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晴れた日は、小鳥もさえずる  作者: ぼたん鍋
第3章:自分のことを考えるってことは、相手のことを見ようとするってことなんだ
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閑話④それは神聖なる狂気


 西洋の格言に、こんな言葉がある。

 『恋愛、それは神聖なる狂気である』


 中学生のときに西洋史にはまったことがあって

 そのとき、なにかの書物でこの言葉を見つけた。

 正直、言葉の意味はまったく理解できなかった。

 中世ヨーロッパは貴族社会だったらしいから

 きっと、恋だの愛だのというものに

 何らかのしがらみがあったのかもしれない。


 おれの心は、まさに狂気とも言えるほど

 1人の女の子のことを考え続けている。

 

 中原綾。

 出会いは偶然だった。

 意味がわからない催し物の実行委員に選出され

 面倒くさいと思いながらも向かった教室で彼女に出会った。


 彼女のことを考えていると

 自分が悩んでいたなんて、どれだけちっぽけなことだったのかと思わされる。


 東山先生には、相手のことがわからないのと、相手のことがわかること

 その違いは何かと問われたことがある。

 今は、なんとなくだけど、その答えが見えてきている。


 相手のことを考えるってことは、意識を自分の外に向けるということだ。

 それは、情報が伝達してしまうと途切れてしまうものでもある。


 わからないから。

 だから人は、相手のことを考えるのだ。

 相手のことを想うのだ。

 そうして、頭の中いっぱいに誰かのことを考えたとき

 たぶんそれは、恋とか、愛とか、そういうものに変わっていくのだろう。


 今だって、おれの頭は中原さんのことでいっぱいだ。

 今、彼女は何をしているだろうか。

 おれのことをどう思っているだろうか。

 週末、2人でどこに行こうか。

 どこに行ったら喜んでくれるだろうか。


 そうやって、自分の中で彼女の存在がどんどん大きくなっていく。

 なるほど。まさしく『恋愛、それは神聖なる狂気である』だな。


 自分とはいったい、どんなものだろうか。

 そう考えていたことが、ばかばかしくなるくらいに彼女ことを考えている。

 きっと、自分っていうのは、自分の中には存在しないのだろう。

 誰かのことを想ったり、人の幸せを願ったり、世界の平和を祈ったり。

 その全てが、自分なのだ。

 自分がわからない。そう考える自分も、やはり自分の一部なのだ。


「難しいことは難しい。どうしたって、誰が見たって難しい」


 東山先生の言葉が、今ならわかる気がした。

 彼女は今、なにをしているのだろうか。


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