六本勝負の二本目
ジョットスキーの船体上部を持ち上げ、今よりももっとアクロバッテックな動きを見せようとした夜鷹へ、水面から上がった水龍が勢いよく突貫したのだ。
「ああっ!」
夜鷹から漏れる短い悲嘆。そして夜鷹が乗っていたジェットスキーから振り落とされた。
アクセルを回す者を失ったジェットスキーの速度が減速していく。
「ごめんね。僕もやられたからには、やり返す性質なんよ……それに、ルールで君ら操縦者を攻撃したらアカンなんて、一言も言うてへんかったから」
そう言い終えると、青い顔の桔梗が口元を手で覆う。
あの様子だといつ吐いても可笑しくない状態だ。しかし、まだジェットスキーは動いている。
しかも浜辺の方にではなく、沖の方へと向かって。
(とりあえず、方向転換だけはせんと……)
櫻真は、木行の法で風を生じさせ、ジェットスキーの進行方向を浜へと切り替える。
これで、少しは沖に近づくことは出来るだろう。
そんな事を思っていると、浜辺の方からピーーーーッという笛の音が響いた。
タイムアップを知らせる笛の音だ。
「終わった……」
ほっと一息吐いて、櫻真はもう一つのバナナボートの方へと向けた。
向こうのボートに乗っているのは、隆盛、彩香、紫陽の三名だ。三名とも櫻真たちに負けない程の水を受け、ぐったりとした様子だ。
ピンピンしているのは、ジェットスキーに乗る葵だけで、顔を青くする三人を満足気に見ている。
気力が削がれた三人の様子から、向こうもかなり壮絶な状態だったと言えるだろう。
「向こうが三人って事は、俺らの勝ちやな……」
櫻真と同じく佳たちの方を見た蓮条が、顔色の悪い顔で笑みを浮かべている。
「そやな……でも次は何で勝負する気なんやろ? 今回みたいなのじゃなきゃええけど……」
櫻真が溜息混じりに呟き、動かなくなったボートの進行方向を変えた時と同じ要領で、浜辺へと戻った。
「正直、こんなハードになると思ってなかったぜ」
そう言いながら隆盛が浜辺で荒い呼吸を整えている。佳もそんな隆盛の言葉に激しく同意していた。
正直、始めからリタイアしたくなる程の勝負になると思っていなかったのだ。
(でも、これで自分の甘さを正視する事が出来た……)
これは紛れもない鬼絵巻を賭けた戦いで、甘い考えは捨てなくてはいけない。
それなのに、自分は心のどこかで甘さを持っていたのだろう。
(アカン。これやと何の為に陰陽院に入ったのか分からへん)
握り拳を作り、佳が自分自身を叱咤する。
「あーあ、だから穂乃果は審判が良いって言ったのに……そんな穂乃果を百瀬ちゃんが無理矢理乗せるから」
「文句は受け付けません。むしろ、鳴海さんは先にリタイアしてたじゃないですか? 祝部君を道連れにして!」
目元を吊り上げて怒る彩香に、穂乃果は誤魔化す様な表情で、
「今からそんなに怒ってると、小皺が増えちゃうよ? それより、笑顔、笑顔。その方が隆盛君も可愛いって思ってくれるかもよ?」
などと言っている。
けれどそんな言葉では彩香も動揺はしても、誤魔化されたりはしない。
「私を動揺させようとしても無駄ですっ! それにさっきの答えでは祝部君を道連れにした説明になっていませんよ? おかげで向こうとのポイント差も開いてしまっています」
「そんな事言ったって……穂乃果だけ落ちるのって嫌だったんだもん」
片方の頬を膨らませて、穂乃果がいじけた表情を浮かべる。
(そんな理由で、俺は巻き添えを食ったんやなぁ……)
自分を脱落させた穂乃果の動機に、佳は何とも遣る瀬無い気持ちになる。
䰠宮葵がジェットスキーを勢いよく発進させてから数分後、最初に「ムリ、ムリ、ヤダァア」と声を上げたのは、彩香と話す穂乃果だ。
そんな穂乃果の前に座っていた佳が、「20分間だけでも、耐えはって!」と声を掛けていたのだが、穂乃果がそんな自分の言葉に応じなかった。
むしろ応じるどころか、佳の背中に体を密着させて……体に両腕を回してきたのだ。
「穂乃果を応援してくれる佳君の言葉は、凄く嬉しい……。でもね、穂乃果はそんなに強い女の子じゃなかったみたい」
緊迫したこの状況で、自分の虚を突くのは止めて欲しい、そう言おうとした佳だったが、それを佳が言う前に葵がバナナボートを大きく傾けてきたのだ。
集中力が散漫していた佳と、最初から頑張る気のない穂乃果のバランスが崩れる。
やばい、と思った時には、自分に腕を回していた穂乃果と共にボートから腰が浮いていた。
そして体制を整えられないまま、佳と穂乃果は水没したのだ。
あの時、自分が穂乃果に対して平常心を保てていたなら、結果は違っていたかもしれない。
自分の不甲斐なさに佳が溜息を吐いていると、そんな佳に穂乃果が話掛けてきた。
「佳君、そんな暗い顔をしてどうしたの? 私が慰めて上げようか?」
蠱惑的な笑みを浮かべて、穂乃果が腕を広げてきた。
「い、いえ、大丈夫です。自分自身の甘さを猛省しとっただけですから」
「佳君って本当に真面目で良い子だよねぇ。そんな子だから穂乃果もついつい甘えたくなっちゃう〜〜」
女の子らしい可愛さを全面に出した穂乃果の笑顔に、女子に免疫がない佳がたじろぐ。
(この人は、自分の非を見つめ直したりせんのやろうか?)
さっきの勝負で言えば、敗因の全てではないにしろ、その一部に彼女の行動が含まれるはずだ。しかし、穂乃果はそれを気にもとめていない様子で、ケロっとしている。
「謎やなぁ……」
「無理、無理。穂乃果の奴を理解しきるなんて、凡人には出来ねぇよ」
ボヤく佳の言葉に、気分が少し回復した隆盛が手を振ってきた。
「そう言わはっても、これからの勝負、全員で力を合わせへんとかなり苦しくなるで?」
「心配すんなって。穂乃果の奴はああ見えて負けず嫌いの所があるからなぁ。どっかで巻き返すんじゃねぇーか? まっ、お色気対決だったら、向こうに惨敗する可能性あるけどな」
愉快そうに隆盛が腹を抱えて笑う。
するとそんな隆盛に天誅を下す様に、彩香が木行である雷を落とした。
「……痛てぇ。普通に体が水で濡れてる時に雷を落とすかよ?」
「隆盛が失礼極まりない事を言うからです」
「失礼って……本当の事だろうが。なぁ、何で䰠宮家ってあんな見たくれが良いんだよ? 妙に不公平だろ?」
体に流れる痺れに隆盛が顔を顰めながら、首を傾げさせる。
そんな隆盛の言葉に佳は徐に櫻真たちの方へ視線を向けた。櫻真たちは紅茶やチョコなどを食べて、船酔いによる不快感を軽減しようとしている。
行動的としては自分たちがした事と変わらない。しかし、そんな姿ですら絵になってしまうのは、やはり華やかな見た目をしているからだろう。
「少し意外やな……住吉がそんな事を気にしはるなんて」
不服を漏らした隆盛に佳が話しかける。
「気にするって程でもねぇーけど、見る奴、見る奴があんな見た目してたらな、地味に気になるじゃんか。分家っていう紫陽も漏れずにイケメン仕様だし」
軽く肩を竦める隆盛の疑問は、他愛もない与太話の一環だ。
「分かる、分かる。穂乃果もね、彼氏にするとしたら、䰠宮家ぐらいの美形じゃないと嫌だもん」
「美形が良いじゃなくて、美形じゃないと嫌って……」
「……当分、恋人を作るのは厳しいやろうな」
「そんな事ないよーー。䰠宮の人と並んでても可笑しくないくらい、穂乃果も十分に可愛いでしょ?」
自分の外見に絶対的な自信を持つ穂乃果が上目遣いで、佳と隆盛の事を見てきた。
きっと自分たちに同意を求めているのだろう。そんな穂乃果の見え見えの魂胆に、佳たちは内心で唸った。
確かに穂乃果も愛らしい外見をしているとは思う。しかし、櫻真たちと歩いてそうかとなると……何か違う気がする。
(そう言えば、千高も似たような事を言わはってたような……)
一瞬、佳の脳裏に同級生である紅葉の顔が浮かび上がった。
紅葉は櫻真の幼馴染みということもあり、一緒に行動している事も少なくない。そしてそんな彼女も櫻真に好意を抱いているのは、恋愛事情に疎い佳でもすぐに分かった。
紅葉は男子から人気の千咲や、他の女子と自分を比較しては『櫻真と不釣り合いかもしれん〜〜』と頭を抱えて嘆いている。
確かに櫻真は目を引く存在だ。けれどだからと言って、紅葉が引け目を感じる必要もないと思う。
(千高には、千高なりの良さがあるんやけどな……)
その魅力は、姿形からくる物ではなく内側から溢れている物だと思う。
紅葉はいつでも明るく元気だ。そんな彼女の姿に安心してしまう自分がいる。
(あっ、いや……安心してしまうって何やろ?)
一瞬浮かんだ自分の気持ちに動揺が走る。
(そんな、まさか……)
自分自身の感情を軽く否定するが……
「おい、どうした? 祝部? お前、顔が赤いぞ?」
側にいた隆盛が自分の顔が赤くなっている事を指摘してきた。
「いや、別にどうもしてへんよっ!」
「どうもしてへんよ、って言われても、顔が赤いぜ?」
何でもなくないだろ? と暗に伝えてくる隆盛に佳は何とも反応し難い。
(なんで、こういう所は見落とさへんのやろ?)
気恥ずかしさも相まって、隆盛に対し理不尽な不満が出てくる。
とはいえ、クラスの女子の事を考えていたとも言えない。
「……ちょっと、暑さに当てられたのかもしれん。少し日陰で休むわ」
考えた末に佳が行き着いたのは、在り来りな言い訳だった。
「今日は、一段と日差しが強いですからね。向こうに木陰になっている所がありますよ」
佳の言葉を真摯に受け止めてくれた彩香が、浜辺近くにある木陰を指差してきた。
「うん、そうするわ……」
嘘をついてしまった事に良心が痛むが、自分の気持ちを落ち着かせる意味でも今は休むべきだろう。
佳が木陰に向かうのとほぼ同じタイミングで、
「六本勝負の二本目が決まったわよーー。さぁさぁ、皆の衆、勝負に出る代表選手を決めなさんな」
儚の家から大きな箱を持ってきた葵がやってきた。
葵が片方の手で抱える箱には、カタカナで大きく「ツイスター」と書かれている。
その文字を見て、佳は何とも言えない不安感が胸に沸き起こった。




