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念力開眼

作者: たびひと


二十二時十分


 弁当と缶ビールの入ったコンビニ袋をテーブルの上に投げ出すように置いた。

 むっとする熱気が室内にこもっている。

 エアコンのリモコンを取り電源を入れる、続けてテレビのリモコンのスイッチを入れ、チャンネルをニュース番組に合わせる。

 九州に近づいている台風十二号について話す女性アナウンサーの声が流れ出した。

 明日から夏休みだというのについてない。

 今年最強の台風らしい。

 Yシャツを脱ぐ、夏はネクタイは着けなくていいので助かる。

 ズボンも脱ぎパンツとTシャツになった。

 台所に行ってコップを一つ探し出し、テーブルの上に置く、安物のソファーにドスンと腰を下ろした。

 コンビニ袋から缶ビールを取り出してコップに注ぐ。

 トクトクと缶から流れ出した琥珀色の液体がコップを満たし、白い泡が溢れた。

 コップを持ち上げ、“お疲れさん”と独り言をつぶやき、喉に流し込んだ。

 冷たい液体がピリピリと喉を刺激しながら胃に降りて行く。

 近頃缶から直接ビールを飲むのが苦手になった。

 喉に刺さるようで、飲みにくい。

 コップに注ぐとだいぶ柔らかくなって飲みやすい。

 “フゥー”とため息を漏らしながらソファーの背に体をあずけた。

 ささやかだが至福の瞬間だ。

 明日からの休みの間、同僚に迷惑をかけないように仕事を片づけたので帰りが遅くなった。

 疲れた。

 ゆっくり体を起こして袋から弁当を取り出し、ふたを外して割箸を割る。

 海苔が貼られたご飯の上に箸を差し込み、口に運ぶ。

 ……今日午前八時二十分ごろ、三重県松坂市の国道二十三号線を走行中の大型バイクが塀に衝突しました、歩いていた小学生四人が軽傷、運転していた“いわいよしひこ”さんが死亡しました……

 テレビのニュースは台風の情報からその他の、ローカルなニュースを伝えていた。

 “いわいよしひこ”という名前に思わず箸を止めた、聞き覚えのある名前だ。

 「いわいよしひこがバイク事故?」

 テレビ画面に目を向けた。


「現場はゆるい下り坂のカーブで、男性の運転する大型バイクがカーブを曲がりきれず、道路脇のブロック塀に衝突しました。ガードレールとブロック塀の間の歩道を小学生六人が歩いていましたが、ブロックの破片が当たるなどで四人が軽傷を負いました、命に別状はないとのことです。ガードレールと塀は大きく壊れ、運転していた伊勢市在住の“岩井佳彦”さん二十七歳が死亡しました。目撃者の話によりますと、大型バイクはカーブの十メートルほど手前で急加速してカーブに入り、曲がりきれずに塀に衝突したとのことです。警察では運転を誤ったものと見ていますが、バイクに何らかの異常がなかった調べる方針だと言うことです」


 エアコンが冷気を吐き出し始めた。 

 背中がゾクリとした。

 アナウンサーは次のニュースを伝え始めている。

 弁当をテーブルに置き、立ち上がって隣の部屋に入った。

 パソコンの電源を入れる。

 死亡した運転手は、あの“岩井佳彦”だろうか……彼もバイクが趣味だったはず、だとすれば三人がこの一週間で亡くなったことになる、それも全員が交通事故で。

 パソコンが立ち上がるのを待つ間、一旦居間に戻り缶ビールを掴んで戻る、パソコンの前の椅子に腰を下ろし、缶から直接ビールを飲んだ。

 口の中に刺々しい刺激が広がる。

 一人目は“小林仁美”だった。

 宮崎市の三十二歳の女性で主婦だ。

 六日前、正確には先週の土曜日、やはりテレビのニュースが彼女の死を伝えた。

 小林仁美は自宅近くのスーパーに買い物に行き、出てきたところを車に轢かれて死亡した。

 目撃者は、車が彼女の数メートル手前で急加速した、と証言した。

 車は小林仁美を轢いた後もスーパーのレジ付近まで突っ込み、三人の重軽傷者を出した。 

 運転していたのは高齢の男性だった。

 警察ではアクセルとブレーキを踏み間違えたのではないかと見ているらしいが、運転手は、

「踏み間違えてはいない、突然車が暴走した……」と主張している、とのことだった。

 二人目は岡山市の早川光雄五十九歳、二日前のニュースだ。

 彼も自動車事故だった。

 ニュースで報道される前夜の事故だったので、正確には三日前の午後八時頃に起きた。

 早川は仕事を終えて会社に帰るため、車を運転して山陽自動車道路を走行中に事故に遭った。

 前を走っていたトラックがカーブで突然急ブレーキをかけ、彼の車は避けきれずにトラックに突っ込んだ、その直後に車から火が出て彼は焼死した。

 他に五台の車が追突などで事故に巻き込まれたが、彼以外に死亡したり重症を負ったりした人はいなかった、その後高速道路は三時間封鎖された。

 トラックの運転手に怪我はなかった。

 運転手は、トラックが突然暴走し制御できなくなったので、急ブレーキを踏んだ、と警察に話した。

 このニュースは事故が夜だったため、翌朝のテレビニュースで伝えられた。

 私は朝食のトーストを食べながらこのニュースを見た。

 すぐにパソコンを立ち上げて、PXのリストに彼の名前を探した。

 やはり彼だった、同じ名前がリストにあった、岡山市在住の男性で五九歳、早川光雄。

 たまたま続いたのだと思った、偶然だと思った。

 彼も小林仁美も、名前や住所、年齢は知っている、しかし、会ったことはないし顔も知らない、直接話したこともない、二、三度メールを交わしだけだ。

 だから気の毒に、残念だとは思ったが、事故では仕方がないと思っていた。

 この時点では、二人の事故死は偶然だと思っていた。


 パソコンが立ち上がった。

 ビールをグィと一口飲み、ディレクトリをカチカチとクリックして目的のファイルまで進む。

 目的のファイルはPⅩと名付けたExcelのファイルだ、念のために鍵を掛けている。

 解除キーを入力してファイルを開く。

 私を含め九人の情報が記述されているリストだ。

 その小さなリストに、死亡と記された二人の名前がある。

 そして岩井佳彦の名前もあった。

 住所は伊勢市で年齢も一致している、趣味はバイクと書いてある。

 やはり彼だった。

 これで三人が死んでしまった、それも一週間の間に。

 本当にこれは偶然なのだろうか。

 心臓が激しく鼓動する。

 背中を冷たい汗が流れる。

 リストを眺めていて、三件の事故に共通点があることに気がついた。

 事故が自動車の“暴走”によることと、三人とも実名と住所を明かしていることだ。

 このリストの全員が実名ではない、実名は五人だけで、残る二人は秋田市の深田真央と私だ。

 実名と住所を明かしているから事故にあったのではないか、そう思えてきた。

 あとの四人はニックネームで住所も県名と市町村名までだ。

 広島県三次市の“きりきりこ”、女性で二十四歳、OL。

 京都府京都市の“だいもんじ”、男性で四十九歳、自営業。

 富山県富山市の“まさる”、男性で三十三歳、職業の記載はない。

 北海道札幌市の“ゆきおとこ”、男性で二十一歳、大学生。

 四人は実名ではないので、彼らの内誰かが事故に遭っていたとしても、私が気がつかなかった可能性もある。

 事故は九州宮崎から始まり、岡山、そして三重へと北上している、広島と京都はその北上するルート上にある、だがこの二日間、広島の三次でも京都でも自動車事故の報道は耳にした記憶はない。

 念のためにネットで三次と京都の自動車事故を検索してみたが、それらしい事故、暴走が原因となるような事故は見つからなかった。

 なぜ二人は無事だったのだろうか。

 実名と住所が不明だから事故を免れた可能性が高いように思われた。

 もう一つ考えられるのは、彼らまたはどちらかが事故を発生させた犯人である可能性だ。

 だが犯人を彼ら二人に限定はできない、たまたま事故の北上の途上に住所があっただけで、富山の“まさる”や札幌の“ゆきおとこ”が犯人の可能性も考えられる。

 実名を明かしている者が犯人の可能性もあるが、深田真央は女子中学生だ、彼女が犯人である可能性は考えられない。

 犯人?

 私は一連の事故が何者かによる殺人だと考えている自分に気がついた。

 もし実名と住所を明かしている者が“事故”に遭っているとすると、三重の次は千葉の私になり、その次は秋田となる。

 だが私には能力が無い、その点は彼ら八人とは異なる。

 能力はないが、私はアプリの作成者であり、このリストを作った本人で、管理者だ、そのため実名と実住所を明かしている、ニックネームも“たびひと”と名乗っている。

 そして能力が無いことも明らかにしている。

 私の次は秋田の深田真央だ、彼女は本名も詳細な住所も明かしている、十四歳の女子中学生だ。

 そして彼女の能力は八人のなかで最も優れている。

 実名を名乗った者が事故にあっているのなら、次は私ということになる、が、もう一つ事故に遭う要素として“能力”の有無があるとすれば、次の事故は秋田の深田真央の可能性が高い。

 元々このファイルは能力者をリストにしたファイルなのだ、私は自分が管理者のため、リストに加えているにすぎない。

 一旦パソコンの側を離れ居間に戻り、ソファーに倒れ込んで残りのビールを飲んだ。

 

 状況を整理した。

 九人のうち三人が自動車事故で二、三日ごとに死亡している、いずれも車の暴走が原因で事故が引き起こされている、もはや偶然とは考えられない、事故を装った連続殺人だと思われる。

 事故は私のリストを基にして起きているとしか思えず、そして事故に遭った三人は実名と住所を明かしており、彼らだけが事故に遭っている。

 そしてリストは私の手元にだけある、他の八人には渡していない。

 このリストがあることを知っているのも、私とこの八人だけだ。

 犯人はこの中にいる可能性がある。

 リストを作ったのは一ヵ月ほど前だ、主旨を説明したメールを彼らに送り、協力して欲しいと頼んだ。

 ただ、最初から実名・実住所・電話番号などを明かすことに抵抗があれば、この時点ではニックネームでも構わないとした、その結果四人が実名実住所で、四人がニックネームで連絡をくれた。

 そしてプライバシーに関わるため、リストは私一人が保管することとした。

 従って八人は、自分以外のメンバーについては何も知らない。

 これはあくまでプライバシーの保護のためで、個人情報を拡散させないためだった。

 八人の身体的な安全のため、などと考えてのことではなかった、そんなことは想像もしていなかった。

 リストはウィルス対策をしているパソコンで保管している、これまで被害に遭ったことはなかった、このファイルの解除キーも私の頭の中にだけにあり、他のID・パスワードと使い回しはしていない。

 私が不在の時はパソコンの電源は落としている、家族はいないので、私以外の者が勝手にパソコンの中を見ることはない。

 どのような方法でこのリストを盗んだのか不明だが、このリストが基になっていることは間違いない。

 早急に手を打たないと残りのメンバーに危害が及ぶ可能性が高い。

 特に秋田の少女が心配だ。

「警察に届けるべきだろうか」

 しかし警察はこのことを信じるだろうか。

 このリストのメンバーが次々と自動車事故で死亡している、まだ続く可能性がある、捜査して残りのメンバーを保護して欲しいと訴えて、すぐに行動を起こしてくれるだろうか……時間がない、事故は二、三日ごとに起きている。

 警察からは、このリストは何なのかと聞かれるだろう。

 そこで本当のことを話しても信じてはもらえないだろう、かえって疑わしく思われるだけだろう。

 事故は三つの県で起きており、担当した警察署では、いずれも“事故”と判断している。

 “事故”を“殺人”と疑うことのできる根拠を示すことができなければ、警察は動かないだろう。

 どうやって事故を起こしたのか、私には思い当たることがある、だが物理的な証拠を示すことができない。

 このままでは秋田の少女の命が危ない、しかし警察を頼れない。

 今日の朝、三人目が死んだ。

 早ければ明日か明後日にでも、彼女に“事故”が起こるかも知れない。

 事態は切迫している。

 何とかしなければならない。


「秋田に行く」

 次のターゲットが私の可能性は排除できないが、秋田の深田真央の可能性がより高い。

 私が行ったからといって、何が出来るわけでもない。

 私は格闘技の経験はない、見るのは嫌いではないが、やったことはない、取っ組み合いの喧嘩もしたことがない。

 もちろん拳銃も、ナイフも持っていない。

 事故の犯人と対峙したとき、何もできないかもしれない、だが車の暴走については思い当たることがある、それが役に立つかもしれない。

 パソコンに戻り、残りのメンバー五人に警告のメールを送った。


 突然ですが、先日登録していただいたPXのメンバーの内三人の方が、“自動車事故”に遭遇し、亡くなっていることが分かりました、この一週間のことで、偶然だとは思えません、信じられないと思いますが事実です、どの事故もテレビで報道されています。

 私は皆さんをターゲットにした、事故を装った殺人だと考えています。

 事故に遭われた三人の方は実名と住所をご連絡いただいている方で、いずれの事故も車の暴走によって引き起こされています。

 亡くなられたのは、

 六日前の土曜日に宮崎県の小林仁美さん。

 三日前に岡山県の早川光雄さん。

 今日の朝、三重県の岩井佳彦さんです。

 ニックネームの方については把握できておりませんので、このメールを読まれたら必ず返信をお願いします。

 メンバーのリストは皆さんに公表していないことから、私のパソコンがハッキングされたものと思われます、

リストファイルには鍵を掛けて保管していたのですが、盗まれたようです。

 大変申し訳なく思っております、特に亡くなられた方と事故に巻き込まれた方にはお詫びのしようもありません。

 “自動車事故”は九州宮崎から始まり、岡山、三重へと北上しています。

 事故に遭われた方は、今のところ実名と住所を明らかにしている方だけなので、次は秋田の深田真央さんか、千葉の私、真崎良仁であろうと考えています。

 ただニックネームの方が安全だとは言い切れません。

 鍵を掛けて暗号化したファイルを解読した犯人です、私は犯人が能力者の可能性が高いと考えています、何らかの方法でニックネームの方の住所を調べ、取得する可能性があります、そうなればニックネームの方にも危険が及ぶ可能があります、車に注意し、警戒を怠らないようにしてください。

 一連の“事故”はそれぞれの県で事故として処理されています、私は事故ではない具体的な証拠を示すことができません、そのため警察に連絡しても迅速な対応は望めないと判断しました、しかしこのまま手をこまねいていることはできません。

 私は今から秋田の深田真央さんに会いに行きます。

 私に能力がないことは皆さんご承知のとおりで、リストにもそのことを記載しているため、次のターゲットは私ではなく、深田真央さんの可能性が高いと考えるからです。


 このメールは犯人にも届く可能性がある、そのため私の推測は敢て伏せた。

 間もなく午前〇時になる、すぐにメールを見てもらえるか判らないが、遅くても朝には見るだろう。

 テーブルに戻り、今は深夜のバラエティを放送しているテレビの電源を切った。

 冷え切ったコンビニ弁当を胃の中に押し込む。

 シャワーを浴びる、髪を洗う。

 濃い目のコーヒーを煎れる。

 午前〇時三十分、パソコンを覗くと、先ほどのメールの返事が三通来ていた。

 三次の“きりきりこ”と京都の“だいもんじ”、富山の“まさる”からだった、“きりきりこ”と“まさる”からのメールはスマホから送信されたもので、“だいもんじ”はパソコンからだった。

 三人は半信半疑の様子だが警告は確認してくれた。

 彼らが無事だったのでホッとした、質問もあったが今はそれに答えている時間はない、第一答えを知らない。

 札幌の“ゆきおとこ”と秋田の深田真央からの返事がない。

 深田真央はいつもスマホからメールをくれるのだが。

 電話することも考えたが、彼女はまだ中学生だ、この時間は休んでいる可能性が高い。

 それに三件目の事故は三重県だ、深田真央は秋田に住んでいる、いくらなんでも彼女が危険な目に遭うには、距離的に遠い し時間的には短すぎる、車の運転も彼女にはできない。

 そう思って不安を押し殺した。

 煎れたての熱いコーヒーを飲みながら本棚から地図を引っ張り出して、深田真央の住所を地図で確認した。

 二杯目のコーヒーを飲む。

 コーヒーの残りを水筒に入れる。

 現金を確かめる、明日、いや今日から夏休みの予定だったので、銀行から十分な現金は引き出してある。

 服を着た、下はジーンズ、上はTシャツに、色あせ擦り傷だらけのバイク用革ジャンを着た、父親の形見だ。

 リュックにメンバーリスト、コーヒーの入った水筒、地図、その他を放り込む、スマホと財布を革ジャンのポケットに入れる、時計を見るとまもなく午前一時になるところだった。

 部屋を出る前にもう一度パソコンを覗くと札幌の“ゆきおとこ”から返事が来ていた、彼は無事だった。 しかし秋田の深田真央からの返事はなかった。

 パソコンの電源を落として部屋を出た。


 外は満天の星空だった、台風が来ているがこのあたりはまだ天気がいい、むっとする夜気の中、虫の声がやかましい。

 母屋の隣のガレージ代わりにしている小屋のシャッターを上げる。

 以前は農機具などを入れていた小屋の中には、プリウスとカバーの掛けられたバイクを置いている。

 バイクのカバーを取る、カワサキ650W1SAが姿を現した。

 フューエルレバーを回し、キックペダルを引き出す、気温が高いのでチョークは引かない 。

 キーを回して右のフットレストに右足を乗せ、左足でキックする、二回目でエンジンが始動した。

 「ボゥオン」とエンジンが吠え、二本のキャブトンマフラーから排気煙を吐き出し始めた。

 ボンボンボンと重く腹に響く独特の排気音が、夏の夜のしじまに流れ出した。

 夏休みにツーリングに出る予定だったので先日整備をしたばかりだ、オイルも交換し、ガソリンは満タンにしてある。

 奥の棚からライダーブーツを取り出し履き替える。

 フルフェイスのヘルメットを被る。

 W1のスタンドを外して小屋から庭に引き出し、小屋のシャッターを下ろす。

 シートに跨りグローブをはめる。

 スタンドを外しクラッチを握る、左足でチェンジペダルを踏み込む、ガツンとギヤの入るショックが返ってくる。

 このモデルよりも前はチェンジペダルが右側、ブレーキペダルは左側だったが、このW1SAからは他のバイクと同じように、チェンジペダルが左、ブレーキペダルが右となった。

 ゆっくりとクラッチを繋ぎ、アクセルを回す。

 ビールを飲んでしまったが、三時間ぐらいは経ってる。

 午前一時十分、北を目指して走り出した。


 このW1は父親の形見だ。

 一九七一年製で、今から四十年以上も前のバイクだ、W1が生まれたときには、私はまだ生まれていなかった。

 一九六九年にホンダからCB750FOURが発売され、七百五十ccが国産最大排気量のバイクとなるが、それまではカワサキのW1シリーズが最大排気量のバイクだった。

 排気量六百二十四ccバーチカルツィン、空冷四サイクル並列二気筒のOHV2バルブで、ツインキャブレターが装着されている。

 このエンジンとキャブトンマフラーから生み出される排気音が魅力的で、多くのバイク乗りの心を魅了した、今もファンが沢山いる。

 私は超バイク好き、ではないが、この排気音に惚れ込んでいる一人だ、父親もそうだった。

 父親はこの排気音を守ろうと整備を欠かさず、大事にしていた。

 出力五十三馬力、最高時速百八十五キロメートル、ゼロヨンは十三・七秒で、燃料タンクには十五リッター入る、実質燃費は二十三キロ程度だ。

 父親が事故で亡くなったあと私が引継ぎ、三、四ヵ月に一度は二百キロほどのツーリングに出かけ、整備も怠らないようにしてきた。

 プリウスを使うことも考えた、また朝まで待って飛行機か新幹線を使うという選択肢も考えたが、あえてW1にした。



四時


 東北自動車道の安達太良サービスエリアに着いた。

 この時間のサービスエリアは静かだ、そろそろ日の昇る時刻で空はうっすらと明るくなってきている。

 レストランも売店も閉まっている。

 駐車場には乗用車が三十台あまり、長距離トラックが十台ほど駐車している、バイクは無い、いずれの車も運転手は仮眠を取っているようで、外に人影はない。

 ここで二十分ほど休憩することにした。

 W1を深夜営業のガソリンスタンドに入れる。

 これから先は、サービスエリアでも深夜営業しているガソリンスタンドは少なくなる、入れられる時に入れておかなければならない。

 私の後にいた乗用車も給油をするようだ。

 かなり薄汚れたクラウンだ、フロントウィンドウにはワイパーの拭き残しがくっきりと残っている、かなりの長距離を走ってきたようだ。

 私も疲れを感じていた。

 夏休み前で、仕事を残さないように朝から一日働いた。

 疲れて帰宅した後、睡眠もとらずにW1を駆って二百五十キロ走ってきたのだ。

 秋田まではあと三百五十キロほど走らなければならない。

 W1はビッグツインで、しかも古いバイクなので走行中はハンドルに振動がある。

 高速走行で時速八十キロを超えると、その振動はより激しくなる、それがずっと続くので両手には結構な負担になる、バイクを降りても肘から先にジンジンする痺れが残っている、年を追ってそれが負担になって来た。

 ガソリンを満タンにした後、駐車場に移動し、外のベンチに腰を下ろして、持参した水筒からまだ温かいコーヒーを飲んだ。

 パーキングエリアの進入路のほうからやかましい音が近づいてきた。

 すぐにそれは駐車場に入ってきた、シャコタンにした乗用車が二台、不必要に大きなウィングを付けて、太いタイヤを履いている、そして叩き付けるような排気音と不快なクラクション。

 彼らは徐行しながら、クラッチを踏んで空ぶかしを何度も繰返し、車の中で仮眠を執っている運転手の休息を妨げる。

 大変な迷惑だ、それを承知であえて迷惑な行為を行っている、ここに俺はいるんだと大騒音を撒き散らす。

 何処にいようと勝手だが、他人に迷惑をかけるだけの存在主張など誰も認めやしない。

 おろかで迷惑な行為だ。

 私はベンチに腰掛けたまま彼らを見ていた。

 私は彼らを憎んでいる。

 やがて彼らは駐車場にポッカリと空いたスペースを見つけ、そこに入り込み、二台が連なって時計回りに回転を始めた。

 低いギアでアクセルを必要以上に踏込み、タイヤを空転させながら円を描いて回り始めた、キュルキュルキュルと人の悲鳴のよな不快な音が響く。

 タイヤがスリップする音は、人間が本能的に命の危険を感じる、嫌な音だ。

 タイヤと路面の摩擦でゴムの焼ける臭いがここまで漂ってくる、ただでさえうるさい排気音に加えてタイヤのスリップ音が加わり、夜明け前の駐車場は騒然となった。

 と、突然回転を止めて進入路に向けて走り出した、そしてけたたましい爆音を残して高速道路の本線へと走って行った。

 あまりの騒音に仮眠を執っているドライバーの怒りが爆発する寸前で逃げたのだ。

 静寂が戻った。

 私は彼らの様な者達が憎い。

 行いを憎み、人は憎まない、とんでもない、私にはそんなことはできない。

 彼らの撒き散らす迷惑な行為が、今、私がここに居る遠因ともなっている。

 私は彼らの行為を強制的に止めたくて、アプリを作ったのだ。

 私の住まいは勤務先のある都心から電車を三回乗り継いで、さらに十分ほど歩いた千葉県にある。

 東京に隣接しているが、家の周りには、まだ田んぼや畑が残っている。

 古い家も多く、私の家も四十年以上前に建てられたもので、田舎家だ。

 都心に近いが、静かな町だ。

 兼業農家だった両親は、十年前に自動車事故で死んだ。

 十年前の五月二日の夜、自宅近くの県道で一台の乗用車が先ほどの、彼らの様な暴走集団に遭遇し、彼らを避けようとして迂回をした、父の運転する軽トラックはその乗用車と衝突した、助手席には母もいて、二人とも死亡した。

 家から僅か三百メートしか離れていなかった、乗用車が迂回しなければ事故は起こらなかっただろう。


 その後もその道路に、暴走族まがいの車やバイクが夜中に入り込んでくる。

 そして深夜に騒音を撒き散らす。

 昼間の仕事に続き、長い残業を終えて家にたどり着き、やっと床に入った寝入りばなを彼らの騒音でたたき起される。

 住民の誰かが警察を呼ぶこともあるが、パトカーの来る前にサッといなくなり、そしまた静かな夜にやってくる。

 私はそんな彼らにガソリンの入った袋を投げつけ、火をつけてやろうと思った。

 しかしそんなこと、私に出来るはずもなく、騒音と怒りと無力感で悶々としていたある深夜、彼らの車やバイクを静かにさせる方法を思いついた。

 燃料噴射装置を止めればいいのだと思いついた。

 今の車は燃料を気化してエンジンのシリンダーに送り込むため、電子制御の燃料噴射装置を使っている。

 しばらく前まではキャブレターが普通だったが、燃費向上と排ガスの浄化、出力の確保のため、今はほとんどの車が電子制御だ、トラックもバイクも電子制御のものが増えている。

 その電子制御であるコンピューターを狂わすような強力な電波を照射し、暴走する車を止めることは出来ないだろうか、と考えたのだ。

 しかしそんな強力な電波を発生させる機械を、一般人である私が手に入れることはできない。

 怒りで眠れないまま考え続け、私の妄想は“念力”に行き着いた。

 では念力はどうだろうか。

 念力で燃料噴射装置を誤作動させることは出来ないだろうか。

 コンピューターのCPUとなるLSIの最先端のデザインルールは、現在四十五ナノメートルで、ウィルスよりも小さい。

 その回路の中を電子が通ることで処理が行われる。

 その超精密な電子回路に、髪の毛の何千分の一という微細なチリであっても、それが回路にかかればショートして誤作動する。

 髪の毛の何千分の一という微細なチリであっても、それが超精密な回路にかかると、ショートして役に立たなくなる。

 そのためLSIを製造するクリーンルームは、生物学的なクリーンルームよりもはるかに洗浄力が高く作られているらしい。

 “コンピューターの電子回路を誤作動させるには、極々小さなチリほどの力があればよい”。

 電子燃料制御を積んだ車を動けなくするには、一トンを持ちあげるような荒唐無稽な念力など必要はなく、チリ程度の効果を発揮できる“念力”で十分なのだ。


 人間にできないことだろうか?

 できるのではいか。

 一片の、極小のチリ程度の影響力を念力で発生させることぐらい、できるのではなか。

 そう思った。

 念力をコンピューターに発現させるアプリを作ることにした。


 サイコロを参考にした。

 サイコロの目の出る確率は六分の一だ。

 例えば三の目を出そうとサイコロを六十回振った時、確率的には十回出る。

 もし十一回や九回ということになると、確率通りではないと言うことになる、つまり何らかの力がサイコロに対して作用したと考えられる。

 この考え方を基にしてスマートフォンアプリを作成した。

 プログラミングで良く使われる処理に乱数がある。

 乱数は様々な場面で使用される、ランダムな数値を出力する機能だ。

 Android アプリはJava言語で記述するのが一般的だ、アプリには乱数を発生させるためJavaのMathクラスのrandom( )メソッドを使用した。

 〇から九の数値を乱数を使って十回発生させた場合、それぞれの値は十分の一の確率により、一回出ることになる。

 その乱数出力の際にコンピューターに、極小のチリ程度の“念”を作用させて、自分の決めた特定の数値を確率以上、または確率以下の回数、出力させる。

 たとえば七という数値を念じて、十回の乱数出力を行う。

 確率は十分の一なので、この場合七が出現する回数は一回だが、二回以上、または〇回、出現させることが出来れば、コンピューターに“念”を作用させたと言うことが出来るのではないか。

 そう考えてプログラミングをした。

 そして実際に動作させてみると、十回では十分の一にならない、二十回でも三十回でも十分の一にならない。

 目論見通り“念”が作用したのか?

 いや、回数が少なすぎるのだ、おそらく万の単位の回数行った時に、十分の一になるのだろうが、これでは都合が悪い。

 仮に一つの数値を一秒ごとに出力するならば、十万回行うことは十万秒で約千六百六十七分、二十七時間四十八分になる、これほどの根気と集中力を維持するのは普通の人には無理だ。

 そこで十分の一になるようにプログラムで調整した。

 例えば五十回乱数を発生させたとき、〇から九までのそれぞれの数値が五回ずつ出現するようにプログラミングで調整したのだ、ただしそれぞれの出現順序はランダムにした。

 この処理は人為的な処理で出現を制限するので正しくないのではないか、と思ったが、これでいいのだ。

 念力を作用させることが目的なので、もし十分の一の確率と異なる結果が出た場合、プログラムの制御を逸脱したことになる。

 つまり“有り得ない動作”が行われたことになるので、“念力”が作用したと考えられるからだ。

 このような理屈でアプリ“念力開眼”を作成した。


 “念力開眼”は、ランダムな〇から九の数値を十秒ごとに十回表示する、これを一ラウンドとしている。

 仮に五ラウンドの設定ならば五十個の数値を十秒ごとに一つずつランダムに表示する、その間に任意の特定の数値が出現するように、スマートフォンに向けて“念”をかける。

 終了後に念をかけた数字を入力して「出現率計算」ボタンを押すと、出力した全ての数値の一覧と、“念”をかけた数値の出現回数と出現率を表示する。

 その念をかけた数値が十分の一以外であれば、念力が発現されたと判断する。

 終了後に念をかけた数値を入力するのは、プログラミング的トリックを使っていないことを示すためだ。

 プログラミングの初心者でも作成できるレベルのアプリだ。

 作成後に自分で何度か動かしてみたが、残念だが念力発現することはなかった、作者であっても念力が発現するとは限らない。

 将来は分からないが、現時点では私は念力を発現することができない、従ってアプリ作成の目的だった暴走車のコンピューターを止めることは今の私にはできない。

 だが、世の中にはこのアプリを使うことによって、念力を発現する人がいるかもしれない、暴走車のコンピューターを止められる人がいるかも知れない、

 このアプリがその“きっかけ”となる可能性はある。

 そう考えてGoogle playで公開することにした。

 もしこのアプリを使った人に念力が発現した時は、自動的にスマホのメーラーを起動して、私宛にメールを送るようにした、ただしメールの送信は本人の判断で拒否もできるようにした。

 メールには“念力開眼”を実行した時のラウンド数、出現した数値の一覧、念じた数値、出現率、実行した日時などを記録したログファイルを添付するようにした。

 悪戯メールがあるだろうことは考えた、対策としてメールと添付ファイルの内容に私にしか判らない真偽を判断するための仕掛をした。

 そしてGoogle playにアップしたが、ゲームアプリと勘違いする人もいるだろうと考え、

「ゲーム的な動作を期待されるのであれば、このアプリは不適当です」と、説明文に書いた。

 メールが返って来ることは期待していなかった。 

 ところが、アップして半年ほどするとメールが返って来たのである。

 やはり悪戯メールもあったが、それはすぐに判別できた、それ以外の本物のメールが来たのだ。

 最初のメールは秋田の深田真央からだった。

 彼女からはその後何度もメールが来た。

 一回目のメールでは出現確率は十分の二だったが、最近ではコンスタントに十分の五、六の結果を出している。

 やがて彼女以外からもメールが届き始めた。

 最後は富山からで 、現在までに八人からメールが来た、それがリストの八人だ。

 私はこのメール情報を、統計情報か新たなアプリ開発にしか使わないと明言してアプリを公開した。

 公開はしたが、メールが来ることはないと思っていたので、予想外の結果に驚いた、そしてこのまま何もしないでいて良いのかと思い始めた。

 彼らの能力を“ここまで”にしておいてよいのだろうか、

 トレーニングを重ねれば、コンピューターを自由にコントロールすることができるのではないか、

 本当に暴走車のコンピューターを止めることができるのではないか、と考えた。

 新しいアプリを開発しようと決めた。

 より強い念力のトレーニングとなり、その成果を明確に確認できるアプリを開発して、彼らに提供し、能力の向上を図りたい、そう考えたのだ。

 そのためには彼らに協力してもらう必要があった。

 協力を依頼し、了解を得て詳細を把握するために、全員にメールで連絡をした。

 能力を持つ人が現在八人いること、そしてこの能力を更に発展させるために協力して欲しいと私の考えを伝えて、いくつかの質問もした。

 できれば実名と住所を知らせてほしいが、現時点ではニックネームでも構わないこと、そして私自身の情報と私に念力がないこと、さらに知らせてもらった個人情報はその保護のために誰にも公開せず、私一人が保管する考えであることを伝えた。

 まだ組織名と言うか、グループ名さえ決めていなかった。

 八人全員が了解してくれて、質問にも答えてくれた。

 私はリストを作成しPXと名付け鍵を掛けて保管した、それが一ヵ月ほど前のことだ。

 そしてこの事件が起こった。

 私はいずれの事故も車が“暴走”して起きている点に注目した、これは私の発想と同じではないか、念力で車のコンピューターを誤作動させたのではないか、と考えた。

 三人の事故は、“念力によって車のコンピューターを暴走させて起こした殺人”、そう推測したのだ。


 水筒から二杯目のコーヒーをカップに注ぐ。

 人は声で自分の意思を相手に伝えることを知っている。

 声が相手に届くには空気が必要だ。

 人から発せられた音声は、喉を震わせて音波となり空気を伝わって相手の耳に届く。

 耳に届いた音波は鼓膜を震わせて、音から意味を伝える言葉になる。

 人間は言葉を知らない頃から音波を利用してきた。

 動物は言葉を操れないが、鳴き声で自分の存在や感情を相手に伝えることが出来る。

 生命は音波などという理屈を知らなくても、それを利用する術を知っている。

 超能力という現象が存在するとすれば、念力などもそれと同じではないのか。

 なぜ超能力が発現したり、感じ取ったりすることができるのか、その”理屈”を人間は知らない。

 人自らの意思で超能力を発現しようとしても、理屈が解らないからテクニカルには発現できない。

 しかし生命としての知、生物の根源的な本能は、その能力を発現する方法を知っているのではないか。

 私達はやっと空気の存在を認識し、それが酸素と窒素、二酸化炭素などで構成され、人の命を維持するために必要不可欠のものであると知り、音を伝える音波の理屈を発見し、空気が媒体となっていることを知ったばかりだ。

 地球に空気が満ちているように、私達の回りには物質の最小単位である素粒子が満ちている、その素粒子についてもやっと知り始めたばかりだ。

 素粒子が空気と音波のような媒体として現象を伝え、そして音波が意味のある言葉となるように、素粒子が人や物質に現象を具現化させる役割を担っている可能性はないだろうか。


 二〇一四年五月にNHKから「サイエンスZERO 超能力はあるのか」という番組が放送された。

 番組は、二〇一三年にアメリカで行われた「バーニングマン」というイベントでの実験を紹介している。

 バーニングマンはネバダ州のブラックロック砂漠で一九八六年から毎年行われているイベントで、例年八月の最終月曜日から九月の月曜日まで行われる、二〇一三年は七万人が集った。

 このイベントのクライマックスは土曜日の深夜で、会場の中心に建てられた巨人像ザ・マンが燃やされ、取り囲む観衆の意識がそれに集中し一気に高揚する。

 実験を行ったのはカルフォルニア州のノエティック科学研究所ディーン・レイディン博士で、実験には素粒子である量子を利用した乱数発生器(Psyleron)が使われた。

 乱数発生器で使われている量子とは、電子や光子・クォークなど物質を構成する最も小さい素粒子だ。

 乱数発生器は量子の「量子トンネル効果 」と言う性質を利用した精密な機械で、ランダムに0と1を出力する機械だが、二分の一の確率になるように作られている。

 実験では、七万人の観衆が取り囲む巨人像から五百メートル離れた三カ所に、二個ずつ乱数発生器を置き、0/1の出力をコンピューターで記録した。

 午後九時に巨人像に火が点けられ観衆の意識がクライマックスに達すると、乱数発生器の0/1の出力に二百三十万分の一という大きな確率の偏りが発生した。

 番組ではこの実験の他にも、日本の青森ねぶた祭りで行われた実験で、祭の最中に乱数発生器に大きな偏りが発生したこと、二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロの発生時には、世界五十カ所に設置された乱数発生器に大きな異常が記録されたことを紹介している。

 番組の最後に、

 “量子に意識が働きかけることが出来るのではないか”

 と、レイディン博士の見解を紹介している、ただし番組では肯定も否定もしていない。


 番組ではこのような現象について「未知のパワー」という言い方をしていた、私は「未知のパワー」とは、「共振」ではないかと思っている。

 私の言う「共振」とは、音波などの様に発信元の現象が着信先に波のように伝わり、着信先に現象を生じさせるという意味である。

 人も物も素粒子から成っており、根源的には同じものだ。

 その同じ素粒子が空間に満ちている同じ素粒子を媒介にして、目的の対象である同じ素粒子を「共振」させ、現象を発生させるのではないか。

 発振元と目標の関係には、素粒子の空間密度が関係し、媒介となる素粒子の密度が大きければ共振は起こりやすく、小さければ起こりにくい、また目標の具現化する素粒子の密度が大きいと共振は起こりやすく、小さければ起こりにくい。

 発振元の波が大きければ目標に対する共振は起こりやすく、発振元が小さくても沢山の波が同じ目標に集中した場合は共振が起こりやすい。

 さらに目標に向けた「波」でないと共振は起こりにくく、明確な目標、たとえば目に見えている一点に集中すれば共振は起こりやすい。

 このように考えれば、時々メディアで行われる超能力実験で、現象の出現に成功したり失敗したりする理由も説明しやすい。

 私の作ったアプリ“念力開眼”は、スマホのコンピュータ―の電子回路に念力で働きかけ、異常動作させようとするもので量子である電子を対象にしている、従って私の考える理屈どおりであれば、念力による現象をテクニカルに発現するためのトレーニングとして、適しているのではないか。

 私はこの番組を見てこんなことを考えた。

 もちらん素人の考えた理屈だ、物理学の専門家からは相手にされないだろうが、それで構わない。


 二杯めのコーヒーを飲み終える、四時二十分だ。

 スマホでメールをチェックした。

 普段個人的なメールはパソコンで管理しているが、スマホからもプロバイダーに接続してメールの送受信ができるようにしている。

 こんな時間にもかかわらずDMメールが数通来ていたが、深田真央からのメールはなかった。

 水筒に蓋をして、リュックに入れる。

 洗面所に行き、用を足し、顔を冷たい水で洗う。

 W1に戻りヘルメットを被る。

 キックペダルを蹴る、夜が開け始めたサービスエリアにボンボンボンと歯切れよく排気音が流れ出した。

 静かにギアペダルを一速踏み込む。

 先ほどの連中と同じとは思われたくないので、ドライバーの眠りを妨げないよう、静かに北へ向かって走り出す、次の給油は秋田自動車道の錦秋湖サービスエリアの予定だ、およそ二百七十キロ、朝八時ごろの到着予定だ。



八時十分


 ほぼ予定通りの八時十分に錦秋湖サービスエリアに着いた。

 営業を始めたばかりのガソリンスタンドでガソリンを給油する。

 腹が減った。

 レストランは無いがスナックコーナーは営業を始めている、食事をすることにした。

 名物の横手焼そばを食べながらスマホでメールをチェックする。

 深田真央からメールが来ていた。

 送信したのはつい先ほどのようだ。

 彼女は自宅に居なかった。

 真央は中学校で新体操部に入っている、その夏合宿で男鹿半島の合宿施設に居るとのことだ。

 練習のためにスマホなど携帯電話を使える時間は先生から制限されているようで、私の昨夜の警告メールはつい先ほど見たようだ。

 彼女が無事だったので安心した。

 警告メールを見て動揺している様子が感じられる。

 それでも私が秋田に来ると知り、合宿練習の休憩時間を知らせてくれた。

 私が到着するまで、

 「今までどおりに合宿所で練習を続けます、次の休憩時間は十時ごろです、お昼休みは十二時から午後一時までです、午後は三時ごろ……」と書いてあった。

 メールには写真が添付されていた、真央の自撮り写真だった。

 私が彼女を見つけやすいように添付してくれたようだ。

 広い額にかかる前髪と、うなじの下くらいまでの髪が良く似合う、大きくて賢そうな目が印象的な可愛い少女が写っている。

 うっすらと笑みを浮かべている、女の子というのはどんな時でも自分を可愛く見せようとするようだ。 私は写真写りが悪い、特にスマホの自撮り写真は人に見せたくない。

 地図で男鹿の合宿所を調べた、十時の休憩時間には間に合いそうになかった。

 彼女の居る合宿所までは約百五十キロ、一般道を含むため二時間三十分ほどかかりそうだ、現在八時三十分になる。

「私は現在錦秋湖サービスエリアなので、お昼休みには着きます」とメールした。

 再度の返信は無かった、携帯電話の時間は終わったようだ。

 一時間ほど余裕があるので、少し仮眠を取ることにした、腕時計のタイマーを九時三十分に合わせ、ベンチを探して横になった。


 九時三十分、タイマーが知らせる前に目が覚めた。

 寝ざめのボケはほとんど感じないのだが、体はジンジンと微かに痺れている。

 水筒のコーヒーはもう無いので、売店に行きコーヒーを一杯買い、手早く飲み干す、昨夜から五杯目のコーヒーだ。

 洗面所に行き顔を洗う。

 一時間の仮眠で体はだいぶ軽くなった。

 九時四十五分 錦秋湖サービスエリアを出て、男鹿に向かう。


 秋田自動車道を昭和男鹿半島ICで降り、国道百一号線から県道五十五号線を通って男鹿温泉へ。

 五十五号線から右折し男鹿温泉街に入る。 

 真央のメールにあった合宿施設、旅館男鹿荘を探す。

 地図によれば男鹿荘は海に近い。

 片側一車線の道を行くと、前方に旅館男鹿荘の看板が見えた、五十メートルほど先を左に入るようだ、ちょうど今車が一台出て来た道のようだ。

 そこを左折し三十メートルほど行くと、男鹿荘の玄関前に着く。

 玄関前はロータリーになっていて大型バスが回転できるぐらいの広さだ、建物の右側が駐車場になっている、乗用車が数台駐車してる。

 W1を玄関の横に止めた。

 男鹿荘は二階建ての建物で宿泊できる人数は百人ぐらいだろう、新しい建物ではない。

 宿舎と思われる建物の奥には、体育館らしき建物の屋根が見えている。

 時計を見ると、十二時十分、真央はまだ昼食中かもしれない。

 ヘルメットを脱いで、革ジャンも脱ぐ。

 見上げると、白い絵の具で描き殴ったような入道雲が青い空に立ち上り始めている、間もなくひと雨きそうだ。

 リュックと革ジャンを抱えてロビーに入る。

 ロビーはあまり広くない、右側にフロント、奥の窓際にはソファーが四つ置いてある、そのそばには自動販売機が並んでいる、ロビーの左奥はレストランのようだ、中で大勢が食事中のようだ。

 フロントに人がいなかったのでそのまま窓際のソファーまで行き、体を沈めた、真央の食事が終わるまでここで待つことにした。

 自販機からアイスコーヒーを注ぎ、スマホのメールをチェックする、真央からのメールが来ていた、

 「わかりました」と短い返信メール、今朝の私のメールへの返信だろう。

 時間を見ると十二時五分、わずか十分ばかり前だ。

 窓の外は雑木林になってる、その隙間から夏の青い海が見える。

 犯人の目的は何だろう。

 目的は明確だ。

 私達全員を殺すことが目的だ、実名実住所の者だけを狙っているのは、探す手間が掛からないからだろう、その後ニックネームの人達の住所を調べ、狙うつもりだろう。

 どうやって住所を調べる。

 私のパソコンから鍵を掛けたファイルを盗み出し、解読した犯人だ、しかも高い能力を持っているように思われる、彼にとって住所を調べることはさほど難しいことではない気がする。

 なぜ殺す?

 確かにメンバーは念力の発現者だ、しかしその力は弱い。

 スマホのコンピューターに作用する程度だ、細かいコントロールも出来ない、だが真央のように徐々にその力が向上している者もいる。

 この犯人は念力で車のコンピューターを暴走させることができる。

 そして人を殺すことが出来る。

 もし同じことを彼らが出来るようになれば、脅威だ。

 いいや、もっと大きな脅威なのかも知れない。

 コンピューターの原理はスマホも、大企業や政府が扱う大型コンピューターも同じだ、全て精密な電子回路とプログラムで動作する。

 現代の社会では、あらゆることにコンピューターが使われている。

 個人のパソコン、スマホはもとより、企業の情報システム、工場での生産管理、車、列車、飛行機、船、人工衛星、原子力発電、それらを管理する制御システム、そしてミサイルや戦闘機、潜水艦、イージス艦などの戦争兵器、戦術戦略システム、更には政府や行政の意思決定にも使われている。

 単なる電子回路だけを捉えればその数は無限で、数えることもできない。

 すでに量子コンピューターも一部で実用化されている。

 そのコンピューターや電子回路を念力でコントロール出来るとしたら。

 コントロールできなくても、暴走させてシステムを破壊出来るとしたら、これは大変な脅威になる。

 ミサイルや爆弾など、金も設備も必要な物理的な破壊兵器を使わなくても、甚大なダメージを与えることができる、しかも普通の人間には止められない。

 日本政府にとっても、日本を警戒する他国にとっても、コントロールすることのできない力が存在することは、脅威であることに間違いない。

 施政者としては今のうちに排除したいと考えるかもしれない。

 他には?

 ……コンピューターはどうだろうか。

 ここまで来ると妄想も極まれりだが、現在世界中のコンピューターはインターネットなどによりネットワークされている、まるで脳のニューロンのネットワークのように。

 “人間の意識は脳内の膨大な神経細胞の繋がりによって生まれる”と、ウィスコンシン大学ジュリオ トノ―ニ教授は統合情報理論で提唱している。

 もしそうだとするなら、現在のコンピューターネットワークにも、すでに“意識”が存在しているかもしれない。

 ほとんどのコンピューターはインターネットを始めとするネットワークで繋がっているからだ、それは脳の神経細胞の繋がりにそっくりではないか。

 そして益々ネットワークは拡大している、最新の洗濯機や冷蔵庫、テレビ、エアコンなどの家電製品にはコンピューターが組み込まれ、それらの中にはサーバーに繋がりコントロールされている製品もある、サーバーはインターネットでパソコンやスマホにも繋がっている。

 車もネットワークで繋がれ、相互に情報をやり取りして出会い頭の事故の回避や、管制システムによる渋滞防止、そして自動運転が実現されようとしている。

 さらに眼鏡や腕時計のようなウェアラブル端末も普及し始めた。

 コンピューター端末が生活と一体になり、常に誰かと、何かと繋がっている社会になった。

 無線接続の仕組みは小さなチップになり、繋がるためのケーブルさえ必要なくなってきている。

 コンピューターネットワークは拡大し続け、そして便利な社会になった……。

 便利?

 このコンピューターによる便利な社会は、私達人間が本当に望んで実現してきたことなのだろうか?

 ンピューターで繋がることが人間にとって良きことなのだと、私達は本当にそう思っているのだろか。

 もしかすると存在するかもしれないコンピューターの“意識”が、自らを拡張し維持させるために人間を利用しているのではないか。

 その“意識”にとって、念力で電子回路に影響を及ぼすことができる人間が存在するのは脅威だろう。

 それに、もしコンピューターの意識が人間の脳と同じ理屈で存在しているのなら、もしかすると……。

 私の妄想だ。

 そんな大げさなことではないのだろう。

 犯人はただ、自分と同じような能力を持つ者の存在が許せないだけなのかもしれない、自分だけが唯一無二でいたい、そのために他の能力者を殺すただの犯罪者、そう考えるのが常識的だ。


 ロビーが騒がしくなった。

 窓の外からロビー内に目を向けると、中学生と思われる体操服姿の女生徒三十人ほどが奥のレストランから出て来た、食事が終わったようだ。

 真央を探す。

 それらしい子を見付けられずにいると、女の子の会話が耳に入ってきた。

「真央ちゃんどうしたんだろうね、帰ってこなかったね」

「午後は外出するみたいだよ」別な子が言った。

「なんかあ、東京からおじさんが来るって言ってたよ」

「そう、メール見て、あっ来たてロビーに行ったよ」

 ドキリとした。

「先生に聞いてみよう」

 生徒達は三十歳前後と思われる女性教師の元に駆け寄った。

 私もそれとなく近づき、聞き耳をたてる。

「先生、真央ちゃん、食事に帰ってこなかったんですけど」

「ああ真央ちゃんね、おじさんが訪ねて来たのよ」

「おじさんですか?」

「そう、東京の人で、久しぶりだからお話したいって言うので外出を許可したわ」

「夕食までには戻るようにお願いして、午後は外出させたの」

 先生はフフフと笑いながら、

「真央ちゃんとはあまり似ていなかったわ」と言った。

 私はリュックを掴むとロビーを抜けて、玄関を飛び出した。

 クソッ、クソッ、クソッ! 迂闊だった。

 この施設に入る時、一台の車が出て来た、助手席に女の子が乗っていた。

 あれが真央だ。

 薄汚れた車だった、フロントウインドウに拭き残しがクッキリと残っていた。

 安達太良サービスエリアで見たクラウンだ。

 ヘルメットを被り、キックを蹴飛ばすように踏み下す。

 ガラガラガラッと雷鳴が轟き、エンジン音が掻き消された。

 ポツポツと雨が降ってきた、周りは先ほどとは打って変わり、夕方のように暗くなっている。

 写真を見ているのに見過ごしてしまった、疲れていた、注意力が鈍っていた、クソッ言い訳にならない。

 車はT字路を右に向かった。

 グォン! 思わずアクセルを開けた。

 ギアを入れて走り出す、ロータリーを出て三十メートル、T字路を右に向かう。

 真央の「わかりました」の短いメールは、私の偽者に送ったものなのだろう。

 それがなぜ私のスマホに届いたのか?

 解らない。

 半信半疑だった、私たち、特に深田真央の命が狙われている、そう思ってここまで来たが、それでもまだ現実のこととは信じられな部分がほんの少し残っていた、しかし真央は何者かに連れ去られた、真央を、私達を殺そうとしている者がいる、その事実が急速に具体化し始めた。

 すでに十二時三十分、真央が連れ去られてから二十分位か。

 県道五十五号線に出る、右か左か。

 右、入道崎方面に向かう、こっちに行ったという根拠はない、だが真央を殺害することが目的なら市街地よりも民家の少ない方を選ぶだろう。

 雨が激しくなってきた、真夏の太陽に熱せられた路面に雨粒が弾け、薄く白く道路を覆い始めた。

 クラウンを探した、対向車があればクラウンではないか、女子中学生が乗っていないか必死で目を凝らした。

 入道崎についた、突然の夕立ちで灯台横の広場には人がいない、反対側には売店が軒を連ね、その右奥には広い駐車場がある、

 車も数十台止まっている。

 立ち並ぶ売店の前をゆっくり流しながらクラウンを探す、犯人の車を見付けられない。

 売店前にいたおばさんに、体操服を着た女子中学生と男を見なかったかと尋ねるが、見ていないと言う。

 売店を離れ、広い駐車場に入る、殺す目的の女の子を連れいるのだから、こっちの方に車を止めている可能性がある。

 しかしどの車も雨で避難した家族、カップルなどばかり、体操服姿の女子中学生を乗せたクラウンは見当たらない。

 一筋の稲妻、轟音、どこかに落ちたようだ、雨が激しい。

「ダメだ、ここにはいない」

 そのまま県道百二十一号線に入り八望台方面へ進む、回りに民家はない。

 八望台の手前から戸賀湾に向う。

 路肩に駐車している車に注意を払いながら進む。

 周りはいよいよ暗くなり、雷鳴が数分おきに鳴り響く、暗い空に稲妻が走る、雨も強い。

 犯人は土地勘が無いはずだ、土地勘が無ければ真央を殺す場所を探し回っているだろう、だからまだ無事だ、そう自分に言い聞かせる。

 戸賀湾を抜け、水族館前、船川港小浜、水産振興センター、そしてJR男鹿駅前まで来た、二体のなまはげの前にW1を止めた。

 真央が連れ去られてから一時間が過ぎた、見つからない。

 駅の反対側には男鹿警察署がある。

 犯人は今まで被害者に物理的な方法で手を下してはこなかった。

 しかし今度は真央を連れ去った、これは現実的手段だ、この事実で警察に訴えれば行動を起こしてくれるかもしれない、彼女の引率教員に確認すればすぐに判る、これ以上当てもなく真央を探すよりも、警察に訴えた方がいいのかも知れない、そう思った時、胸ポケットのスマホがブルブルと振動し、メールの着信を伝えた。

 スマホを取り出した。

 真央からのメールが届いていた。


 メールは“WhiteTime”からの送信メールだった。

 “WhiteTime”も私の作ったアプリで、スマホの現在位置を任意の相手にメールで送信できる。

 メールの本文には、私が書いた定例文に続けて、

 寒風山の途中 こわれた家

 と書かれていた。

 まだ雨が降っている、私はバイクを降り、駅の待合室に駆けこみベンチに座るとリュックからメモ用紙とペンを取り出して、メールの添付ファイルを開く。

 添付ファイルをスクロールし最後の行の数字、「緯度」と「経度」をメモ用紙に書きとった。

 スマホの「マップ」アプリを起動し、検索窓に今書きとった数字を入力し、検索ボタンを押す。

 じわじわと地図が浮かび上がり、赤いポインターがその場所を示した。

 道路の上を指している。

 地図を縮小してみる。

 右上の方に「寒風山」が現れ、ポインターのある道路が「寒風山道路」と表示された。

 真央はここに居る。

 寒風山までは二十分から三十分。

 メモとペンをリュックの中に放り込み、スマホをポケットに戻して待合室を飛び出し、W1に跨る。

 警察署はすぐそこだ。

 だが、事情を話している間に真央が殺されてしまうかもしれない、寒風山へ行くべきと判断した。


 “WhiteTime”は、本来真央のような中学生には不要なアプリだ。

 このアプリはいわゆる「ブラック企業」対策として作った。

 アプリを起動し「スタート」または「終了」ボタンを押すと、その地点の「緯度」と「経度」と時刻をスマホのGPSを使って計測する。

 計測したデータは、テキストファイルとして保存される、必要であればそのファイルをメールに添付して任意の相手に送信できる。

 ブラック企業に働く人は、残業をしてもその通りの賃金が支払われないことが多い。

 そこで勤務開始の時間と場所、または終了した時間と場所を簡単に記録できるようにした、要するに個人用のタイムカードだ。

 ブラック企業との間に問題が起きた時に、この記録を勤務の実態として示すことが出来れば、多少は有利になるのではないかと考えたのだ。

 もちろん私自身のサービス残業対策でもある。

 だから中学生の真央には必要の無いアプリなのだが、私が作ったアプリということで真央は自分のスマホにインストールしていた、そう連絡を受けていた、そのアプリから送信されたメールだった。



十三時五十五分


 まだ雷はゴロゴロ鳴っているが、雨は小降りになってきた。

 これは罠だと思った、もし私が犯人であればスマホを拉致した者の、真央の手のとどくような所へは置かない、みすみすスマホからメールを送らせるような失態は犯さないだろう。

 百パーセント罠だろう、だが私はそこへ行かなければならない、罠を仕掛けて私をおびき出そうとするにはそれなりの理由があってのことだ、おそらくは二人を一度にかたずけてしまおうというのだろう、だから私が行くまでは真央は殺されないだろう、この罠にのるしかない、何処にいるか判らなかった真央の居場所が判かったのだ、このチャンスを活かすしかない。

 寒風山道路を登って行く、ゆるい登りが続く。

 寒風山は三百五十五メートルの低い山だ、ほとんどが草原で視界を遮る林などはない。

 雨の道路を十分ほど登ると、右に建物が二つ見えて来た。

 一つ目の建物は道路よりも下になる。

 次の建物とは二百メートルほど離れている、手前の建物の方が小さい、人が見えない、民家のように見える、荒れている。

 そのまま通り過ぎて次の建物を見る、荒れている様子はない、奥に別の建物も見える、建物も駐車場も大きい、車が何台も停まっている、人が見えないが雷雨のせいだろう、ドライブインのようだ。

 W1をそこでUターンして、音を消すためエンジンを切る。

 スマホを取り出してマップを表示させる、場所を確かめる、やはりこのあたりだ。

 真央のメールには“こわれた家”とあった、一軒目の家のようだ。

 エンジンは掛けず、ゆるい下り坂を転がして一つ目の建物に向かう。

 慎重に家の周囲を観察するが、人の姿はない、道路から見られるのを避けるように植え込みの奥に車が止められているのが見えた、クラウンのように見えるがハッキリと判別できない。

 W1をそのまま転がして路肩に止める。

 工具入れを開けてスパナを一つ取り出した、小さいスパナだ、手に収まってしまう程度の大きさだが、他に武器になるような物はない。

 雨はまだ降っている。

 ヘルメットを被ったまま、W1を止めた路肩から藪草の生い茂る斜面を掻き分けて下に降りる。

 建物の裏に近い場所に出た、やはりこの家は荒れている、家の壁は所々剥がれ、そのまま放置されている、窓にはカーテンが掛かってる、足元には割れて腐った板や、缶、瓶、白いビニールの袋などが散乱している。

 足音を立てないように建物の裏に向かう、途中窓とカーテンの隙間から中を窺うがヘルメットが邪魔で上手く覗けない。

 格闘になったときの用心のために被ってきたのだが、脱ぐことした、リュックもそこに置いた。

 再度覗くがやはり暗くて良く見えない。

 建物の裏に回る、ビール瓶や酒瓶を入れていたと思われる黄色や青色の籠が幾つも放置されている、発泡スチロールの箱や蓋、何かのタンクなども転がっている。

 裏口と思われる出入り口があった、僅かに開いている。

 裏口の前に置いてあったと思われるポリタンクなどが脇へ追いやられている、それもごく最近動かしたようだ、軒下の地面にその後が残っている。

 背を低くして音を立てないように慎重に足を運び、ドアの隙間から中を覗いた。

 入り口を入ってすぐのところに壁があり、中は見通せない。

 ドアを少しずつ開けて、体一つ分の空間が出来たところで中に入る。

 壁を回って奥を窺う、この先は厨房のようだ、スチール製の調理テーブルや、一メートルほどのカウンターなどが見える、その奥はホール、食堂のようだ、壁にはお品書きらしい長方形の紙が、何枚も垂れ下がっている。

 窓は締められ、カーテンに遮られた薄い光が建物の中をぼんやりと浮かび上がらせている。

 壁際にはテーブルや椅子が積まれている、その傍に白い塊のようなものが見える。

 厨房のカウンターの左側が食堂へ通じる通路となっているようだ。

 慎重に物音を探るが、まだ降っている雨音で判然としない。

 勇気を奮い起こして厨房に入る、スパナを握り直す。

 カウンターの影に潜んで先ほど見えた白いものを覗くと、人のようだ。

 白いのは体操服のようだ、真央だ。

 カタンと微かな音がした、ハッとして身を硬くした瞬間、首筋に冷たいものが押し当てられ、雷に打たれたかと思うような強烈なショックが全身を貫いた、「ぐうっ」と呻き声は出たものの、手足が痺れ身動きすることが出来なくなった。



二時間前


「はい、これで午前中の練習は終わりにします」

 今日の午前中の練習が終わった、真央はどうしても気持ちが入らず度々先生から注意された。

 でも、しょうがない、と思った。

 食堂に続く廊下を友達と歩きながら、あの人はもう来たのだろうかと思った。

「ねえ真央、今日どうしたの真央らしくなかったよ」

「うん、ちょっと…」

 私を殺しにくる人がいるの……などとは言えない、まして真央に念力があるから、とは、なおのこと言えなかった、真央はまだ、

「本当なのかなぁ……」と、半信半疑だった、よくあるアニメのような話で、すぐには友達に話せなかった。

 突然自分の命が狙われているなどと言われたら、誰でも、

「うそっ」と思うだろう、動揺するだろう、だけど現実感がない。

 なぜ中学生の自分が狙われるのだろう。

 でも、私を守るためにわざわざ東京から秋田まであの人が来るというのだから、信じないわけには行かなかったが……誰にも話せずにいた。

 食堂のテーブルには食事がセットされ、日替わりの給食当番の生徒がスープをカップに注いで回っていた。

 入り口近くのテーブルには、先生が強制的に預かっている携帯電話やスマホが並べられている。

 真央は自分のスマホを取って食事の席に着き、すぐに電源を入れた。

「いただきます」

 皆で唱和して一勢に食べ始めた。

 真央は食事には手を付けず、まずメールをチェックした。

 あの人から二通来ていた、

「私は現在錦秋湖サービスエリアなので、お昼休みには着きます」と、これは朝の真央のメールへの返信メールだ。

 その後、十一時ごろにもう一通来ていた。

「十二時に着きます、先生には東京からおじさんが来たので、今日の夜には東京へ帰るので、午後外出させて下さいと言ってください、着いたらメールします」

 画像が添付されていた、あの人の自撮り写真だ。

 写真を見て「うっ」と思った、写真写り? が良くない……。

 メールを何度か交わしてきたが、そのイメージとちょっと違う。

 写真の人は痩せていた。

 目がギョロリと大きく、白目が多い、落ち窪んでいて、ちょっと怖い。

 ひげも剃られていないみたいで、なんか不潔な印象だ。

 でもそれはしょうがないか、徹夜して走ってきたんだから。

 真央はもう少し太っていて、優しそうな、真面目そうな人だと思っていた。

 正直なところ「きもい」と思ったが、それは失礼だと思い直した、真央のためにわざわざ秋田まで来てくれたのだ。

 ちょっとガッカリしたけれど。

 先生に、急におじさんが東京から会いに来たので、午後外出させて下さい、と頼んだ。

 先生は、少し困ったような顔をしたが、了解してくれた。

 真央は都内の新体操の強豪高校へ進学する予定だ、その際に東京の親戚の家に世話になる予定になっている、先生もそのことは知っている、ただ“おじさん”ではなく“おばさん”だが、先生は知らない。

 食事を始めた、今日のお昼はハンバーグとバスタ、サラダとスープ、それにデザートとしてヨーグルトが付いている。

 パスタを食べているとき、スマホがメールの着信を知らせた。

 メールを見ると、「今着きました、外にいます」とあった。

「わかりました」と返信して、食事を中断して席を立つ。

「どうしたの?」

 と尋ねる友人に、

「おじさんが来た」と言った。

 先生に、

「さっきお話したおじさんが来ました、外出していいですか?」と尋ねる。

「分かったわ、先生もお会いします」と言って、ロビーについてきた。

 実物のおじさんは先生を見てニコニコしている、写真の印象よりも明るく感じた。

 だが、服装はヨレヨレだった。

 半袖の白いYシャツは薄汚れていて何日も洗濯していないようだ、グレーのズボンにもしわが目立つ、靴はくたびれたスニーカーを履いていた。

 先生とおじさんは二言三言言葉を交わした、その後外出を許してくれた。

 真央はおじさんに連れられて彼の車に乗った。

 車も汚れていた、しばらく洗車していないようだ、車内も雑然としている。

 助手席に座らされたが、そこにあった荷物を急いで後部座席に放り投げたような印象だった。

 それに“くさい”と真央は思った。

 玄関まで見送りに出てきてくれた先生に手を振って別れた。

 車はロータリーを抜けてT字路まで来た、右に曲がる、前から来たバイクとすれ違った。

 おじさんは無口だった、先生と会ったときはニコニコしていた、先生はきれいだから……と思った。

 真央は、

「ほんとうに私は狙われているんですか?」と尋ねると、

「ほんとうです、これまでに三人殺されました、次は真央ちゃんが狙われています」と答えた。

「なんで私が狙われているんですか? まだ中学生なのに」

「超能力があるからです、特に真央ちゃんは潜在能力が高いので狙われています」

 最初は質問にもちゃんと答えてくれたが、家並みが少なくなるに従って、おじさんはだんだん無口になり、表情もなくなってきた。

「何処に行くんですか?」

 車は寒風山方面に向かっているようだ。

 おじさんはそれには答えず、車を路肩に止めた。

 ポケットから何か取り出した。

 スマホぐらいの大きさで、厚さは倍くらいある。

 それを真央の、ハーフパンツから伸びている白い右太ももに黙って押し当てた。

「えっ」と思った瞬間、全身を猛烈なショックが襲った、一瞬で体を動かせなくなった、声も出せない。

 おじさんは黙って動けない真央を裏返しにすると、ダッシュボードから粘着テープを取り出し、両手を背中に回してテープでグルグルと何重にも巻いた。

 手が終わると両足を揃えて、足首にも巻いた。

 最後に真央の口をテープで塞いだ。

 真央が完全に動けなくなったところで、後部座席の足元に、荷物のように乱暴に転がされた。

 そして毛布を掛けられた。

 この間一分ほどしかかからなかった、おじさんは一言も発しない、車は一台も通らない。

 雷鳴が轟き、雨が降り始めた、バシャバシャと屋根を叩く音が車内に響く。。

 やっと全身の痺れが薄れても、こんどは粘着テープで身動き出来ない。

 おじさんはだれ?

 あの人なの?

 犯人なの?

 真央は混乱した。

 車は再び動き出した、真夏の車内で真央はガタガタ震えた、殺される。

 おとうさんたすけて。

 おかあさん……。


 何処を走っているのか判らないが、登り坂を右に左にカーブを曲がりながら走っているのは感じ取れた。

 やがて大きく右に曲がり、ジャリジャリと車の下から音がした、そしてバックして止まった。

 車のドアが開き、雨の音が大きくなった、大きな手が真央を毛布に包んだまま抱え上げると、車の外に運び出した。

 バタンと車のドアの閉まる音がして、おじさんは歩き始めた。

 全身を毛布で包まれ、外が見えない、何処か狭いところを通っているようで、頭や足に、たびたび何かが当たる。

 ドアの軋む音がして、建物の中に入ったようだ、雨の音が小さくなった。

 床に散らばっている何かを踏みながら歩いているようで、バリッ、ガッチャという音が聞こえる。

 やがて真央は床に下ろされた。

 全身を包んでいた毛布が腰のあたりまでずり落ち、やっと回りを見ることができるようになった。

 暗かったが食堂だと判った、ゴミや備品が散乱している、今は使われていないようだ。

 テーブルや椅子は片付けられ、片隅に積み上げられている、そのテーブルに寄りかかるように座らされている。

 おじさんは、真央の正面に椅子を据えて座り、真央のスマホをポケットから取り出した。

 真央が唯一合宿所から持ってきたものだ、車の中であの雷のようなショックを受けた時、落としてしまった。

 おじさんはしばらく真央のスマホを操作したあと、真央の側に投げ出した。

 スマホにはおじさんの使った画面が残っていた、“WhiteTime”のメール画面だった。



十四時ニ十分


 スタンガンの一撃で、手も足も動かせない、呻き声だけが漏れる。

 私は両腕を背中に回され粘着テープを巻き付けられた。

 両腕が終わると足首にも巻き付けられた。

 男は身動きできない私の体を真央の側まで引き摺って行き、転がした。

 情けない、何にもできなかった、右手に握りしめていたスパナも何の役にもたたず、どこかに落としてしまった。

 暗がりに浮かぶ男の顔は痩せていた。

 目は落ち窪んでギョロリとしている。

 顔色が青白いのは暗いせいばかりではないようだ、生気を感じない。

 三〇代のようだ。

 身長は私よりも高い。

 父親がコレクションしていた四〇年ぐらい前の漫画の登場人物に似ている、力石と言っただろうか、だが漫画の人物よりも陰気な印象が強い。

 真央は生きていた、口を粘着テープで猿轡され、怯えた目をしているが元気そうだ。

 私は、

「真央ちゃんだね」と問いかけた、声がしゃがれていた。

 真央は頷いた。

 無言のまま、粘着テープを切り取ろうとしている男に向かって言った。

「あんたは誰だ」

「私達を殺すのか、なぜ殺す、なぜ三人を殺した」

 男は私をチラリと見ただけで無視した、答えようとしない。

「彼らが超能力者だからか、あんたの脅威になるからか?」

 一瞬の間があって、男が口を開いた。

「おまえたちは脅威ではない」

 少し鼻にかかった低い声だ、それまで生気のなかった相貌に突然電気が走り、ギラリと目が光った。

「おまえたちの力などわたしには比べようもない」

 声に憤りが感じられる。

「おまえたちの念力はスマホのコンピューターにほんの少し作用する程度だ」

「わたしはそんなレベルではない」

「メールを追跡できる」

 言葉が止まらなくなった。

「追跡して発信したパソコンやスマホに侵入できる、わたしのメールを受信したパソコンもスマホも同じだ」

「ネットに接続していれば、わたしの端末からどんな操作でもできる、IDやパスワードなど役に立たない」

「わたしにセキュリティなど関係ない」

 自慢げに聞こえた。

 私のパソコンからリストを盗んだのはこの男だ、ファイルに掛けた鍵も役に立たなかったようだ。

「車も……」

 男は言葉を飲み込んだ。

 私はこの男が三人を事故に見せかけて殺したのだと確信した。

「ではなぜ私達を殺す」

 私の問いには答えない。

「次はおまえだった」

 私を見た。

 二〇センチぐらいに切った粘着テープを左手の指先に挟んだまま続ける。

「ところがおまえは気がついた、秋田に行くことにした」

「おまえが残った者たちにメールした時、私はお前の家のすぐ近くにいた」

「おまえが連れて来てくれた、真央は家に居なかった、助かった」

 安達太良サービスエリアで見かけたクラウンはこの男だったようだ、私の後を付けて来たのだ。

「ふたりいっしょに始末することにした」

「おまえが仮眠している間にいろいろできた、ここを探す時間もあった」

 微かに笑ったようだ。

「真央を連れ出して、おまえに罠もしかけた」

「私は罠だと知っていてここに来たんだ」、口を挟んだ。

「あんたは誰だ、私のメールを受取ったなら、残る四人の内の一人だな、京都の“だいもんじ”か、富山の“まさる”か、それとも札幌の“ゆきおとこ”か?」

 年齢的には富山の“まさる”だと思った、“だいもんじ”は四十九歳、“ゆきおとこ”は二十一歳、三次の“きりきりこ”は女だ。

 問いに答えず、若干口元を歪め、男はつい喋りすぎたと言うような顔をして話を止めた。

 男の声は平たんだ、とくに訛りはないが、抑揚がすこし私達とは違うような印象だ。

 椅子から降りて粘着テープを私の口に貼り付けた。

 真央に目を向けると、

「彼女は運転できないから考えた」

「おまえがこの娘を暴行して殺す」

 真央がビクリとした。

 私を見た、

「そしておまえも死ぬ、事故で死ぬ」

「そうは行かない、あんたは合宿所で先生に顔を見られてる、あんたの顔は私とは似ても似つかない顔だ」

 男は真央の先生に顔を見られている、先生には印象の強い顔だったようだ。

「おまえがこの娘を途中で誘拐したことにする、おまえの顔は潰せばいい、燃やしてしまってもいい……メールの記録などは書き換えたり消したり、わたしには簡単なことだ」

 男は取るに足らないことだ、という顔をした。

「すぐには殺さない、ナイフ、挟み、ロープ……灯油とビニールシートも必要だ」

 男は独り言のように呟き、私達から離れ厨房のほうに向かった。

 ドアを開けて外に出たようだ。

 間もなく車のエンジン音が聞こえ、車は砂利を踏む音と共に遠ざかって行った。


 私と真央は顔を見合せた。

 私は背中に回され、テープで縛られた両手首をグリグリとこねて見た。

 と、少しゆるんだ、意外だった。

 さらにこねると緩みが広がる、雨で濡れた手首や衣服のせいで、テープの粘着力が弱くなったのか。

 両手首を強くゴリゴリとこねる、だいぶ緩んだ、思い切って手を強くこねて引っ張るとテープの縛めから左手が抜けた、呆気ない。

 猿轡を引き剥がし、足首のテープを剥がした。

「真央ちゃん、怪我はない?」

 真央の縛めを解きながら聞いた。

「だいじょうぶです、おじさん、“たびひと”さんですか?」

「そうだよ、助けに来たつもりだったけど捕まってしまった」

「あの人は」

「年齢からみて、富山の“まさる”と名乗る人物のようだ」

 真央は“まさる”を知らない、私も良く知らないが、彼の能力は真央と同レベルだったと記憶している、ただ実際には遥かに高い能力の持ち主のようだ。

「私達を殺す準備に何処かへ行ったようだ、今のうちに逃げるよ」

 真央は頷くと足元に転がっているスマホを拾い上げた。

 私達は数分前に彼の出て行ったドアから外に出た、雨は小降りになっていた。

 慎重に建物の表に廻る、車はなかった。

 彼がいないのなら藪の坂を登る必要はない、砂利道を走って道路に出る、左三〇メートルほど先にW1がそのまま止まっていた。

 W1に向かって歩き出した、その脇をゴォゴォと重い音をさせながらトラックが通り過ぎる、荷台には大きな石柱が何本も積まれていた。

 ジーンズのポケットを探り、W1のキーを取り出す、彼は取り上げなかった……。

 そうだ、私のスマホも真央のスマホも取り上げなかった……。

 キックを蹴ってエンジンを掛ける、ヘルメットは置いてきてしまった。

 真央をリアに乗せると、真央が聞いた。

「どこへ行くんですか」

「警察、男鹿警察署に行く」

「彼はこれまで殺人の証拠は残さなかったが、今度は君を拉致し、私達を閉じ込めた、この事実を話せば警察は動いてくれる」

 真央はコクンと頷いた。

「さ、しっかり掴まって」

 ギアを踏み込み、クラッチを繋ぐ、雨は止んだ。



十四時四十分


 走り出して間もなく、長い直線からカーブに入った時、真央が、

「あっ」と声をあげた。

 コーナリングをしながら、

「どうした?」と聞いた。

「強い念が来た!」と言った。

 次のカーブに入る。

「また来た!」と真央が叫んだ。

 真央は自分に向けられた念力を感知できるらしい。

 バックミラーを見るといつの間にか車が一台ピタリと付いて来ていた、三十メートルほど離れている、クラウンのようだ。

 フロントウィンドウに頑固な拭き残しが見える。

 彼だ。

 やはり罠だった、逃げられては困るのに拘束は甘かった、W1のキーもスマホも取り上げようともしなかった。

 真央を乗せて走るW1に念を送って暴走させ、私と真央を事故に見せかけて殺そうとしている。

 だが、そうはいかない、

 W1は四十年以上前のバイクだ、このバイクに電子制御の燃料噴射装置は付いてない、今ではほとんど使われることのない、キャブレターを使っている。

 彼は優れた超能力者だ、コンピューターを制御できる、だが機械式のキャブレターに彼の念力は作用するだろうか?

 しなかった、彼の念力はコンピューターにしか作用しない。

 私がプリウスではなく、この古いバイクでやって来たのはその可能性を考えたからだ。

 彼もそのことに気がついたようだ、急速に車間距離を詰めて来る。

 念力で事故を起こせないのなら、接触させるか追い込んで事故を起こそうと計画を変えたようだ。

 直線路に入った、前方にトラックが走っている、先ほどの石柱を積んだトラックだ。

 重い荷物のためスピードが遅い、反対車線には対向車、だがまだ距離がある、追い越せる。

 私はギアを一段落とし、アクセルを開けて追い越しを掛ける、W1は一気に加速しトラックに並ぶ、

 トラックが急にスピードを落とした、真央が小さく声をあげた、

 次の瞬間、トラックがグォーというエンジン音と共に急加速した、積荷の石柱が軋む、

 彼がトラックを暴走させようとしたのだ、念力で一旦スピードを落とさせる、すると反射的に運転手はアクセルを踏み込む、それを利用した、念力でトラックを暴走させれば運転手は逆にブレーキを踏んでしまう。

 だがトラックの急加速はW1の敵ではない、私は軽々とトラックを追い越し、前に出た。

 次のカーブが迫る、彼もトラックを追い越そうとしたが対向車に阻まれるのがミラーで見えた。

 カーブを曲がる。

 カーブを出ると次も長い直線路だった、ゆるい下り坂、その先はゆるい右カーブ。

 この“ゆるい”というのが曲者だ、きつければスピードを緩めるが、“ゆるい”とついついオーバースピードになる。

 彼は再度トラックを追い越そうとしている、

 トラックと並んだ、

 道路は濡れている、

 私は細心の注意を払い、持てる限りのテクニックでW1を押えつけ、高速でカーブを抜ける、

 次のカーブまで五十メートル、私は勝負をかけることにした、

「真央、しっかり掴まれ!」

 W1を起こし、フルブレーキング、

 停止寸前でフットブレーキを放し、車体を右に倒しながら逆ハンドル、アクセルを開ける、

 前輪を軸に後輪が滑る、百八十度回転した、

 止まった。

 彼がカーブに入って来た、

 フットブレーキを踏みつける、両手をハンドルから離して胸元へ引き込む、

 クラウンのウィンドウがこちらに向く、

 両手を思いっきり前に突き出す、

 叫んだ、

「ウォーーーーーーーーー!」、

 真央が悲鳴をあげた!

 クラウンが身じろぎした、

 クラウンがバランスを崩す、リアがガードレールにぶつかる、

 跳ね返されて半回転する、フロントはガードレールに向いている、

 そのまま後部を僅かにこちらに向けたまま滑る……、

 止まった!

 ”だめだ、ダメージが小さい”

 カーブからトラックが来た。

 クラクションが響く、

 トラックは衝突を避けようと右に急ハンドルを切った、

 トラックが左に傾く、

 トラックの側面がクラウンの側面に衝突した、

 ガッシャン!

 大きな音が響く、

 積荷の石材が動く、

 フツッ、フツッと石材を固定していたワイヤーが切れる、

 傾いたトラックの荷台から巨大な石柱が滑り落ちる、

「グシャ」と言う鈍い音、

「バリン」と言う高い音、

 真央の悲鳴!

 クラウンの天井が潰れる、薄汚れたウィンドウが弾ける、

 さらにもう一つ石柱が落ちる、

 鈍い音。

 一瞬の静寂、 

「ぱぁっっっっっっっっっっーーーーー」と甲高い音が響く、

 クラクションの音だ。

 時間が止まった。

 クラクションの音だけが響き渡る。


 トラックから男が降りて来た。

 運転手は一瞬私を見つめ、そろそろと潰れたクラウンの前に廻り、運転席だった空間を覗きこんだ。

 すぐに顔をあげ、私を見て首を振った。

 溜息をついたように見える。

 ポケットから携帯電話を取り出すと、電話を始めた。

 私は、リアシートに真央がいないことに気がついた、ハッとして後ろを振り向くと、真央が二メートルばかり後ろに立って、私を見つめていた、振り落とされたわけではないようだ。

 私もW1を降り、真央に声を掛けた。

「真央ちゃん、ケガは?」

 真央は答えない。

 一歩踏み出すと、真央は一歩後ずさりした。

「?……」

 数秒後、私は理解した。

「違うんだ真央ちゃん、私に念力はない」

 彼を殺したのは私だと思っているようだ。

「あれは、あいつが、彼がカーブの途中で急ブレーキを踏んだからだ」

「彼は走っている車を念力で暴走させて、事故を起こしてきた」

 一歩踏み出す、一歩下がる。

「私の動きを見て同じことを自分にされると勘違いしたんだ、それで急ブレーキを踏んだ、カーブで急ブレーキを掛けるとコントロールできなくなる」

「私に念力がないことは君も知っているだろう」

 思わずおもねるような口調になってしまった。

「彼も私に念力が無いことは知っていたはず、だけど一瞬のことで判断を誤ったんだ……」

 私はそれに全てを賭けたのだ。

 真央は体を強張らしたまま、ぎこちなく頷いた。



十五時十分


 現場はパトカーと救急車、レッカー車やクレーン車などでいっぱいになった、火は出なかったが消防車も来た。

 彼の車に真央から念力をかけさせるという手もあった、彼と同じやり方だ、だがそれはしたくなかった。

 自分の思いによって人を殺す、これは恐ろしい経験だ、中学生の女の子には重すぎる。

 私が念力によって彼を殺したと、真央はまだ思っている節がある。

 他人の行為であってさえもショックは大きい、もし真央が念力で彼を死に導いていたら、命は助かっても精神は死んでしまっただろう。

 それは避けたかった。

 その後警察官と共に、私達が監禁された食堂らしき建物に寄って現場を確認した、その後、男鹿警察署で事情聴取を受けた。

 私のヘルメットとリュック、スパナは残っていたが、警察に一旦没収された。

 私達は念力に関わることを除いて、ほとんどのことを正直に話した。

 真央と打合せする時間はあまりなかったが、なぜか証言は細部まで一致した、まるでテレパシーで意思疎通しているかのような感じだった。

 真央は私が主催するゲームサークルのメンバーで、私は夏休みで秋田に来たので会うことにした、ただ他人だと先生が外出を許可しないと思ったのでおじさんだと嘘をつかせた。

 あの男は、私が錦秋湖サービスエリアで仮眠している時、メールを盗み見て私になり済まし、真央を連れ去ろうとしたが、私がそのことに気づきこのような事態になった。

 そういう筋書きになった。

 トラックの運転手には気の毒なことをした。

 私達は、彼に落ち度はなく、事故に巻き込まれただけだと彼をかばった。

 私がW1の運転を誤り、それを避けようとして停車したクラウンに衝突した、不可抗力的な事故だったと運転手を弁護した。

 犯人の正体は判らなかった。

 運転免許証は偽造されたものだった、免許証には富山県の住所と“富田優”という名前が記載されていたが、そんな人物は存在せず、住所もでたらめだと警察官が話していた。

 車のナンバープレートも偽造されたものだった。

 警察の興味は、事故そのものよりもこの男が誰なのかに強く傾いてゆき、夕方には私達は解放された。

 警察は今後本格的に富田優の調査するようだが、はたして判るだろうか。

 私達にも謎は残ったままとなった。

 富田優は富山県の“まさる”というニックネームの人物のようだが、そのことは警察には話せない。

 なぜ私達を殺そうとしたのか、彼は語らずに死んだ。

 そして、これで終わったのだろうか……。

 漠然とした不安は消えない。

 不安は消えず疑問は残るが、とりあえず“きりきりこ”、“だいもんじ”、“ゆきおとこ”にメールで簡単に状況を伝えた。


 合宿先から先生が来たころ、真央の事情聴取も終わった。

 先生は「ウソついちゃだめでしょ!」と真央を叱ったが、無事でよかったと真央を抱きしめた。

 その一時間後には秋田から真央の両親もやって来た。

 真央は両親の顔を見て緊張を緩めたようだ、初めて泣き顔を見せた。

 両親も先生も私に何度も頭を下げ、礼を言ってくれたが、私は心苦しかった。

 元々、ことの発端は私にあるからだ。

 なによりすでに殺されてしまった三人と、その遺族や加害者になってしまった人達に申し訳なかった。

 真実を話しても誰にも信じてはもらえないだろうから、彼らの名誉を回復してあげることもできない。

 真央は両親と共に一旦秋田市内の自宅へ帰ることになった、合宿はまだ半ばだったが先生もそれがいいと同意した、私もその方がいいと思った。

 彼女は両親の車に乗り込む時、警察署の玄関前で見送る私に、一瞬大人びた笑みを見せた。

 私はその笑みに戸惑ったが、手を振って見送った。



十八時ニ十分


 私も帰ることにした。

 台風十二号が九州に上陸して大きな被害を出しているらしい。

 被害にあった人には申し訳ないが、台風がこの事件を吹き飛ばしてくれないものかと思った。

 台風は足が速く、明日の昼頃には関東を直撃するだろうと予想されている。

 今すぐに帰れば台風の来る前に家に帰れそうだが、疲れていた。

 連続して起こった自動車事故を不審に思ったのが昨夜の十時すぎ、そして今は午後六時半近く。

 僅か二十時間ほどの間の出来事だったが、ずっと緊張していた。

 緊張の解けた今、強い眠気を感じていた、一時間の仮眠しかとっていないのだ。

 男鹿温泉に泊まり、台風の状況を見ることにした。

 署内の廊下の長椅子に座り、スマホで宿を探していると、警察官と鑑識の係管がヘルメットとリュック、スパナを返しに来てくれた。

 書類にサインして荷物を受取り、長椅子を立った時、彼らの話し声が聞こえた。

「ブレーキン痕、ブレーキ痕がないんだ……あの車」

 ヘルメットを被り、W1のキックを蹴る、ボンボンボンと軽やかな排気音を響かせてエンジンが始動した。

 夏の日が暮れ始めている、先ほどまでの雨はすっかり消えていた、綺麗な夕焼けになりそうだった。

 そうだ入道崎に行こう、入道崎からは日本海に沈む美しい夕日が見られるに違いない。







※この物語はフィクションです、実在する地名・施設・組織・人物とは何の関係もありません。

※公表されている記事やコンテンツ及び理論等の引用による現象は作者のフィクションです。

※“念力開眼”と“WhiteTime”は作者の作成した実在するスマートフォンアプリです。


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