通に目立っとる……)
浜辺にいる人々からの視線に儚は、葵の後ろで縮こまる。
「そんなに縮こまらなくて良いのに……。儚ちゃんは、ただ私は琵琶湖に流れ着いた人魚姫とか思っていれば良いのよ」
「そんなヤバい事、思えへんっ!」
「そうなの? 向こうなんて、絶対にそう思ってる感じよ?」
葵が並走する夜鷹のジェットスキーを顎で指してきた。
「うげっ。ホンマや」
見るとさっきまでの不機嫌さが嘘のように、浜辺の人々に向かって穂乃果が愛想良く手を降っている。到底、自分には真似できない芸当だ。
しかし浜辺からの反応(主に男性陣)は良いようで、浜辺から黄色い声を受けている。
(ホンマにこれ以上、人の注目を集めんで欲しいのに……)
出来れば目立ちたくない儚からすると、傍迷惑な行為だ。
けれど、目立つ事に何の躊躇いもない穂乃果が自分の意見を聞き入れるはずがない。
「これは、何としてでも……早めに勝負をつけへんと」
「ほらほら、到着よ。マットの上は滑り易いから、気をつけて」
「滑り易いって、姉さんっ、このマットにもローション塗りはったん!?」
マットの上に巻かれたローションを見て、儚が目を見開く。
「実は、二本目の勝負で使ったローションが余っちゃって……使わないと勿体無いじゃない? あそこの浜辺にいる浮かれた若者たちに無料配布しても良かったのだけど……」
「ホンマにやめて。めっちゃ不審者やからっ!」
目と眉を吊り上げて、葵の背中を叩く。
「しようとしただけで、してないわ。だから私を叩くのはやめなさい」
「姉さんが可笑しな事しようとするからや」
そう言いながら、儚はローションで濡れたマットの上に足を乗せた。
「つ、冷たっ!」
ローションのヒヤッとした感触に、背筋がゾワりとする。それに加え、想像してい以上に足元が凄く滑る。
「ホンマにこの上で相撲せんといけんの?」
上半身をやや前のめりにして、小幅でマットの中央へと向かっていく。そんな儚の体が大きく傾いた。
「えっ、何?」
倒れそうになる体の体制を何とか整えながら周りを見回す。するとマットが大きく傾いた理由が判明した。
自分に遅れて、穂乃果がマットの上に乗って来たのだ。
その動きは先ほどの自分よりも心許ない動きをしている。
(こんな感じやったら、ホンマにウチでも勝てるんちゃう?)
胸に宿る仄かな勝機に、儚の口元が綻びそうになる。けれど、ここで自分が余裕の顔を見せて、向こうの闘争心を掻き立ててしまうのも得策ではない。
それに儚自身も未だ、よく滑るマットの上で立ち続ける事に慣れていないため、期待感が顔に出る事はなかった。
マットの端から先ほどの自分と同じように、中央へと歩いてくる穂乃果はーー
「最悪。何でこんなヌルヌル気持ち悪いマットの上を穂乃果が歩かないといけないわけ? ちょっと下手に動かないでよ? 揺れちゃうでしょ?」
状況に対する愚痴と、重心を整えていた儚への文句を言ってきた。
「それはウチのセリフや。アンタがペンギンみたいに動きしているせいで、マットが揺れ続けてるんやから」
揺れの原因になっている穂乃果に、儚が顔を険しくさせる。
「穂乃果の所為みたいな顔するのやめてくれる? 揺らしてるのはそっちも同じ何だから」
穂乃果が負けじと、儚へ火花を散らしてきた。
そしてようやく中央にやって来た穂乃果と対面する。
「お二人とも準備が整ったようなので、水上相撲三本勝負を始めたいと思います」
「ルールは簡単。足を使わず、相手の膝をマットに付けさせるか、水上に落とした方が勝ち。あっ、この相撲に限っていえば、術式の使用はナシよ。自分たちの体一つで相手を平伏しなさい」
夜鷹と葵の言葉を耳に、儚と穂乃果の両名は闘志を燃え上がらせる。
「では、六本勝負四本目、始めっ!」




