配給
私は、柔らかな光の中でまどろんでいた。
ふかふかのベッドに、ふかふかの枕。枕もとの時計は午前10時を指している。予定より1時間の寝坊だ。
ベッドから降りてバルコニーへ向かう。カーテンを開けると、眼下に青い海と白い砂浜が広がっていた。
「この別荘を買ったのは正解だったな……」
カーテンをふわりと揺らして、爽やかな風が部屋の中を駆け抜ける。初夏の日差しが心地いい。
「あなた、起きたの?」
キッチンから妻の声が聴こえる。
「ああ。いま起きたところだ」
「いつまで寝てるのよ。お寝坊さんね」
「すまない。昨夜はちょっとはしゃぎすぎたよ」
「椅子に掛けて、少し待ってちょうだい。いまスープを持っていくわ」
妻は女優をしている。素晴らしい美貌とスタイルの持ち主だ。女優というと浮世離れした人物だと思われがちだが、妻は驚くほど家庭的な女性で、休日は手料理を食べさせてくれる。
「お酒の飲みすぎは体によくないわ」「もっと野菜を食べないと」と少し小言が多いのがタマにキズだが、それも私の健康を気遣ってくれてのこと。気立てもよく、私には過ぎた女性だ。きっといい母親にもなるだろう。
「さ、スープができたわよ。パンとフルーツはここに置くわね」
あつあつのスープを一口すすってフランスパンに手を伸ばす。いい焼き具合だ。
「うまい! また料理の腕を上げたね」
「どういたしまして。……で、お仕事のほうは順調なの?」
「ああ。来月、新型車を発表する予定だ。価格も性能も、他社とは比較にならないよ」
「まあ、すごい。さすがあなたね!」
「優秀な社員たちががんばってくれているおかげさ」
経営する会社は順調そのもの。気持ちのいい別荘での休暇。美しく、気立てのよい妻。自分でいうのもなんだが、私は、誰もが羨む「成功者」だ。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
「そういってもらえると、うれしいわ」
「どうだい、午後はビーチでひと泳ぎしないか?」
「そうね。じゃあ、新しい水着を披露しようかしら」
柔らかい陽射し。爽やかな風。ダイニングテーブルの向こうで幸せそうに微笑む妻。
そこで私は目が覚めた。
「AX204459、時間だ。さっさと起きろ!」
怒鳴り声を浴びながら、私は硬いベッドから起き上がる。あっというまの2日間だった。
資本主義が極限に達した結果、この国では貧富の差があまりにも大きくなりすぎた。下層階級に生まれた者は、低賃金で働く労働者として一生を終える。働いても働いても、決して抜け出せない貧困。夢も希望もない人生。
しかしそれでは労働者としての質が低下する……ようするに「死んだ目をした労働者は役に立たない」という理由で、政府主導のもと「夢と希望の配給」が行われるようになった。
下層階級に生まれた者は週に5日働き、残りの2日間をこの施設で過ごす。装置につながれ、夢の世界で生きることが義務付けられた。
ベッドから起き上がった私は、今週の労働命令書を受け取った。今日から5日間、プラスチック鉱山だ。重金属と化学物質にまみれながら山を掘り、チューブまで運ぶ作業。冷たい床の上で眠り、鉛のようなパンを冷めたスープで胃に流し込む5日間。
……が、そんなことはどうでもいい。すべては夢なのだから。
輝かしい成功と素敵な別荘、そして美しく気立てのよい妻。
鉱山で見る5日間の悪夢が終われば、私はまた現実に戻ることができるのだから。