水上相撲
白ビキニ姿の穂乃果はやや不服そうに表情を歪めていた。
鬼絵巻を巡る四本目の勝負に向けて、夜鷹と向こう側である䰠宮葵がせっせっと何やら準備を始めている。
そして四本目の勝負は、自分と䰠宮儚が戦うと決定しているらしい。
(別に良いけど……)
どうせなら、カッコいい男の子との勝負が良かった。
穂乃果からすれば今行われている勝負に意味なんてないと思う。鬼絵巻が欲しいのなら、こんな勝負で勝とうが負けようが奪うのだから。
それを考えると、今の勝負はカッコいい男の子と触れ合うだけのイベントだ。
自分たちの勝負相手である䰠宮の男たちは、どれもこれも及第点の美男子たち。
飛び切り可愛い自分の隣にいても、全く問題ないレベルだろう。
それなのに……
(どうして、穂乃果の事を崇めないの?)
穂乃果はそこに凄く不満で不服だった。今まで自分と関わってきた男の中で、自分に屈しない男はいなかった。
自分が可愛く笑えば、男たちは自分に釘付けになっていた。
その熱い視線が堪らなく好き。そんな視線を集めてしまう自分が堪らなく好きなのに。
それなのに、それなのに、それなのに……ーー!
ここ最近、自分を崇拝する男が少ない気がする。
「納得できないっ!」
憤りを口にしながら、近くの店の前で知り合った男Aに買わせた飲み物をテーブルの上に勢いよく置いた。
「えーっと、どうかしたの、穂乃果ちゃん?」
戸惑った様子で自分にそう話し掛けて来たのは、隣に座る明音だ。
そんな明音を穂乃果がジーーっと凝視する。
「えっ、えっ、えっ?」
いきなり自分に凝視された明音が戸惑う声を上げている。そんな明音を無視して、穂乃果が明音の両頬に両手を添えた。
「ねぇ? 明音ちゃん。最近、ドキドキが足らないと思わない?」
「ドキドキが……?」
「そう。ドキドキが足りないって、女性フェロモン的にも良くないと思うんだ……」
そう言いながら穂乃果がグッと明音の顔に自分の顔を近づける。
唇と唇がくっついてしまいそうな距離。口元を撫でる相手の吐息……ーー。
明音の唇が固く強張っているのが、視覚から、空気感から伝わってくる。
「明音ちゃん……、このまま穂乃果とキス……、しちゃう?」
穂乃果が軽く唇を舌で湿らす。
「なっ、なっ、でもちょっと待って! 私たち女の子同士だしっ!」
「女の子同士でも、キスはキスでしょ?」
そう言って穂乃果が唇の先がくっつきそうな程、明音に接近する。
けれどそれを……
「おい、鳴海。そいつで遊ぶな」
かき氷を二人分手に持った遠夜が穂乃果を睨んできた。自分を睨む遠夜を穂乃果も不服そうに睨み返した。
「何で、穂乃果が悪いみたいに言われなきゃいけないの? 納得できなーーい」
「……お前が明音で遊ぶからだろ」
顔を真っ赤にする明音を遠夜が一瞥し、穂乃果を見る。
「止めるんだったら、遠夜君がこの後の続きしてくれるわけ?」
「しない。むしろ、お前の退屈に付き合ってる程、暇じゃない」
呆れ混じりの溜息を吐く遠夜に、穂乃果が目を細める。
「忙しそうには見えないけどなぁ。それとも私たちの知らない所で動いてるの?」
「……それこそ、お前には関係ないだろ」
「ふーん。じゃあ、穂乃果も遠夜君たちの事情なんて知らないし、関係ないよね?」
怪訝な表情を浮かべる遠夜に、穂乃果が頬を膨らませて外方を向いた。
(やっぱり……つまんない)
腹の虫を悪くさせる穂乃果に、遠夜から質問が飛んできた。
「だったら俺からも一つ訊く。お前はどうして陰陽院に入った?」
「どうして?」
「お前は鬼絵巻を手に入れる事に意欲的じゃないように見える」
真面目な顔で自分を見てくる遠夜に、穂乃果が冷めた表情で言葉を返す。
「心外〜〜。確かに隆盛君たちみたいな気持ちはないけど……意欲的なわけじゃないよ? 人から奪うのってゾクゾクするし」
穂乃果がそう言うと、遠夜が自分を責めるような厳しい視線を向けてきた。
けれど、穂乃果からすれば遠夜からの質問に答えただけだ。こんな風に睨まれる筋合いはない。
陰陽術を習得し始めたのは幼い頃、祖父母に教わっての事だ。最初は子供ながら無邪気に陰陽術を習っていた。
次から次へと祖先が残した陰陽術を習得していく自分を見て、祖父母は凄く喜んできた。
そんな祖父母に穂乃果も最初は愉悦に浸っていた。
しかし、それも段々と当たり前の事になり、退屈なものへと変貌してしまっていた。
勿論、身に付けた術は所々で自分の役には立っている。
学校へは点門を使ってすぐに行けるし、気分が悪い奴には、幻術を掛けて平伏させる事だって出来るからだ。
けれど、穂乃果の中では凄く退屈だった。退屈で、退屈過ぎて……日々、何か起こらないかと考えていた。
そんな時に、自分の前に紫陽が現れたのだ。
『僕に協力して欲しい。出来る限り退屈させないから』
退屈していた穂乃果は、この言葉にすぐに飛び乗った。紫陽がカッコ良かったから、というのもあるし、変哲もない日々に一石投じられた気がしたからだ。
それなのに……
「穂乃果、詐欺にあった気分……」
遠夜と明音から視線を逸らし、テーブルの上で頬杖をついて溜息を吐いた。
「穂乃果は誰から詐欺にあったのかな?」
自分に詐欺を働いた男の方へ、穂乃果が顔を向けた。
「紫陽さんから。穂乃果を退屈させないって言ったのに」
「なるほど。穂乃果は退屈してるんだね?」
「すっごい退屈! 全然、穂乃果の楽しい方向に行ってない!」
不平不満を穂乃果が紫陽にぶつける。けれど当の本人はニコニコと笑うだけだ。
「何で、笑ってるの?」
「これは穂乃果が退屈の日々から脱却する最初の一歩だと思ってね。明音ちゃん達もそう思わない?」
「えっ、うーーん、そう言われても、少し話が見えなくて……頷き難いんですけど……」
「全くだな」
紫陽からの問い掛けに、明音が困ったように頬を掻き、遠夜が肩を竦めさせている。
そんな二人を傍で穂乃果は、紫陽の言葉に目を瞬かせていた。
自分は退屈だと言ったばかりなのに、何故それが退屈からの第一歩になるのだろうか? 頭上で疑問符を浮かべる穂乃果に紫陽が微笑んできた。
「そんなに深く考え込まなくて大丈夫。自ずと答えが解る時分が来るから。さっ、もうそろそろ……勝負のステージが出来あがったみたいだよ?」
そう言って、紫陽が湖の方へと視線を移してきた。
「……えっ、ちょっと待って。あそこで穂乃果たちに何させる気なの?」
嫌悪感と共に穂乃果が疑問を口にする。
穂乃果たちが見ているのは、大きな円形型のマットが水上に浮かんでいた。
そのマットの横には目立ち浮き輪の典型である、ピンクと青のフラミンゴ型の浮き輪が二話横付けになっている。
「彼女たちも、また大掛かりな物を用意したね。マットの上で穂乃果たちを勝負させるって事は、水上相撲でもさせようとしてるのかな?」
紫陽の放った言葉に穂乃果が顔を青くさせる。
「水上……相撲……。この、穂乃果に? そんな汚れグラビアアイドルみたいな事を?」
自然と声が引き攣った。
けれどそんな穂乃果の肩を紫陽が軽く手で叩いてきた。
「そんな顔したらいけないよ。ほら、これも普段味わえない遊戯だと思って。ね?」
「上手い言葉で穂乃果を丸め込めようとしても無駄だから。どうして、向こうにいる女と穂乃果が相撲なんて、カッコ悪い真似をしないといけないわけ? 納得できないっ! したくないっ!」
「相撲はカッコいいと思うけどなぁ……。国技でもあるし。それを一生懸命に頑張る穂乃果も素敵だと思うよ?」
「ぜんぜん素敵じゃない。穂乃果はこんなの望んでない。やるんだったら、穂乃果の可愛さを活かした水着美少女コンテストとかが良い」
首をブンブン振って、穂乃果が自分の趣味に合わない事を訴える。
「水上相撲だったら隆盛君で良いよぉ。絶対、穂乃果より映えると思うっ!」
穂乃果が代替え案を出すものの、今度は紫陽が首を振ってきた。
「無理だと思うよ。審判役である二人がわざわざ穂乃果を名指ししてるし。これで穂乃果がやらないなんて言ったら、不戦敗扱いされかねない」
「そんな〜〜」
「穂乃果ちゃん、元気出して! きっと穂乃果ちゃんだったら勝てると思うよ!」
嫌すぎて泣きべそを浮かべる穂乃果を、明音が必死に励ましてきた。
そんな明音の言葉に乗っかって、紫陽も言葉を続けてきた。
「明音ちゃんもこう言ってるし、僕も穂乃果らしく戦えば勝てると思うよ。それとも、穂乃果は……向こうの女の子に勝てる自信がない? まぁ、向こうの子は強敵だから、穂乃果が怖じ気つきたくなる気持ちも分かるけど……」
「穂乃果があんなモブみたいな女に怖じ気つくわけないでしょーー! 良い、分かった。あんな女、速攻で水の中に沈めさせてやるんだからっ!」
紫陽にプライドを傷つけられ、穂乃果がムッとした表情を浮かべる。
(穂乃果があんな女に、負けるわけないじゃないっ!)
水上相撲をやるのも嫌だが、自分が他の女よりも劣っていると見做されるのはもっと嫌だ。
穂乃果は席から立ち上がると、早足で水辺の方へと歩いていく。
そんな穂乃果を見て遠夜がぼそりと呟く。
「単純な奴……」
けれどそんな彼の言葉が闘志に燃える穂乃果の耳に届く事はなかった。




