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30分の戦い

 こんな経緯で桔梗は、紫陽の隣でアイスと向き合っている。

「今日は暑い日ですから、アイスが美味しいですよ」

 余裕の笑みを浮かべる男に桔梗は、げんなりとした視線を送りつける。けれど、そんな敗者感たっぷりの桔梗の視線など、勝利を確信している紫陽には何のダメージにもならない。

 子供たちの視線がなければ、この余裕そうな男の顔面にアイスを投げつけてやりたい所だ。

 しかし、そんな子供の教育に悪い事、むしろ大人気ない姿を見せるわけには行かない。

 どんなに湿気を帯びた怒りが込み上げてこようとも、それを大々的に出したりはしないという分別と理性はある。

「主。どうか、無理はならず。御身をご自愛下さい」

「うん、ありがとう。椿鬼」

 主思いのある椿鬼に笑顔で頷きながら、椿鬼の後ろにいるギャラリーの面々を見る。

 良心的な櫻真、儚、蓮条は自分の身を案じる顔を浮かべているが……瑠璃嬢、百合亜、藤の顔には「勝てよ」の文字が浮かんでいた。

 瑠璃嬢の威圧ぐらいだったら無視できる。

 けれど、百合亜や藤の期待の籠もった視線は無視できない。

(アカン。どんどん断崖絶壁の先に立たされとる……)

 勝負の始まる前から追い込まれる桔梗を置いて、首に笛をぶら下げた夜鷹が笑顔でやってきた。

「これより、䰠宮桔梗VS神宮寺紫陽の大食い対決を始めます。それでは、六本勝負、三本目……始めっ!」

 言葉が終わるのと同時に笛が鳴り響く。

 桔梗は皿の上に乗ったアイスを勢いよく口へと放り込んだ。モチモチとした食感とヒンヤリとしたアイスが口の中一杯に広がる。

 味は知っての通り、とても美味しい。さすが、ロングセラー商品ということはある。

 先ほどの餅と類似した食感に恐怖はあるけれど、出だしの気持ちとしては悪くない。

 一つ目のアイスを飲み込み、側に置いてあったお茶を流し込んでから、桔梗は二つ目のアイスに手を伸ばした。

 そんな桔梗の傍らで、同じようにアイスを食べる紫陽が満足そうな表情を浮かべている。

「いや、夏に食べるアイスは格別ですね」

 そんな有り触れた感想を述べる紫陽を桔梗が一瞥する。

「はっ?」

 予想外な光景に桔梗は我が目を疑った。見れば、紫陽の皿の横には空になったアイスのパッケージが三つ置かれている。

 つまり、すでに六つのアイスを平らげているという事だ。

 信じられない光景に桔梗がギャラリーの方を見る。すると櫻真たちを含め、敵である陰陽院の人たちも口をあんぐりさせていた。

(えっ、えっ、どういう事?)

 二つ目を食べながら桔梗は、相手の脅威に驚いていた。

 むしろ、この速度で差を広げられれば……自分がどう足掻いても勝てないんじゃないか? いや、勝てないだろう。確実に。

(これやったら、無理に詰め込まへんでもええかなぁ……)

 甘い考えが桔梗の胸中に萌芽した瞬間ーー視界に眉尻を下げて悲しそうな表情を浮かべる百合亜と藤の姿が見えた。

(うっ!)

 自分を見つめる悲しげな視線が、桔梗の中に芽生えていた気持ちを枯れさせていく。

 ここで自分が「どうせ勝てないから」と諦めて良いのか? そんな姿を子供たちに見せて良いのか?

(ダメや。これは……僕の沽券に関わる)

 桔梗は、カッと目を見開いて3つ目のアイスを飲み込んだ。

「二個ずつじゃなくてええから……一気に四つずつ持ってきて」

 審判役である夜鷹に桔梗が要請する。

 そんな桔梗の言葉に夜鷹が「ええ、良いですよ」と頷いて、空になった皿の上に四つのアイスを乗せてきた。

 正直、三つ目を食べた時点で割とお腹には溜まっている。

 そのため皿の上に乗る四つのアイスがとても重い存在となっている。

 いくら自分が甘いものが好きだとしても、体が発する満腹信号は無視できないのだ。

「桔梗さん、どうかしましたか? 少しペースが落ちてる様に見えますけど?」

 安い挑発のつもりなのか、桔梗が八個目のアイスを食べた所で紫陽が再び声を掛けてきた。

 涼しい顔を浮かべる紫陽に、桔梗が眉を潜めさせる。

「悪いけど、今集中したいから黙ってくれはる?」

「それは、それは……。ところで……時間が残り半分を過ぎた所ですし、味を変更しませんか?」

「味変更? 何に?」

「抹茶味です」

「別にええよ。好きにして」

 もうすでに胃の限界を感じている自分からすれば、今更味を変えたところでという気持ちはある。しかし、拒否する理由もない。

 そのため、桔梗はアイスの味を抹茶に変更する事を快諾した。

「じゃあ、抹茶に変更で」

 満面の笑みで紫陽が夜鷹に味のチェンジを頼む。するとすぐに抹茶粉がたっぷりと塗してあるアイスがやってきた。

「ーー味変更って、抹茶の粉が掛かってはるだけなんや……」

 勝手なイメージで求肥とアイスに抹茶が練り込まれていると思っていただけに、抹茶粉がただ振り掛けてあるアイスの姿に、桔梗はドン引きしていた。

(何なん? この雑なアイス……)

 自分の美学センス的にもアウトなアイスの登場に、桔梗は深い溜息を吐き捨てる。

 しかも……

「げほっ、げほっ……」

 大量に掛かっている粉の所為で、凄く噎せる。すぐにお茶を飲み落ち着かせるが、さっきよりも難易度が上がったのは確かだ。

 もはや大食い+早食いに近い競技で、このタイムロスは非常にデカい。

 そんな事を思っている桔梗を横目に、紫陽の食べる速度は何一つ変わっていない。

「やっぱり、味が変わるのは有難いです」

 などと余裕綽々の様子だ。

 自分が苦しんでいる時に、敵に余裕そうにされる程悔しい事はない。

「桔梗ちゃーーん、頑張れーー!」

「頑張れーー!」

(百合亜、藤……)

 こんな負けが確定しているような自分の姿を見ても、二人は健気に応援をしてくれている。どんなに心が折れそうになった自分でも、こんな姿を見たら踏ん張らない訳にはいかない。

(そうや。僕には……)

 例え覆せない現実があったとしても、最後まで諦めないーー。

 そんな姿を百合亜や藤に見せるだけでも大人としての価値はあるはずだ。

 桔梗はむせ返りながら抹茶粉の掛かったアイスを口にする。何回も噎せた。何回も喉に詰まらせてお茶を飲んだ。何回も吐きそうになった。

 人の不幸を愉快そうに動画で撮る浅葱と笑う葵を心の中で、何度も吹き飛ばしたくなった。

 しかし、それでも……アイスを食べる桔梗の手は止まらなかった。

「主……ご立派です」

「桔梗さん、ホンマに偉いわ」

「桔梗のガッツを見た気がするわ」

「なんやろ? やってる事は小もないのに……ウチも心から応援したくなってくるわ」

「まっ、負けは確定だろうけどね」

 椿鬼を始めとして、櫻真、蓮条、儚、瑠璃嬢の言葉も耳に聞こえてくる。

 最後の瑠璃嬢の言葉は放っておくとして、他の三人は自分の勇姿を讃えてくれている。

 浅葱と葵は後で絶対に絞める。

 けれどその前に……この戦いを最後までやり切ってみせる。

 桔梗はそんな闘志を燃やしたまま、30分という短くも長い戦いに終止符を打った。

 対戦結果は、紫陽が食したアイスの数……驚異の70個。それに対し桔梗が食した数は、15個と大敗の結果だった。

「アイツ……化け物……」

 胃の中から溢れそうになるアイスを堪えながら、桔梗が横にいる紫陽を見る。

 顔が青白くなる自分とは違い、紫陽は勝負前と変わらない清々しい表情だ。

 差を埋められた事により、仲間である隆盛たちから褒め称えられている。

(どういうことなんやろ?)

 涼しげな顔で立ち去っていく紫陽を見ながら、桔梗は首を傾げさせた。

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